序章「深淵ノ底ニ在ル者」
―永劫に続く様な果てし無い闇の中。
ある時、誰かは夢を見た。
また、ある時、誰かは幻を見た―
血の様に赤い空、濃密な闇を放つ黒い太陽の下。
大地が猛烈な慟哭と共に振動し、山は金切声をあげて火と硫黄の煙を吹き散らす。
無数の兵士が津波の様に押し寄せ、無数の兵器が地平線を埋め尽くす。
大地は夥しい量の血によって赤く染まり、
人々は飢えと病によって叫び声をあげながら彷徨い歩く。そんな情景。
どうしてこうなったのか? なぜそうなったのか? そんな疑問が頭をよぎると同時に頭の中に複数の誰かの思念が押し寄せる。
善とは何か? 悪とは何か? 神とは何か? 悪魔とは何か?
死とは何か? 死ぬとどうなるのか? 死んでまた生きられるのか?
肉体とは何か? 精神とは何か? 魂とは何か?
魂は滅びるのか? 輪廻とは何か? 天国とは何か? 地獄とは何か?
知恵とは何か? 知識とは何か? 理解とは何か?
幸福とは何か? 不幸とは何か? 正義とは何か? 公正とは何か?
数え切れない幾つもの疑問。誰のものかもわからない幾つもの唸り声の様な思念。
そして思念は雄叫びに変わり、喚く様に矢継ぎ早に幾つもの言葉を繰り出す。
「金があれば!!」「力があれば!!」「名誉があれば!!」「権威があれば!!」「知恵があれば!!」「知識があれば!!」「技術があれば!!」「不老の命があれば!!」
耳が張り裂けるかの様な吼え吠えの渦の中に一つの声が響き渡る。
『やってみれば、わかる?』
それはとても静かで、可憐な、しかしそれでいて身体を締め上げ押し潰すかの如く重く、背筋が凍り、臓腑を突き刺すかの様な怖気を伴った幼い少女の声。
『そうであれば、見せてあげる』
それがまるで脳髄の奥から、心の全てを蝕む様にじりじりと、優しく、柔らかく、吐き戻す程に甘ったるい音色で、告げる。
『世界の全てを』
その声を境に周囲は静寂を取り戻し、夢と幻は消えて視界は元の闇へと舞い戻る。
そこで誰かの意識は闇に沈んだ。