3-1:虚無の神子
なんのために前へ進む?
きっかけは、ただの知識だった。
日本人なら誰だって知ってるし、知ってなくちゃいけない知識。
その知識が俺に囁いた、この地の文化を愚弄しかねない疑念と、背中を押すように発生した異変。
俺は、ただの杞憂であることを望んだんだ。
でも結局、俺を巻き込む運命は前じゃない方向を見せてくれない。
何も知らせずに、俺を記憶する者として世界に刻む。
「・・・・・ちいっ」
あの日、王は俺に誰かを重ねていたわけじゃなかった。
それどころか、むしろ俺しか見ていなかったのだ。
「どうして・・・こんな」
不平不満、下手したら文句なんて腐るほど湧いて出てくる。
普通に考えて気づくわけが無いだろう、世界の構造上どうしようもない瘴気という名の膿を、死者を弔うための「当たり前」として排出し続けるだなんて。
触れたら危ないわけだ、当たり前だそんなの。
あの黒い花は、それ自体が記憶なんだ。
この世界で捨てられた情報が、雑多で秩序のない情報が、魔力という媒介手段を用いて記憶に溶ける。
秩序ある僅かな情報ですら、記憶にねじ込まれれば苦痛なのだ。
量が不安定で秩序のない情報など、体調を崩すに決まっている。
「つまり、大伯父様は」
「・・・押さえ込んでいたんだ。その身ひとつで」
一体どれだけの時間、どれだけの年月、彼はそうして瘴気を押さえ込んでいたんだ。
どんな物質でも、過剰に摂取すれば毒となる。
それは、エルフだって例外じゃないはずだろう。
そのうえ、魔力とは超常現象の媒介であるのと同時に、変質させずとも人体の機能を一時的に阻害できるほどの力を持つ。
筆舌に尽くし難い苦痛のはずだ。
病気だとか放射能だとか、そんな生易しいものじゃない・・・!
「・・・・・」
冷や汗がだらだらと出てくる。
次が読めない。
彼は己の死期を悟ったとして、何をしてくるんだ?
俺だったら何をするかなんて、そんなの分かるわけない。
推測できるほどの知識と経験なんて持ち合わせていない。
持ち合わせていてたまるか。
「・・・くそったれ」
俺はどうして朝っぱらからこんなことを考えなくちゃいけない?
タイムリミットはすぐそこにあるかもしれないのに。
『っ!? マスター!』
「なんだ───」
ニアの叫び声、そこから間髪入れずに、地面が大きく揺れる。
今回は昨日の揺れの比ではない。
家具は倒れて窓も割れ、あらゆるものが破壊と飛散を経て床に散らばっていく。
素の身体能力では立ってすらいられないはず・・・!
「始まった・・・」
これで可能性は極大へと変化した。
タイムリミットは目の前まで迫っているのだ。
しかし、俺はどうすればいい?
揺れが比ではない程度なのだとすれば、穴がひとつ空く程度の災害じゃ済まないし、街の建物だって倒壊する。
ここは日本じゃない。
体感で六はあった震度に、この世界の建物が耐えられるとは到底思えないのだ。
だとすれば、優先すべきは救助。
だが、魔物もセヴェーロも、優先すべきことで───
「・・・知る、こと」
「っ?」
突然、ティアが突拍子もないことを口にした。
俺の思考が止まり、視線が交差する。
「大伯父様の思考にあった・・・引き出すこと・・・・・」
はっとしたようなティアの物言いに、俺は想起する。
そうだ、あの時の王は試すような物言いをして、俺の何らかの要素に驚愕したんだ。
あの言葉の意図がなんであれ、対象は俺だった。
「・・・・・悪い、テンパった」
頬を叩き、頭を冷やす。
難しく考えるな、俺はどうして前へ進む?
記憶にねじ込まれた未来にあった黄金は、ひとつだけ。
ならば、俺がやるべき事はとっくに決まっていた。
「ティア、悪いが今回は俺とニアだけだ」
「えっ?」
人柱、神にとっての駒。
俺が乗り越えるべき、用意された壁。
全てを持って、敗北すら利用する覚悟で打ち砕く。
「グリムと合流し、伝えてくれ。
セヴェーロは俺達にとっての、敵対者だと」
ティアの引き締まった表情、ニアの緊張した息づかい。
そうだ、見えた未来を思い出せ。
前を見て、進め。
足は、動く。
───── 三節:忘却へ昇る記憶と意思に
フェアリアの中心、王宮と世界樹が正面に聳える大通りの上を、俺はゆっくりと歩いて進む。
戦いに行く者、逃げる者、全てのフェアリアの人達の頭上を抜けるように、自らの余裕を誇示するように。
歩く度に響く水のような音は、混乱の喧騒にかき消される。
だが、これでいい。
数人でもいい。
俺を見るんだ。
見て、焼き付けろ。
黒い銀の、魔力の色を。
『正気ですか、マスター・・・』
出立の直前に作戦を教えてから、ニアはずっとこの調子。
彼女にとっては異質で、避けるべき作戦をさせまいと───説得を試みる姿はらしくないと言うべきか。
でも、俺にとっては最も明るい道なんだ。
下り坂で罠もない、可能性が最も高い道。
「断っておくが、俺は決して超人じゃない。
最強ってわけでもない、ただの人間だ」
説得への返答と、自分の中での情報の整理。
もしかしたら、この戦いを経て「人間じゃない存在」になるかもしれないが、どちらにせよ今の俺は挑む側だ。
「・・・そのための力なんだよ。
最後の秘薬は、ここで使う」
出し惜しみしてきたモノを、俺が最も重要視して隠してきた自己証明の情報を、ここで解放する。
今までと同じように、不死の力を第三者から観測されることはないかもしれない。
だが、使うという事実。
縛っていた情報の鍵を外すタイミング。
「お前はただ、悟られるな。
それが勝利に繋がる鍵だから」
殺されるという事実があって初めて、勝ちの目が見える。
失敗なんてしない。
成功するしか道はない。
『・・・承知しました』
ニアの震えた声、不甲斐ないという感情が滲み出る声色。
お前がどれだけ俺に気を使っているかは知っているが、それも今だけは、この戦いの時だけは無視してくれと願う。
作戦の要であるお前が揺らいでしまっては共倒れだ。
死にはしないだろうが、世界は大変なことになる。
想定なんてしたくないほどに。
「それでいい」
王宮に辿り着き、地面に降り立つ。
呼吸を整え、大扉に両手を押し当て、ゆっくりと押し開く。
「・・・・・」
重厚な音を響かせて開いた扉の先にあるのは、どちらかと言えば宮殿というより大聖堂という印象を抱く、天井までは五十メートル近くはありそうな大規模すぎる廊下。
中央部分の天井はドーム状で、その部分の天井の高さは恐らく三桁メートル。
その更に奥に見える階段と、上った先にある扉。
あれが王座の間だ。
「・・・・・」
緊急時だと言うのに警備のひとつも無く、使用人は一定の距離を置いて規則正しく整列し、恭しく頭を垂れて動かない。
「・・・・・」
何人の使用人を通り過ぎたか、進んだ距離はわからないくらいに歩いたところで、ようやく階段にたどり着く。
上を向き、一歩ずつ階段を上り、扉の前に立つ。
「・・・ふう」
呼吸を整え、扉を押す。
今度は非常に軽く、音も控えめだったが───その理由はすぐに理解できた。
『っ・・・!』
ニアの息づかいとともに、上を向く。
数歩踏み出し、ガコンと閉じた扉の音を、退路が絶たれた瞬間を噛み締め、いつもの短剣を虚空から抜き出した。
「・・・・・」
空は黒く淀み、風が大きく吹き荒れる。
ここは恐らく世界樹の上、戦うためだけの場所。
そんなところに王座の間への扉を繋げた理由は、一つだけだ。
「───来たな」
セヴェーロの口が動き、右手が開く。
金色の魔力が迸り、暴風を打ち消して重力を重くする。
「虚無の神子よ」
言葉と共に出現した、黄金の大剣。
薄く細い、実用性に全てをかけたような刃。
それが彼の、精神性の具現。
「・・・」
しっかりと見て、打ち破れ。
あの敵を、打ち倒すべき障害を。
聳え立つ壁を、乗り越えるべき者を。
「いつでも来るがいい」
必ず勝つ。
この命すらも利用して。