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狐の恩返し  作者: 養生
第6章 悠久の春
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6-1. 大火

 真冬の凍えるような、新月の夜だった。


 月の光すら差さないはずの真っ暗な深夜の空に、まるで生き物みたいに舞い上がって暴れ狂う炎の柱。肌を刺すような熱と、煙の嫌な臭い。無数の火の粉が花火のように落ちてきて、ただただ無我夢中で逃げた。前足が地面に着く度に、頭に被った狐面が揺れてがつんがつんと額に当たり、それでも構わずただ走る。

 行く手を倒れた大きな木が塞いでいるのを見つけ、足を止めてふと後ろを振り返るとリンがいない。一瞬だけ血の気が引いたような気がしたけど、少し離れたところに何故か人間の姿で這いつくばっているリンを見つけて、あわてて駆け寄る。

 あいつ、どうして人間の姿になってるんだよ。あれじゃ逃げ遅れるだろ。

 ようやくリンのそばにたどり着き、急いで俺も狐から人間の姿に変わった。狐の体毛がなくなり、さっきまでよりもあたりの熱気が肌を強く刺してくる。

「リン! 何やってんだよ、早く!」

 俺の声に、地面に手をついていたリンがはっと顔を上げた。顔が煤であちこち黒く汚れている。

「ごめんなさい……狐面、どこかで落としたみたい」

「そんなものいいだろ、早く来い!」

「でも」

 今にも泣き出しそうな顔であたりを見回している。俺は構わず、リンの両手首を掴んで力任せに引っ張り上げた。

「いいから早く! 今は逃げるんだよ!」

 その時、リンのすぐ後ろで壁が轟音を立てて倒れた。

「早く!」

 俺はリンの右手をしっかりと握りしめると、その場から駆け出した。リンはまだ迷っているようだったけど、俺が走り出すとそれに逆らうことなくついてくる。


 さして広いわけでもない神社のはずなのに、何故か今夜だけは異様に参道が長い気がした。何も履かずに飛び出してきたから、俺もリンも裸足のままだった。炎に囲まれた参道の石畳は燃えるように熱くて、きっとひどい火傷になっているはずなのに不思議と痛みは感じない。真冬だと言うのに頭から汗が止まることなく滴り落ちてくる。

 握りしめたリンの手のひらがじっとりと汗ばんでいて、走る衝撃で肌が滑って離してしまいそうになる。それでも振り返ることなく、俺はただ頭を空っぽにして走り続けた。背後から聞こえてくる何かの倒れる音や割れる音、炎の爆ぜる音、風のごうごうという唸り声に混じって、遠くの集落から人の怒鳴り声や泣き叫ぶ声が微かに聞こえてくる。すぐ後ろから耳に届いてくるリンの荒い息遣いが焦る気持ちを余計に煽り、速すぎる鼓動を刻む心臓が胸を突き破って飛び出してきそうだった。だから、なるべくその息遣いに意識を向けないようにした。


 目の前を覆い尽くす炎の向こうに、見慣れた鳥居が見える。神社の外も燃えているからまだ安心はできないけど、ここを出られると思うと少しだけほっとした。さっきから何故か震えっぱなしの膝を何とか前へ前へと動かし、ようやく鳥居をくぐると、あたりの炎が神社の中よりほんの少し弱くなっている。

 その時、自分の右手がただ空を切っていることに気付いた。

 いつ、手を離していたんだろう?

「リ……」

 立ち止まって振り向いたその瞬間、最後まで神社を支えていた社の柱が大きな音を立てて崩れ落ちた。

 俺の後ろにいるはずのリンは、いなかった。


 頭の中が真っ白になり、それでも妙に冷静に予感している自分がいたのをよく覚えてる。

 取り返しのつかないことをしたのだと。

 この光景はきっと一生俺の記憶から消えず、死ぬまで俺を縛り続けるのだろうと。


 あの時、悲鳴を上げたのは誰だったんだろう。


「――にいさま……!」


 耳をつん裂くような轟音の中、微かにリンの声を聞いた気がした。

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