2-4:眼差しの先
向き合う老獪と若輩。
似通う心根を、軽々と見透かされて。
「・・・キクか。あまり驚かせるでない」
「ごめんね〜? あまりに集中してたから、邪魔するのも悪いかと思って〜」
城の地下深く、何も魔法がなければ地熱の力を肌で感じることができるであろう環境。
わざわざ気配を殺してまでやってきたキクと、綺麗に整えられた淡い桃色の耳と尾を持つ女性・・・レイナのふたりは煌々と輝くオイルランプの光を挟みつつ、近況の報告も兼ねた会話を始めた。
「・・・ナギからの通信で大方の事情は把握しておる。
儂としても、新入りの転生者に首輪を付けるか否かはお主に任せることに決めていたところじゃ」
「ありがとう、レイナさん〜。
今度は絶対、何があっても邪魔はさせないからさ〜」
「尽力せい、と言いたいがの・・・」
「何かあるの〜?」
何もわかっていないようなキクの言葉に、レイナは頭を抱え、少しばかり言葉を躊躇うと───まるで、呆れと心配が混ざっているような、そんな表情をしながら口を開く。
「───はあ。前々から言おうとは思っておったがな。
お主の仮面、たったの10余年でヒビが目立っておるぞ?
自覚しておるのか? それを」
「っ・・・」
彼女の重苦しいため息から続けて吐き出された言葉はキクにクリーンヒットし、彼女は下を向いて口を噤んだ。
しかし、何も言い返さないのも嫌だったのか・・・・・とても不満そうな顔を見せた彼女は、むすっとした顔で視線を逸らしたまま、レイナに言葉を投げ返す。
「・・・それくらい、わかってる」
「ああもう、そう不貞腐れても仕方がなかろうて。
まったく、お主はここ1,2年で、どれだけ自分を酷使をしてきたのかを理解していないようじゃな」
「いや、私だって、好きで辛くなってるわけじゃないの。
これでも私・・・自分のことを労わってきたつもり」
全くもって下手くそな言い訳だ。
言うなれば、テストの点は悪かったけど努力はした・・・なんて言い訳をしているようなもの。
そんなものが通るわけもなく、レイナは苦々しい顔をしつつ、深いため息をついた。
そして椅子から立ち上がり、キクに近づいて彼女の顎をクイっと上げる。
「それでその体たらくか? 騎士団長の名が泣くぞ」
「・・・自分を労るだけじゃ足りないみたいで」
「下っ手くそな言い訳をするくらいなら、黙秘を貫けば良いものを・・・・・まったく、難儀な性格よの」
「・・・・・」
押し黙る、とはまさにこのこと。
言い返すための言葉すら見つからなかったのか、キクは再び下を向き、今度こそ何も言い返すことができなくなった。
「───それで、件の転生者か」
すらすらと机の上の書物に筆を走らせながら、レイナはキクに語りかける。
お世辞にも興味がありそうには見えないが、こんな空気の中では彼女も答えざるを得ないだろう。
むすーっと黙り込んだままのキクの、硬く噤んだままの口を開けるため、レイナはダメ押しとばかりに言葉を続ける。
「ナギの目から見れば、虚無の寵愛者は裏表のない人格の好青年・・・とあるが、それだけではないじゃろう?」
「・・・・・裏表がない、と言うなら少し違うかもしれない」
「と言うと?」
ようやく口を開いたかと思えば、そこから出てきたのは新たな情報。
しかも、それは当該の転生者と接触したことのある人間にしかわからない、感じられない情報だった。
「彼の思考領域の中には、私以上に・・・・・いや、私なんて比べ物にならないくらい、とてもボロボロな仮面が大量にあった」
等の本人、グレイアは彼女に対して、自分よりも辛い体験を沢山しているだろうと予想していた。
内外問わず、黙認せざるを得ないこともあっただろう・・・と。
しかし、実際は少し違った。
人の死や別れ、精神的な負荷であるそれらが「当たり前」の環境であるか否かは、当該の事象やそれに付随する精神的な負荷の影響の深刻さに、全く違う程度の影響を及ぼす。
平和ボケするほど平和な環境にあって尚、人の死と真っ直ぐに向き合い───それでいて、内側に抱く感情を外側には悟られぬよう仮面をつけ続けたグレイアは、争いや人の死が当たり前の世界の住人から見れば、素晴らしく賞賛に値する。
ましてや、それを経験した当時で言えば、たった12歳の青年が・・・だ。
数多の戦場を駆けた老兵でさえ、親しい者の死というのは等しく感情を隠せぬほど苦しいものであるというのに対し、彼はそれを割り切って考えることができるらしい。
「・・・・・そうか。
それで、彼奴は能力行使の対価には気づいたか?」
「私からは把握できなかった。
でも、一連の流れを拒絶されることはなかったよ」
「それはそうじゃろう。
拒絶するような人間であれば、まずはナギのフィルターに引っかかるはずじゃからな」
「・・・そうだね」
実の所、その辺の諸々はあまり関係していないのだが、彼女たちはそれを知る由もないのだ。
しかしまあ、彼奴とは酷い言い草だな。
「・・・・・はあ」
「どうした?」
何かを堪えきれなかったようで、キクは突然、深いため息をついた。
レイナは椅子ごと回転して彼女の方を向くと、空中に結界を展開し、それに頬杖をつく・・・という、なんとも器用なことをしつつ耳を傾ける。
「・・・ごめん。
さっきは少し違う、なんて言ったけど、本当はもっとはっきり言わないといけない」
「何か掴んだようじゃが、話してみい」
「掴んだ・・・と言うよりは、短時間でも彼と関わって、その中で気づいた感想みたいなものなのだけど・・・」
「いいから早う話せ。勿体ぶるのは嫌いじゃ」
「・・・わかった」
本人と関わったことの無いレイナからすれば、どんな意見であろうと欲しいものは欲しいだろう。
相手は仲間内でも信用に足る人物であるということは分かりきっていることだろうし、余計な前提が必要なく感じてしまうのはよくわかることだ。
「私の見立てに・・・いや、単なる私の感想を率直に述べるのであれば」
感想、という保険をかけているものの、その表情と声に乗っている感情から察せること。
それは彼女は今から言うことに確定的な「危機感」を持っているということだ。
「彼は絶対に味方に引き入れないといけない人であると───少なくとも私は、そう言える」
正義の名を関する男が一目置くくらいには、彼女の目は肥えていると言って差し支えない。
そんな女にここまで言わせるとは、やはりグレイア、あいつは期待を裏切らないな。
▽ ▽ ▽
「・・・・・」
無言の起床。
深く呼吸をするでもなく、独り言を呟くわけでもなく、俺は上体を起こした。
「くぅ・・・ぁっ・・・」
硬くなった体を解すために伸びをしつつ、時計を見て現在の時間を確認する。
「6時40分か」
しっかりと起きることができた。
6時半を目安にするのは些か早すぎる気がしないでもないが、何かをしたい時とかは余裕があっていい感じになるだろう。
もし、冒険者みたいな旅をする職業に従事する機会があったとするなら、こんな時間に・・・いや、もっと早い時間に起きる場合もあるかもしれない。
まだ試していないからわからないが、4時半あたりを目安にすれば自力で起きれるはずだ。
前世でも、釣りの予定がある時だけは何故か自力で起きることができたし。
「おはようございます。マスター」
「ん、おはよ〜」
「バイタルサインは正常、激しい運動などの活動も可能です」
「わかった。ありがと」
昨日の脳内サポート(?)を受け始めてから、ニアは特定のタイミングで俺の体調を教えてくれるようになった。
現状、体調を通知してくれるタイミングを把握することはできていないものの、少なくとも起床や就寝の時には教えてくれるらしいので、その都度活用していこうと思っている。
まあ、通知のタイミングに関しては、本人に聞いたら教えてくれるだろうけど。
「さて、な〜にをしようか・・・」
早速だが、暇だ。
朝食が運ばれてくるのは7時からだし、気分を上げるために散歩をしたくても、俺は監視が居なければ自由に動けない。
そのうえ、俺の監視役であるキクさんは、騎士団の規則で7時半になるまで騎士団の本部を離れることができない。
自分の分身を使って周りの人間を騙す・・・なんて手も考えはしたが、上手くいくビジョンが見えるかと言われれば、どうにも肯定しかねる。
まあ、暫くすれば自由になれるはずだ。
それまでは我慢だと割り切って、今できることをしよう。
「・・・ちょっと飲み物を取ってくる。ニアは何か要るか?」
「マスターと同じものを」
「あいあい」
幸い、廊下の壁に空いているよくわからない窪みに軽食やら飲み物やらの嗜好品が設置されているため、小腹が空いた時などは凌ぐことができる。
ナギからも、そこに設置されている魔力駆動のオーブンなどは自由に使ってくれ・・・と、使い方の説明まできっちりされたので、朝っぱらから使っても文句は言われないだろう。
この至れり尽くせりな感じ、まるで高級なホテルに泊まった時みたいだ。
「じゃ、留守番よろしく」
ベッドから降り、扉の前まで歩いていった俺はニアにそう告げ、扉を開けて外に出ようとした。
ドアノブを回し、内側に向かって引っ張るが───まったく動かず、ピクリとも動かない。
「・・・ニア、ちょっと───」
嫌なデジャヴを感じた俺は、ニアの方向を振り返り、まさかが起こっているかを確認した。
「・・・・・マジか」
結果は大正解。
俺の視界に映る世界は全て色あせ、白黒の世界になっている。
「今度はどこが───」
独り言を呟き、先日のように部屋の探索を始めようとしたその時だった。
───ガコン
明らかに何かが動作した音。
しかもそれは、その音が一番聞こえてはならないはずの位置、俺の足元から発されたものだった。
「───は?」
俺の腑抜けた声が部屋に響いた次の瞬間、再び「ガコン」という音が鳴ったかと思えば───今度は俺の立っている地面が動き、まるで掃除機の集塵室から捨てられるゴミの如く、俺の体は底の見えない虚空に投げ出されてしまう。
「うわあああっ!?」
テンプレみたいな悲鳴を上げつつ、俺は文字通りに真っ逆さまになりながら落下していく。
魔法は発動しないであろう現状、身一つで空中での姿勢を制御する方法を知らない俺は死あるのみ。
例え地面があったとて、俺は犬神家よろしく地面に突き刺さるに違いない。
「ちょっ・・・冗談じゃ・・・」
冷静になんてなれず、空中でもがく俺を嘲笑うかのように、辺りの情景は上であろう方向に流されていく。
そして次の瞬間、俺の落下は一瞬にして止まることになる。
「いっ・・・!」
何者かに足を掴まれ、俺の落下はビタリと止まった。
制動距離はゼロなのに体がちぎれ飛ぶなんてことはなく、急ブレーキで止まった時のような慣性を少しばかり感じたのみ。
文句があるとすれば、あまりにも突飛な状況すぎて心臓がバックバクになっているということくらい。
俺を掴んだ存在のことは、もう既に目処が立っている。
「空閑 葛。虚無の世界での空の旅はどうだったかな?」
冗談かそうでないかがわからない台詞を吐きつつ、俺を新しく出現した足場に落とす虚無の神。
彼の表情は能面のように無表情で、ある程度の思考を読み取ることすら難しい。
「最高でしたよ。スリル満点でね・・・」
皮肉混じりにそう返しつつ、俺は思う。
はてさて、今回の俺は一体、どうしてここに連れてこられたのだろうかと。