戦国時代の平均寿命は50歳ではない
歴史ジャンルを読んでいるとよくある間違い
表題が既に答えですが、まずこの誤解の元から書きたいと思います
みんな大好き織田信長が好んだといわれる『幸若舞』(能、歌舞伎の原型)の「敦盛」にあります
この「敦盛」ですが、「平清盛」の甥で「平敦盛」という人の話です
敦盛は16歳で戦死するのですが、敦盛を討った熊谷直実は敦盛の菩提を弔うために出家します
直実が出家して読んだ歌が「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり 一度生を得て 滅せぬもののあるべきか」となります
これをひらがなで書くと「じんかんごじゅうねん げてんのうちをくらぶれば」となります
疑問に思いましたか?そう「にんげんごじゅうねん」ではないのです
解説しますと
下天というのは神仏の住む世界の一つで、ジンカンは我々の住む世界
時間の流れが「ジンカンの50年=下天の1日」なので、俺らの人生なんて神仏からすりゃ一瞬の夢幻みたいなもんよなという感じの意味になります
ちなみに化天と書かれている場合もありその場合「ジンカン800年=化天1日」
※信長公記だと下天
これがいつからかニンゲン50年になり、平均50歳に変わってしまったわけです
ついでなので平均寿命も調べてみましたが、正確にこうだという物が無いので一説として
室町時代の平均寿命が15歳
1800年頃の江戸時代の平均寿命が20後半から30くらい
「7歳までは神のうち」という言葉があるように幼年で死亡した場合戸籍にも記されない場合があり、このくらいではないかという説です
戦争が無くなった江戸時代ですら30歳程度だとすると、戦国時代の平均寿命は室町時代に近いのではないでしょうか
平均寿命が50歳になったのは1947年だそうです
適当にエッセイを読んでいたら意味不な返信を貰ってミュートした事を思い出したので追記
数か月前に「人生50年てそういう意味じゃないよ」というニュアンスの感想を書いたところぐぐったのか、「戦国時代は40歳ぐらいという説があるから誤差」という感じの返信を貰いました
いや待ってくれと、まず50年て敦盛から来てますよね?戦国時代の400年くらい前の話ですよ?
そもそも平均寿命的な考えも無いと思いますよ?
作中で戦国武将が人生50年というセリフはおかしくないですか?
と色々思ったのですが、「あぁ、こいつ反論したいだけでセリフがおかしいとか興味ないんだな」と思ったのでミュートバイバイしました
というのもそのセリフが作中でまったくどうでもいいセリフであり、前後に何の影響もなかったからです
例えば城の位置がどうだとか、その年にそこは城じゃなくて砦だとかその人がそこにいるのは変だとか、興味を持って熱心に調べなければわからないような事であれば個人的には割とどうでもいいのです
しかし歴史タグを読むような人は信長も人間50年もまあ聞いた事があるでしょう
わりと知られている事なのに間違いを広めるなと、ぐぐればそれ一発で出てきますよと
そう思ったのでこれからも見かけたら感想で指摘していこうと思いました