7.鹿のはく製
「七海さん、高校の話をした時にさ」
「うん」
ああああ。肝心なところじゃなくて、無難な方を聞いてしまう俺に内心頭を抱えた。
しかし、めげずに言葉を続ける。
「俺のこと高校三年生って知ってたの?」
あの時確か……
『俺は隣の県にある呉島高校ってところなんだ』
『へえ、最後の夏休みなのに受験とか大丈夫なのかな?』
そう、俺は一言も自分の学年のことを言っていないのに彼女は「最後の夏休み」って返してきたんだ。
「な、なんとなくそうかなあって。違ってたら九十九くんがすぐに『違うよ』って言うかと思って」
「そ、そうなんだ」
「う、うん。同じ学年だったら嬉しいなあと思って聞いたんだ」
「お、俺は七海さんが年下でも年上でもどっちでも……」
かああと頬が熱くなる。
何言ってんだよ。俺ぇえ。
「年下の方がよかった?」
翠が上目遣いで聞いてくるもんだから、ますます動揺してしまう。
「あ、だから、どっちでも……七海さんなら」
あちゃあ。ますますドツボにハマってしまった。
何て恥ずかしいことを平然と言ってしまったんだ。
頭の中がグルグルと大混乱中の俺に対し、翠はいたって平然とした様子。
そう、平静で普通な態度だったから――。
「うん、わたしもだよ。君に会えてよかった」
なんて木漏れ日のように微笑むものだから、不意を打たれた俺は頭がクラクラしてきたんだよ。
その後、何か喋っていた気がするけど正直余りよく覚えていない。
彼女と一緒に戻きた道を戻り、自転車のところでバイバイした。
◆◆◆
留蔵の家に戻り、先にシャワーを浴びようと自室の扉を開けたら……。
「うお」
またしても鹿のはく製が正面を向いているじゃねえか。
これは気のせいとかじゃない。なんか仕掛けでもあるのかと思って、鹿のはく製と取り付け口を見てみるけど変わったところは見当たらなかった。
とてとてとダイニングまで行き、食事の前から一杯やろうとしていた留蔵へ声をかける。
「留蔵さん、鹿のはく製を触りました?」
「ん? いや。どうかしたのか?」
「あ、いや。うーん」
「浮かねえ顔してるな。部屋になんかあったのか?」
「鹿のはく製が正面をいつも向いているんですよね」
「ん? 正面になるように飾ってるが、いじったのか?」
「はい。入って目が合うのでギョッとしちゃうんですよ。それで」
「なるほどおなあ。そいつが知らず知らずのうちに正面を向いていたと」
「そうなんです」
「立てつけかもしれねえな。明日、様子を見て置くわ」
「はい」
正面を向く鹿のはく製は留蔵に見てもらった後、また検討しようかな。
単に設置の問題だけだったのなら、気に病む必要もないし。
シャワーを浴びて、夕ご飯をいただいているうちに鹿のはく製のことをすっかり忘れて自室に戻る俺なのであった。
ふう。布団を敷いて充電コードを差し込んだままのスマホを手に持ち、寝転がる。
今日もいろいろあったなあ。
いやあ、翠は黙っていると凛とした感じなんだけど、話すと可愛い感じになってそこがまた……いや違う。
そうじゃなくってだな。
彼女のことで調べたいことがいくつもあるんだ。
昨日は高校名だけを調べて満足していたけど、制服が違うって明らかにおかしい。
彼女が違う高校名を伝えていたんだったら別なんだけど……彼女と別れる時にしっかりと襟の裾辺りに描かれていた校章の形を覚えて来たのだ。
スマホで昨日調べたように、相楽塚高校で検索し学校のHPを出す。
HPの左上には校章と高校名が記載されていた。
うん、確かにこの高校で間違いないよなあ。でも、制服が違う。
あ、ひょっとして。
俺はハッとしたように顔をあげ、再びスマホへ目を移す。
学校の歴史が記載してあるページに行き、調べてみると……あったあった。
なんと十五年前に制服がセーラー服からブレザーに変わっているじゃあないか。
どうしてこんな古い制服を着ているんだろう?
入学時にセーラー服で途中からブレザーに変わったのならまだ理解できるけど……。
「うーん」
こんがらがってきたので、一旦スマホを見るのをやめて大きく伸びをした。
――カタリ。
ん、何か音がした気が。
気になって仰向けに寝転んだまま首を回す。
しかし、何も変わったところは見受けられなかった。
「気のせいかなあ。しっかし、なんでセーラー服をやめちゃったんだろう」
――カタリ。
また音。
何かが擦れる感じだ。この部屋でそんな置き方をしている物っていえば、鹿のはく製くらいなんだよなあ。
不審に思って鹿のはく製に少し触れてみるが、動いた様子はない。
「ま、いいか。それにしても七海さんのセーラー服姿は可愛かったなあ……」
――ガタン
大きな音がして、鹿のはく製が突然落ちて来た!
鹿のはく製の真下にいた俺は慌てて首を傾けようとするが、視界が急に暗くなる。
と共に、肩に重みがかかりそのまま後ろに倒れ込んでしまった。
しっかし、むにゅんとしたこの感触……。
それが誰かのお尻だと気が付いた瞬間、声をあげてしまう。
「え、ええええ」
「ご、ごめんね」
まだ視界は塞がったままで確認することはできないけれど、この澄んだ声は翠のものだ。
視界が開けると共に、彼女のスカートと純白のパンツが目に入る。
どうやら俺は、翠のお尻の下敷きになっていたようだった。ち、ちきしょう。そうと分かっていたらもう少しじっくりと味わったのに。
ってそうじゃなくってだな。
「七海さん!」
「九十九くんが変なこと言うから……」
いや、待て待て。
落ち着け、落ち着け。
深呼吸だ。深呼吸。
すうはあしていると、翠がてへへと頭をかきペロッと可愛い舌を出す。
「驚いちゃった?」
「そ、そら……」
驚かないわけないだろお!
しかし、あまりに自然体な彼女の様子を見ていると落ち着いて来た。
「わ、わたしね……」
「うん」
翠はそう言ってペタン座りした体勢から少し腰を浮かす。
すると、スカートが少し浮き上がり艶かしい太ももといけない感じのコントラストが生まれ……。
お、おお、見えそう。
……我ながら心変わりが早いと思う。
さっきまで驚いていたのに、今ではすっかり彼女の聖域に釘付けになっているのだから。
でも仕方ないだろ。目と鼻の先で彼女のスカートがだな。
「ずっと見てたんじゃあないよ? たまたま、おやすみの前に九十九くんを見に来ただけなんだよ」
「えっと……」
「うん?」
見ていた? ってことは鹿のはく製が動いていたのって翠がこそーっと俺を?
再び元の体勢に戻り、膝の上に両手を置き首を傾ける翠。
彼女は突然何もないところから降って来た。
人間にはできない所業であるが、少ない俺の知識から導き出される答えは……非現実的なものだ。
たがしかし、実際目の前で荒唐無稽なことが起こっている。
彼女は――。
「七海さんはエスパーか何かなの?」
「ううん、幽霊?」
「え、えええ!」
ちょ、ちょっと。さすがにそれは……。
「ほ、本当にお化けさん?」
「うん!」
そんなあっけらかんと肯定されると逆に清々しいな。
「で、でも七海さんはほら、俺が触れることができるし、麦わら帽子だって普通に被ってたじゃない?」
彼女が俺をからかっているんだと、一縷の望みをかけて聞いてみるが……。
「うん。九十九くんなら私とお喋りできるんだ。着替えだってできるよ?」
翠は自分の首元に手を当て襟首を引っ張る仕草をする。
さっきから、ワザとなのか? それとも無防備なだけなのか……。
激しく気になるけど、それを聞いたら余計にからかわれるから聞いちゃあいけねえ。