2-10:変わらぬ心根
ずっと、ずっと変わらない。
兄妹なんて、そういうものだから。
フェアリアが凶兆に見舞われた日の夜。
ベイセル邸の中庭、つい先日も使った東屋───彼女にとって、何よりも優先するべき場所にて。
この国においては珍しいキャンドルのランタンをテーブルの中央に置き、その火のゆらめきを眺めるセリア。
同じくテーブルの上にある紅茶には、未だ手をつけていない。
その理由は、彼女の勘にあった。
「セリア」
正しく親の声よりも聴いた声、この世で唯一の、血を分けた兄妹。
セヴェーロ・フェアリアの訪問を、彼女は予期していたのだ。
「・・・・・」
しかし、勘が当たったというのに、当のセリアには良い感情が見られない。
それどころか、彼女はランタンの中の火を見つめるばかりで、そこから目を離す気配はなく───席についたセヴェーロの、取って付けたような上半分だけの仮面に注意を向けることもしない。
「・・・どうしたのかしら。こんな時間に」
小さく、問いかけた。
火から視線を離すことはなく、まるで、試すように。
答えのある問いを、セリアは兄へと投げかける。
「昼のことだ。余の権能の───」
「どうでもいい。そんなことは」
続くセヴェーロの言葉を遮って口にした言葉によれば、彼は彼女が求めた答えを言うことができなかったようだ。
しかし、彼女の視線はランタンの中の火から離れ、中身が見えない仮面の、その中へと移る。
深層心理を見透かす自己証明が、セヴェーロを貫く。
「嫌でも入ってくる。今更そんな細々とした情報なんぞを、この妾が必要としているとでも思ったのかしら」
「今更とはな。慎重になったものだ」
ふっと笑い、三桁後半になってようやく成長した妹の姿に喜ぶセヴェーロだが、すぐに彼の口元はきゅっと締まる。
「余は明日、死ぬ。
殺されるのではない。耐えられなくなると言い表すべきか」
そして瞳をぎらりと鈍く輝かせ、セリアに告げた。
仮面の穴から覗く彼の瞳は、その宣言の通りの「死を目前にした老人」がたたえるような霞んだ瞳ではない。
むしろ強く、しかし鈍く光り、見据える。
確固たる意志を、他でもない妹に見せつけて。
「それを余は、ほんの少しだけ早めようと考えている」
「・・・婿ちゃんを使うのね」
「否、使うのはフェアリアの全て」
深層心理を見透かしているはずのセリアが口にした言葉を、何故かセヴェーロは否定した。
しかも躊躇なく、思考と言動の齟齬もなしに。
「皆には、試していると思われるだろう。
義憤さえ覚悟している。とくに、あの神子については」
「果たして、そうかしら」
自らが起こす事象と、それによる罪。
全てを背負うと暗に宣言した彼に、彼女は疑うような台詞を挟む。
「・・・・・何が言いたい?」
一瞬、ほんの一瞬だけ彼の口元が引き締まった。
それを見るなり、セリアは視線を落として言葉を続ける。
「何も言わないわ、今更ね。今更。
もう止められないし、止まらない。止めるつもりもない」
「諦観するとでも? らしくないことを」
彼女の言葉に困惑するセヴェーロだったが、彼女は「らしくない」と言われるなり片手を目元に持っていき、静かに笑う。
「・・・くっ、ふふっ」
「何なのだ。先程から」
「ええ・・・いいえ、何も。唯の懐かしい記憶よ」
暫くして落ち着くと視線と顔を元に戻し、微笑んで言葉を返した。
まるで、何か・・・何か重要なことを切り捨てたような、妙なさわやかさを表情の裏にひそませて。
「妾が知りたいことは、ひとつだけ。
罪に問うことはないわ。全ては墓に持っていく」
「・・・・・よくできた妹よ。
さて、そんな妹は余に何を問う?」
残された家族、唯一肯定できる存在として。
ひとつひとつ宣言し、一歩ずつ終わりへと歩む中で。
セリアは躊躇わず、しかしゆっくりと、疑念の確信に触れる。
「・・・婿ちゃんを殺すつもりでしょう」
「余がそのつもりではなくとも、神子は余を殺しにくるだろう。
最も、最期だからといって手加減をするつもりはない」
現状、グレイアの不死は殆どの人間に知られていない。
それゆえにセリアは心配し、セヴェーロは探る。
ぎらりと光る野心のままに、年甲斐もなく情報をかき分けて。
「早めるのではなかったの?」
「未知数ではあるが、調査により傾向そのものは見えている。
虚無の神子が目指すものは明確で、変化しないものだ」
そこで彼は違和感に気がついた。
グレイアという人間の思考に潜む、微かな違和感に。
「敗北は想定内。しかし望んではいない。
むしろ遠ざけ、踏み外さないように気を使う」
狂った存在ではないのだと、しかし相反する存在でもないと。
調べ、整理し、観察した先に見えた、大いなる可能性。
「見てみたくはないか?
そんな男が、望まない想定内に足を踏み入れた瞬間の動きを」
言わば、彼はなんのヒントもなしにグレイアの不死の自己証明に気がついた、世界で唯一の存在だ。
後にも先にも、ここまで情報が限られている中で不死という糸にたどり着いた存在は、後にも先にも現れることはないだろう。
「・・・そう。それが、余の最後の願いとでも言おうか」
だからこそ、彼は望むのだ。
そんな最高の人間が、この世を背負うに足り得るか。
試すのではなく、知りたいのだと。
ある種、グレイアとも似た純粋なる原動力によって。
「尊重はするわ。邪魔もしない。
けれど・・・そうね。ひとつ頼まれてくれるかしら」
「言伝か。誰に対してだ?」
個人的なわがままに沿って、そんな兄を追うように、セリアはひとつの望みを口にする。
「あの人に。きっと見ているでしょうけれど、ティアはすごい人を連れて帰ってきたわよって」
「奇遇だな。余も・・・いや、違うな。
余があの男と同じ場所に逝けるとは思えん」
セリアとリヴィル、ある意味でいえばセヴェーロの人生設計を高尚なものへと導いた二人。
罪の意識を持ってしまった彼は、己の記憶にあるリヴィルという人物の人生を鑑みて、死後でも会うことは不可能かもしれないと断りを入れた。
「しかし、最大限の努力はしよう。
それすらも天の意図か、もしくはリヴィルの意思か」
だが、そこは知識欲ゆえに戦うセヴェーロ。
口先だけでも希望は残す。
「知識欲とは末恐ろしいものだな、妹よ。
余は既に、死後に楽しみを見出してしまった」
死にゆく者だというのに堂々と立ち上がり、セヴェーロはセリアに背を向け、東屋の出口に立つ。
強がりとも、本心とも取れる言葉を言い残し、最後に彼は。
「ではな、我が愛しの妹よ。いつかまた逢おう」
いつもより大袈裟な挨拶に、ほんのちょっとの愛情を付け足して。
静かに地面を踏み締めながら、彼はこの場を去っていった。
「・・・・・」
残されたセリアは呼吸を整え、ランタンに触れる。
ゆらめく火が窒息し、微かな熱を手放し、消えていく。
「・・・ええ。お兄様」
灯りが消えたランタンと、いっぱいに注がれた紅茶がふたつ。
月の光に照らされた夜の中で、彼女の頬に雫が伝った。