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梔子色の古神  作者: ウチダ勝晃
第三章 港町・社崎にて
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港町・社崎にて その二

 圓窓寺への訪問は結局、空振りに終わってしまった。代替わりした住職は引き継ぎの際、郷土史家真樹啓介や彼の発見した貴重な資料のことは伝えられていたものの、ここ最近の社崎での異変については何一つ関知していなかったのである。

「――まあ、あの調子なら、変な動きはこの辺にはない、とも言えるのかもしれませんね」

「それはまたどうして……?」

 貨物列車が傘岡に向けて走ってゆくのを踏切で待っていたところへ、真樹がぽつりとつぶやいたので、坂東医師は髪を直しながらそっと理由を尋ねた。

「こういう田舎では、お寺や神社なんかが一種の集会場の役割をはたしていましてね。やってくる年寄りが、この前変なやつを見た、とかいうたぐいのうわさは、そういうところを経由して広まりやすい傾向にあるんですよ」

「あ、なるほど。それじゃあ、あのお坊さんが何も知らないということは……」

「社崎は至って平和な、昔日と変わらぬ港町である……」

 列車が通り過ぎ、遮断機が上がったのを見計らって線路を渡りながら、真樹はちょっと笑ってみせたが、すぐにその表情はドス黒く曇ってしまった。

「――それか、人目につかぬように蓮鳥教徒が暗躍をしているか……そのどちらかでしょうな」

 すぐ後ろの山間から、季節外れのウグイスの声がとぼけたように聞こえ、沖からの風がそっと、二人の間を抜けていった。

「……どうやら、我々はもう少し突っ込んで調査をしてみる必要がありそうですね」

「最悪、一度引き上げる必要もあるかもしれません。ちょっと我々は手ぶらすぎたらしい……」

 海岸線に面した道路までたどり着くと、二人は通り沿いの小さな食堂でタクシー会社との直通電話を見つけ、車を頼むことにした。行きがけはあれほど熱意に満ちていた真樹と坂東も、さすがに振り出しに戻された後では来た道を徒歩で戻る気にはなれない様子だった。

 車を待つ間に昼を済ませると、食後に安っぽい見た目のグラスに入った薄いアイスコーヒーをなめながら、二人は暇を持て余しているらしい店の親父と他愛もない話をひろげた。この頃の魚の取れ高はどうか、社崎を経由して傘岡の方へ運ばれる石油や貨物の量はあまり多くないのか等々――。

「――まあでも、越鉄が連絡列車を出し始めてから、減ってた観光客が増えてありがたいこってす。まあ、国鉄に直接出入りしとった時期ぐらいには戻ったんじゃないかねえ」

 時折、首からさげた手拭いで額の汗を拭きながら、日焼けした六十過ぎの親父は近年の社崎町の客入りのいいことを喜んでいる。わりに繁盛するのか、店の中にはつい最近張り替えたばかりらしい、真新しい板材の甘い香りがただよっているのを、真樹は鼻で感じ取った。

「お客さんたち、どのくらいいなさるおつもりで?」

 お冷をつぎ足しながら親父が尋ねると、坂東医師は汗をハンカチでぬぐい、釣果次第ですかね、と返す。

「大漁だったら、それを持ってうちに来てくださいな。生きのいいところを刺身か、焼いてお出ししますよ」

「やあ、それはどうも……。それにしても、車がなかなか来ませんね」

 坂東医師の言葉に、あとの二人は頭上の時計へと目をくれた。昼食の済む頃を見計らってきてもらうように頼んだはずのタクシーは、一時を六分ばかり過ぎた今になっても、エンジンの音一つも聞こえてくる気配がない。

「いつも、このくらいかかるもんなんですか」

 真樹の問いに、親父はいいえ、とカブリを振って、

「とんでもない、営業所は越鉄の駅の目の前です。ここから対して距離があるわけでもありませんよ」

「――なにか事故にでも巻き込まれたんじゃないだろうなあ」

 真樹は首を軽く鳴らすと、アルミサッシのはまった入口へ向かい、そっと往来へ顔をのぞかせた。しばらく左右をゆっくりと眺めていた真樹だったが、ほどなくして後ろ手で手招きをすると、中へ顔をひっこめて、やっと来たよ、と、汗だくになった苦笑いを二人へ見せるのだった。

 程よく冷房の効いた後部座席へ収まると、二人はしばらく、冷風を身に受けながら窓外へ目をやっていたが、不意に運転手が、お待たせしてすみません、と呟いたので、なにかあったのですか、と、坂東が疑問をぶつけた。

「いやね、すぐそばの船着き場で人体の一部が浮かんでたとかでひと騒ぎありまして……。近くの連中や、物珍しさで車を止める連中が多くって、なかなか到着しなかったんですよ」

 人体の一部、という言葉に、真樹と坂東は汗がつたっていた背筋が一気に凍るのを覚えた。

「運転手さん、今あなた妙なことをおっしゃいましたね。人体の一部、ってことは……」

 真樹の問いに、運転手はバックミラー越しにそれがねえ、と前置き、

「――現場をのぞいた奴の話じゃ、傘岡の方であったのとおんなじようなバラバラ殺人のものらしいってんですよ。腕だか足だか、とにかく頭や胴じゃないのは確からしいですが――」

「――運転手さん、悪いがちょっと、その場所に寄ってもらえませんか」

 間髪入れずに真樹が声を張ったので、運転手はハンドルを持つ手が危うくなったが、すぐに威勢のいい返事を返し、遺体が見つかったという船着き場へ全速力で向かうのだった。

 件の船着き場は、ホテルをほんの百メートル少々越した場所にある、個人所有のヨットやモーターボートの停泊しているこじんまりとしたものだった。

 遺体の収容や現場検証があらかた済んだのか、鑑識班の車両と、古ぼけたパトロールカーが現場から引き揚げてゆくのをフロントグラス越しに認めると、真樹は運転手に車を止めるように告げ、料金とは別に、手間賃として彼の夏服の胸ポケットへ千円札をねじこんだ。

「いただけませんよ、こんなの……」

 千円札を引き出して返そうとする運転手に真樹は、これは前渡しです、と言って、

「詳しいことは言えないが、もしかすると、またそのうち用事を頼むことになるかもしれないから……。まあ、ジュースでも買ってください」

 渋々、真樹からのチップを受け取ると、運転手は不思議そうな顔をしたまま、車を越鉄社崎駅のほうへとUターンさせていった。あとに残った真樹は、先に下ろした坂東医師の後を追いかけて、帆布のたたまれたマストの間を走り回った。やがて、桟橋の中ほどに坂東医師愛飲のキャメルの香りを見出すと、真樹は煙草をくゆらせている猫背気味の背中へ、坂東先生、と声をかけた。

「真樹さん、どうやらこのモーターボートの間に、例のモノは浮かんでいたようですよ」

 そういって坂東医師が宙へ指をさすと、腹を空かしたような鳴き声のカラスや海鳥がゆっくりと旋回をしているのが真樹にはわかった。

「まさか……」

 息を呑む真樹に、坂東は吸殻をポケット灰皿の中へ押し込みながら、

「野生の感覚というやつは実に恐ろしい。我々人間にはわからない、血肉の香りにいざなわれてきたんでしょうね」

 よく晴れた水平線の、雲一つない青空の方へ目を向け、忌々しげにつぶやくのだった。

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