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梔子色の古神  作者: ウチダ勝晃
第一章 奇妙な死にざま
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奇妙な死に様 その一

 日本海側に広がる小都市・N県の傘岡市に住んでいる人間で、古本屋に通う習慣がありながら「真珠堂」の名前を知らない者がいるとしたら、それはおそらくモグリの古書マニアといって差支えがないだろう。傘岡駅の南側、新幹線の高架下に広がる商店の一つ、一階の三分の二以上が本棚で占領されている古書店「真珠堂」は、漫画の単行本から文学全集、新書や文庫、そして古雑誌や新聞、さらに明治、大正、昭和、あるいはそれよりもっと以前に出た古今東西の稀覯本が揃う、言ってしまえば「ないものはない」、傘岡に住む古書マニアにとってはメッカのような場所なのである。

 が、この頃は大手の古本ショップやインターネットオークションの台頭で一般的な古本を求める層は薄く、もっぱら自前の通販サイトを通して、全国津々浦々にちらばるマニア相手に高価な本を取引しているのが、「真珠堂」の経営実態であった。

「――絶対、店舗を置く方が不経済なんだよなあ」

「またその話ですか、店長」

 帳場の奥にある六畳と三畳の継ぎの間の片方、台所に面した六畳敷きの部屋でちゃぶ台を囲みながら、「真珠堂」の若き店主・真樹啓介(まきけいすけ)はアルバイトの女子大生・陰山蛍(かげやまほたる)の買ってきた焼き鳥をかじり、熱い麦茶をすすりながら愚痴をこぼしていた。大学院を出てからまだ二、三年しか経っていない二十代の青年に似合わぬ、重いため息をつく真樹に、蛍は幸せが逃げますよ、と注意する。

「――蛍ちゃん、君が一番よくわかってると思うが、この一週間の間でこの店に実際に来た客は何人だった?」

 甘いたれの絡んだつくねをかじっていた真樹が呟くと、蛍は皿の上に食べさしを預け、

「ええっと……五人でしたね」

 指折り数える蛍に、真樹は違う違う、とつくねの串を振り、四人だよ、と付け加える。

「焼き鳥目当てにやってくる出来の悪い甥っ子は客の数のうちに含まれないんだ。わかったかな?」

 姉の息子で、ちょくちょく蛍の買ってくる焼き鳥目当てに現れる中学生の甥っ子を思い出して不機嫌そうな顔を覗かせると、蛍は首をすくめて、

「ごめんなさい、うっかりしてました。――四人かあ、また一段と少ないですねぇ」

 もそもそと砂肝をかじる蛍に、真樹は湯飲みの麦茶を含んでから、

「なんせ、漫画や小説はこんなところより、チェーンの古本屋にでも行った方が品ぞろえがいいからなあ。参考書もあるから、ライトな層はああいうとこのほうが取っつきやすいんだろうさ。まあ、ああいうとこじゃ扱わないような稀覯本がうちの専門になりつつあるけど……」

「それもこの頃は、ネット通販ばっかりですもんねぇ」

 荷造りはかなり覚えました、と蛍が付け加えると、真樹はその顔をちらりと覗き込んでから、

「店舗営業をやめて、オンラインだけに絞った方が儲かるんだが……それはなんとなく、本と接する機会を世間の人から奪うような気がして、気が引けるんだよなあ」

「店長、悩みはつきませんねえ――」

 話を聞きながら平らげた焼き鳥の串を、店の印が入った紙包みで包むと、蛍はごちそうさまでした、と手を合わせ、台所のくず箱へ食べ殻を捨て、お茶の入ったやかんと鍋敷きを持ってちゃぶ台へと戻ってきた。

「あんまりうじうじしてると、せっかくの二枚目が台無しになりますよ」

 湯飲みに麦茶を注ぎながら、蛍は真樹の渋面をたしなめたが、とうの真樹は二枚目ねえ、と前おいてから、

「――その、神ナントカいう声優さんに似てるというから、気になって本人の写真をみたんだが、どう見ても向こうのほうが二枚目だろう。似てるとか言うやつ、一度眼科に行った方がいいんじゃないか?」

「神ナントカじゃなくて、神谷浩史さんですよ。すごい人気なんですよ、いろんなアニメや洋画の吹き替えに出てて……」

 話を聞き終わらぬうちに、真樹は湯飲みをひったくり、やけどなどお構いなしに茶を飲み干した。

「それはどうでもいいんだよ。問題なのは、そのうわさを聞きつけてキャーキャー言いに来るだけの妙なやつらが増えたせいで、ほかの客が遠のいてしまったところだっ」

「あの黄色い声は一円にもなりませんでしたね……南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」

 近くの学校が放課になり、外を何人か学生が通り過ぎてゆくのを、蛍は麦茶をすすり、ぼうっと眺めている。

「――蛍ちゃん、今日はそろそろ仕舞いにするよ。バイト代はいつも通り、予定の時間までの分で渡しとくから」

「わかりました。じゃ、そろそろ帰りますねぇ」

 店の名前をすりこんであったエプロンをほどくと、蛍は三畳間の隅に置いてあった自分のリュックサックを引き上げ、裏口の方から出る支度を始めた。

「じゃあ、次の月曜日は、荷造りのほうなんかを頼むよ」

「了解です。あ、それじゃあ――」

 腰を下ろして靴ひもをゆわえていた蛍の言葉に、なんだい、と顔を下げた真樹は、いきなり襟元をつかまれて、

「――早く、先のこともしてくださいよね、啓介さん」

 と、蛍に耳元でささやかれてから自分の口元へ柔らかい唇をそっとあてられた。

「――こいつめ」

 とっさに離れた真樹は、熱気の残る口元へ手をあてながら、アルバイトにして年下の交際相手である蛍の顔をにらむ。年上好きの蛍の猛烈なアタックに負けて付き合いだしたものの、いわゆる草食系の真樹には、キスより先――というよりはキス一つするだけでもかなりの大イベントなのだった。

「今度、どっか一緒に行きましょ。じゃあ……」

 そして、裏口の方に止めてあった自転車にまたがると、蛍はそのまま、通りの方へUターンをして、通りの雑踏の中へ消えてしまった。

「――この頃の女子大生は進んでるんだなあ」

 裏口を閉め、表の戸に「本日閉店」の看板を掛けて店の二階、東西の壁が全て本棚で埋まっている書斎へ引っ込むと、真樹は北向きの窓を開けはなち、文机の電気スタンドをつけてから、その上に放り出してあった「聊斎志異」の栞を抜き取り、続きを読み始めた。

 四、五編ばかり読み進んだころ、部屋の隅に放り出してあるコードレスが鳴り出したので、興をそがれていらつきながら真樹は発信元を見たが、それが懇意の出版社だと知れると、すぐさま本を投げ、電話に出た。

 電話の相手は東京にある「民俗研究」という学術専門誌を出している出版社で、去年の一年間に真樹が連載した記事をまとめた本に重版がかかった、というものだった。真樹啓介という男は、古本屋を営む傍ら、N地方独特の信仰や心霊、怪奇譚などを中心に採取・研究している、いわゆる在野の民俗学研究者であり、一部では非常に名の知れた存在であった。

「――いや、これもひとえにみなさんのご指導のおかげです。――はい、はい……ああ、なるほど、夏の増刊に……。わかりました、やってみましょう。それじゃ、詳しいことはまた後日……では」

 電話を切ると、真樹は口元に微笑みを浮かべ、文机の上のブックエンドに立ててあった革張りのスケジュール帳へ執筆の予定を書き入れてから、約束のある午後の七時まで、再び「聊斎志異」の世界へと没頭するのだった。


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