4-1:意識的な義務
彼にはまた別の役割を。
もしくは、永遠なる解放を。
それこそが最大限の恩返しだと思って。
とある日の昼下がり、王宮の敷地のはずれにある西洋式の東屋(?)にて、俺とティアと、それからリーレさんがテーブルを囲んでお茶をしばいている。
何故かオルディとニアが護衛のように東屋の出口に立っているものの、それ以外はとくに何も気になることはない。
強いていえば、ティアとリーレさんの仲がやたら良いなあと思ったりするくらいで。
「じゃあ、彼の前任の居場所は見つかったと」
「はい。移動ルートと、移動の際に用いた手段まで。
概ね正確に把握しておりますわ」
話題は色々あるものの、主なものはオルディの前任について。
セヴェーロが崩御した際に失踪したという彼女の居場所を、彼女はどうやらニアとグリムを使って調べていたらしい。
そのための駒として配置された二人だけど、たった一週間でここまで有効活用してくれるなんて思いもしなかったものだから、俺はかなり驚いている。
紅茶をすすりながら二人の顔を見て、表情に注目しながら。
とくにリーレさんの、張り付いたような微笑みが崩れないことに、少しだけ怖いなと思ったり。
「しかし、問題点がひとつ」
「聞かせて」
ちなみに、ニアとグリムは王の部下という扱いではなく、ティアが王の権限でニアを当主とした新しい家を作ってしまった。
それゆえに、ニアおよびグリムを駒として使いたい場合の扱いは「部下」ではなく「第三者への依頼」という形式となり、単に部下として扱うよりも多少の自由が効く。
手段としてはアリだとは思っていたけど、それはそれとして実行するなんて随分と大胆だなと思ったり。
「彼女は懐妊していましたわ。
おおよそ中期寄りの初期といったところかと」
「・・・時期的に言えば、大伯父様の子かな」
「はい。その可能性は高いはずですわ」
重要な情報が飛び交う中で、俺は変わらず紅茶をすすり、お菓子をつまんで話を聞いたり聞かなかったりする。
この場での俺の役割は案山子だろうから、情報だけ頭に入れつつ、用意されたものを楽しんで時間を潰す。
「幸いなのは、大伯父様が外交に積極的でなかったこと。
情報が漏れたり誰の子か推測される心配は少ないから、私達はむしろ派手に動くべきでない」
「同意しますわ」
「彼女の居場所は?」
会話の中で、リーレさんが魔法で地図を呼び出した。
ティアの方に寄って見せるものだから、俺から見ると裏から透けて見えてしまうものの───なんとなく位置はわかる。
「ここに」
「帝国に? どうして?」
「・・・わかりませんわ。ただ、そうなると」
なんというか、そこまで深刻でもないけど怪訝そうな雰囲気。
大変そうだなあと他人事に思いながら茶をすすりつつ目を開けてみると、何故か二人の視線が俺に向いている。
「ん、俺?」
「・・・・・また、きみに働いてもらわないといけないかも」
ちょっと驚きながら問いかけると、ティアは申し訳なさそうに口を開き、重苦しく見通しを告げた。
きっと、また無理をさせてしまうとか、そう考えているのだろう。
「べつに、必要なら殺すから心配しなくていい。
戦争が起こるって話だとしても、動けるのは俺だけだろ」
そういう意味じゃない───なんて、その目を見れば理解できる。
思考を覗き見て、俺の考え方をすべて理解したうえで、言葉を噛み砕いて違うと震える。
でもお前だって、役割ゆえに止められないものを、そうやって我慢しなければならないのだから。
おんぶにだっこで、お前にばかり負担をかける訳にはいかない。
「セヴェーロの死が知れ渡った時、馬鹿なヤツは躍起になる。
革新的な兵器があって、転生者も居て、時期もバッチリ。
正義の寵愛者は動けないうえ、最大の脅威だった独善の一派も俺が滅ぼした直後だ」
「・・・きみを軽く見てくれると思う?」
「もちろん」
不服そうな顔、お前なら、ティアならそうだろうという顔。
俺のことを軽く見るのは、例え俺自身であろうと我慢ならないというのは、ずっと一貫していることだ。
「ただ、帝国そのものは動かないと俺は思う。
問題なのはきっと、デカい土地の中で燻った火種だろうし」
そう、問題なのは帝国そのものではない。
あの戦いの際、俺とセヴェーロは帝国領まで移動して戦いを続けた瞬間があったが、それがどこからでも観測できるようになっていた以上、その事実は帝国にセヴェーロの死という可能性を与えたことは間違いないのだ。
しかし帝国は動かず、使者を寄越すこともない。
名前のわりに、この世界の帝国は───もしくは当代の皇帝は慎重派だと言える。
「・・・・・クーデター?」
「可能性があるって話だよ」
だからこその可能性。
燻った火が爆発するに足る材料は、既に満ちているのだから。
「変な類の正義が燻る土壌が出来上がってたわけだ。
そんでもってそういう馬鹿は、その存在がどれだけ強力であろうと、俺みたいなぽっと出の存在を勘定に入れない傾向がある」
俺のことを軽く見るというのは、ある意味、そういうことをするような短絡的な連中であれば俺を軽く見るだろうという軽蔑や偏見も含まれている。
とくに俺の場合、情報が知れ渡った時───極限まで悪い言い方をすれば「あれほどのことを成して尚、女王の伴侶という小さな器に収まった期待はずれの存在」として有象無象からは見られるはず。
事の詳細や俺の人となりを知っているならまだしも、何も知らなければ期待はずれなことこの上ない経歴と立場をしているから。
「要するに、可能性があるなら今だろうって話。
短絡的な馬鹿なら、きっと今頃が絶好の機会だと思うはず」
「・・・わかった。ありがとう」
納得していないな。
でも、それが事実なのだから仕方がない。
俺という人間は、経歴と強さのわりに普遍的で小さな立場に収まった間抜けな人間なのだ。
短絡的な有象無象は、そんな俺の幸せなんて知りもしない。
だから嫌いなんだ。
理由のない盲信を向けてくる有象無象も含めて。
「・・・・・そしたら、俺はちょっと出かけてくる」
「そう。どこに行くの?」
まあ、それはそれとして。
俺の思考を見たおかげか、ちょっとばかり機嫌が直ったティアは、思ったよりもあっさりと俺の外出を承諾した。
「その件について別口で対策を打ちたいのと、ついでにひとつ、恩返しをしたいなと思って」
ご機嫌に告げた俺の言葉に、ティアはもう一度顔を顰めた。
そういえばお前はナギのことが嫌いだったな・・・
「・・・わかった。行ってらっしゃい」
「はいよ。行ってきます」
とにかく、目的を果たそう。
時間はあるし、急ぐ必要はないけれど。
久しぶりに会う友人に、タダで会うというのも失礼だし。
───── 四節:誓い告げる想いの輪転
いつも通りの廊下、いつも通りの執務室。
この世界における俺の始まりを支えてくれた施設の景色は、もはや懐かしくてたまらないほど昔に思える。
それほどまでに濃密な日々を過ごしてきたという自覚はあれど、転生直後の、全てが新鮮に見えた日々が遠くなっていく感覚は少し嫌いだ。
今がどれだけ幸せでも、それは変わらない。
「入るぞ」
ノックをして、返事を待つ。
ナギの計らいか、俺は顔パスで通れるようになっていた。
子どもの姿に戻らなければならないものの、余計なことをせずに魔力の色と顔パスだけで通れるのは有難かったりする。
「・・・ナギ?」
しかし、おかしい。
一切の返事がない。
「・・・・・入るぞ」
魔力探知に問題はなく、生命探知、音響探知にも異常はない。
そのうえ俺が来たという通知は来てるはずなので、何かあったのかもしれないと思った俺は、すぐに扉を開いて中に入り、すぐさま扉を閉じて執務室を見渡した。
「・・・・・おっと」
書類に囲まれ、机に突っ伏したナギ。
扉の音と驚いた声に反応したのか、のっそりと起き上がり、暗い双眸をこちらに向ける。
「ああ・・・来たのかい、グレイア」
「随分な有様だな。ナギ」
「・・・ははっ。そうだね、笑えないよ」
酷い顔だ。
たった一週間で、人はこうも堕ちてしまえるのかと驚くほど、ナギの表情と雰囲気は「堕ちて」いる。
それもこれも、全ては俺の選択が産んだことなのだが。
「お前、思想による補正がなくなったな?」
「・・・何故それを」
俺のような特殊な例外を除いた、ほぼ全ての転生者に付加された思考の傾向───それが所謂「思想」と呼称される、ある種の呪い。
呪いとはいっても、平和な世界の価値観で暮らしてきた俺達のような人間を、異世界の価値観とのギャップで精神的に押し潰してしまわないようにするためという安全装置のような役割を担っている。
だから例外である俺は自己暗示の末に心が壊れかけたし、こいつは今、その「思想」が消失したことによって何らかの精神的な異常をきたしているはず。
「・・・・・まさか」
「恨むなら恨め。お前にはその権利がある」
言葉から全てを察したナギに、俺は静かに告げた。
一週間前、セヴェーロの死をこの目で見届けたその瞬間、ひとつの選択によって俺は人間ではなくなり───同時に、この世界の全ての転生者と、その担当の神との繋がりを絶ってしまったのだ。
それは天使の力ゆえの現象、というより、俺がこの世界の管理者になったことが要因。
しかし、どちらにせよ俺が原因なのだ。
責められるのなら、潔く受け入れる覚悟がある。
「・・・・・誰が」
「?」
歩いて近づく俺を見ながら、涙ぐんで震えるナギ。
次の言葉に、俺が覚悟を決めたその時───
「誰が恨むものかっ・・・!」
ある意味、思ってもみなかった言葉がナギの口から零れた。
「・・・そうか。よかった」
覚悟をしていたとはいっても、友人を失うのは惜しい。
俺は久しぶりに、心臓の鼓動が意図せず早くなるのを感じていた。
「君でよかった・・・この力を・・・・・殺すのは・・・・・!」
「お前が良いと思うなら、そうしてやる。
選択によっては、何にでも」
涙を零しながら俯くナギに、俺は続けて述べる。
俺は今すぐにでも、お前をそこから解放できる分の力があるのだと伝え、選択を迫るために。
一刻も早く、ナギという人間を、その人格には辛すぎる立場と役割から、解放してやりたいと願うから。
「それが恩返しと?」
「恨まれるようなら別のやり方で詫びるつもりだった」
「そうじゃなくて・・・!」
しかしナギは、俺の考え方に納得してくれないらしい。
俺の伝え方も悪いのかもしれないけど、それでもこれは本心なのに。
「それだけの事をしておいて・・・
ただ『借りを返した』で済ませられると思って───」
「いるからこそ俺は安堵したんだ」
ナギの憤怒(?)に、俺は食い気味で言葉を返した。
俺に言わせれば、友達を救うために理由なんて要らない。
ただ、俺の経験上「無料」という言葉に強い忌避感があるから理由をつけているだけなのだ。
これ以上、ナギが何かを差し出す必要はないというのに。
「俺は、お前を友人だと思っている。
この世界じゃ、数少ない友達だ」
話す時間、通じ合う要因が少なかったとしても、俺が異世界で出会った数少ないまともな同郷の人間のうちの一人。
それがナギだから。
「だからこそ、恩返しをしたいと思ったんだよ。
今の俺を形作った要因の一部は、お前にあるんだから」
ここまで成った俺のスタート地点は、暇神様の協力やティアという個人が仲間入りしただけじゃなく───ナギという、正義の寵愛者という大国の抑止力たる存在が俺のケツ持ちをしてくれたからだ。
無名からのスタートではなく、得体の知れない強者からのスタートを切れたのは、全てナギの名声のおかげ。
だというのに、これ以上何を差し出す必要がある?
「なあ、狐の人。
あんただって、こいつには幸せになって欲しいんだろ」
そして、ずっと見ていた彼女だってそうだ。
かつてのティアの在り方のように、静かに横に佇む。
きっとナギも、そこにいる女性に救われ続けているんだろう?
「・・・いつから気付いておった」
「さあ。関係あるか?」
「・・・・・レイナ」
弱々しい呼びかけに、彼女は答えない。
ただ俺を敵視し、無意味な視線を鋭く向ける。
「奇妙な若造よ、きさまは」
「失敬な。誰が奇妙だって?」
俺としては、その言葉に答える理由はなかった。
でも、自分の善意を───友人への想いを、どこか否定された気がしてならない。
「わっちの旦那には触れさせぬぞ、虚無」
「なぜ?」
「きさまの動機も経緯も、全てが奇妙だからに決まっておろう」
「へえ。その心は?」
奇妙だと言うのなら、それは同じことだろうと。
俺はそう思ったが今は口にせず、彼女の言葉に耳を傾ける。
「自覚しておろうに、性格の悪い男よの。
愛しき旦那様の行った事ととはいえ、あのやり方は必ずしも良いやり方であったとは言えぬじゃろう」
「俺は結果論でものを言っている。
あのやり方に助けられたのは揺るぎない事実だ」
だからティアは、ナギのことが嫌いなんだろう。
俺を追い込み、心が壊れる要因を作ったうちの一人だからこそ、あいつは良い顔をしなかった。
でも、俺の幸せがあるのはナギの選択のお陰なんだ。
「・・・ならば、その結果が違えば───きさまはわっちの愛しき旦那様を責め立てたとでも言うのかの」
「誓ってノーだね。揚げ足取りは醜いぞ」
そうじゃなかった時の事なんて、考えるつもりはさらさら無い。
挙句、自分が選んだ道なのに他人へと責任を押し付けるだなんて、そんなの許されるわけがないのだ。
筋が通らないから。
俺は誓ってそうしない。
「それに、俺からしてみてもお前が愛してる旦那様のやったことだって意味不明なんだよ」
「なんじゃと?」
だから、こちらとしても奇妙なのだ。
別の意味で、おかしいと思っている。
「何故、対価を求めなかった?
無償で責任を、リスクを引き受けた?」
俺が忌避する、タダで送る恩を売る行為。
当初の俺は出世払いみたいな言い方をしたが、あれは本来、許されないものなのだ。
ぽっと出の転生者に、そこまでするなんて。
少なくとも俺は真似できない。
「・・・・・きさま、自分が言っていることを理解しておるのか」
「もちろん。だからあんたはきっと、思想のせいだとでも言い訳をするつもりなんだろう。
なら、俺もその思想とやらに乗っかってやる」
正義の思想、それも各個人の独善。
容認してきた悪意の数は桁外れだろうし、本人だって思想をどう思っていたかはわからない。
だけど、そっちが「思想」を盾にするのなら。
俺は虚無主義者を名乗ることだって厭わない。
「ただの虚無主義者の慈悲、情け。
いつかは忘却する記憶にかまけて、愚かな自己満足をしてる」
虚構の自虐をしたところで、何も変わらない。
これは手段だ。
いい気分はしないけれど、手段。
必要なことだから。
「これで十分か? ええ?
俺としても、善意を否定されることは良い気がしないんだがな」
相手は───レイナは、ずっと鋭い視線を向けてくる。
俺の言葉を、全く聞き入れようとしてくれない。
まるで俺を、この場から追い出してしまいたいかのように。
「・・・・・性格の悪い男よ」
「あんたも大概だろ。過保護な女が」
とても気分が悪くて、嫌な気持ち。
そう、思った───次の瞬間だった。
「っ!?」
レイナの口に魔力が出現し、彼女の口を塞いだ。
彼女は驚き、尻もちをついて座り込む。
「はあっ・・・はあっ・・・・・」
その後ろで、執務机を支えに立つナギ。
双眸には少しの光が灯り、魔力が揺らぐ。
「グレ・・・イア・・・・・」
「どうした?」
呼びかけに応え、言葉を待つ。
息は浅く、肩が動いている。
「・・・頼む」
そう発して、ひと呼吸。
しかしすぐに、言葉は続いた。
「もう・・・やめてくれ・・・・・!」
その言葉は、どうにも俺を。
俺の考え方を、根本から叩き折るに等しいものだった。