第七話「言葉の壁」
時刻は未だ午前。
共に行動する事を決めた瑠璃と紅葉の二人は事務手続きを行う為の役所を探しつつ、この世界の事柄を知る為に商店街を歩きだす。
そんな最中、瑠璃が店を回りつつ何かをすらすらと手帳に書き込みながら紅葉に話しかける。
「そういえば紅葉さんは何処の出身なんでしょうね?」
それは当り障りのない普通の質問のようでいて、今必要な前情報を明確に定義して知ろうとする質問でもある。
「私と会話出来てる事から察するに言語は同じ系統なんだと思うんですけど、紅葉さんの発音、意味はわかるんですけどちょっと私の話している言葉とはだいぶ感じが違うというか……」
「あ、それは思う。私も瑠璃が何話してるのかはわかるけど、発音自体は何言ってるかわかんないもん」
実際の所、二人の聞いている互いの声は何故かお互い理解出来るものの、発音そのものは全く違っていた。むしろ音だけ聞けば文法すら同じかどうか怪しい。
「うーん、私は魔界人ですし、私が今話しているのも魔界語なので、紅葉さんの言語もたぶん魔界系統の世界の言葉なんだと思うんですけど……」
理解が出来る故に同系列の言葉であると予測は立てられるし、齟齬も違和感もないのでお互いに話す分には問題はないが、それでも言語の違いに一切の問題がないわけではない。
「んー、まぁ店に出てる文字とかは読めるし筆談でもなんとか出来る気はするけどね」
「え?」
そこで瑠璃は手帳に字を書くのをやめ、驚いた様に紅葉の方に目を移す。
「紅葉さんは物質界語も出来たんですか? てっきり魔界語だけかと思っていましたが」
「うん? それは複数の言語が話せるかって意味? いや、一つしか話せないと思うけど」
そこに書いてある文字は魔界語ではないのだろうか? と紅葉は首を傾げる。
「紅葉さん、少しお聞きしたいのですが、貴女はここにある文字の中のどれが読めてます?」
そこで瑠璃は何か思い当たる節があったのか、近くの店の商品棚の中の林檎と書かれた商品札を指差す。
そこにはこの世界の主要言語と思われる大きな文字の他に異国人や異世界人の為のものと思われる複数の言語が小さく3種類書かれていた。
その瑠璃の行動に少し戸惑いつつも紅葉はその中の一つの言語を指さす。
「え、そりゃもちろんこれ……」
紅葉はその商品札の中でもっとも大きく書かれた言語。この世界の主要言語と思われる言語の文字を指差した。
『林檎』
そこで瑠璃の顔に少し影が落ちる。どうやらその紅葉の反応は瑠璃にとっては都合が悪かったようだ。
そして瑠璃は紅葉の肩を軽く叩いて商品札の方に目を向けながら紅葉に話しかける。
「紅葉さん。よく聞いてください。それは魔界語でも物質界語でもありません。私に読めている物質界語というのはこちらの言語です」
そう言って瑠璃はその商品札の中でも紅葉が指さした言語の下に小さく書かれた、恐らく主要言語ではない一つの言語の文字を指差す。
『apple』
「これは……」
ここで紅葉もそれが何を意味しているのかを理解する。
そう、お互いに違う言語で話しているにも関わらず、互いの話している内容が理解出来ているのだ。
「どういうことでしょうか?」
「さぁ……?」
紅葉と瑠璃は揃って首を傾げる。
実の所、これはこの世界独自の翻訳言語と呼ばれる言語能力がこの世界に存在する者に付与されているからなのだが、この世界に来たばかりの二人にはそれを知る由はない。
[実の所、これはこの世界独自の翻訳言語と呼ばれる言語能力がこの世界に存在する者に付与されているからなのだが、この世界に来たばかりの二人にはそれを知る由はない。]
「あ、中空の文字に表示されてる。これは翻訳言語っていうののおかげなんだって」
「え? そんなことまで表示されるんですか? 便利な能力ですね、それ」
……知る由はない。はずなのだが、中空の文字は紅葉の本来持つ知識の量を超えて紅葉に様々な事実を教えていた。
「でも翻訳言語ですか。聞いた事がありませんね」
「確かに、私も聞いた事な」
[検索:《翻訳言語》
翻訳言語:翻訳言語とは、『創誓世界ルリィ=エフィア』独自の精神言語です。『創誓世界ルリィ=エフィア』では、敢えて特定の言語で話そうとせず、相手に言葉を伝えるつもりで話した場合、その言葉は全てこの翻訳言語に変換され、相手の言葉が音では理解出来ずとも、その内容が理解出来る様になります。]
聞いた事がない。そう言おうとした所で、紅葉の言葉が詰まる。知りたかった知識が中空の文字列にまたも常とは違う形で表示されたからだ。
「……翻訳言語とは、創誓世界ルリィ=エフィア独自の精神言語です。創誓世界ルリィ=エフィアでは、敢えて特定の言語で話そうとせず、相手に言葉を伝えるつもりで話した場合、その言葉は全てこの翻訳言語に変換され、相手の言葉が音では理解出来ずとも、その内容が理解出来る様になります。だって……」
文脈から見るに『創誓世界ルリィ=エフィア』とはこの世界の名前だろうか? そんな事を考えつつ、紅葉は瑠璃にちらちらと目配せしつつその文字の内容を読み上げる。
「……それも中空の文字に?」
「そうだけど……、なんか検索とか出てる」
「検索、ですか」
そこに表示されているのは紅葉の視界の端に常に表示されている中空の文字とは明らかに異なる文字列。それは表示言語こそ同じ様だが、文章としてはそれこそ何かの検索結果に近い。
それに気付いた紅葉が幾つか自身の知るものの単語を思い浮かべると同様の形でその詳細が表示される。
[検索:《林檎》
林檎:林檎とは内部に蜜を含む丸い果実の事、またはその樹木である落葉高木樹の事を指す。実の色彩は赤から緑、黄色と種によって異なり、味は甘味と酸味が強い。樹木には春に白または薄紅色の花が咲く。]
[検索:《猫耳メイド》
猫耳メイド:猫耳メイドとは猫耳を付けたメイドの事である。]
「……うん、なんか辞書機能っぽいのがついてるみたい」
「とんでもなく便利な能力ですね、それ」
当然、何を調べたのかは言わない。