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トライ☆トライブ  作者: トライ☆トライブ
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 第一章 水魚の交わり

 事故から早や二ヶ月。

 濃い緑が匂い立つ季節を向かえていた。

 太陽は中天を越え、通学路に、制服姿の女生徒たちの姿が溢れる。

 その中にリオンの姿もあった。

 歩道を歩くリオンの脚に、もはやギプスはない。

 リオンの怪我は、送迎の車や、松葉杖がいらないほど目覚しい回復を見せ

ていたのだ。

 だが、まだ足の違和感が完全になくなったワケではない。

 歩くだけなら不自由ないが、脚を伸ばしきると、まだアキレス腱にピキッ

と痺れるような痛みが走るのだ。

 鋭い痛みが走るたび、担当医に言われた言葉がリオンの脳裏に蘇る。

『いま無理を押して走れば、折角つながった腱がまた断裂し、最悪の場合、

走れなくなりますよ』と。

 診断を聞かされた当初のリオンは、かなり落ち込んだものだ。

 スケジュールを考えると、駅伝の県予選まで、あまり準備期間がなかった

からだ。

(今から練習を始めたとして、秋の駅伝の県予選まで体調を元に戻せるかし

ら)

 今はまだ初夏。

 駅伝の県予選が行なわれる秋まで、おおよそ三ヶ月。

 まだまだ時間があるようにも思えるが、それは素人考えだ。

 最近までろくに運動することも出来なかったので、リオンの体力の減退は

著しい。

 一度落ちた体力は、そう簡単に最高の状態まで戻せない。

 全快し、体力が元に戻ったとしても、以前と同じスピードで走れるという

保証もない。

 おそらく調整期間はギリギリだろう。

 三ヶ月なんてあっと言う間に思えた。

 気ばかり焦っていたリオン。

 そんなリオンの様子を見かねて、学校の保険医が勧めてくれた特別なリハ

ビリ方法がある。

 そのリハビリ法を実践するために、学校帰り欠かさず通っている場所が、

学校近くにある市民プールだ。

 今も彼女の足は、そのプールに向っている。

 もっともリオンは、プールで泳ぐわけではない。

 彼女がプールでやるのは、黙々とただひたすら歩くことだけ。

 水中ウォーキングは、腱には負担を掛けず、筋肉に負荷を掛けられる効果

的なリハビリ法なのだ。

 マラソン競技に重要な心肺能力を落とさない効果も望める。

 ただし、変化していく風景や、風を切る疾走感など、走る爽快感は望むべ

くもない。

 極めて単調で、つまらない運動だった。

 生来コツコツ型ではないリオンにとって、この単調な運動を何時間もぶっ

続けでやるのは、かなり忍耐を強いられることだった。

 それでも彼女が、頑としてこの苦行を辞めようとしなかったのは、その一

歩一歩が、秋の県大会出場につながっていると思えばこそであった。

 競泳水着に着替えたリオンは、今日も仏頂面で二十五メートルプールを延

々と行ったり来たりしている。

 面白味のない義務的な練習なのだから、仏頂面も仕方ない。

 そんなリオンをジーッと凝視する怪しい影がひとつ。

 スイミングキャップとゴーグルだけを水面に出しているさまは、まるで河

童みたいだ。

 リオンは、はたと自分を見つめる気配に気付いて立ち止まり、キョロキョ

ロと周囲を見回す。

 しかし怪しい影は、ポチャンと小さな水しぶきを残し、水中に消え失せた。

「誰かに見られているようにかんじたけれど、気のせいかしら。あーっ、な

んだか今日は気が乗らないわ。いつもより早いけど、今日はこのくらいにし

とこう」

 プールから上がり、更衣室へ行く途中にあるシャワーゾーンで塩素を洗い

流すリオン。

 髪も洗おうと、スイミングキャップを脱いだリオンは、くるっと首を捻っ

て引っ詰め髪を解いた。

 ファサーッと広がる長髪。

 髪は、ちょうどプールの窓から差し込む夕暮れの残光に透過して、金色の

光を放つ。

 栗毛のように見えたリオンの髪は、実際には暗めの金髪。

 いわゆるダークブロンドと呼ばれる髪色だったのである。

 普段は気付きにくいが、水と光に乱反射したことで、その本性を一瞬垣間

見せたのだ。

「わぁー、女神様みたい……」

「へっ?」

 声のした方を振り返ると、そこにはリオンと同い年くらいの少女が一人、

リオンの髪の毛に負けないくらい眼をキラキラさせて金色のウェーブに見惚

れていた。

 少女が着ているのは、リオンと同じような柄の競泳水着。

 背丈はリオンより頭ひとつ小さかったが、身体の厚みは少女のほうがある。

 細身のリオンとは対照的な、ファットなスイマー体型だ。

「すっごいね! こんなキレイな髪、初めて見たよ!」

 リオンは、面と向かってそんなことを言われたのは初めてだったので、何

と答えてよいのか判らない。

「えっ、あっ、その……」

「えへへ、ここのところ毎日来てるよね?」

「え、ええ」

「でも歩いてばっかで全然泳がないから、ずーっと気になってたんだ。どー

して泳がないの? 泳いだほうが絶対楽しいのに」

 しどろもどろになっているリオンに、少女が矢継ぎ早に質問を浴びせかけ

てくる。

 どうやら、プールでリオンをジーッと見ていた気配の主は、この少女だっ

たらしい。 

「ワ、ワタクシ、ここに遊びに来てるワケじゃありませんから」

 リオンは、初対面の相手に馴れ馴れしくものを言ってくる態度に気分を害

し、素っ気無く応えた。

 しかし少女は、そんなリオンの心の動きなど素知らぬ風に言葉を続ける。

「ふ~ん。でもなんか顰めっ面してて、すんごく詰まんなそうに見えたから

さ。あのさ知ってる? 厳しい練習だって、楽しんじゃいけないなんてルー

ルは無いんだよ」

 もともと怪我でナーバスになっていたリオンは、人の事情も知らずズケズ

ケものを言う少女に、ついにカチンときた。

「事情も知らないで、どーして初対面の人にそんなこと言われなきゃならな

いんですか? あなたにそんなこと言われる筋合いは……」

「ええ、ダメェ? そっかぁ、ざーんねん。そのキレイな髪を垂らして泳い

だら、御伽話

に出てくる人魚姫みたいで、すっごく素敵だと思ったんだけどなぁ」

「なっ……」

 何のてらいもなく恥ずかしいことを言われ、キレかけていたリオンの気勢

が削がれた。

 それどころか、言われたリオンの方が恥ずかしくなってしまう。

「も、もういいです! あなたなんかに構ってられません! 失礼!」

 顔を真っ赤にしたリオンは、そう言うと、逃げるように着替え室へ引っ込

んだ。

「ありゃりゃ? なんか気に障ること言っちゃったかな??」

 一人取り残された少女は、小首を傾げた。

「なんなのよ、あの子!」

 女子更衣室へ戻るなり、リオンは吐き捨てるように言った。

 そして更衣室に据えつけられた鏡の前で、頬っぺに両手を充てる。

 紅潮した顔を隠すのと、熱くなった顔の表面温度を下げるためだ。

「突然あんなこと言うもんだから、もう顔が真っ赤っかだわ」

 照れと、腹立たしさがゴチャ混ぜになった不思議な感情が、リオンの心を

苛立たせる。

 感情の整理がつかないままリオンは、プンプンしながら乱暴に着替えを済

ませた。

「もーっ、調子狂うわ! あれ? でも……」

 おもむろに、自分の胸の辺りを押さえるリオン。

「どーしたことかしら。今までずっとあった胸のつかえが消えてる……」

 リオンは、怪我や駅伝のことを思い悩むあまり、常に強い切迫感に苛まれ

ていたのだ。

「もしかして、あの子のおかげ? ま、まさかね……」

 リオンはそれ以上言葉を継ぐことなく押し黙り、制服の胸をギュっと掴ん

だまま、自分の心を斟酌するように立ち尽くしていた。


 市民プールの入り口は、駐車場へと続く、高さ二メートル程の短い階段状

になっている。

 入り口の自動扉から小走りに出てきた『天使』が、暮れなずむオレンジ色

の空を背景にその階段をポーンと高くダイブする。

 ズダンッ。

 手を水平に広げたポーズもビシッと決まり、見事な着地。

 だが、翼を持った天使にしては、着地音がやけに重々しい。

 白色を基調とした制服に、背中に背負った羽根の付いたカバン。

 どうやらその羽根状の飾りが、女子高生を一瞬天使に見せたようだ。

 髪の長さは襟足くらい。

 水を被ってきたのに、ところどころ撥ねている。

 かなりの癖っ毛だ。

 前髪の癖っ毛は、邪魔にならないように二つに分けて、耳の脇で留めてあ

る。

 リオンほど彫は深くないものの、顔の造詣は充分に魅力的と形容していい

だろう。

 中でも目を惹くのが、好奇心旺盛そうなクリクリした大きな目だ。

 その目は、リオンに見惚れていたあの少女のものであった。

「私が女神なら、そーゆうあなたは天使かしら?」

 着地を決めた少女は、横手から不意に声を掛かられた。

 少女が声のした方を振り返ると、見覚えのある人物が、プールの建物脇の

コンクリ壁に寄っ掛かていた。

 からくような声を掛け、クスクスと微笑んでいる人物は、勿論リオンであ

る。

 天使??

 何を言っているのだろうと宙に視線を彷徨わせ、考えあぐねる少女。

 やがて少女は、何のことか思い当たり、ポンと手を打った。

「ああ、これのことね。違う違う」

 そう言って、クルリと後ろを向く少女。

「じゃーん残念。天使じゃなくてトビウオでした~」

 少女の背負ったカバンにくっついていたのは天使の羽根飾りではなく、ヒ

レを広げたトビウオの大きなワッペンだった。

 正面から天使の羽根に見えたのは、トビウオ胸ビレの部分だったのだ。

 トビウオが、どことなく某レストラングループのシンボルマークに似てい

るのは御愛嬌。

「ま、飛べないトビウオなんだけどね……」

 自嘲するように呟く少女。

「えっ?」

「ううんなんでもない。それよりどーしてアタシを待ってたの? 急に出て

っちゃったから、アタシ、てっきり怒らせちゃったのかと思ったんだけど」

(ふうん。全く空気が読めてなかったわけでもなかったのね)

 心の中で苦笑するリオン。

「別に。あんなやり取りで腹を立てるほど、ワタクシ子供じゃありませんか

ら」

 本当はカチンときていたのだが、でもリオンはそんなことオクビにも出さ

ずに澄まし顔で言う。

 ついつい見栄を張って、強がり言ってしまうのが、彼女の性分なのた。

「それより、ほら!」

 リオンは、スポーツドリンクのペットボトルを少女に投げてよこした。

「これ、くれるの?」

「髪を褒めてくれたお礼よ」

「ありがと!」

 くったくのない笑顔で感謝の言葉を口にする少女。

 少女に悪びれた様子は一切ない。

(悪意はなさそうだし、シャワーゾーンで言った台詞は、冷やかしじゃなか

ったみたいね)

 リオンは、少女の褒め言葉を疑い、からかわれたと思い違いしていた自分

の心の卑しさが恥ずかしくなった。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「へぇー、クォーターなんだ。それで金髪なんだね。そういえばその制服、

アタシと同じだよね。アナタも膝折女子高校?」

 膝折女子高校は、ミッション系大学の付属高校。

 制服もミッション系らしく、襟元に十字架を意識した意匠が施されており

一目でソレと判るのだ。

「ええ、そうだけど……じゃあ、あなたも?」

「あっ、そうだ。自己紹介がまだだったね。申し遅れました。アタシは膝折

女子高校一年、妹尾瑠果せのおるか! 趣味は食べること、寝ること、

泳ぐことだよ!」

「私は、膝折女子高校一年、早乙女リオン。趣味は走ることかしら。学校で

は陸上部に入ってます」

「へぇ、陸上やってるんだ。あれ? でもどーして陸上部の人が放課後に市

民プールに来てるの?」

「それは……」

 一瞬言葉に詰まるリオン。

 リオンには、トラックで躍動している自分こそ、本来の姿であるという自

負がある。

 プライドの高い彼女にとって、プールでリハビリしている現状は不本意だ

ったのである。

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