奇妙な死に様 その三
「真樹さん、幸町の方でなんか妙な事件があったらしいですよ」
馴染みの客の一人である、詰襟姿の少年が買った本を受け取る折にそんなことを言ったので、真樹啓介はどんなのだい、と、身を乗り出して尋ねた。坂東と飲みに出かけた翌日、土曜日の昼前のことである。
「ほら、幸町のとこに、経営破綻した小さな医院の跡があるでしょ? そこの解体工事の現場から、五体不満足なバラバラ遺体が出てきたとかで……」
ハトロン紙でくるんだ岩波新書の束を小脇に抱えたまま、少年は本棚のわき板に背を預けながら真樹へ説明を続ける。
「へえ、バラバラ遺体……。今時、玉の井遊郭の事件みたいなことがあるもんだなあ」
昭和初期にあったバラバラ殺人事件の名前を出して真樹が頷くと、少年は例えが古いなあ、と、カブリを振りながら呟く。
「せめて山岳ベース事件ぐらいにしといてくださいよ。そんなことだから、身も心も老け込むんですよ――」
「こいつめっ!」
少年の言葉に腹を立て、真樹はそのあとを追いかけようとしたが、店の外へ足を出しかけていた少年には追い付けず、真樹は息もたえだえに、店の奥の座敷へと引っ込んだ。
置きっぱなしにしてあったやかんからぬるい麦茶を汲んで飲むと、真樹は一息付けながら、さきほどの話を思い出して新聞を広げた。だが、まだ起きて間がない事件なのか、それらしい記事はどこにも載っておらず、テレビやラジオも、まだ未確認の情報が多いのか、そういったニュースはどこの局も扱っていなかった。
――あいつの持ってきた情報が早かったのか……それとも勘違いなのかな?
今日日珍しい種類の事件に興味を抱きながらも、少年にからかわれた苛立ちの残っていた真樹はしばらく寝転がっていたが、空腹を覚えるとそのまま店を閉め、近所のそば屋に天丼を食べにでかけていった。珍しく、この日は午後から客足が多かったこともあり、真樹はいつしかその話を忘れ、仕事に没頭していた。
不意に、その事件が真樹の頭によみがえったのはその翌日のことだった。おそらく夕刊の第何版かには載ったのだろうが、真樹のとっていた新聞には記載がなく、ようやく朝刊の出た頃合いになって、真樹啓介は再び事件を知るに至ったのであった。
客の少年がつぶやいていた事件というのは次のような、実に奇怪なものであった。
医院跡からバラバラ死体発見
複数人分の手足みつかる
昨日午前十時ごろ、幸町二丁目の旧目方医院跡の解体現場で複数人分のバラバラ死体が同跡地の地下室から作業員によって発見されたことが傘岡西署によって発表された。発見された遺体は手足や頭部、胴体がバラバラに別れた五~六人分のもので、死後三か月から一か月ほど、性別や年齢は多岐にわたるという。傘岡署では現在、過去に捜索願が出た中から該当する人物がいないかを捜査中とのことである。
さほど長くもない記事だったが、事件の内容は真樹の興味をひくのに十分すぎるほどのものだった。休日なのを幸いに戸締りをすませると、真樹啓介は市電の北笠岡沿線にある、現場となった目方医院の跡地へと向かった。
ところがその手前で、真樹は思いがけない人物と遭遇することとなった。警察官が出入りする規制線の向こう側から、坂東医師が重い鞄を提げて現れたのである。
「あれっ、坂東先生」
目方医院の跡を離れた坂東医師に、偶然を装って四つ角で声をかけると、向こうはちょっと驚いて、
「やあ、真樹さんじゃありませんか。どうしてここに?」
やじ馬精神から現場を覗きに来た、とはさすがに言い出せず、ちょっと散歩に……と言葉を濁すと、坂東医師はそうでしたか、と疑いもせずに納得し、新聞、お読みになりましたか? と、医院の看板を指さして真樹へ尋ねた。
真樹が一通りのことを知っているのを伝えると、坂東医師はそっと耳元へ、
「また、奥の部屋から遺体が見つかりましてね。傘岡署に頼まれて遺体の検分に付き添ってたんですよ。ちょうど今日、担当の法医学教室の先生が非番で、近くにいる僕にお鉢が回ってきたわけです」
「ああ、なるほど……」
そのまま踵を返すと、真樹は坂東医師とともに、電停二つ先の坂東医院めざして、裏路地をゆっくり歩きだした。道中の話題は、むろん例の事件のことである。
「――こういうことは、本当は部外者に話してはいけないのですが、ちょっと理解に苦しむような状態が遺体にみうけられましてね」
キャメルをふかしながら、坂東医師は目をしばつかせ、現場で目の当たりにした遺体の特徴を真樹へと話し始めた。
「新聞でご覧になった通り、遺体は様々な年代、性別の人体の腕や足、胴の上下や頭部の寄せ集めでした。ただ妙なことに、その切り口には刃物の跡が見当たらないのです」
「刃物の跡が……?」
真樹は坂東医師の顔をのぞきこみ、言葉の真意を量ろうとした。
「医学の心得がある人間でもない限り、人体を解体しようとしたら、のこぎりやナタ、場合によっては出刃包丁なんかが使われるんですが、今回の遺体はどれも、そのいずれにも切れ口が該当しないのです。まるで、自然にスパッと切れてしまったようにきれいな切れ口で、腕から先が自然消滅してしまったような、そんな具合なのですよ」
「へえ、自然に……。そういえば、なんかの映画で、レーザーで人体を切るのがありましたね。ああいうのでもないんですか?」
真樹の質問に坂東医師は、今の技術じゃ、骨までは切れないんですよね、と、首をすぼめてみせる。
「初日に見つかった遺体も、同様の切り口だったそうでしてね。担当したベテランの検視官もひどく不思議がっていましたよ……」
「な、なるほどねえ」
真樹は頭の中に浮かんだ、坂東医師の経験が浅いために起こった判定ミスという可能性をもみ消し、やたらと咳ばらいをした。話をするうちに、電車通りから少し引っ込んだ坂東医院の門前につくと、真樹は坂東医師にすすめられ、中で一息つくこととなった。
「――今日は休診なので、看護師さんたちも出払っていましてね」
「いえいえ、お構いなく……」
書斎に隣接した、小洒落たホームバー付きの客間で瓶入りの烏龍茶を出してもらうと、真樹は丁寧に礼を述べてから、それをちびちびとなめ始めた。
「なんにせよ、この事件は面倒なことになりそうなのは確かですね。身元に結びつくような特徴を探すのが、通常の殺人より手間がかかりますからね……」
氷の入ったグラスの烏龍茶をひと息に飲み干すと、口元を拭いながら、坂東医師は珍しく自信のない、物憂げな顔を浮かべている。
「それにしても、犯人はどんなやつなんでしょうねえ。特定の年代や性別の人間を狙うならいざ知らず、まぜこぜに人を殺めるなんて……」
二本目の烏龍茶を、瓶にストローを刺して飲んでいた真樹が、ストローから口を離してつぶやく。すると、キャメルに火を点けようとしていた坂東医師は手を止めて、
「――僕もそれが非常に気にかかっているんですよ。というのも、さっき話した遺体には、もう一つ特徴がありましてね……」
「もう一つ……?」
坂東医師の吹いた煙の中に顔をうずめるように、真樹は彼の前に身を乗り出す。
「普通、ああいうバラバラ遺体というのは切り欠きの入れやすい腕や足の関節へ刃を入れるもんなんですがね。どうしたわけか、門松みたいに斜めに切ってあったり、関節の少し上から切れているようなものが多かったんですよ。しかも、例の見事な切り口でしょう?」
「――となると、こりゃ並の人間の仕業じゃなさそうですね」
前かがみになったままストローで烏龍茶をすすると、腰に限界が来たのか、真樹はソファへ戻り、むずがゆそうに背中を背もたれに押し付けた。
「あくまでも仮説の域を出ませんが、並みの発想の人間ならあんなことはしません。いわゆる異常者の仕業だとすると――」
「――なるほど、そいつは大変だ。常識が通じないとなれば、ますます凶行を重ねかねませんからね」
そう真樹が返すと、坂東医師はその通り、と言いたげに首を縦に振り、キャメルをふかす。
「――まあ、そのうち警察の名刑事が、快刀乱麻に解決してくれるでしょうよ。しばし我々は、その様子見ということに徹しましょ……」
「警察官でもない我々は、嫌でもそうせざるを得ませんからね」
そろって深いため息をつくと、二人はしばらく、客間のソファに身を預けて、窓からの日差しを物憂げに浴びているのだった。