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3 伯爵屋敷の離れ

「皇女様が、さばけたお方で助かりました。なにせ、領内は今、ちょうど耕作の繁忙期で人手不足でして。お付きの侍女の選定もままならず、お出迎えの支度が不十分であるとお叱りを受けたらどうしようと案じていたのです」


 オルレイ・ノルドウッドと名乗った武官は、屋敷内を先に立って歩きながらそう言った。わたしの滞在する離れに案内してくれるという。


 背が高く、いかにも武官らしいがっしりした体格だ。重そうな金属の胸当てと厚い織り地のマントを身に着け、わたしの身長にも迫ろうかという大きな剣を佩いているわりに、その重さを一切感じさせない、きびきびとした身のこなしだった。日ごろの鍛錬が偲ばれる。


 伯爵との会談に唯一同席していた人物であることから考えても、若いながらに高位の家臣であることが伺えたが、くだけた口調には、押し付けられた皇室の人間に対する必要以上の畏怖も、敵意や反感も感じられなかった。


「あの、皇女様というのは、止めていただけませんか?」


 あくまで実務的な態度の若い武官に、わたしはそっと申し出た。


「後宮でも、みそっかすのわたしはまともに皇女扱いされたことはありません。身の回りのことは何でも自分でしましたし、母の勤めていた神殿の仕事を、できるだけ表に出ないようにして手伝っていただけでしたから」

「なんとお呼びすれば?」

「特別なことはなく、キーラ、と」

「では、キーラ様」


 まだおさまりが悪い。後宮内の神殿では、神に人生を捧げた神官や官女たちがみな家族のように接してくれた。ただの「キーラ」として、どこの修道院にやっても恥ずかしくないように育ててやる、と言ってくれていたのだ。

 だが、ひとたび、皇女として降嫁の宣下があったことで、わたしの将来設計は崩れ去った。結婚したものは、修道院には迎え入れてもらえない。嫁げという皇帝の命に大っぴらにそむくわけにはいかない。どこの修道院でも、そんな厄介持ちの娘は引き取れない。とにかく、伯爵領に赴き、夫となる伯爵の命に従う以外にわたしには選択肢がなくなってしまったのだ。


「様、はちょっと……」


 渋ったわたしに、武官は破顔した。


「皇女殿下を名前で呼び捨てに出来るのは、未来の夫君だけ、それも結婚した後ですよ。そこは我慢してください」

「わかりました。では、わたしも皆様に敬語で接すればいいのですね、ノルドウッド卿」

「ええー。皇女様に敬語を使われるのはものすごく座りが悪いですね」

「もう皇籍は離れたも同然ですもの。客分の身で、気を遣っていただくわけにはいきません」


 何より、わたしが楽しくない。それに、口先でどう言っていようと、ノルドウッドの肩は小さく揺れているし、全体的に口の利き方はざっくばらんだった。皇女に敬意を払っている、本気で敬語を使われたくない、というより、言葉遊びを楽しんでいるようにしか見えない。


 辺境というのは、こういうところなのか。


 わたしは新鮮な驚きを感じていた。後宮で感じていた、皇帝の絶対的な権威や、わたしの血筋など、ここではさほど大きな意味をもたないのだ。少し配慮すべき厄介な問題、程度の扱いに見えた。

 この人になら、色々質問したり、小さな頼み事をしたりしても気兼ねがなさそうだ。答えられないことははっきりそう言ってくれるだろうし、気に入らないことは遠慮も容赦もなく断ってくれるだろう。


 人生の激変を告げる降嫁の宣下以来、初めて、わたしは自分の肩の力が抜けて自然に微笑んでいるのに気が付いた。


   ◇


 案内された離れは、寝室と居室、二間限りだったが、簡易ながらかまどのある土間の水屋(キッチン)がついていた。日当たりがよく、居心地がよさそうだ。頑丈な石造りで、このために急ごしらえで作られたものとも思われなかった。


「こちらの離れは、どなたかがお使いに? 追い出してしまったのではないといいのですが」


 わたしが首を傾げると、ノルドウッドは否定した。


「いいえ。数年前から、使う者はありませんでした。時折、室内の風を入れ替えていましたし、リネン類は全て新調してありますが、何かご不便があったらお伝えください」


 彼は、途中で執事に声を掛け、一人の少女を伴って来ていた。


「ご紹介します。部屋付きメイドのハナです」


 彼女はぴょこんと頭を下げた。まだ十代前半のようだ。


「ハナ、よろしくね」


 わたしが第一印象を良くしようと精一杯親しみを込めた微笑みを浮かべると、彼女の頬はぱっと赤くなった。


「光栄です」

「初仕事だ。ハナ、皇女様は長旅でお疲れだ。お茶をお出しして」


 ノルドウッドに言われて、彼女はこくこくとうなずいた。

 初仕事。この歳格好なら無理もない。余剰の人員などなく、わたしがここに来ると言うので、やむを得ず探したのだろう。

 彼女はぱっと駆けだすと、水屋に消えたと思ったらすぐに戻ってきた。湯を沸かすにはそれなりの時間が掛かると思っていたので、面食らった私の前に、彼女は水がたっぷり入ったガラスの水差しとコップを並べた。コップの中には、薄く切った柑橘のようなものが入っている。中の水が冷たいのか、ガラスはうっすらと曇っていた。


「馬車の旅はほこりがすごいとお聞きしました。喉が乾いていらっしゃると思ったので、お湯が沸くまでのおしのぎに」

「おい、お下げしなさい」


 慌てたように、ノルドウッドが止める。


「都から来られた姫君が生の水をお飲みになるわけがないだろう」


 ハナはおびえたようにびくりと肩を揺らして、ノルドウッドを見上げた。目にみるみる涙が溜まっていく。


「待って。この水、ハナもふだん飲むのよね?」


 わたしは急いで、割って入った。



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