瞬きし赤雷 これぞ纏雷
お待たせしてしまって大変申し訳ありませんでした。
闇夜に沈む深い森。月の光は煌々と森を照らし、されど木々の底には届かない。
暗い暗い闇の中。静寂を貫く森の一点で、真っ赤な稲妻が瞬いた。
「グウゥゥッ!!?」
「邪魔だ、離せ」
「ギ、ア゛アァァァアァァァァッ!!!!」
聞くに耐えない絶叫。血飛沫が舞い、ウェアウルフは激痛に耐えかねフラフラと後退する。
何が起きたのか? 答えは単純にして明快。
彼の体を赤い稲妻が走り抜けた刹那、銃骨格の両手が自身を押さえ付けているウェアウルフの手の指を掴む。そしてそのまま、まるで扉をこじ開けるように真っ二つに引き裂いたのだ。
降りかかる血を一身に受け、幽鬼の如くゆらりと立ち上がる彼。身体中を走る赤い線の光はいつも以上に激しさを増し、バチバチと身に纏うは赤き稲妻。
全身の装甲がスライドして開き、銃骨格の風貌を一変させる。胴体、両腕、両脚、そして口元。機械の牙がギラりと光った。
『モード纏雷、正常に稼働中。出力を30%に維持』
ゼロの声を何処か遠くに感じながら、彼は視界に映る情報の数々に目を走らせる。
銃骨格固有決戦兵装纏雷。
その効果は単純で、戦闘能力の爆発的な向上。あらゆる銃骨格用兵器に赤雷を付与し、その性能を引き伸ばす。
それは銃骨格本体も対象であり、その向上性能はウェアウルフの腕を容易く引き裂いた事で実感できた。
「敗北はありえない、か。なるほど、言うだけの事はある」
『纏雷の発動時間には限りがあります。早急に目標の殲滅を』
視界の端に映し出さるカウントダウン。残り3分46秒。
「そういう事は事前に言っておけ」
思っていたよりも短い制限時間。たったこれだけの時間で、あれだけ苦戦を強いられたウェアウルフを何とかできるのか?
確証は無い。それでも今の彼の中に、不思議と負けの2文字は浮かばなかった。
軽く地を蹴る。たったそれだけの事で距離は縮まった。知覚すらままならない瞬足、気付けば懐に潜り込んできていた彼を前に、ウェアウルフが3本の腕を一斉に振るう。
「(何だ? 酷く遅いな)」
さっきまでとは比べ物にならない程に遅く感じる相手の挙動。怪訝に思いながら、迫る脅威を打ち払わんと彼が右手を振るった。
彼からすれば纒わり付く羽虫を払うような、そんな緩やかな一撃。しかし実際は、ウェアウルフの腕を3本まとめて吹き飛ばす神速の拳だ。
「〜〜っっ!!!!??」
声にならない叫び。これで残る腕は右側の2本のみ。
残り時間およそ3分。
「ふんっ!」
よろめくウェアウルフへ間髪入れずに追撃。再びぬるりと懐へ飛び込み、今度は上半身を捻り上げて放つ右ストレート。
避ける事も叶わず、認識すら出来ないまま、ウェアウルフはただ黙ってその拳を腹で受けるしかなかった。
彼による先の猛攻で傷一つ付かなかった体を衝撃が走り抜ける。皮膚は弾け飛び、あれだけ異物の侵入を拒んでいた強靭な筋肉は、いとも簡単に彼の拳を受け入れた。
拳がめり込み、次いで赤雷が駆け抜ける。バチリと大きく光った瞬間、無数の稲妻がウェアウルフの胴体を貫いた。
腹に風穴を空けられ、喉奥から込み上げる赤い鮮血をそのままぶちまける。
形勢は完全に逆転した。
『妥協は許しません』
「分かっている」
腕が生えてきたのだ。また想像のつかない展開になる可能性は十分に考えられる。だからこそ即座に追撃。
腹の傷により下がってきた頭めがけて、慈悲の欠片もないハイキックが繰り出された。
直撃の瞬間、大怪我を負いながらも何とか反応できたウェアウルフが、渾身の力を込めた腕を使いガードを固める。
それでも、尚。
「グギアァァァァッ!!!」
彼の蹴りは容易くウェアウルフの腕をへし折り、そのままちぎり飛ばした。その衝撃は凄まじい。
巨体は吹き飛ばされ、森の中へ。それを追い掛けて彼が駆け出す。
「ア゛ァァァッ!!!」
あっという間に残り1本となった手で受身を取り、体勢を立て直す。近場に生えていた大木を根元から噛み砕いてへし折ると、爪を食い込ませて振りかぶり、迫る彼に向けて全力の投擲。直撃コースだ。
しかし止まらない。
防御も回避もせず、彼はただ頭から飛来する大木へ突っ込み、それを粉砕。速度は更に増して、そのままウェアウルフの胴体へ体当たりが炸裂した。
たまらず仰向けに倒れ込むウェアウルフ。
もう過ちは犯さんと、彼が残りの腕を踏み砕いて抵抗手段を絶つ。
残り時間1分19秒。
纏雷状態が解かれるまで間もなくだ。
故に余計な攻撃は控え、確実に致命的な一撃を。彼の判断は早かった。
ウェアウルフの上で馬乗りとなり、首をがっちりと固定して躊躇いや溜めすら無しの拳が振り下ろされる。
回避は不可能。再び腕が生えてきても今の状態なら対処は容易。
彼とゼロは勝利を。そしてウェアウルフは自身の死を、確信した。
地面が大きく揺れる衝撃。今まで打ち据えてきたどの拳よりも重い一撃が大地を砕いた。
見事なクレーターが出来上がり、その中心でよろよろと立ち上がった彼が呆然とウェアウルフを……いや、地面を眺める。
――そこに、ウェアウルフの姿はなかった。
間違いなく頭を粉砕する一撃だった筈だ。抵抗も出来ない、逃げる事も不可能。そんな状態で、あの巨体が忽然と姿をくらました。
「索敵っ!!!」
ハッとした彼がゼロへと指示を飛ばす。即座に銃骨格が最大範囲で辺りをスキャンする。動物、虫、果ては草木すら余すことなく。地中も上空も全てを視た。
しかしどれだけ探しても、彼の視界にそれらしい反応が映り込む事はなかった。
一体どんな手品を使った? 今度は何をした?
思考する最中でも、タイムリミットは無慈悲に刻一刻と迫る。
残り時間26秒。
やがて、彼の体がガクリと落ちていく。
纏っていた赤雷も静かに失せる。赤い光が収まる頃には彼が力無く片膝をつき、同時に銃骨格のあらゆる装甲部分からオレンジ色に輝く放熱版が飛び出した。
『使用限界に達しました。|纏雷『てんらい』解除。銃骨格内部装甲及びシステムオーバーヒート。冷却の為数十分間は行動不可となります』
行動不可。なるほど確かに、どれだけ力を込めようと体は動かない。かろうじて指が動く程度だ。
索敵システムが死んでいないだけまだマシと言えるだろうか。
「冷却の終了時間は」
『最低でも20分を要します』
「たった4分程度の使用でそこまで行動を制限されるのか」
『纏雷は銃骨格にとって切り札の一つ。強力無比な戦闘能力を得られます。
しかし元来強すぎる力には代償が伴うもの。それは銃骨格とて例外ではありません。責めるなら時間内に仕留めきれなかった自分を責めてください』
「制限時間があると事前に言わなかったお前にも非はあると……いや、やめよう。この状況で言い争うのは不毛だ」
『……肯定します』
「奴は見つからないのか?」
『現在、最大距離まで索敵中。目標は発見出来ていません』
「解せんな。奴の素早さは身に染みて理解したが、だからといって瞬時に探知外へ逃げおおせるなど不可能だ」
拳が当たる瞬間。まさしく刹那と呼ぶに相応しい速度でウェアウルフは消えた。
瞬間移動? ……一瞬でもそんな馬鹿げた事を考え、有り得ないと独りごちる。そうして思考の海に潜り続けていても、未だ目標の反応は見つからない。
『こちらが動けないにも関わらず目標に動きは無し。逃亡したと考えるのが自然でしょう』
「その逃亡方法について頭を悩ませている訳だが?」
『私に分からない事を貴方がどれだけ考えても無駄です。それよりもこちらの被害報告をします』
ゼロが冷たく言い放つと、彼の視界に銃骨格の現状態が映し出された。
装甲及びシステム面に致命的な破損は無し。傷を付けられた装甲は自己修復可能。残りエネルギー量43%。
それらをザッと読んだ彼が怪訝に思う。
「自己修復?」
『銃骨格にはエネルギーを消費して破損部位を修復する機能が備わっています。
そこに腕や脚の欠損、致命的な損壊等は含まれませんが、今回の戦闘で受けた程度の傷ならば、時間をかけての修復は十分行えます』
「……それで、お前が私に話していなかった情報は今ので全てか?」
『否定します。情報の開示は来るべき時、私の判断で貴方に伝えます』
「まったく、秘密主義にも程があるな。
エネルギーを消費して自己修復をするのは理解した。では肝心のエネルギーが切れた場合はどうするつもりだ? 銃骨格のエネルギー補給など、この環境では絶望的な事くらいは私にも予想がつくぞ」
亜人の集落で見た敵の武装、亜人達の生活環境、服装。逃げる為の移動手段は馬車。闇を照らす手段はランプの光。
ここまでの道のりに高度な文明が介入したような建造物も、それらしき痕跡も見受けられなかった。
未知の知識はあれど明らかに技術が遅れている世界。その中で銃骨格の存在はあまりに異質だ。
実際、ミヤ達が銃の存在を知らなかったのが良い証拠だろう。
この世界には銃が存在しない。或いは普及していない。おそらくそれは正しい。
だからこそおかしいのだ。銃骨格という存在が。
銃すら作れない世界に、彼が存在する筈がない。なのに彼は此処に居る。
オーバーテクノロジーの塊が、何故こんな世界に存在している? 誰が造った? 或いは本当に神なのか?
「これだけの機能を持つ銃骨格に補給する手立てなど限られている。相応の施設が必要になってくるのは想像に難くない。
だが、これまでの経験から既に察した。この世界にそんな物は存在していないと……違うか?」
『思っていたよりも頭は回るようですね。その質問には肯定で返しましょう』
「となると、ますます気になるな。私をミヤ・シャーリウス達に託したという女の存在。どうにかして情報を得られないものか」
その女ならば確実に彼が何者であるのか知っている筈。既に死んでいようとも、それに連なる者に話を聞ければ……。
「ふむ、話を戻そう。端的に聞くが、技術の追い付いていないここで補給するにはどうすればいい?」
『本来、銃骨格のエネルギー補給には専用の補給施設が必要です。この環境下での補給は、貴方の言う通り絶望的と言わざるを得ません。
しかし第7世代銃骨格97号機纏雷は、その弱点とも言える部分を克服しています』
「ほう?」
『あらゆる生物と同じく、食物を摂取する事によって内部でエネルギーへと自動変換されます。栄養価の高い物を摂取すれば、それだけ多くのエネルギーの確保が可能。
生身ではないので、毒物であろうと摂取は可能です。つまり、こういった自然豊かな場所でのエネルギー枯渇はまず有り得ないでしょう』
「経口摂取、という事か」
そういえばと彼が思う。
現在進行形で口元の装甲が開いて口らしき物が出ているな、と。
『逆を言えば食物が無ければ補給は不可能です。また、エネルギーとは違い弾薬等は消耗品である為、如何なる場合においても補給は不可能と理解してください』
「なっ」
サラリととんでもない事実を言ってのけるゼロに、彼が思わず動揺してしまう。
「おい、弾は有限なのか?」
『当たり前です。まさか、どこからともなく無限に湧いて出るなど、そんな甘っちょろい考えでいた訳ではありませんよね?』
「そんなおめでたい思考回路はしていないつもりだが……そういう事は事前に言っておけと」
幸いにもウェアウルフ戦で銃は使用しなかった。
しかし亜人の集落ではかなりの弾薬を消費したと記憶している。地下で機銃を使った時など、数えるのも馬鹿らしい量の弾を撃った。
ふとそこで彼が思い出す。
「機銃……そういえば私は機銃を回収したか?」
『いいえ、集落に置いたままです』
「……」
やってしまった。盛大に頭を抱えたい衝動に駆られるも、今は体が動かない。仕方なくため息だけに留めた。
あそこに置き去りにしておけば、最悪人間に見つかって利用される恐れがある。そうなってしまうと銃というアドバンテージが意味を成さなくなる。
『人間に使用される恐れがあると考えているのなら、それは杞憂です』
「なに? どういう事だ?」
『亜人達に渡した銃然り、銃骨格の武装は此方の許可なく使用する事は出来ない事に加え、貴方への発砲は不可能です』
「……では、機銃を回収分解されて一から新たな物を作られてしまった場合は?」
『それも有り得ません。此方の武装は貴方と亜人以外が使おうとした時点で目標を敵と認識し、自動的に自爆します』
「銃を奪われて戦力の拡大という最悪の事態は起こり得ない、か。」
心配事の1つは消えた。
とは言え、やはり弾薬に限りがあるというのは相当な痛手だ。ゼロの言い方から察するに、弾薬に限らず大半の武装は消耗品と考えていた方がいいだろう。
これで考え無しに使用し人間を圧倒、蹂躙するのは難しくなった。使い所を見極めねば。
「ふむ、弾薬か。銃を作り変えたように銃骨格内での量産は出来ないのか?」
『銃骨格の武装に使用される多くの弾丸は特別性です。銃その物に使用されている素材とは全く違う物で造られているため、銃を分解して弾丸を造ったところで撃ち出す力に耐え切れないでしょう』
「本当に補給は不可能、という訳だな」
『よほど無駄撃ちをしなければ弾切れの心配はありませんが、貴方は戦えば戦うほど消耗していくという事を忘れないでください』
「……了解した」
数はあれど弾は消耗するばかり。
食物が無い環境では何れ訪れるエネルギー切れ。
そして、部位欠損すれば自己修復も意味を成さない。
使いどころを誤れば自身を殺しかねない切り札。
破格の性能を誇る銃骨格も、こうして考えてみるとそれなりにハンデを背負っている事になる。
ゼロの言う通り、彼は戦った分だけ消耗し弱くなる。経験を積んで成長し続ける生身の体と同じとはいかないらしい。
『冷却完了まで残り10分』
「こういう時、時間の流れとは遅いものだな」
まだ時間があるならば、それまで聞けるだけの情報をゼロから引き出したいところだ。
銃骨格についてはある程度理解した。次はやはり、この世界についての情報。ゼロがどこまで知り得ているのか、そして何を知っているのか。
返答を期待できなくとも聞く価値はある。
「ゼロ、単刀直入に聞こう。お前は――」
『警告。索敵範囲内に新たな反応を検知。こちらへ高速で近付いてきています』
「っ!? 奴か!」
突然の報せ。場の空気は一気に張り詰めた。
反射ですぐさま警戒体勢へ移行しようとして、動けない事を思い出し彼が焦る。このままでは一方的にやられてしまう。
何とか動かせないものかと悪戦苦闘する彼に、不意にゼロから思いがけない言葉が投げかけられた。
『標的ではありません。この反応は獣人です。他、動物と思われる反応が多数』
「獣人だと? 方角は?」
『亜人達が待機している方角です。状況的に見てウルカ、またはエルディオのどちらかかと』
「何かあったと考えるべきか。まさか、奴がミヤ・シャーリウス達に気付いて襲撃を?
だとしたら解せん。ミヤ・シャーリウスには不測の事態に陥った場合に使用しろと照明弾を渡した筈。何かあったなら、何故それを使わない?」
『間もなく合流します』
考えを巡らせている間に、木々の間から影が飛び出してくる。それは速度を落とす事無く彼の正面まで駆け寄って来た。
ゼロの予想通り、そこに居たのはウルカだった。
「おい! 大丈夫か! 何があった!? ウェアウルフは何処にいる!?」
「取り逃した。索敵範囲内に反応は無いが警戒を怠るな。相当にダメージを与えたとは言え奴はお前達が思っている以上に強い」
「馬鹿な……変異体だからって所詮はウェアウルフだぞ? 私と渡り合う貴様が追い込まれるなど考えられない」
「事実私はこのザマだ。それに奴はお前達から聞いていた情報とあまりに違い過ぎた」
言い終えると、イラつきを隠そうともしないでウルカが大きく舌打ちする。
「勘は的中か。実はこっちでも色々あってな、やはり一連の出来事が偶然とは思えない。これは仕組まれてる」
「そうか……お前はどうしてここへ来た」
「言っただろ。色々あったんだ。こっちも動けない状況に追い込まれてたんだが、ついさっきそれが解決してな。
ミヤの指示で貴様の加勢に来たという訳だ」
「ミヤ・シャーリウスは無事か?」
「でなきゃ加勢になんて来てない。ほら、立てるか?」
周りへ目配せした後、ウルカが彼に寄り添ってその体を支えようと指で触れた。瞬間、弾かれるように手を引っ込め、反射的にその指を自分の口の中へ突っ込んだ。
「あっつ!! き、貴様どうしたんだ!? 尋常じゃない熱さだぞ……!」
『とある理由で現在銃骨格は一時的な冷却状態にあります。不用意に触れると火傷を負うので気を付けてください』
「先に言え!」
ウルカの文句に「まったくだ」と内心で激しく同調する彼。決して口には出さない。
「ったく。そのれーきゃくというのはどれくらいで終わる?」
『残り7分。それまでは行動不能です』
「その間にウェアウルフが戻ってきたらどうする気だ? 貴様をここまで追い詰める奴を相手に、庇いながら戦うなんてごめんだぞ」
『標的は既に逃亡したものと考えています。討伐には至りませんでしたが、脅威は去ったかと』
「逃げただと? ……本当にタイミングが良すぎる」
「どういう意味だ」
彼の問いにウルカは俯いて考え込む。
顔を上げると再び辺りを見渡し、視線の先、森の奥を走り抜けていく草食動物の姿を捉えた後、ようやく口を開いた。
それから語られたのは、彼がウェアウルフと戦う最中でウルカ達に起きていた異常事態。
数え切れない視線に晒されていた事。その正体が動物であったこと。そして、ウルカの殺気に当てられても微動だにしなかった動物達が、つい先程一斉に蜘蛛の子を散らすように逃げた事。
尋常ではない出来事に、彼を心配してミヤがウルカを寄越した事。
「なるほど。聞いた限りでは、こちらの戦闘が終わったと同時に視線から解放されたと取れるな。確かにタイミングが良すぎる」
「ああ。こっちの異常とウェアウルフ、無関係とは思えない。何にしても1番の懸念事項だったウェアウルフは何とかなったんだ。動けるようになったらすぐに戻るぞ」
「了解した」
「……」
「……」
「なぁ」
「ん?」
「貴様、口あったんだな」
「ふむ……そうらしい」
――――……。
彼とウルカの居る森から遥か遠くにそびえ立つ1本の大木。
周辺の住人からは、お化け大樹と呼ばれ恐れられている巨大な木の根元に、身体中から血を流し倒れる巨躯の姿があった。
砕かれはしても、かろうじて死守した残り1本の腕で上体を起こし、巨大な体を支えても余りある大木の肌に背を預けた。
月明かりに照らされ、苦しげに呼吸を続ける存在。それはまさしく先程まで彼と激闘を繰り広げていたウェアウルフだ。
今にも閉じられそうな瞳は真っ直ぐに前を見つめ、その視線の先には宙に浮かぶ1本の純白な杖。
埋め込まれた赤い宝石が一際目を引く白い杖の持ち手には、琥珀色に輝く瞳を持ったカラスが1羽。同じくウェアウルフを見つめ返していた。
何とも不思議な光景の中、沈黙を破ったのはウェアウルフ。
「申し訳ありません。無様な姿を晒してしまいました」
驚く事に、ウェアウルフが紡いだのは彼と対峙していた時の唸り声や雄叫びとはまるで違う、しっかりとした言葉だった。
そしてその言葉を向けられているのは他でもない。軽く薙ぎ払えば容易く散りそうなまでに儚く小さいカラスである。
このカラス。かつてエルディオが感じていた視線の正体ではあるが、それを指摘する者はここには居ない。
「構わないさ。お前がそこまでやられるのは想定外だったけど、当初の目的は達成できたからな。
傷の方は大丈夫か? 特にその腹の風穴。帰ったらポーション作ってやるから、それまで何とか耐えろよ?」
「ありがとうございます。ですが、貴重なポーションを私ごときの為に使用されるのは如何なものかと愚考いたします。
この程度であれば3日もあれば完治しますので」
「キヒヒヒ、相変わらずタフだねぇ。ま、そう改造したのは他でもないアタシ様なんだけどなー」
カラスの体が光を発し、それがおさまるとカラスの姿は何処にも無く、代わりに杖の上には黒色のカラスとは対称的な1人の白い少女が足を組んで座っていた。
肩にかけるだけに留めた純白のローブ。上半身は大胆にも下着1枚のみであり、肌の露出が激しい。
下は白い短パン。だらしない性格なのかボタンすら止めず、白いパンツがチラチラと見えており、足元は素足にサンダル。
一際目を引く大きなとんがり帽子。所々に赤い刺繍が入っている以外は他と同じで真っ白だ。
帽子を脱ぎ、器用に指でクルクルと弄び始める少女。帽子の下から現れた顔は、美少女と呼ばれる類のものであるのは間違いない。しかし何処か狂気じみたものを孕んでいた。
長い髪の毛も、細い眉毛も、まつ毛すら、全てが白で統一された小さな女の子。純白の中で光る琥珀色の瞳が酷く印象的であった。
「にしても驚かされた。お前、アタシ様の使い魔の中でも相当にパワーのある部類だったよなー? タフさも鬼強化した筈だし。
それをここまでボコボコにするとは……んん〜! 素晴らしい! 感動したぞ銃骨格!!!」
「初めのうちはラウラ様が一目置くほどの存在とはとても思えなかったのですが、私が愚かでした。
完全に実力を見誤り、この失態です」
「そうなー、お前にいいように転がされてるからアタシ様もおかしいとは思ってたよ。
でも、まぁ? 結果的に想像以上のものが見れたじゃーん? あの赤い雷! 間近で見てどう感じた? ん? ん?」
「理解が追いつきませんでした。気づけば腕は潰されていましたし……驚くべきは知覚すら許さぬ速度に、ラウラ様に強化された肉体を容易く打ち破る破壊力。
底が知れません。奴にはまだ何かあるかと」
「おっほー! あれでまだ本気じゃないと? んま、そこには同感だ。
実際、アタシ様が見た妙な武器は使っていなかったし……んー、何で使わなかった? あーいや待て、たぶんこうだ。無闇に使える物ではない或いは! 何かを警戒していたか……人間かな?
いらない心配してたんだなー。あそこ一帯ぜーんぶ丸ごと障壁で囲んでたから音すら漏れなかったってのに」
「恐れながら、それとなく伝えねば理解はできなかったかと」
「キッヒヒー! そりゃーそうか! 内緒で張ったんだから気付かないのは当たり前ってかー! キヒヒヒヒヒ!!」
楽しそうに笑いながら、少女が杖の上に立ってクルクルと回り出す。
「亜人達に妙な動きは無かったのですか?」
「あーん? おっとなしいもんだよ。世界最弱種族になっちゃったせいか、警戒心バカ高。だから監視の目を置くだけでその場から動かなくなっちゃったよ。
ま、そのおかげで邪魔は入らずじっくり観察できたからアタシ様は大満足じゃ! キーッヒヒヒヒヒヒ!!」
「目的が達成できたのなら何よりです。……それで、ラウラ様の評価はいかほどなのでしょうか?」
ウェアウルフに問われ、回っていたラウラがピタリと止まる。とんがり帽子を被り直すと、遥か先の地平線へ視線を移し、口角をめいっぱい上げて満面の笑みを浮かべた。
爛々と輝く瞳は間違いなく、遥か先に居るであろう彼を見つめていた。事実、ラウラの視界には彼とウルカの姿が鮮明に映し出されている。
見えているのだ、この距離で。
「申し分ない。いや、それどころか大当たりも大当たりの超激レア個体」
「それほどまでですか。ラウラ様がそこまで評価する所は初めて拝見しました」
「だろうな、たぶんアタシ様も今までで1番興奮してる。それだけアイツは強い。少なくとも五大騎士並の力はあるだろうさ。
キヒッ、体ん中に転移魔法が込められた魔道具埋め込んどいて正解だったなー? あのまま戦ってたら、確実に頭パッカーンだったよ? お前」
「逃げる選択をしてしまった自分を情けなく思います」
「バッカテメー! 死んだらアタシ様が泣くだろうが! 死んでも生きろバカタレ!」
「……ふ、申し訳ありません。失言でした。
してラウラ様、今後のご予定は?」
「変わらんよ。銃骨格の観察を続ける。最終目的は隙あらば、だ」
「承知」
「うむうむ。まーその前にだ!」
満足気に頷くと、不意にラウラがピョンと杖から飛び降り、どこからともなく緑色の液体が入った瓶を取り出す。
それを見たウェアウルフが目を真ん丸にして驚くも、そんな反応なんぞ知ったことかとラウラは瓶の蓋を取ってウェアウルフへ差し出した。
「ほれ飲め。万が一に持ってきたポーションだ」
「な、なりませんっ。それはラウラ様の――」
「うっせわん公! アタシ様の使い魔想いを舐めんなー! いいから飲め! それともお化け大樹にぶちまけて更にでっかくしてやろうかー!」
「……まったく、貴女という人は。分かりました、有難く頂戴します」
「おうよ、それでこそアタシ様の家族だ。
奴の観察には代わりの者を連れてくから、お前は拠点で傷癒して来い。いいな?」
「はっ、承知しました」
ウェアウルフが受け取ったポーションを一気に飲み干すと、小さな傷は瞬く間に癒えていく。
「では、一度戻ります。奴は侮れない相手です、どうかお気をつけて。転移」
ラウラに対して一言残し、ウェアウルフの姿は忽然と消えた。その場で1人となったラウラが身を翻し、再び杖の上へ戻る。
暫くボーッと地平線を眺めた後、被っていた帽子の中へ手を突っ込んで何かを取り出した。
それを指でつまみ、月明かりに照らす。
鈍い光を放つそれは、彼の銃から零れ落ちた空薬莢に他ならない。
「礼を言うよ銃骨格。おかげで興味深い物の回収も出来たし、オマケに大量の人間まで手に入った。いい材料になるよこれ」
空薬莢を指で弾いて宙に舞い上がらせ、人差し指を空薬莢へ向けてクルリと一回転。すると空薬莢は小さな玉へと圧縮され、ラウラの手の中へ。
「未知の金属。ゾクゾクするね。キヒッ、キヒヒヒヒッ。
ああ〜!! ちょ〜〜〜〜欲しい!!!! 銃骨格!! 絶対! ぜぇぇったいアタシ様が! お前を手に入れるから!!!
アタシ様はしつこいぞー!!! かーくーごーしってろ〜!! キーッヒヒヒヒヒヒッ!!!」
その夜、お化け大樹から不気味な笑い声が聞こえると噂になったとかならなかったとか。
感想等お待ちしております。




