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梔子色の古神  作者: ウチダ勝晃
第二章 邪宗・蓮鳥教
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邪宗・蓮鳥教 その二

「――蓮鳥教! いったいそれはなにものです」

 坂東医師はキャメルを持った指をふらりとゆらしながら、真樹の口から発せられた耳なじみのない言葉に目をしばつかせた。火曜日の夕暮れ時、看護師も帰ったあとの、静かな坂東医院の応接間でのやりとりである。

「まず、先生にはここからお話ししないといけませんね。ちょっと、そこの棚の百科事典を拝借願えますか」

 主の許可を得、応接間の隅で専用の書架に入って聳え立つ五十冊の凡凡社百科辞典の中から「は」の巻を取り出すと、真樹は隙間に挟まっていたほこりにむせながらページを手繰っていたが、目当ての個所を見つけると、辞典をローテーブルの上に広げ、指で項目の活字をしきりにつつきながら、これですよ、と強調した。

 凡凡社辞典の「蓮鳥教」という項目には、次のような事柄がしたためてあった。


蓮鳥教はすとりきょう


 天保年間、N地方(現在のN県奥傘岡群)に広まった新興宗教。唯一神「蓮鳥」を祭り、満月の晩に松明を持って暗い海へ、生贄を捧げ礼拝をする習わしがあったとされている。一時は相当数の信者を抱えていたといわれているが、幕府転覆の兆しを恐れた傘岡藩により弾圧の対象となり、信仰は潰える。幕末まで、蓮鳥教に関する相当量の資料が傘岡城の御文庫に収められていたとされているが、明治の廃藩置県時の混乱などで資料が散逸。昭和初期になって傘岡市の旧制三角高等学校(現在の三角大学)が各地に散らばった記録などを収集し始めたものの、それらも昭和二十年七月の傘岡空襲ですべて灰燼と化しており、その実態には謎が多い。


「なるほど、今ある金光教なんかと同じような時期に出来た宗教なんですね」

 非常に短い文面にやや驚きながらも、坂東医師は蓮鳥教のことを知り得、納得のいった表情を浮かべている。

「そういうことです。ただ、この本は昭和の末ごろに出たものだから、ちょっとだけ記述に誤りがありましてね」

「と、おっしゃいますと……」

 坂東医師が新しいキャメルへ火を点けながら尋ねると、真樹は少し恥ずかしそうに、

「三年ほど前の夏に前の奥傘岡群、今の社崎町の寺院から、失われたと思われていた蓮鳥教関係の資料が発見されたんですよ。いや、正確には発見した、というべきか……」

「――真樹さん、もしかしてあなたが……?」

「皆まで言わんでください、自分で言うと自慢みたいでいやなんですから……」

 たちまちのうちに、真樹啓介の顔は真っ赤に茹り、二つの瞼の中で目玉が泳ぎ始めたので、坂東医師はその様子を面白がりつつ、改めて郷土史家・真樹啓介の活躍に惜しみない賛辞を贈るのだった。

「運悪く、同じ時期に県道工事の入札談合があって、マスコミがそっちに釘付けになっちゃいまして。『民俗研究』に発表して、一部の研究者相手にスライド見せたきりだから、あまり学術界隈でも知られてないんですよ。なにせ、蓮鳥教そのものの存在が、非常にマイナーですから……」

 水分を吸ってふやけたコースターから、コーラの入ったグラスをはがしてストローでなめると、真樹は眉毛をなさけなく揺らし、底に残った数滴を音を立てて飲み干した。

「――そういえば、三年前の夏だと、談合がらみのニュースでどの新聞ももちきりでしたね。僕も今、真樹さんから聞いて初めて知りましたよ」

「まあ、しょうがないですな。――にしてもまさか、今頃になって蓮鳥教が絡んでくるとは思わなかったなあ」

 グラスの露をハンカチではらいながら、真樹は自分の発見と今度の事件に不思議な一致を見出して、感慨深そうな表情を浮かべていた。

「それにしても、こいつはひどい。現場が荒れてるとは話題になっていたが、こんなことをした奴がいたんですね」

 先ほどまで目を通していた現場を写したやじ馬の写真と、件の絵巻物の複写を改めて見比べながら、坂東医師は眉毛をひくつかせてから、真樹へ疑問を投げかける。

「――今までのお話から察するに、真樹さんはこうお考えのようだ。一連のバラバラ遺体は、古の風土宗教・蓮鳥教が現代に復活し、その狂信的な信者によって行われた儀式の犠牲者だ、と……」

「それだけじゃない。僕はね、このまま放置しておいたら、ますます被害者が増えるんじゃないかと、こうにらんでいるんです。ただ――」

「ただ……?」

 言いよどむ真樹につられ、坂東医師も首をかしげる。

「ただ、はたしてこれが本当に、蓮鳥教の手によるものなのか。そういう疑問も残るのですよ。だから、僕としては直接、現地に赴いた方が早いような気がしているんですがね」

「現地というと――社崎ですか」

 真樹は黙って首をしゃくり、鞄に放り込んであった手帳の日付を豆鉛筆で追ってから、おもむろに表紙を閉じた。

「どうせこの頃はろくに客も来ませんからね。アルバイトの子には有休でもあげて、ふらりと出かけようと思います。何か詳しいことがあったらすぐにでも――」

 鞄の中へスクラップブックを放り込み、帰り支度を始めていた真樹だったが、その動きは坂東医師が立ち上がったことで一旦遮られてしまった。

「真樹さん、これはあくまでも僕のわがままなのですがね。こうして、事件の検視にかかわった人間が、事件と関係のありそうな宗教団体をご存知のあなたと知り合いだというのは何かの縁に違いない。ご迷惑でなければ、同行願えませんか」

 突然の申し出に驚くとともに、真樹は坂東の本業を心配し、医院の方は……? と恐る恐る尋ねた。が、坂東医師はすましたもので、

「なに、釣りが目当ての臨時休診なんてよくあることです。前もって告知をしておく必要がありますから、多く見積もって三日ばかり余裕がいただければありがたいのですが、どうでしょう?」

「――なるほど、そういうことでしたか。よろしい、参りましょう。ただ、何も得られないままに空振りのまま帰ってくる可能性も否めません。その時はゆめゆめ、恨んでくれるな……ということでどうでしょう」

 茶目っ気を添えて真樹が言うと、坂東医師はじゃ、釣り竿も持っていきますかな、と、すまして笑ってみせたのだった。

 かくして、ここに旧奥傘岡群、現在の社崎町への調査旅行が決定したのであった。


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