1 初対面
「私は都の優美な作法など存じません。ですからはっきり申し上げますが、あなたを妻とするつもりはありません」
初めてお目にかかった婚約者は、苦虫をかみつぶしたような顔で、初対面の挨拶が済むなりそう言った。屋敷で最も大きな広間であろう部屋に居並ぶ家臣たちの、押し隠した動揺の気配を、頬や背中にひしひしと感じる。
初夏の風が、開け放した窓からふわりと吹き込んでくる。都よりもずっと南のこの土地では、風の匂いまでも、緑が濃いように感じられた。
わたしは、扇子で口元を隠しながら、彼を観察した。
年の頃、四十代半ばか。わたしより、多分、三十歳近く年上。マクシミリアン・ハルディンガー伯爵。
初婚の奥方を失くされた地方領主と聞いていたけれど、まさか、こんなに年上の人だとは思っていなかった。部族集団の小競り合いが絶えない地域を平定し一定のまとまりを指導したことを評価され、二十年ほど前、崩御直前の先帝陛下より爵位を与えられた、比較的新しい家だということしか聞かされていなかった。
一ミリも笑っていない目元、口元。この地域に多い、ほとんど黒に近い濃い色の髪に、紺碧の瞳、やや濃い色の肌。その険しい表情と相まって、鋭く近寄りがたい雰囲気に見えた。
都からはるばる、輿入れのためにやってきた皇女に対する第一声としてはかなり失礼なものである。だが、それに対して腹立たしい思いはなかった。
言うなればこれは、体のいい押し付け婚だったのだ。
皇帝である父とは、人生で二度しか言葉をかわしたことがないが、まあまあのクズ男である。
皇太子だった頃から、その乱行は密かな噂になっていた。だが、彼にとって目の上のたんこぶだった先帝陛下の崩御に伴って即位してから、その色漁りは加速していった。
一夫一婦制を厳格に推し進めてきた神殿の意向をまるっと無視して、政略結婚で迎えた正妃のほかに、側室を山ほど抱えた。そのために、神殿の教義に基づいて百年以上も前に制定された、皇室・貴族婚姻法まで改定させたのだ。皇帝に倣えとばかり、腹心の大貴族たちは大手を振って側室を抱えている。今でも民間では重婚は認められていないが、富豪の間でも、婚外の愛人を囲う輩も大いに増えたと聞く。政治は乱れ、心ある貴族は憂いているとか、いないとか。
それでも、後宮にあって正式に輿入れした側室はまだマシである。父はその手の規範意識は母親の腹の中に完全に置き忘れてきたような人間だったらしい。手当たり次第、見た目の良い侍女や女官に手を付けた。正妃様のお子は、男子が二人、女子が一人。それ以外の側室腹やお手がついた侍女腹のきょうだいたちは、男女合わせて三十六人にのぼる。異母きょうだいだけで総勢三十九名の大所帯である。
当然、世継ぎは正妃様の第一皇子。もしもの時に控えるは、第二皇子。正妃様のお子である姫宮様は、他国のお世継ぎと縁談が決まっている。筋目正しい御家柄のご側室から生まれた数人の皇子、皇女は、国内外の由緒正しい家柄に婿養子、お輿入れの話がすんなりまとまった。
後の三十人近くは、長じてみれば、皇室の財政を圧迫する完全なるお荷物なのだった。流行り病などでお世継ぎ順位が多少繰り上がることを考慮したところで、国の経済や政治は安定してきており、基本的に衣食住や医療の不自由なく後宮で育てられることを考えれば、七歳を無事に過ぎさえすればほとんどの子が立派に成人まで育ち上がる。
となれば、男子の多くも、ずっと後宮に留めておくわけにはいかない。身の振り方を決めないままで、跡目争いになっても困る。となれば、しかるべき貴族に養子として押し付ける以外にないのである。自らの血を継ぐ長男を後継ぎにと思っていたのに、皇室からの有難迷惑な押し付け養子をとらされ、家督を譲らされた貴族は枚挙にいとまがない。
ましてや、皇統にほぼ関与できない女子の使い道などないに等しい。皇統につながる縁組として先方が喜ぶのも、実家に地位のある側室の姫宮などに限られる。だが、その他の皇女たちも、行き遅れにならぬうちにどこかに縁づけないことにはどうしようもない。
わたしの母は、後宮内の神殿仕えの官女だった。神官様たちの身の回りの御用を仰せつかったり、後宮内で働く人々のために神殿付きで設置されていた養生所の手伝いをしたりと、最下層の仕事をしていた身分である。どこでどう、皇帝陛下の目に留まったのかは一切わからない。
わからないが、母は身ごもった。母の唯一のよりどころは、望まざる一件ののち、相手から渡された金の櫛だった。それは、慣例として陛下が情事を持った相手にその証拠として渡すものだったのだ。母は、出産するまで後宮に留まる猶予を与えられた。
だが、月満ちて生まれ落ちたわたしに、まごうことない皇統の印、紫がかった銀の髪と瑠璃色の瞳が顕れていなければ、母は、誰かから櫛を奪い取ったうえ恐れ多くも皇帝陛下のお手付きを騙った不敬の罪人、という不名誉な扱いをされて、そのまま仕事をクビになり、むち打ちのうえ後宮を追い出されていたに違いない。不運にも、生まれた子どもに父方の血筋を示す外見が顕現しなかったために、そうした理不尽な辛酸をなめさせられた娘も数知れないと聞く。
母も私も、自らが望んだ人生ではなかったとはいえ、幸運な方だったのだ。
「伯爵様。この度のお出迎え、感謝いたします」
わたしは彼の失礼な発言など全く存在しなかったかのように、裳裾を引いて腰をかがめ、一礼した。
「今後のことなど、お話させていただいても?」
ちらりと、左右に控える家臣たちに視線をやる。押し付けられた皇女の身の振り先など、詳細が決まるまでの議論に関わるのはごく少数でいいはずだ。
伯爵の目くばせで、瞬時に心得たように、すぐ隣に控えていた武官が合図した。軽く手を動かしただけで、主従二人とわたしを残し、他の家臣たちが退席していった。














