19 夏休暇と特別なお招ばれの日
休暇前に行われる課題のテストが終わり、後はのんびりと夏休暇を待つだけとなったとある日の放課後、キャロルがやや興奮ぎみに声を発した。
「カイちゃん、コレルちゃん、シャーレちゃん! 夏休暇、みんなで一緒にアルベルト様のお家……お城に行かない!?」
前日に焼いたマドレーヌとビスコッティを持ってきていたのだが、キャロルの言葉に食べていた皆の手が止まる。
「……なに? どういうことだ?」
「お城に? なぜですの?」
カイちゃんとシャーレ嬢が、至極当然の問を口にする。
「実はね、アルベルト様がお城にお招きしてくれたの。それで、良ければお友達も一緒にって言ってくれたから、みんなと行きたいなって! 夏休暇中は、みんな忙しい? 無理かな……?」
キャロルは大きな目をキラキラさせて、私たちに訪ねる。そこには大きな期待と僅かな不安が滲んでいた。
これは、あれだ。お城への招待イベントだ。本来ならキャロル一人で行くイベントなのだが、いろいろと変化があったようだ。
「わたくしは、構いませんけれど……」
「俺もいいけど……いや、絶対に一緒に行くわ」
「わぁ、嬉しいな! コレルちゃんはどうかな?」
「あ、う、うん! 私も大丈夫だよ」
「やったぁ、みんな一緒に行けるんだね! 明日、アルベルト様にお伝えしなきゃ!」
うふふと楽しそうに笑うキャロル。
お城かぁ……他の攻略キャラの皆さま方とは比較的友好な関係を築けているのではないかと自分では思っているが、アルベルト様に関しては互いに挨拶は交わすが、その程度である。まともに会話の一つしたことがなかった。
キャロルやシャーレ嬢は、普通にお喋りなどもしているみたいだが。
そういえば、シャーレ嬢はアルベルト様の婚約者候補だったので、もしかしたらキャロル以上に交流があるのかもしれない。
――と言うことは。
「……頻繁に、お城にも行ってるのかなぁ」
「誰がお城に行ってるの?」
キャロルの言葉に、心の声を口にしていたことに気付き慌てて自分の口を塞ぐ。
「な、なんでもないよ!」
「……もしかして、わたくしのことかしら?」
シャーレ嬢が私の持参したラズベリーティーを上品に飲み終えたあと、口を開いた。
「あ、い、いえ、その……」
「構いませんわ。どこの誰が言い始めたのかは存じ上げませんが、わたくしがアルベルト殿下の婚約者候補なんて噂がありますものね。全くもって下劣で不愉快ですわ、そのような事実いっさいございませんのに」
「……え?」
「そうなの、シャーレちゃん!?」
「ええ。恐らくわたくしの家柄と魔法持ちというだけで、どなたかが勝手に決め付けて広めたのですわ。失礼な話です」
「そうなんだぁ~……」
あれ? ゲームでは確かに『婚約者候補』だったはず。それは、シャーレ嬢もアルベルト様もお認めになっていたはずなのだが……。
うーん。この辺りも、ゲームとは変わっちゃってるんだなあと考える。
「お嬢さんも大変だねぇ」
「まったくですわ!」
「シャーレちゃん、コレルちゃんが持ってきてくれたお菓子を食べて気を紛らわそう!」
「いただきますわ!」
三人の仲の良さに思わず笑ってしまう。
夏休暇に入ると、みんなと暫く会えなくなるのは寂しいと感じていたので、会う約束が出来たのは嬉しく思う。
――そうこうしている内に、夏休暇に突入した。
◇
久しぶりの実家は懐かしくもあるが、多少なりとも煩わしくもあった。
両親……特に父にとって私は『都合の良い魔法持ちの子』なのだ。猫っ可愛がりして、甘やかし放題だったのもそのせいだ。
かつて商人だった父は、私が『魔法持ちの子』というのを幾度となく商談に使い上り詰め、爵位を貰った。
まあ、何不自由なくこうして育てて貰っている身なので、ごちゃごちゃ言うのはお門違いではあるが。
「お嬢様。本日は、お城に向かわれるのですよね?」
「師匠! はい、午後に迎えの馬車が来てくれるそうです」
実家に帰ってくる一番の楽しみは、師匠に会えることだった。
積りに積もった話をたくさん師匠に聞いて貰ったし、運動やスキンケアを怠っていないことも誉めてもらった。やはり師匠は最高だ。
そんな師匠が、お招ばれ用の格好に着替えた私を頭の天辺から爪先までまじまじと見つめてくる。
「髪型よし! 服装よし! 帽子もよし! 手土産には何をお持ちで?」
「高級茶葉と老舗の焼菓子を用意しました!」
「問題なし! お嬢様、最高です!」
「ありがとうございます!!」
そんな会話をしていると、お城からの馬車が到着したようだ。
「では、師匠行って参ります!」
「楽しんで来てくださいね」
「はい!」
馬車に乗り込むと既に皆が乗っており、挨拶を交わす。
「こんにちは、コレルちゃん」
「ご機嫌よう、コレルさん」
「元気にしてたか、コレル」
「皆さん、お久しぶりです!」
お城までは、馬車で約四十分ほどだ。
談笑していたら直ぐに着くだろうと考えていると、とても良い匂いがすることに気付く。
「……この良い匂い、なんだろう?」
「あっ、ご、ごめんなさい、私かも……」
そう言ってキャロルが手に持っていた大きなバスケットを開くと、中にはぎっしりと焼き立てのパンが詰められていた。
「あ、あのね、私のお家パン屋さんなの。それで、お城に行くって言ったらパパとママが持たせてくれたんだけど……でも、王子様にお渡しするのには向いていないよね……えへへ……」
恥ずかしそうに笑いながらキャロルが言う。
そう、キャロルのお家は街でも評判のパン屋さんだった。
ゲームの中で、優しそうなパパさんとママさんの作るふわふわで愛らしい多種多様なパンたちを一度でいいから食べてみたいと、何度思ったことか。キャロルのお家のパンは私の憧れなのだ。
――でも。
ここに居る皆は、キャロルを除いて貴族ばかりだ。キャロルは、優しいご両親のことが大好きでとても大切にしていた。けれど、お城に向かうのにお家のパンを持たされたことは、年頃故に恥ずかしくもあったのだろう。
「――そんなことないよ。アルベルト様もきっと喜んでくれると思う。私も、ぜひ食べてみたいな!」
「……コレルちゃん」
「わたくしも、機会がありましたら是非ご相伴にあずかりたいですわ」
「おじさん達のパン、マジで美味いぜ。俺が保証するよ」
「シャーレちゃん……カイちゃん……」
キャロルが、バスケットをぎゅっと抱き締める。
「ありがとう、みんな……。あのね、実はパパ達が道中お友達と一緒に食べなさいって、多目に持たせてくれたの!」
キャロルはバスケットの奥にある別の包みを取り出して広げると、中から可愛らしいふわふわのパンたちが出てきた。
「良ければ、皆さんでどうぞ!」
「わあ、いいの?」
「もちろん!」
「いただきます!」
「わたくしも、いただきますわ」
「俺も一つ貰うぞ」
小振りのパンを手に取ると、本来ならばシャーレ嬢のように上品に千切って食べるべきなのだが、私はそのまま齧り付くことにした。
ゲーム中に出て来たパンを、こうやって食べてみたいと思っていたのだ。焼き立てのパンは、外はさくりと香ばしく中はふわふわもちもちの食感だ。口の中では良質なバターの香りがじゅわっと広がって多幸感が凄い。
あーー美味しいーー! 夢にまで見たキャロルのお家のパンは想像以上の美味しさだった。
「……ふっ……ふふふ……」
「…………んぐ。……シャーレさん?」
シャーレ嬢が、私を見て耐えるように笑っている。
「ごめんなさい。あまりに美味しそうにいただいてらっしゃるから……ああ、ほら。口の端にパンが付いてましてよ」
そう言うと、綺麗なハンカチで口元を拭ってくれる。
「あ、ありがとうございます……」
やはり、ちゃんと千切って食べるべきだったと恥ずかしくなってしまう。
「ははっ、仲が良いねぇお嬢さん方」
「あら、羨ましいかしら?」
「そうだねぇ。妬けるかも」
「えへへ、お家のパン気に入って貰えて嬉しいな!」
お城までの数十分間。
美味しいパンといつもの穏やかな会話と、何よりも素敵なお友達のお陰でとても楽しい時間となった。




