4-2:何もしなくたって
差し伸べた手は宙に浮いたまま。
されど、心は繋がり視線は交わる。
「もう・・・やめてくれ・・・・・!」
部屋に響く、辛い声。
聞きたくはなかった、ひり出すような叫ぶ音。
記憶に染み付いた嫌悪感が、俺の脳裏を殴りつける。
「・・・ナギ」
「僕が・・・・・僕がどれだけ・・・」
瞬間移動で近づいてきたナギは、硬直する俺の襟を掴み、体重をかけて押し倒してくる。
涙ぐみ、今にも崩れ去りそうな身体を動かして、ナギは俺の思考を無理やりにでも止めてきた。
「どれだけ君を・・・心配したと思ってるんだ・・・っ」
ぱた、ぱたと涙の落ちる音が響く。
襟は掴まれたまま、両手に遮られて見えないナギの表情は、俺の胸に感じる湿った感覚によって嫌でも察せられる。
大の男の泣き姿を、まざまざと見せられて。
俺は何故か、ナギの身体を押し返すことができなかった。
「・・・どれだけ後悔したと思ってる。
君を・・・君に与えてしまったものを、省みて・・・僕は・・・・・!」
「でも、今の俺は充実してるんだって。
お前が自分を責める理由はどこにもないんだぞ」
精一杯、擁護したつもりだった。
だから俺は、ここまで来れたのに。
それだけが、心残りだったというのに。
「・・・・・君は理解できてないんだよ。
君は選択をしたけど、僕は選択肢を与えてしまったんだ」
「他でもない俺が望んだことだろ」
「・・・違う。違うんだよ」
ナギは顔を上げたかと思えば、座り込んで、言葉を続けた。
ひどく憔悴しながらも、確実に怒っている。
俺は確実に、何か失態を犯した。
「失うかもしれない選択肢へと、友を導いてしまった。
思想を無くした僕にとって、その事実はとても・・・辛いことだ」
諭すように、しかし自己嫌悪が混じった言い方でナギは言う。
でも、俺だってナギには負担をかけたんだ。
それだけじゃない。
首謀者を殺害したとはいえ、この国に直接的な被害が及ぶ原因を作ったのも俺だったかもしれないのに。
「君が生きてくれるだけで、十分なんだよ。
君はもう、全て・・・全てをやってくれた。
これ以上僕に、何かを与える必要はないんだ・・・・・!」
・・・はなから、与えるつもりではなかった。
恩を返すという、そのままの意味だったのだが。
どちらにせよ、そう捉えられてしまった。
「・・・・・頼むよ」
「・・・つまり、俺はお前の気持ちを踏みにじったと?」
上体を起こし、俯きながら問う。
申し訳なくて、顔を上げられない。
憔悴していた所に、無駄な心労をかけてしまったから。
「・・・・・いや、それも違う」
右肩に手を置かれながら、短く否定される。
変わらず上がらない顔を見かねてか、ナギは続ける。
「・・・嬉しいんだ、僕は。
地位や目的じゃなく、ただ『友』として接してくれる。
こうして辛い時は、どこからともなく駆けつけてくれてさ」
言葉が出なくて、怖いと思った。
でも、顔を合わせないのは失礼だと、俺の矜恃が喧しい。
「それだけで十分なんだ。
君は、僕の・・・この世界で唯一の、同郷の友人」
「・・・なら、俺は何をすればいい?」
短く、端的に問いかけた。
もう俺には、何をすればいいかが分からなかったから。
「・・・・・何もしなくていいんだ。
時折、会いに来てくれればいい」
そして帰ってきた答えに、俺は顔を上げる。
視界に映ったナギの表情は芳しくないのに、まだそんなことを言うのかと───不明な焦りを感じながら、俺はナギの両肩を掴んで問い詰める。
「・・・大丈夫なのか?
それは本当に、今のお前がやりたい事なのか?」
失うのが怖くて、だからこそ見て見ぬふりはできなくて。
これでは、過保護だと揶揄したのが馬鹿みたいだけど。
「・・・そうじゃなくなったら、自分で抜け出してみせる。
仮にも僕は、正義の寵愛者だった男だ」
それでも、ナギの決意は固かった。
他でもない俺が似たような決意を抱き続けていたからこそ理解できた、ナギにとって譲れないものが見えてしまったのだ。
「・・・・・そうか。なら、俺はもう止めない」
ならもう、俺には何も出来ない。
邪魔するだけ野暮でしかない。
とても、解せないが。
「・・・でも、必要があれば連絡してほしい。
俺にはいつでも協力できる準備があるから」
最後に連絡用の魔石を渡し、俺は立ち上がって部屋を去る。
気まずい気持ちでいっぱいで、これ以上は居られなかった。
「わかったよ。ありがとう」
でも、最後に聞こえたお礼の言葉。
それだけで、ほんの少しだけ救われた気がしてしまった。
〇 〇 〇
カッコつけながら飛び出し、歩くのは城下町。
このまま帰るのも嫌で、俺は愚かしくも子供っぽく散歩と称して用もなく歩き続ける。
「・・・・・はあ」
久しぶりの景色を眺めることもできずに、もやもやと嫌な気持ちを抱えて歩くこと十数分。
ちらちらと感じる視線に不快感を感じる自分に不甲斐なさを覚えながらも、俺は目的もなしに足を動かす。
だんだんと早くなっていく足の動きと、焦る思考。
何も考えていないのに、焦っている。
そんな折───
「苦戦してるみたいだね、後輩くん?」
俺の目の前に、今最も現れて欲しくない人が現れた。
それも、随分と異世界をエンジョイしている格好で。
「・・・何の用ですか。先輩」
セーラー服っぽい軽装に、金属の胸当てと腰当てに小さいナイフを引っさげて。
確かに楽しんでとは言ったけど、まさかそこまでとは思わない。
相変わらず自由な人だ。
「気ぃ立ってる?」
と、俺の表情から何かを察したのか、先輩は恐る恐る問いかけてきた。
何を見てそう捉えたのかは知らないが、まあ、先輩はそういう所がよくあるものだ。
なんか知らないが見抜いてくる。
もしかしたら俺と同じで、内心では色々と考えてるのかもしれないけど。
「そりゃあもう。何もかも・・・上手くいかないもんで」
横を歩く先輩の歩幅に合わせながら、俺は今の自分の気持ちをそのまま口にした。
もしかしたら、先輩なら俺の話を聞いてくれるかもしれないと、そう思ったから。
「らしくないね、そうやって寂しい顔をするのって」
すると、先輩は俺の顔をじっと見つめて、にまにまと悪い笑みを浮かべながら言葉を返してきた。
そういえば、ずっとそうだったと思い───同時に、なんだかもういいやと半ばヤケクソになりながら、俺は言葉を続ける。
「カッコつけてたんですよ、あんたの前じゃ。
でも、今はもう取り繕う必要がないんですから」
寂しい顔、というのは間違っていないのだろう。
どちらにせよ、今の俺には表情を取り繕えるほどの余裕がない。
だがしかし、そんな俺でも言えるほど分かりやすいのは先輩だって同じなのだ。
「先輩こそ、俺と会うのがそんなに気まずいですか」
「え、そんな顔に出てた?」
「今の俺でもわかるくらいには」
いつだってそう。
先輩が大袈裟に話しかけてくる時は、必ず何か気まずい時。
その理由は様々だけど、深く詮索する気にはならない。
だって、互いに得をしないだろうから。
「ははっ・・・やっぱり、後輩くんはそういうとこだよ。
私はあの子よりも、後輩くんの良さを知ってる」
少し表情が緩んだ先輩は、今は小さい俺の身体を見ながら、謎にマウントを取りつつ頭を優しく撫でてきた。
俺の良さを知っている、というのは確かにそうだろう。
否定はしない。
でも、言い方はムカつく。
「君がその気になってるだけだよ。
後輩くんはいつだって、やる時はやる男でしょ」
「どうだか。最近は空ぶってばかりです」
その気になっている・・・という言葉の意味はよく分からないが、相変わらず先輩は俺のことをよく褒めてくれる。
貶す時は容赦なく貶してくるけど、良いと思った部分はきちんと褒めてくれるから、俺はこの先輩が好きなのだ。
今はもちろん、恋愛じゃなく親愛だけど。
向ける矢印の大きさは、ずっと変わらない。
「・・・やる気はあるんじゃん?」
「ええまあ。この程度で折れるほど貧弱じゃないんですよ俺は」
過去に向けあった感情とはまた別のやり方での会話。
俺は最近、ずっと慰められてばっかりだ。
何をするにもひっかかって、立て直す暇もなくずっこける。
「なら十分じゃない?
後輩くんって、行きあたりばったりで行動したりするだけで───べつに、やる気のある無能ってわけじゃないじゃん?」
「そうなんですかね」
「うん。私はそう思う」
自己認識と、他者からの評価の齟齬。
あまり気にしないものだから、どうしても食い違う。
そこがどうしても気持ち悪くて、整理が難しい。
ので、先輩に当たり散らす。
「・・・それで、何が目的ですか?」
「えっ?」
キョトンとする先輩の顔を見ながら、こっちが弄ぶ方になる優越感を感じて、ひとりで気持ちよくなりながら。
俺は性悪な理論で、先輩に突っかかる。
「先輩がなんの対価も無しに相談に乗るなんて・・・気持ち悪い」
「ひ、ひっどいなあ君は・・・・・!」
珍しく怒って、俺の肩をぎゅ〜っと握りながら不満を垂れる先輩。
たぶん、くどくどと色々言うんだろうなと思いながら、俺は先輩の言葉を聞き流しつつ考える。
「というか、だいたい君はね・・・」
当たり散らしたとはいえ、まあ本心だ。
先輩はいつも事ある毎に何かたかるかイジってくるかだったから、純粋に心配してくれるのが受け入れ難かった。
そう、どこか気持ち悪く感じて、ちょっと突き放したのだ。
ならそれは、たぶん。
俺がレイナとかいう人にされたことと、同じようなもの。
・・・だから、そうだ。
「・・・・・そっか」
「うえっ?」
得体の知れない存在だと、いつしか他者からの見え方をはっきりと定義したはずなのに。
俺はいつの間にか、それを忘れていたらしい。
恩返しだからと理由をつけて、得体の知れないものを与える。
見えてなかっただけで、それは俺がずっと気をつけてきた行為そのままじゃないか。
だから、俺はレイナという人に拒絶された。
きっと、シンプルに近づけたくないという考えもあったのだろうけど。
俺の善意を否定してきたのは、間違いなくそのせいだ。
「・・・先輩、ちょっとお茶しません?」
「へぇっ?」
唐突な俺の提案に、先輩は固まった。
ティアと違って、先輩には俺の思考の変遷なんて見えていないものだから、突拍子もない提案に聞こえたのだろう。
「積もる話もあるでしょうし、ちょうど俺は一人です」
「えっと、そうだけど・・・・・」
立ち止まり、顔を見上げる。
うじうじと指をツンツンしていて、先輩らしくない。
「いいの? 話を聞くに、君って・・・」
「じゃあ、なんで話しかけてきたんですか」
かと思えばさらにらしくない言葉が飛び出してきたので、思わず聞き返してしまう。
そんなことを気にするようなら、まず持って話をぶった切っていただろうに、やっぱり先輩らしくないことを言う。
「俺もあいつも、そこまで器量は狭くないですよ。
そんなに気を使わなくても大丈夫です」
きっと良い顔はしない。
しないけど、あいつは俺の親でもなければ姉でもない。
パートナーとして俺を信じてくれているからこそ、こうして自由に出かけることだってできている。
最新はちょっと、期待を裏切ってばかりだけど。
「それに、まだ話したいことも沢山あったんですからね。
誰かさんが一方的に関係をぶった切ったもんで」
「・・・それはね? ほら、若気の至りというか」
何より話したいことが沢山ある。
ゆっくり腰を落ち着かせて話したいことが。
「どちらにせよ、俺はこのまま返すつもりはないですよ。
拒否するようなら、力づくでもフェアリアに連れ帰り───」
「わかった! わかったから・・・ね?」
先輩にとっては珍しいであろう、やたらと強行突破しようとする俺に、ついに折れた先輩は俺の提案を飲んでくれた。
少し強引だったものの、満更ではなさそう。
「じゃあ行きましょう。ブランチには丁度いい時間ですから」
話すことは決めていないが、なんとでもなる。
悪い予感はしないから。