1-5:少女はどちらの彼を見るか
少女は、事実を確かめたかった。
「あなたは、誰?」
・・・ああ、口に出してしまった。
聞いてはいけないことなのに。
聞かないと、決めていたことなのに。
「─────」
目の前の、彼だった男の口が、ぱくぱくと動く。
言葉を探しているのだろう。
目の前にいる私を、自分に恨みを持っているであろう女を、できるだけ刺激しないように。
そう意識しているように見える。
「・・・・・」
だけど、不思議だ。
目の前の男の目は、どうにも私を───逃げ出してしまいたいくらい、恐れているように見える。
『どう返答すべきだ?
言われた通りなら、この身体の名前を言うべきだが───いや、質問の意図が異なるのなら、こちらの名前を言うべきか』
いや、そう見えるだけだ。
私の目に映る情報は、目の前の男を臆病だと認識しているが、私の自己証明は目の前の男が「理性的である」と認識させてくれる。
このような突飛な状況であっても、目の前の男はその思考力を保っているらしい。
「───空閑、葛。
あんたの求めていた答えは、これで合っているか?」
一か八か。そんな心境の人間がする表情をしている。
決して、自分の名前を言えと言われた人間の表情ではない。
私に対して、彼は何か後ろめたい気持ちがあるのだろうかと、どうしても勘ぐってしまう。
「・・・・・?」
だが、今ので理解した。
それと同時に、再び脳裏に蘇った。
彼の、グレイアの───死ぬ前に遺した、最後の言葉が。
───次の僕を、よろしくね
ひたすらに無口で、穏やかで───いつかの激怒さえ、祖父の因果で無実に追及された私の為であった彼が、唯一放った最後の言葉。
次の瞬間、彼は首を跳ねられて死んだ。
私がもう少し早く敵に気づいていれば、彼を含めた皆も死ぬことは無かったはずなのに。
そう後悔してももう遅い。
『選択を間違えたか?
いや、でも、敵意はない気がするが・・・どうだ?』
こうして、彼は今の彼となった。
かつての、粉雪のように儚い雰囲気を纏う彼はもう居ない。
しかし、不思議と私は怒っていない。腸が煮えくり返るなどと、いつか聞いた転生者ことばの実例となったわけでもない。
「・・・ごめん。君を試しただけ」
そして、今になってわかった。
彼の出自が不明だったのも、彼がまったく身の上を話そうとしなかったのも、生まれを聞かれた時に、どこでもない場所を指さしたのも。
「ちょっとだけ不安になっちゃった。
もしかしたら君が、どうしようもない屑になっちゃったかもしれないって」
「それはどういう───」
「でもわかった。二回目になるけど、よろしくね。グレイア」
私の祖父から受け継いだ遺伝子が、そうだと言っている。
私から両親を奪った、憎き遺伝子が言っている。
・・・かつての彼は、今の彼のための器だったのだと
そして、嫌味を混ぜながら放った私の言葉は、どうやら彼の「何か」を刺激してしまったらしい。
何かを想起したような、まるでこの世の終わりが来たような、そんな表情に変わった彼は、今にも泣きだしてしまいそうな子供にも似たような表情で私に言葉を返す。
「・・・・・よろしく」
もう一度言うが、彼は今にも泣きだしてしまいそうな子供のような表情をしている。
その語気と表情が釣り合っていない。
『どういうことだ。
俺は・・・どうすればいいんだ?』
私は彼の左隣りにあった椅子に座り、その目をじっと見つめながら心を読む。
本心云々の話をしようにも、心を読む限りは困惑しているようだ。
普通の転生者であれば、すぐに状況に順応して私と会話できるようになると勝手に思っていたのだが───どうやら彼は、私の思う普通とは違うらしい。
『謝ればいいのか?
何をすればいい?
親しかった間柄の人の体で、何処の馬の骨ともわからない輩がよろしくやっていたなら───そんなもの、とんでもない尊厳破壊ではないか』
私自身、年齢にそぐわないほどの知識があると自負しているが、今見えている心の声はどういう感情だと言うべきなのだろう。
責任感や共感とはまた違うが───しかし、少なくとも私の現状を見て態度を慮ってくれているのはわかる。
でなければ、そんな辛そうな顔はしないはずだから。
「ねえ、グレイア」
「っ・・・」
私が名前を呼ぶと、彼の体がびくんと跳ねた。
隅に追い込まれた時の子供みたいに縮こまって、可愛らしさすら感じる気がする。
「自己紹介をしない?
私は新しい君のこと、まったく知らないから」
優しくしたつもりで放った私の言葉は、彼にどう捉えられたのだろうか。
グレイアは首を縦に振り、承諾はしてくれたものの───その顔に映し出されているのは、私の語彙では表すことのできない感情によって歪んだ微笑み。
どうにか取り繕った結果が、むしろ素のままでいた方がいいほどに歪んだ表情であるのなら、彼の本心は一体、どんなものなんだろう?
「・・・先に俺から言った方がいいか?」
「うん。そうしてくれると嬉しい」
私の自己証明では、彼の心───考えは見ることができても、思考の奥底にある本心は見ることができない。
その歪んだ微笑みの下にある本心がどんなものなのか。
なぜか私は、それがすごく気になっている。
「俺の生前の名前は、さっきも言った通り空閑 葛って言う。
皆からはカズって呼ばれれていた。
17歳の春に病気で死んで、この世界に来て、神様に会って・・・・・その時に、この体がグレイアだってことを知った」
「・・・その神様は、君の体───グレイアについて、何か言ってた?」
本来は聞くべきではなかった質問かもしれない。
それでも、私は知りたかった。
私の考えと、血に染み付いた勘が示した答えの、裏付けをしたかった。
「・・・・・曰く、私が構築したものだ───と」
むしろ容姿には似合ってしまうほど弱々しい声で、捻り出すように彼は言った。
恐らく、言葉を選んだ訳でもなく、嘘をついたわけでもない。
安易に気を使って言葉を発するより、正直に事実を伝えた方が良いと───おおよそ、あの正義の寵愛者にでも言われたのだろう。
盗み聞きをした限りでは仲が良いみたいだし、この短時間で信用を勝ち取れるのなら、彼の言葉は嘘ではないという信用が持てる。
「───そう。じゃあ、次は私の自己紹介だね」
私の血に染み付いた勘は、グレイアの言葉という裏付けを経て確証となった。
そして、この短時間でも、私は彼を───善人だと認識したらしい。
怒りが湧かないことに疑問を抱いていたことが嘘のように、今は彼がグレイアであることに納得の感情を抱いている。
「私はティア・ベイセル。
見ての通り、エルフと獣人のハーフだよ」
簡単な紹介だが、私にはそれ以上に言えることがない。
いや、言えることがないというよりは、言うべきではないことがあるというのが正しいか。
もっと詳細に私の身の上を説明してしまえば、ただでさえ緊張しきっているこの空気が───氷系の魔法を使ったのかと疑ってしまうほどに、カッチカチに凍り付いてしまいかねない。
「君のことはグレイアって呼ぶけど・・・・・それでいい?」
「・・・ああ。決定権は俺にない」
かなり消極的な返しをされたが、しかし彼の表情はあの歪んだ微笑みではなくなった。
この短時間の間に、いったいどんな感情の起伏があったのか───それを私は知ることができないが、ものすごく興味はある。
しかしまあ、先程まで気にならなかったのに、じわじわと気になりつつある存在が視界の真ん中に写っているのも事実。
「ありがとう。
それで、君の隣にいる女性はいったい───」
まるで人形のように動かないまま、私から見て彼の奥───つまりは彼の右隣に座っている、長い黒髪の女性。
魔力の気配から、通信魔法で彼と何かしらの会話をしていたことはわかっているが・・・結局、彼女は何をしていて、彼とはどんな関係なのかがわからない。
それに関して、彼に色々と聞こうと思ったのだが、物凄く間の悪い訪問者が来たようだ。
「あれ、いつのまに仲良くなったの?」
軽い声色に覚えしか無かった私が後ろを振り返ってみると、そこには正義の寵愛者───ナギさんが立っていた。
小脇に紙の束と筆記具が入っている結界を抱え、こちらに歩いて近づいてくる。
「お世話になってます、ナギさん」
「そんなかしこまらなくていいよ。
今日はたしか、キクが訓練で不在だから・・・君は自由なんだっけ?」
「はい。なので彼と顔を合わせておこうかと思いまして」
私にとって、ナギさんは非常に会話がしにくい相手だ。
嘘を言えば看破されるため、嘘を交えて会話することが不可能。
屁理屈を上手く使えば嘘を使えるかもしれないが、生憎と私にそんな思考能力は備わっていない。
「熱は冷めたか」
グレイアの対面に座るために移動してるナギさんを見ながら、彼はあっさりとそう言った。
すると、ナギさんは照れ笑いのようなジェスチャーをしながら、まごまごと返答をする。
「はは・・・まあね。
君のアイデアがあまりに画期的で、ついつい熱が入りすぎちゃった」
えへへ・・・と笑うナギさんを見て、私は少し驚いた。
正義の寵愛者と言えば、幼くも整った顔立ちから冷静沈着なイメージを持たれ、英雄という肩書きからもそういう性格であると世間からは思われている人だ。
もしナギさんの支持者に、こうして柔和な笑顔を浮かべている姿を見せたなら───かなりの話題性で、王都の一部が賑わうかもしれない。
無論、こうした表情を軽々しく引き出せる彼には、この短期間でどんなコミュニケーションをしたのかと問い詰めたいところではあるのだが。
「ちなみに、君たちはどんな会話をしてたの?」
「・・・ちょっとばかし自己紹介をしてた。
俺は自分のエゴのお陰で言葉が詰まったが───おおむね、仲良くやって行けそうな気がする」
ほら、言った通りでしょ───と、まるでそう言わんばかりに、ナギさんは私に視線を向けてくる。
この正義の寵愛者は、中々に性格が悪い。
最初から穏便に済むことが分かっていれば、わざわざ理由をつけてまで退室する必要は無かったはずなのに。
「いやあ、僕としても予想していなかったくらいに仲良くなったみたいで驚いたよ」
「だといいが。俺のコミュ力不足のお陰で、空気が凍りつきかけて危なかった」
・・・いや、さっきナギさんは「君のアイデアがあまりに画期的で」と言っていた。
ということは、テキトーな理由をつけて退室したのではなく、彼が凄い魔法のアイデアを出したから報告の準備をしに退室を・・・?
「えー、ほんとに?」
「本当だ。ぶっちゃけた話、お前が早く戻ってきてくれなきゃ危なかったんだぞ?」
「・・・・・」
もう、本当に驚いている。
私に対しての態度が嘘かのように、ナギさんに対しては言葉が詰まることなく出てきている。
しかも、断言をする部分を除いた文言には、上手く事実を湾曲して解釈した言葉も混ぜつつ会話していて、どうも私は混ざれそうにもない。
これまでの会話から鑑みるに、彼自身のエゴとやらに左右される状況でなければ、彼は相当なコミュニケーション能力と語彙力を持った人であるということだろうか。
それなら、ナギさんと短時間で仲良くなったのも頷ける。
「───まあ、こんな短時間で打ち解けたなら十分じゃないかな。
じゃあそろそろ、本題に入ろう」
私が色々と考え事をしているうちに、2人の会話はかなり進んでいたらしい。
先程までは私のような一般人がイメージするようなものではなかったナギさんの表情が、本題に入ろう・・・という台詞を口にした瞬間、きっちりとした真面目な表情に変わった。
「君が瞬間移動魔法の発動理論についての新しいアイデアを出したと言ったら、魔法隊の第一隊長が興味を持ってね。
君に会いたいと言い出したんだ」
魔法隊の第一隊長───フリューゲル・ヘッセ。
私のような木っ端の孤児でも知っているほど有名な、この王国における魔法研究の第一人者。
難儀な性格であることが有名なのだが、そんな人すらも興味を持つ彼は、いったいどれほどの発明をしたのだろう?
「・・・恐らく、彼は君に実務技能試験を受けさせるつもりだろうね」
「実務技能試験・・・というと、何かの資格試験みたいな印象を受けるが・・・・」
「その認識で合ってるよ。
もっとも、本当に魔法戦闘技能の能力だけを測る試験だから、筆記試験は存在しない」
「・・・人によってはセンスだけでパスできる試験か」
「肯定する。今の君でも、合格できる可能性は十分にある試験だね」
すらすらと会話が進んでいく。
彼はこういう状況に慣れているのか、それとも順応する速度が早いのか。
しかしまあ、隣で聞いていて不快になるような言葉は全く出てこないうえ、ここは図書館なので、2人が突然に大声を出す心配もない。
となると、この環境は居眠りするにはすごく丁度いいかもしれない。
まあ、べつに居眠りをするつもりは無いのだけど。
「ちょうどティアくんも居ることだし、このまま移動しちゃう?」
「・・・拒否する理由もないし、そうするか」
何やら勝手に、私は彼の試験を見守ることになったらしい。
しかし、悪い気はしない。
「行こう。
あいつ、時間には煩いからさ」
「はい」
「ああ。ニア、行くぞ」
ちょうど今、彼の遺言は関係なしに───彼について、気になっていたところだから。