祈りよ届け
初めまして。
初の小説投稿となりますが、お手柔らかにお願いします。
暗闇の中で声が聞こえた。
ハッキリと聞こえはしない。途切れ途切れで、掠れていて、耳を済ましても聞き取れそうにない、そんな声が。
何が言いたいんだろう? 何を伝えたいんだろう?
彼には分からない。だが、一つだけ分かるのは、その声がとても必死だった事。まるで……そう、命の危機に瀕した時のような、恥も外聞もかなぐり捨てた余裕の無い叫びにも似た声。
ああ、うるさい。静かにしてくれ。
彼は心の中でそう呟くも、その固く閉ざされていた瞼をゆっくりと開いていく。視界に飛び込んでくる眩しい光。鼻腔をくすぐる草木の香りに混じった、鉄の匂い。付け加えるなら酷く焦げ臭くもあった。
そして、開かれた目が光に慣れてくる頃、彼の視界いっぱいに映り込んできたのは血濡れの幼い少女。
「(……え?)」
思わず心中で間抜けな声を漏らす。
片目が潰れ、おびただしい量の血を頭から流した少女が、血と混じりあった赤い涙を流している。
その瞳に宿る光は今にも消え入りそうで、酷く儚い。少女は真っ直ぐに彼を見つめていた。助けを求めるように手を伸ばし、彼の体に触れると、小さく小さく呟いた。
「かみ……さま……」
かみさま……神様、と。言われた意味が分からずに、彼は呆然とするしかなかった。そんな彼の気を知らずに、少女はズルズルと自分の体を引きずって、彼の体へ頭を埋めた。
そこまで来て、彼はようやく気付く。少女の下半身、正確には少女の両足が存在していない事に。初めから無かったのではなく、明らかに切断された両足からは絶え間なく真っ赤な血が流れ出ている。
視線だけを動かし、前を見る。一体どれだけの距離をこの状態で移動してきたというのか。彼の視線の先には、石畳を汚す血の跡がどこまでも続いていた。
「ママと……パ…パが、言って……たんだ」
少女の声に再び視線を戻す。体は小刻みに震え、彼の体を掴んでいた手は、いつの間にかダラリと力無く下ろされていた。
両の手でこの少女を支えられたら、或いは抱き締めてあげられたならどれだけ良かっただろう? 思い虚しく、彼の腕はまるで石で出来ているかのように動かない。
いや、まるでどころか、彼の体はどう見ても人1人分程の石の塊でしかなかった。
唯一動かせる目だけが、少女をただただ見つめていた。石の塊でしかない彼が、どうして少女を見ることが出来るのかは、誰にも分からない。
「まい……にち。神様に……お祈りすれ……ば……いつだって、助けて……くれるっ……て」
「(神様……まさか私が? 何を馬鹿な……いや、そもそも……ワタシは何だ? 何で此処に居る? どうして、何も思い出せない? この子はいったい――)」
「みんなっ……を」
少女の言葉に、自らが何者であるのか分からない事を理解した彼は、深い思考の海へと沈んでいく。しかし彼の意識は、少女の嗚咽混じりな声にすぐに引き上げられる。
「守って……くれるんだっ、て。
だから、私……お祈り……したよ……? 神様、は……なにも、言ってくれ、ないけど……それでも、私……」
そこまで言うと、少女は激しく咳き込んだ。ドロリとした真っ赤な血が、少女の口からこぼれ落ちていく。
「ぁ……そっか…ぁ……そう、いえば……今日はまだ……お祈り、してないや」
悲しい微笑みだった。汗と涙と血でグシャグシャになった顔を、精一杯の笑みで彩る。痛いだろうに、ツラいだろうに。もう、休んでしまいたいだろうに。
「(……私は)」
その時、少女の体に影が落ちた。
気付いた彼がすぐに視線を上げた瞬間。
「あ゛ぅ……っ!?」
鋭い刃が少女の胸を刺し貫いた。
彼の視線は動かない。その目は、ただ只管に少女を手にかけた者へと注がれていた。
血に濡れた鎧を身に纏い、手には少女を貫いた両刃の剣。浮かべる笑みは少女の物とは違い、非道で醜く。愉悦に染まり切った、不快な男の顔。
人だ……人が、人を――。
「呆れた生命力だ。頭かち割られて両足も斬られた状態で、ここまで這いずって来たその根性だけは認めてやらんでもないぞ? 下等生物」
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる男。そんな男を見ても、彼の心が揺れる事は無かった。怒りの一つや二つ、そんな感情すら湧く事もなく、他人事のように男の言葉を聞き続ける。
「おーい! ニールの部隊が地下に避難して行った集団を見かけたらしいぞ! 早く行かねぇとお楽しみが取られちまう!」
「あー? ったく、クソニールの野郎……残りの連中と先に行ってろ! あと俺の分まで殺ったらぶち殺すって伝えておけ!」
「へいへい。お前も大概にしとけよー? 良い趣味してるよホント」
「だま、れっ!!」
「ゔぁぁ……っ!!!」
仲間の声か。背後から聞こえてきた声に苛立たしげに答えると、男は逸らしていた視線を再び少女へと戻すと同時に、その手に持つ剣を更に深々と突き立てた。
苦しげに声を漏らす少女の瞳からは止めどなく涙が溢れ、彼の体を濡らしていく。
「はははは!! まだ生きてるのか! ホント楽しみ甲斐があるよなぁ貴様ら亜人は!」
「(亜人?)」
聞き慣れない単語に内心で首を傾げる。
「次はどこがいい? 両腕を切り落とそうか? それとも頭か? 流石に頭を切り落とせば死ぬだろうが……もしかしたら生きてる可能性もあるしなぁ、試してみるかぁ? ああ、ああ! そうしよう!!」
「……て」
少女の体から勢いよく剣が引き抜かれ、大量の血飛沫か辺りへ飛び散った。男の顔も返り血で盛大に染まるが、しかしそれを楽しむように男の口元は三日月に歪んでいく。
「一気に行くか! いやジワジワと削いで行くか! あ〜迷うなぁ! なぁぁぁぁ!! 貴様はどっちがいい!?」
「……す……て」
デタラメに剣を振り回し、壊れる事など微塵も考えていない様子でガンガンと地面に打ち付ける男。その様子は、まさしく狂っていると言っていいだろう。
微かに聞こえる少女の声は、何を伝えてようとしているのか。いつしか男を見る事をやめ、彼は少女の言葉に耳を澄ませていた。
もう少しで、聞こえそうだ。
「そうだ! 剣の腹で押し潰すという方法もあるな! 新しい! 誰も試した事はないだろう! 胸が踊るよまったく! ははははははは!!!」
「たす……けて……神様っ!!」
それは少女の決死の叫び。最後の力を振り絞るように吐き出された、救いを求める悲痛の言葉。
狂いに狂った男の声が響く中、ついに彼は少女の声を確かに聞き届けた。
助けて。その一言を。
『守護対象の要請を受諾。システムチェック開始―――クリア。一部データに破損アリ――軽微。
起動シークエンス開始――完了。全システムオールグリーン。銃骨格起動します』
彼の頭の中で何者かが喋っている。高い声……女性だ。
それをどこかぼんやりと聞いていた彼だったが、その刹那、彼の中からとてつもない力の奔流が湧き上がってきた。
それは怒りだ。あれだけ少女が害されようとも動く事の無かった彼の感情が、激しく波打つ。ダムが決壊したように、流れ出てくる怒り、怒り、怒り……とてもではないが抑える事など不可能な激しい破壊衝動。
「残念! この世に神など存在しない! 精々踏ん張れゴミ虫がぁぁ!!」
振り上げた剣を、少女の頭目がけて振り下ろす男。次の瞬間には、少女の頭は切り落とされるのか、潰されるのか。
否、どちらも起こり得ない。
何の変哲も無かった石の塊の中から、突如として1本の腕が飛び出し、今にも少女を刈り取らんとしていた剣を鷲掴みにした。
「……は?」
あまりにも唐突過ぎる出来事に、男の口から間抜けな声が漏れる。無意識に剣を引こうとしてみるが、万力に固定されているかのようにビクともしなかった。
ふと、男が腕の生えた石の中から覗く何かを見る。赤い光……いや、激しく光る眼光が、男の目を真っ直ぐに見つめていた。
「な、なな……何がっ!?」
理解を超えた出来事に男が動揺の色を見せるが、そんなものは知らんとばかりに、彼――銃骨格が口を開く。
「さてな。私にも何が何だか分からないんだよ」
残った左手で自身を包む石を砕き、銃骨格が立ち上がる。その姿は、どう見ても人ではなく、まして獣でもなく。只管に無機質で、機械的な見た目をしていた。
2メートルはあろうかという大きさに加え、黒い装甲に走る無数の赤い線は、まるで脈動するようにドクドクと蠢いている。
「ゴーレム……!? しかも喋るゴーレムだと!?」
「喋る? ……あぁ、そういえば」
男に言われて、初めて自身が声を発する事が出来ていることに気づいた様子の彼は、少し考える素振りを見せる。が、それも一瞬の事。
直ぐに男へと意識を向け、底冷えするような低い声で言い放つ。
「まぁ、今はどうでもいい。
今私は、どうしようもなく怒っているらしいんだよ。何故なんだろうな?」
「し、知るかそんな事!
えぇい! 魔力集中……! 筋力増大!」
何か特別な力を有してでもいるのか、何事かを叫び終えると、男の両腕がキラリと光り、一回り大きく膨張する。
「これでっ……て、何で動かない!?」
今の行動を見るに、男が行ったのは自身の身体を強化する何かなのは明らかだろう。踏ん張って彼の手から剣を引っ剥がそうとしている行動が、それを物語っている。
しかし悲しいかな、どれだけ力を込めようとも掴まれた剣はピクリとも動かなかった。
「分からない事ばかりだ。知りたい事ばかりだ。……だが、一先ずそれは置いておこうと思う」
再び彼の中に声が響く。先程と変わらず、どこか機械的な女性の声だったが、一つだけ違う点があった。
『殲滅対象を確認。周囲をスキャン……複数の敵性生命体を確認。
武装検索――ヒット。ハンドガンを展開。一部リミッター解除。慈悲は不要と判断。皆殺しマス』
機械的だが、その言葉には明確な殺意が込められていた。