2.留蔵の家
「すいません。お待たせしました」
「息切らせちまって……ゆっくりでよかったんだぞ、つくも」
留蔵は今年で七十三才と聞くが、十歳以上若々しく見える。
背丈こそ低いものの太い首回りにずんぐりとした体には、農作業から来たものなのだろうしっかりとした筋肉がついていた。
バリカンで刈りこんだ白髪は年齢を感じさせるけど、日に焼けた褐色の肌が彼を若々しく見せている。
「久しぶりだなあ、最後に会ったのは六年前か?」
「はい。俺がまだ小学校の時なんでそれくらいです」
「大きくなったな! この前はまだガキだったのに、すっかり男前になりやがって!」
留蔵は目を細め、俺の頭を乱雑に撫でた。荒っぽい仕草だったけど、悪い気はしない。
「留蔵さん、そろそろ行きますか」
「おう。そうだな。あっちに軽トラを停めてるんだ」
留蔵は顎で後ろを示す。
港から道路一本挟んだところに、お約束というかなんというか年季の入った昭和な感じのするお店がある。
お店の隣に舗装されていない駐車場があって、きっとあそこに軽トラが停めてあるんだな。
俺は留蔵と並んで歩きだす。
ん?
「あれ? 留蔵さん、普通に歩いてません?」
ギックリ腰とか言ってなかったっけ。
「おう、そうだぞ。友三に連絡したんだが聞いてないのか?」
友三は俺の祖父の名前だ。
しっかし、爺ちゃん……俺が家を出るときに見送ってくれたってのに。
「え? えええ。爺ちゃんに連絡したの? 聞いてないよ」
「ガハハ。そうだったのか。心配かけたな、つくも。ギックリ腰は骨接ぎの先生に診てもらったら、すぐによくなったんだ」
「そうだったんですか」
あれ? 俺が来る必要なかったんじゃ……。
「遊ぶだけでもいいから、会いに来てくれたら嬉しいって友三に言ったんだが……それも聞いてないよな?」
「はい」
「んー、そら悪いことしちまったなあ」
「いえ、この島を船から眺めてからずっとワクワクしているんですよ! いいところですよね」
正直なところ大自然溢れる島より翠の事の方が気になっているなんて留蔵には言えない。
「そうかそうか。それならよかった!」
話をしているうちに、軽トラの前まで到着した。
助手席に座り、運転しながら陽気に話かけてくる留蔵に相槌を打ちながら外の景色を眺めていたが、俺は港であったあの幻想的で儚い感じのする少女――翠のことが頭から離れないでいた。
すぐにまた会えるかなあ。
そう考えると、思わず口元が綻ぶ。
◆◆◆
軽トラで十分ほど走ったところで、留蔵の家に到着する。
彼の家は昔ながらの青い瓦屋根が特徴的な木造家屋で、二階はなく平屋作り。家屋の隣には蔵……ではなく大き目の物置が三つとトタンぽい見た目のガレージがあった。
といっても、ガレージは物置代わりに使われているらしく軽トラを停車させたのは家の前にある広場になる。
軽トラの扉を開け、リュックと共に家の前に降り立つ。
「留蔵さん、あの奥にあるのが畑なんですか?」
平屋の後ろに広がる広い畑を見やり、運転席から降りようとしている留蔵に声をかける。
「おう。そうだ。もうすぐトウモロコシが収穫できるぞ」
留蔵はバタンと軽トラの扉を開け閉めして、最近見なくなった車の鍵を鍵穴に差し込み車の扉をロックした。
「へえ、後で畑に連れて行ってもらえませんか?」
「もちろんだ。お隣さんと畑が接しているわけじゃあねえから、すぐにどこからどこまでが俺の畑か分かると思うが。一応、俺の畑がどこなのか教えておくからな」
「分かりました!」
「食べたきゃ勝手に収穫してもいいぞ。採りたてがうまいもんとしばらく置いておいた方がうまいものがあるから、試してみろ」
「食べていいんですか。ありがとうございます!」
スイカとかメロンとかもあるのかなあ。
畑から採ってそのまま食べるなんてなんて贅沢なんだ。
「先に荷物を置いて、冷たい麦茶でも飲め。熱中症が怖いからな」
「はい」
留蔵は家の玄関扉に鍵を差し込み、ガチャガチャと扉を揺らした後、横に引く。
ガラガラと音を立てて扉が開いた。
中は広い玄関になっていて、昔の家にあるように床と玄関の段差が大きい。
靴を脱ぎ、熊の毛皮でできたラグの上に足を運ぶ。
「お邪魔します」
「つくもの部屋は奥だ」
留蔵についていき、廊下を少し進むと右手に広い部屋。ここは居間とのこと。
居間の反対側はダイニングキッチンになっている。
更に奥へ進むと左手は留蔵の部屋で反対側は空き室。左手奥が風呂で、右手奥の部屋が俺にと説明してくれた。
「荷物を置いたら台所まで来い。麦茶を出しとくからな」
「はい」
留蔵へ頷きを返し、部屋の扉を開ける。
「うお」
ビックリした。
だって、鹿のはく製が壁に取り付けられていたんだから。
「ひっろいな。えっと」
床に敷かれた畳の数を数えてみると十枚もある。
扉の向かいは障子窓の引き戸があり、引き戸を開くと板張りの縁側があり外へも出ていける大きな窓。
天井には蛍光灯があって、それ以外は何も物が置かれておらず、左手に襖があった。
「布団か」
襖を開けると上下二段に分かれていて、上段に布団が畳んでいる。
とりあえず、障子と窓を開け空気を通そうか。
障子窓の上にある鹿のはく製をちらちら見ながら窓を開けた。
おお、風が通って気持ちいいが……暑いは暑いな。
幸いこの部屋にはクーラーがあったんで、夜に寝苦しくなることもないだろう。
リュックサックを襖の前に置いてキッチンへ向かう。
キッチンに行くと、年季の入ったダイニングテーブルの椅子へ腰かけた留蔵が「よう」と右手を少しあげた。
「勝手に冷蔵庫を開けて飲んでもいいからな」
「りょーかいです! 後でコンビニで何か飲み物を買ってきます」
「オレンジジュースならあるぞ?」
子供といえばオレンジジュースとでも思っているんだな。
しかし、俺が飲みたいのはコーラである。
留蔵にお礼を言いつつ、オレンジジュースはやんわりとご遠慮することにした。
「コンビニは島に一軒だけだからな。港を挟んでここと反対側だ。そこにはスーパーや学校もあるぞ」
「住宅地ってところになるんですか?」
「おう。漁師町だけどな。島のこちら側は農家が多くて家と家の距離が離れてる。向こうはそうでもない」
「後でスマホで調べてみます」
「お、そうか。グーグル何とかってので地図が無くても分かるんだったな。便利になったもんだ……」
しみじみとお茶をすする留蔵。
そうだよな。こんな離島でも電波が途切れることもないし、インターネットを使えばすぐにこの周辺の地理も分かる。
「お、後はそうだな。自転車は自由に使っていい。車ももう一台あるが、つくもはまだ免許を取れなかったよな」
「はい。まだ十七なんで」
「徒歩だと何かと不便だからなあ。自転車でも無いよりはマシだ」
すぐに自転車で探検したいところだけど、もう午後四時だし……。明日からにしよう。
まず行くところは……港だな。
港の風景と共に翠の着ていたセーラー服の黄色のリボンが頭に浮かび、少しだけ頬が熱くなる。
いかんいかん……自分の熱を誤魔化すようにグラスに入った麦茶を一息で飲み干す。
キンキンに冷えた麦茶は俺の脳髄を必要以上に刺激した。
「よっし、んじゃ畑に行くか」
「採ってもいいんですよね! 楽しみだ」
「トウモロコシは採りたてが一番うめえんだ。今晩食べるか」
「おー!」
この後、留蔵と畑に行き期待していたスイカ、彼のオススメするトウモロコシの他幾つかの夏野菜を収穫し家に戻る。
夜には野菜を中心にした天ぷらをいただき、明日から俺も午前中だけ農作業を手伝うことになった。
留蔵は自分が元気になったので遊ぶだけでいいと言ってくれたけど、さすがに何もしないままご飯だけいただくのも気が引ける。
そんなわけで、留蔵と俺が話し合った結果、昼まではお手伝いで午後は遊ぶこととなったってわけだ。
ご飯を食べた後は、留蔵と一緒に空き室にあるテレビを俺の下宿部屋に運びセットする。
テレビはほぼ見ないから必要なかったんだけど、留蔵が「忘れててすまんな」と用意してくれたのだ。
青いタイルが昭和さをかもしだす底の深い風呂に入って、自室に戻るとクーラーをつけ布団を敷く。
さっそく布団にダイブし、枕に顔をすりつける。
んー、気持ちいい。