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狐の恩返し  作者: 養生
第1章 狐の恩返し
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1-1. 神社

 お父さんの実家が大好きだった。

 私の実家からは二駅しか離れていなくて、いつでも気軽に行ける距離にあったお父さんの実家は、世間の人たちがいわゆる『田舎』と呼ぶそれとは少し定義がかけ離れていたかもしれない。田舎の家っていうと自然が豊かな場所にぽつんと建てられた平屋の広々とした一戸建てを思い浮かべるだろうけど、お父さんの実家があったのは郊外のそれなりに栄えている町の中で、敷地もお世辞にも広いとは言えないようなこじんまりとしたものだった。建てられた当時は白かったと思われる外壁は私の記憶がある頃には既に薄いクリーム色に変色していて、ところどころヒビもあった。外から見上げた二階の物干し場は足場を支えるものがほとんどなくただ一階の屋根の上に乗っかっているだけで、子供心にもひどく頼りなく危なっかしく見えた。

 家の中は狭く玄関のドアを開けた瞬間から奥まで一気に丸見えの状態で、小さな食卓の椅子に座ってテレビを見ながら食事しているおじいちゃんの顔と、その奥の人が二人も立てばいっぱいになってしまうくらいの小さな台所でお鍋を洗っているおばあちゃんの姿が一度に見渡せるくらいの、とにかく狭い空間だった。玄関のすぐ横には人一人しか通れない狭くて急な階段が伸びていて、見上げると上は薄暗く途中の壁には色褪せた壁紙の上にいくつか変なお面が掛けられていて、何とも異様な雰囲気を醸し出している。おじいちゃんにあのお面は何なのかと聞いたことがあるけど、いつかどこかへ旅行に行った時に何となく気に入って買ったものだと思う、という曖昧な答えが返ってきただけだった。多分、おじいちゃんもよく覚えてなかったんだろう。

 二階には和室が二部屋あって、普段は寝室として使われていたけどお正月やお盆休みで親戚たちが集まるとそこに大きな座卓を出してみんなで食事をとった。

 色褪せた畳、動かすとガタガタ音がしてすんなり開けられた試しが一度もない木の窓枠、その向こうに見える町並みと今にも沈みそうな夕日。取り立てて珍しいものもなく、何の変哲もない、それどころか狭くて古くて、あの家の一体何をそんなに気に入っていたのか今でも分からないけど、私はあの家が大好きだった。

 あの狭くて古くて小さな家で、慎ましく暮らしていたおじいちゃんとおばあちゃん。私がまだ中学生だった時におばあちゃんが亡くなって、三年後におじいちゃんもおばあちゃんのところへ行った。主を失った家はその後に取り壊され、今は土地も人手に渡っている。

 あの家にもう二度と帰ることができなくなってから、もう十年以上経つ。


 *


 改札を出て駅の東口から外に出ると、思わずため息をついてしまった。

『二駅しか離れてないんだし、ここから通えばいいじゃない』

 毎週土日は実家に帰り、一晩泊まってまた帰ってくる。今までにも何度となく言われてきたことを、今週もお母さんから言われたのが原因だ。要は、今私が住んでいるこの町と実家は二駅しか離れていないのだから、実家に帰ってくればいいのに、ということだ。確かに毎月の家賃もバカにならない額だし、それに食費、水光熱費に通信費、その他諸々の出費を上乗せすると、毎月出ていくお金を工面するだけでも今の私の収入では結構カツカツだったりする。こうして毎週末実家に帰るのだって、自分の部屋を離れることで少しでも食費や水光熱費を浮かせられないかと思って続けていることだし、お母さんも今の私の生活がギリギリな状態で保たれていることは何となく気が付いているのかもしれない。実際、本当にこんなカツカツな生活をしてることがバレたら絶対に戻ってこいコールが増えるだけだから、自分の給与については今までちゃんと話したことはないけど。

(まあ、お母さんの気持ちも分かるんだよね……)

 信号待ちをしている間、夕暮れの空を渡る鳥を見上げて、少しだけ感傷的な気分になってしまう。

 この年になっても結婚せず、仕事もさほど大したことをしているわけでもない、一人暮らしに憧れて家を出てはみたものの生活がギリギリで毎週実家に帰ってくる、こんな娘がいたら私だってお母さんと同じように言うだろう、帰ってこいって。いい年してまだ親に心配かけてるこの現状は、どう考えても自立しているとは言い難い。何かひとつでもいいからお母さんを安心させられる要素が私の人生に起こればいいんだけど、世の中そううまい話はなかなか転がっていない。

 信号が青になり、とぼとぼと横断歩道を渡る。何度となく繰り返される、いつも同じ道だ。

(たまにはいつもと違うルートで帰ってみようかな)

 こんなことくらいでこの単調な生活が一変するなんて思ってはいないけど、気分転換くらいにはなるかもしれない。いつもは真っ直ぐ進む交差点の先を直進せず、そのまま右に曲がってみた。遠回りになるけど、近所の道を把握しておいて損はないだろう。


 普段は歩かない道というのは、近所であっても見慣れなくてなんだか変な感じだ。生まれつき病的な方向音痴を患っている私にとっては知らない道をナビなしで歩くというのはもはや恐怖でしかないのだけど、何故か今日はのんびり歩いてみようという気分になっている。季節のせいかもしれない、と思った。ほんの二ヶ月くらい前はまだうだるような暑さの日が続いていて、とても散歩なんて楽しめるような気候ではなかったし。やっぱり秋はいい。子供の頃は夏が好きだったけど、年とともにあの暑さに身体が耐えられなくなってきていて、今では暑い季節が来るのが毎年憂鬱でならない。

 日没直前の住宅街はひっそりとしていて、さっきから人と全くすれ違わない。東の空にうっすらと月が浮かんでいるのを見つけた時、ざあっと強い風が吹きつけてきた。髪を押さえて風をやり過ごすと、飛んできた木の葉がぺたりと肩にくっついた。

(なんだろ、さっきまでこんな強い風吹いてなかったのに)

 手で木の葉を払うと、風に乗ってひらひらと飛んでいく。それをぼんやりと見送って視線を上げた時、少し先に高い木立の群れが見えた。近づいてみると、周囲を木立で囲まれたそれほど広くない空間がぽっかりと空いていて、その敷地の前には古ぼけた鳥居が立っている。奥にはこれまた年季の入った小さな社がぽつんとあった。

(へえ、こんなところに神社なんてあったんだ……)

 このあたりはここ数年で宅地化が進められるようになった土地で、周りにあるのはみんな新しいけどどれも似たような見た目をした家ばかりだった。そんな中にこんな古い神社がぽつんと取り残されたみたいに建っている光景はなんだか不自然で、ここだけまるで時間が止まっているみたいだ。

 鬱蒼とした木立が折り重なるように生い茂って夕日を遮り、その奥にある社にはわずかな残照さえ当たっていない。

 せっかくだし、お詣りして行こうかな。知らなかったとは言え、自分が住んでる場所の近くにある神社なんだから、一度くらいは神様に挨拶しておいた方がいいだろうし。

 鳥居の前で軽く一礼すると、そっと中へ足を踏み入れた。すぐ横にあった手水舎で手を清めようとして、伸ばしかけた手がぴたりと止まる。水が一滴もなかったのだ。

「……あれ」

 どういうことなんだろう?

 仕方なくそこを離れて社に歩み寄り、改めてあたりを見回してみる。鳥居から続いている参道には石畳が敷かれているけどその隙間からは雑草が伸び放題で、手入れがされているようには見えない。離れて見上げると、手水舎の屋根の上にも雑草がぽつぽつと生えている。

 まるで何年も、いや、何十年も放置されているみたいだ。


 その時だった。

 カタン、と音がして、心臓が飛び出るんじゃないかと思うほどびっくりして振り返ると、社の裏から誰かが出てきたのだ。それまで人の気配なんて全くなかったはずなのに。

(……え)

 出てきたのは男の人だった。黒い長袖のTシャツに、下は黒いブカブカのジャージを履いている。肘の少し下まで捲ったシャツからのぞく腕は細くて真っ白で、全身黒い服のせいかその白さがひどく際立って見えた。木々に囲まれ光の差さない中でもまるで光を放っているように見える、色素の薄いブロンド。地毛の色なのかそれとも染めているのか、そんなことはどうでも良かった。


 狐。

 その人は、真っ白な狐のお面をしていたからだ。


 お面の白地の中、朱色で描かれた化粧が怖いほど鮮やかで、そのあまりに異様な雰囲気に私の足は凍りついたようにそこを動けなかった。

 ……なに、この人。

 こんなところで、お面なんか被って何やってるんだろう。

 こんな時間にこんなところで変質者と鉢合わせるとは思ってもいなかった自分の危機意識のなさを呪っている場合ではなく、かと言って逃げ出そうにもさっきから足がすくんで動かない。

「あ、あの……」

 足が動くようになるまでどうにか時間を稼ごうと話しかけてみたものの、続く言葉が出てこない。その人はさっきからじっとこっちを向いたまま微動だにしない。そもそも私を見ているのかどうかも分からない。

「……」

 手のひらがじっとりと汗ばんで気持ち悪い。背中が冷たい熱を発していて、心臓が異常な速さで脈打っている。

 どれだけの間そうしていたんだろう。

 不意に、その人は私に背中を向けてまた社の裏へ引っ込んでしまった。

「あっ、ちょっと……」

 呼びかけてもこっちをちらりとも見ず、ほとんど白に近い金色の髪が闇の中に溶けるように消えていくと、ほっと息が漏れてくる。さっきまで指一本動かせなかったはずなのに、やっと自分の意思で手足が動かせるようになっていることに気付いて、強張っていた全身から力が抜けていった。

(なに、あの人……)

 逃げるように神社の敷地内から出て行く。鳥居の前でもう一度振り返り、あたりの暗さで既に日が沈んでいることを知った。

 これからはどんどん日が短くなるし、気分で寄り道するのはやめよう。今日はたまたま運が良かっただけかもしれないし、何かあってからじゃ遅いんだから。

(……早く帰ろう。さっきの人、まだいるだろうし)

 夜の闇に追い立てられるように、私は家路を急いだ。

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