第1話 報われない人生を送って死んだら
「今日も深夜まで残業か……んで、部長を迎えに行く為だけに車を出すってか。やってられないな」
俺、善神 誠治は眠気を吹き飛ばすために呟いた。
そうでもしなければ、信号の向こうにある駐車場に辿り着く前に眠ってしまいそうだからだ。
三十路を過ぎた辺りから、徹夜が恐ろしく辛い。
身体の衰えを嫌でも感じてしまう。
「もう、トラックぐらいしか走ってないか」
深夜ということもあり、歩いているのは俺ぐらいなものだ。
そして通りがかる車はほとんどが大型トラックである。
「あのトラックに轢かれれば、俺も異世界に行けるのかな……」
俺が唯一心の拠り所にしている異世界転生系の小説では、主人公がトラックに轢かれて転生する展開が多い。
「ったく、阿呆らしい……」
そう呟いて信号を渡る。
「事故なんて、望むやつには起こらない。それに……」
駐車代を払い、会社の車に鍵を差し込む。
「異世界なんて存在しないからな……」
ふて腐れたように車に乗り込むと、俺はそのままキャバクラまで走り出した。
ーー
ーー
「遅ぉいぞ善神ぃ! 何時らと思ってるんら!?」
「申し訳ありません、部長」
怒られているが、俺は三十分前には到着している。
キャバクラで酔い潰れて遅くなったのは部長の方なのだ。
しかし、これくらいの事を気にしてもしょうがない。
「さぁっさとしろぉ! わぁしはもう眠いんだ!」
「はい」
部長を介抱しながら助手席に乗せる。
俺も乗り込み、車が走り出したところで部長が質問してきた。
「なあ、善神ぃ」
「はい」
「お前、結婚はしてないのかぁ?」
「はい、自分はまだです」
知っているだろうに。
と心の中で思うが、口には出さない。
俺が独身であるのが面白いのか、部長が唐突にニヤニヤしだした。
「おいおーい、最近の若者はどぉーにも勇気が無くていかんなぁ。わしが若い頃はもっとグイグイ男から攻めていたもんだぞぅ……?」
「ははっ、流石は部長です」
こんなブラック企業で働きながら彼女なんて出来るわけが無いだろう。
と思うが、再び心の中にしまい込み、当たり障りの無い言葉で返す。
俺は一体何のために生きているのか。
あまりにも辛い現実に、今ではそれすら考えなくなっていた。
「そうだ、わしが若い頃にはボクシングをやっていてなぁ? ホレッ! この拳のキレで女を惚れさせてきたのよ!」
「凄い速さですね。素人の自分には全く見えませんよ」
部長が酔うとよくやるシャドーボクシングだが、素人目に見ても部長はド素人にしか見えない。
苦痛だ。嫌いな上司と二人きりになるこの瞬間はいつも胃が沸騰しそうになる。
早く帰って異世界小説を読みたい。
「おいおい、善神は運転も下手だなぁ、ドリフトをしろ! ドリフトをぉ!」
「ははっ、部長のように上手には運転できませんよ」
街中でドリフトなんか出来るわけが無いだろう。
と、そう思った所で部長が身を乗り出してきた。
「よぉし! わしが手本を見せてやろう!
貸してみろ!」
部長が手を伸ばしてサイドブレーキを握ってくる。
流石にこれはまずい!
「ぶ、部長! 危ないですよ!」
「黙れ! これがドリフトだ!」
部長が思いっきりサイドブレーキを引っ張ったので、本当にドリフトしてしまった。
そして、車体の半分が反対車線に飛び出してしまっているので、もし対向車でも来たら……。
「あ、あれは!!!」
悪い予感は当たるものだ。
夜だというのにライトを付けずに走ってくる大型トラックが一台。
この距離では絶対に避けられない。
「何だ善神……う、うわぁぁぁぁ!!」
トラックに気が付いた部長が叫ぶがもう遅すぎる。手遅れだ。
……俺はここで死ぬのか?
大した幸せも知らず、童貞を捨てることも叶わず今ここで?
だが、抵抗する気は起きなかった。
何故だか走馬灯も流れない。
もしかしたら俺は楽になる事を望んでいるのかもしれないな。
「ああ、来世はもっと幸せに……」
"ガシャァァァン"
最後まで言い切ることが出来ずに、俺の意識は途絶えた。
ーー
ーー
「はっ!?」
どれくらい時間が経ったのか。
目を覚ますと、そこは病院ではなかった。
それに酷い事故だったはずなのに、俺は痛みも感じず何故か二本足で立っている。
「何だここは……雲の上か?」
辺りを見渡すが、空は一面真っ白な空間で地面はわたあめの様なものが広がるばかりだ。
「天国……て感じでもないよな。だとしたら夢だろうか?」
思い当たるとすれば俺が夢を見ているという状況くらいだろう。
でも、夢にしては妙にリアルだ。
夢といえば全てが曖昧なイメージがあるが、わたあめを触った感じではフワフワした感触が手にはっきりと残っている。
と、その時俺の後ろから衣擦れの音がした。
「誰だ!!」
慌てて振り返る。
そしてそこに居たのは。
「本当に、申し訳ございませんでした!」
背中から羽の生えている土下座した女性だった。
……。
やっぱり夢だろうか……?
お読みいただき、ありがとうございます。
ボクシングのくだりは実話だったりします。
ブラック企業にお勤めの方は、どうかお体にお気を付けください。