2-7:焼き付いた記憶
爪痕とは残るものだ。
深い傷は、いつまでも消えることはない。
私は今でも鮮明に思い出せる。
あの日の、一分にも満たない出来事を。
きみが殺した女が起こした、最悪の時間を。
その頃の私は、父様と母様に連れられて、世界中の美しい景色を見るために旅している最中だった。
私は物心がついたくらいで、その頃にはまだ疑問にすら思っていなかったけれど───二人が望んだこととはいえ、妊娠している母様とまだ幼女な私を連れ出して旅に出た父様は、かなり無防備なことをしていたのだと今は思う。
けれど、決して父様のせいにはしない。
悪いのは独善の寵愛者だ。
ある日、父様と母様は私を連れて、大きな街の宿に泊まった。
たしか北の方の国で、私は名前を覚えていないけれど、かなり規模の大きい都市だったはず。
そこに泊まった理由は、日の出と重なったときにだけ見ることができる景色が街の中心にあったから。
クリスタルの装飾がなされた、遠くの山にあるアーチか何かがそうさせているっていうことで、今までは大きな街に行くことはなかった父様と母様も、嬉しそうにしていたのを覚えている。
そう、今までは立ち寄らなかった。
大きな街には、決して立ち寄ることはなかった。
それは、父様なりに責任をもって、暗殺を警戒していたからこその事だったのだと思う。
その日だけは、その街に入ってからは、やけに知らないエルフの人と話している父様を見ていたのも確かだった。
でも、それだけでは足りなかったということ。
護衛なんて意味の無いくらいに、独善の寵愛者はあまりにも「自己証明」に特化した組織になりすぎている。
一国の貴族を暗殺することなど、造作もないくらいに。
その日の夜、私が眠りにつきかけた頃。
ふと目を向けた窓の外に、誰かが居ることに気がついた。
きらりと光るナイフを持って、窓を破るのかと思った私がびっくりして指を指したその時───その男は、何故か自分の腹にナイフを突き立てた。
月明かりが振りそそぐシルエットが、やけに目に焼き付く。
『ごぼっ!?』
次の瞬間に聞こえたのは、父様が吐血し、痛みに喘ぐ声。
窓の外にいた男の自己証明は、きっと傷の共有か何かだったのかもと思うけれど、それは始まりに過ぎなかった。
さらに次の瞬間、母様が父様の回復に動いた直後、部屋の扉が勢いよく弾け飛んで、何人かが部屋に入ってきた。
やけに眩しい光を放っていたその人達は、入室と同時に銃らしきものを構えて、発砲。
回復の為に立ち上がっていた母様は光の目くらましによって反応が遅れたのか、その銃弾すべてに当たってしまい、私が寝ていたベッドに強く倒れ込み───その勢いで、ベッドは破壊。
もともと高くない宿に泊まっていたからか、そこまで強度のあるベッドではなく、私は母様によって押しつぶされかけてしまった。
『ヒュー・・・ヒュー・・・』
掠れ、消えゆく母様の息。
そして近づく、硬い足音。
『確認しなさい』
その声と共に母様に突き立てられたナイフは、今でも耳に残る嫌な音を立てて母様の肉を裂いて、たぶん私の弟か妹かを確認していたのだと思う。
そして、その時にはもう母様は事切れていた。
息が聞こえなくなった瞬間を、私は覚えている。
『よし、どけろ』
独善の寵愛者の言葉で母様が私の上から引き摺り下ろされて、何も分からないまま全てを奪われた私と、あの女の目が合った。
その瞬間だったと思う。
ひどく到着が遅れたのは、死の間際に父様が呼び出した護衛のエルフ達。
その中には、今では大叔父様の護衛をしているあの女性も混じっていたはず。
『ちいっ、逃げるわよ』
『こいつは』
『殺しなさい』
簡単なやり取りの後に私の死は決定され、逃走しながら引き金は引かれた。
でも、私に攻撃が当たることはない。
皮肉にも、両親を奪った力より強い自己証明のせいで、私はひとり取り残されることになった。
それからの事は、きみの身体が記憶している通り。
私は情報を探るために、ひいてはその流れであの女を殺すために。
そのために孤児院から人生を始めたけれど、きみの身体と出会って仲良くなって、また失った。
きみとあの子は同一の人物である、と私は考えているけれど、それにしたって失ったことには変わりない。
きみが死なないとしても、殺されはするというのなら。
そのために私に一度命を捧げて、初めてだなんて言って安心させてくれたけど・・・
もう、失うのはこりごり。
だから、約束して。グレイア。
▽ ▽ ▽
「・・・きみは大切な人だから。認めてよ、きみの価値を」
それは、切実な願いだった。
この上なく辛くて、意味がわからないくらい重くて。
正面から受け止めるには、あまりにも伸し掛かる重圧が大きすぎるような───そんな言葉。
『必ず、選択の時は来る』
暇神様の言葉を想起する。
目を背けたり、割り切ってしまっていては耐えられないこともあるのだと、あの時の暇神様は確かに言った。
正面から受け止めて、噛み砕いて理解する。
それは、今の俺が最も苦手とするもの。
「押しつぶされるのが怖い、と言えば失望するか?」
「ううん、そんなことない」
「結論は見えているのに、それまでの道が見えない。
どこをどう進めばいいのか、さっぱりわからない・・・・・」
正面から受け止められなくて、俺はただ自己嫌悪と自分の視界に映る嫌な景色を口から零し続ける。
嫌な話ではあるが、価値という話をするのであれば、俺はずっと悩み続けているのだから。
後ろを見て、遠くなる過去に集中して。
視野は狭まっていく。
「・・・それでも、俺の手を握っていてくれると?」
「うん。それでも、私よりずっとすごいから」
その度にこうして前を向かされても、怖くて後ろを向く。
足は沼に浸かり、上手く動かせなくてもがき、沈む。
「この前も言ったでしょ。私を救ってくれたのは誰かって。
それに、進んだ先の景色は見えているというのなら」
ティアの言葉が耳に刺さる度に、俺は心臓の内側から刺されるような感覚に苛まれる。
自分が言った言葉に、自分で刺されるような。
嫌な自己嫌悪に囚われて、逃げてしまいたくなって。
「確実じゃなくてもか」
「確実な運命なんてない。それを象徴するのが私という存在」
口を押さえながら隣を見れば、優しく微笑みかけてくる。
しかし瞳は鋭く、引っ張ってくるような感覚がして、視線を背けることが出来ない。
「私の血統は自由の系譜。そこに宿るのは運命をねじ曲げる力。
そしてきみは、人為的にそれを行使できるほどの力がある」
そう、俺はそんなティアの隣だからこそ成し遂げた。
ひとつの国を救うという、ひとつの組織を滅ぼすという大事件を、一ヶ月の間に成し遂げたのだ。
「ここまでたくさん苦労してきたのに、この力を自分のために使っちゃいけないだなんて・・・そんなの、酷いと思う」
繋いだ右手を強く掴まれて、ぐっと引かれる。
バランスを崩して転びかければ、俺の大きな体を力強く受止め、優しく抱きしめてしまう。
「・・・望む未来のために、都合の良い運命にしてしまえと?」
「この数ヶ月で、きみは色々な人を救ってきた。
それなら、一回のわがままくらい、許しちゃってもいいと思う」
怖くて仕方がなかった問いかけは、あっさりと肯定された。
それくらいなら仕方ない、わがままで済むだろうと。
しかし、失いたくないのは俺だって同じ。
「・・・・・お前も苦労するぞ」
「だから一緒に歩く」
そんな忠告もあっさりと肯定され、支えられながらも俺は立つ。
手を解き、向き直る。
「わかったよ、わかった。
そこまで言うなら堕ちてやる」
高尚なものを目指すわけじゃないと。
自分のために、お前のために、俺は動くのだと。
「わがままなガキに成り下がってやるんだ。
自分の利のために、救ったり救わなかったりしてやる」
「・・・ずっとやってたくせに」
そんな宣言に水を刺されてしまうが、今なら問題はない。
本当に「やりたいからやった」と言えるならそれで十分だし、ある意味でいえば何も変わることはないのだから。
「何も変わらなかったら、それが一番だろ」
「うん。きみの言う通り・・・」
ふと目を合わせると、さっきまでの吸い込まれるような鋭さはなりを潜め、いつもの優しいティアがいた。
すると手を捕まれ、歩き出してしまう。
「じゃあさ。このまま服、取りに行っちゃおう?」
少しテンションが上がったティアに引かれながら、俺はベイセル家のお墓を一瞥しつつ墓地を去る。
最後に見えた魔力の粒子は、ほんの少しだけ人の形をしていた。
〇 〇 〇
それから少し経って、場所は件の服飾店。
先日頼んだ服とアクセサリーを受け取りに来たのだ。
「おはよう、ラクネ姉さん」
「ティア様〜っ!!!」
入るなり、ティアはラクネに勢いよく抱きつかれた。
元気な人だなと思いつつ待っていると、十秒と少しくらいしてから一歩引くと、俺の方を向いて恭しく頭を下げる。
「グレイア様も、おはようございます」
「・・・随分とまあ、黄色い声を出すもんだな」
「そりゃあもう。私はティア様の幼少期を存じておりますので」
関係性の深さを考えると当たり前なのだが、隠そうともしていないのを見ると少し腹が立ったので嫌味を言ってみれば、ラクネはドヤ顔で俺のことを見上げながら腕を組んだ。
マウントの取り方がとても小賢しい。
俺自身の嫉妬もあるが、まあ普通に考えて、長生きしている人にはとても見えない。
「それで、今回は受け取りですね?」
「うん。なんなら、この場で着ちゃってもいいかな」
「仰せのままに」
こんなふうに、ティアにはめっちゃ丁寧に接するものだから余計に腹が立つが・・・まあ、我慢しよう。
俺の方が距離は近い。
それに、俺の方が大人だから口に出さずに見下すのだ。
「口調はもういいのか」
「無駄だと思って。とくに姉さんの前では」
そんな内心を隠して世間話をしようとすると、ティアは嬉しそうに質問に答える。
俺の思考が見えているのに笑顔な理由はわからないが、まあ嬉しそうならよかった。
「準備できましたよ〜! こちらへ〜!」
と、こちらで話していると準備が完了したとの事で、裏の方から声がかかった。
服を作ってもらうのは二回目だが、今回はどんな服がお出しされるのだろうか。
「どうでしょう?」
裏に入り、ででんと紹介された一式。
俺の体格に合わせたマネキンに着せられたそれは、まあなんというか「制服」の類に近いというのが第一印象。
全体的に黒でアクセントに金、上着はボタン式でボタンは二重にかけるタイプのやつで、襟は首が動かしにくそうなくらいに立っている。
肩には金色のふわっとした肩パットみたいな何かが装着されていて、中世くらいの作品とかでよく見た事がある。
内勤のエリートが着てるタイプのやつだ。
「いいね。好きなタイプ」
まあ、好きではある。
カッコイイし好きだ。
しかし、慣れるまでには時間がかかりそうだ。
今までずっと、小さい身体とはいえ生足全開の短パン小僧な服を着ていたわけだし。
「それでは、グレイア様はこちらで、ティア様はあちらに」
「ありがとう」
どうやら、ティアの分も用意されているようだ。
確かに、今のまま着ていくとティアが尋常じゃなく浮く。
「グレイア様は・・・」
「手伝い、頼めるか」
「はい。承知いたしました」
とりあえず、着方がわからないので手伝ってもらうことにする。
助け舟は幸いにも出して貰えたので、甘んじて受け入れた。
子供みたいな嫌味を言う人でも、ちゃんと仕事をするときはスイッチが入るのだなと再び思う。
「ひとつ質問をしても?」
「はい、なんでしょう」
そのため、俺はこの期に乗じて質問をしてみることにした。
話題はあの花、名前を知らない、あの黒い花である。
「この国でお墓に供える花、あれはどういう花なんだ?」
「虚無草ですか」
「・・・いやに物騒な名前してるな」
黒い花で、虚無の花。
今まで感じていた違和感が、名前を聞くと同時にすごい嫌な予感に変わる。
「見た目だけですよ。
あとは、触ると少し身体に不調をきたすくらいで」
「経皮毒なら見た目だけじゃなくないか」
「毒ではありませんのでご心配なく。
虚無草に触って不調をきたすのは、魔力の流れが原因でして」
不調に魔力の流れが影響する、ということは、その要因は恐らく俺が使う技と同質のエネルギー、つまりフェアリアのバリア。
あれは人の体内の魔力を乱す性質を持つし、それによって体調不良を引き起こしても不思議ではない・・・のか?
「フェアリアに張られているバリアの類いか?」
「ご名答。まさしくそのバリアと同質のエネルギーが滲んでいるようで、素手で触ってしまうと魔力を乱されてしまうんです」
説明を聞く限りでは魔力の乱れのせいだが、本当にそうか?
なんというか、名前のせいで違和感が凄まじい。
誰だよ虚無草なんて安直な名前つけたやつ。
「・・・なるほどね。教えてくれてありがとう」
「お気になさらず。
ところで、ティア様には聞かなかったんですか?」
「ふと思い出したから聞いてみただけだ。深い意味はない」
「左様ですか」
まあ、普通に嘘である。
俺がこの質問をしたのは、ティアよりもこの文化に身近なエルフからこの花についての話を聞きたかったから。
そして同時に、そこからニアの自己証明で得られる情報と比較して、情報に対するアレコレを確かめたいからだ。
「できましたよ、鏡はあちらに」
「ありがとう」
礼を言い、鏡の場所に立って、考える。
俺があの花に何を感じていたのかを、整理したいから。
「・・・・・」
経皮毒じゃなくて、でも触ると身体に不調をきたすモノ。
確実に前世にあった物体に引っ張られて不安感や違和感を抱いているわけだから、記憶を遡ってみれば何かが見える気がしないでもない。
「・・・うん」
まあ、わからない。
普通にわからない。
あまりにもヒントが少なすぎて、考察のとっかかりがゼロだ。
これでわかったら人間じゃないと思う。
「・・・・・ん、出てきた」
するとタイミングよく、というかタイミングを見計らったのか、ティアがすっと着衣室から出てきた。
ほんの少しだけ身長が伸びたような雰囲気のティアは、慣れていなさそうな歩き方でこちらに寄ってくると、俺の方に手を置いて息を整える。
「・・・ヒール履いてる?」
「うん・・・初めて履いたから慣れなくて・・・・・」
珍しく息を乱している様子にかわいいなあと呑気に思っていると、そういえば近くに鏡があることを思い出した俺は、ティアが俺の肩に置いている手を取って、バランスの手助けをしながら鏡の前に立って並ぶ。
「こっちの身体なら、エスコートだって容易なんだぜ?」
「・・・あと少しで慣れるから待って」
俺の自慢げな台詞は普通に無視されてしまった。
よほど余裕が無いのだろう。
一体全体、何センチのヒールを履いているんだ。
「・・・八センチ」
「高いのソレ」
「分からないけど、もう少しで掴める・・・」
八センチがどれだけ高いのかはしらないが、なんか、既に産まれたての子鹿みたいな状態から、足を怪我して杖無くした人くらいの具合まで立てるようになってるのは目まぐるしい成長なんだろう。
よくわからないが、普通はそんなに早く慣れるものなのだろうか?
たぶん違う気がするけど。
「流石。半分猫だなやっぱり」
「褒めてるのそれ・・・?」
「俺とんでもなく愛猫家ぞ」
そんなこんなでくだらない話をしていると、ティアはついに俺の支えなして立てるようになった。
ゆらゆらと揺れてはいるが、普通に立っている。
「・・・そういえば、そんなこと言ってたっけ」
「お前が変態だって言ったから我慢してた」
そうして話しつつ、待つこと数秒。
ついにティアは普通にいつも通りの立ち方で立ち、準備運動のように少し跳ねてから足をくりくりと動かして、くいっと伸びをして、両手を腰に当てた。
「・・・・・ふう。それで、どう? 可愛い?」
微笑みかけながらそう問いかけてくる彼女の服装は、先程までの可愛らしい服装とは打って変わって「清貧」という言葉が似合う服装だと言える。
平原を走って魔物を狩る少女ではなく、中世の女学園で友人と茶をしばいてるタイプのお嬢様というか。
青を基調としたデザインも相まって、中世ヨーロッパの貴族の女学生みたいな印象を受ける。
「可愛いというか、綺麗。
前世だとよく使われていた表現で言うと、透明感があるって感じ?」
全体的に露出が少ないのも一因だろう。
とはいえ身長は元から普通より高かったので、より一層目立つようになったなという印象。
まあ、隣に俺がいると霞むけど。
とくにこの服装、ブーツがかなり厚底だ。
かなり歩きにくい。
「ラクネ姉さんも、どう? 似合ってると思う?」
「はい。とてもお似合いですよ、お二人とも」
ラクネも笑顔で俺達を・・・というかティアを見ている。
なんなら涙が滲んでいるというか、職人ゆえに仕方ないのか、やたらと感極まっていて反応に困った。
「ありがとう」
「いいね。良い気分だ」
だがまあ、ティアと一緒に心機一転だ。
気持ちを入れ替えて、ついでに服も入れ替えて。
目前に聳えるデカい壁に、真正面から挑んでやろうじゃないか。