9 キーラの腹案
次の正餐の日、食前に提供したショウガ蜜の冷製は、わたしの想像以上の好評で迎えられた。料理長の提案で、甘党の人々にはわたしの考えた通りの蜜で作ったものを出したが、酒を好み甘いものはさほど得意ではない人々には、出来上がった蜜に隠し味として、さらに辛みを加える香辛料を一晩ひたしたものを加えて提供したのだ。
「すごく洗練されて、おしゃれな味ですわ。皇女様がこういうものをお考えになるなんて、思いもしませんでした」
「わたくしはこの甘いほうが好きですけれど、夫は絶対こちらの辛口を選ぶでしょうね」
これまで、宙ぶらりんな立場のわたしをどう扱っていいか分からず、遠巻きにするしかなかったらしい家臣の奥方たちが、ここぞとばかりに話しかけてくれた。
「この香辛料の風味やショウガの辛さと、泡立つ水は合いますな! 食欲が一層増します」
家臣の中でもいちばんの酒好きの老爺は相好をくずして喜んでいる。
「汗をかいた後にはちょうどよさそうです。後に仕事を残していて、酔っぱらうわけにはいかない日もありますが、水だけでは味気ないですからね」
材料費が領民にも手が届くのも素晴らしい、と、荘園の経理を担当する中年の文官も普段の冷静で辛口な態度からは想像もつかなかった支持をくれた。
「そう、それなんだ」
ノルドウッドはすかさず、文官に向き直った。
「これを鍋何杯分か作って、付き合いのある近隣の諸侯や、出入りの大きな商家に贈る予算はとれるか? 蜜と、泡の立つ水、柑橘を組み合わせて贈るんだ」
「その目的は?」
やり手の文官に鋭く問い返されて、ノルドウッドは大きな肩をちょっとすくめた。
「それこそ庶民にも手が届く材料で作れるんだから、どうせなら、湯治場でも広く提供したらいいんじゃないかと思ってね。暑い気候のさなか、風呂で汗を流した後に新しい飲み物を飲むって、面白いだろう。贈り物をきっかけに話題にしてもらえば、夏の湯治にも多少客を呼び込めないか」
わたしがノルドウッドに相談した腹案がこれだった。わたしが言うより、地元を熟知しているノルドウッドが提案した方が、相手も真剣に検討するだろうと思ったのだ。
文官は、ノルドウッドがあらかじめ書き出していた材料表と作業工程をひったくるようにして奪い取り、じっくり眺めながら、メガネのふちをきらりと光らせた。その後、天井を見上げるようにして、何事か小さく口の中で呟いている。脳内のそろばんをはじいているらしい。
「そういう目的なら、この材料費なんかより、容器の費用を心配するべきですね。見た目がいいほうがいいでしょう。泡の立つ水のほうはきっちり蓋のできる頑丈な器がいいでしょうから、焼き物を使ってもいいかもしれませんが、蜜のほうは少し小さな瓶でも構いませんから、どうせならガラスを使ってこのロマンチックな深い琥珀色を見せたいですねえ」
文官が前のめりで計画の図面を引き始めたのを見て、ノルドウッドはちらりとわたしのほうに視線を送ってよこした。彼がいたずらっぽくテーブルの陰で示した、やったぜ、のハンドサインに、わたしはにやにや笑ってしまわないように必死で頬の裏を噛んで耐えた。本当に、ざっくばらんな態度にもほどがある。礼儀にうるさい年かさの家臣が見たら、卒倒してしまうのではないか。
「どうです、伯爵。さほど人員の必要な計画でもありませんし、試してみても構いませんか」
ノルドウッドの問いかけに、家長の席でその様子を無言で眺めていたハルディンガー伯爵は、無表情のままうなずいた。
「やってみろ。結果、湯治場の方が忙しくなったら、人員の調整はお前がするんだぞ」
「あの、わたしにもお手伝いをさせてください」
わたしが勇気を振り絞って伯爵に声を掛けると、伯爵はグラスに残っていた蜜水を一息に飲み干して、わずかに目元をなごませた。
「都育ちのあなたでないと、最終的にこの品のいい味のバランスを作れないでしょう。申し訳ないが、ぜひにご協力をお願いしたい。わが領は常に人手不足で、本音を言えば、皇女殿下のお手も遠慮会釈なく拝借したいのですよ」
わたしはほっとして目礼した。緊張のあまり、忘れかけていた淑女教育のマナーが、ようやく意識に戻ってきたのだ。
「料理長、もう一杯作れるか」
わたしからすっと視線を外して、伯爵は脇に控えていた料理長に、空になったコップを掲げて見せた。
ショウガも甘いものもお好きだというのは、本当だったらしい。
わたしは知らず微笑んでいた。