19.傍にいて欲しい
「こ、こら。リュックに触れるな」
「先生怒りませんから、リュックを開けて中を見せてみなさい」
「……仕方ない……」
リュックを開き、中が見えるように翠へ向ける。
「あああ、やっぱり隠してたんだなあ」
翠は渋々顔の俺からパレオワンピースを受け取り、満面の笑みを浮かべた。
「隠してないって。たまたま。たまたまだって」
「へええ。たまたまねえ?」
「うん」
「(ビキニを)見たいんだあ?」
「うん……ハッ!」
「やーらしー。あはは」
「ぐう。この策士めえ」
翠はビキニとパレオワンピースを胸にギュッと抱き、目を閉じる。
「優ちゃんのかどうか、おばあさんに聞いてみる?」
「ううん。きっと。これは優ちゃんのだよ」
ビキニを指先で撫でた翠は、ふんわりと優しい笑顔を浮かべ目を細めた。
もしかしたら違うかもしれないなんて野暮なことは言わない。彼女がビキニにこれだけ喜んでくれたことが大事なんだから。
「翠。明日は海水浴に行こうぜ。留蔵さんからオススメの場所を聞いたんだ」
この島にはちゃんとした海水浴場は一か所しかない。そこは広い砂浜になっていて、近くにシャワールームも完備しているなかなかの施設だ。
しかし、人がちらほらいるんだよ。
一方、留蔵から聞いた場所は、砂浜も狭く、同時に二組がビーチバレーをできないほど。
小さい砂浜の左右は岩場になっていて、シャワールームも無ければ駐車場も無い。その分、人気はまるでないって話だった。
俺と翠にとっては、こちらの方が都合がいい。俺はまあ海水でベトベトになっても構わないし、翠はそもそも濡れないから問題ない。
「うん! これ着て行くね」
「おお。楽しみだ」
「また変な顔してるー」
「こらこら。今はそんなことなかっただろ?」
「えー? そうかなあ」
「そうだよ!」
ムキになって言い返したら、翠に腹を抱えて笑われてしまった。そんなに足をバタつかせてると見えるぞ?
いや、むしろ見せてくれていいんだぜ。
「あ、またあ」
「……」
今度は言い返せない……。
憮然と腕を組んだところで、ふああとあくびが出てしまった。
スマホで時間を確認すると……なんと十二時半になっている。
そら眠いはずだよ。今日は走り回ったからなあ。
「そろそろ寝た方がいいよ。九十九くん」
俺のあくびを見ていた翠が不安気に呟いた。
彼女はこと健康のことに関しては、とても心配性だ。彼女の出自からしたら当然といえば当然なんだけど、そこまで心配されるほどじゃあないからなんだかむずがゆい。
「翠は? 休息する?」
「うん。九十九くんが寝たらそうしようかな」
「休息だよな。眠たくなってない?」
「大丈夫だよ! 眠たくなって半日以上寝ていたんだもん!」
ぐっと握りこぶしをつくる翠だったが、心配で仕方がない。
俺の前から離れたら二度と会えなくなるかもしれないと、焦燥感が俺を襲う。
「傍にいてくれ」
あ、また。俺の口……。
今日は一度も滑ってなかったのに!
「え? いいの?」
翠は頬を赤らめてモジモジとしながら、目が泳いでいる。
ええい。こうなったら言ってやるぜ。俺の本気を見せてやる。
「翠が神社に戻ったら、もう会えないかもしれないと不安になってさ。そんなのは嫌だ。君から目を離したくないんだ」
素直な気持ちをぶちまけた。
すると、告白とも取れる俺の言葉に翠はますます真っ赤になってぷしゅーと頭から煙が出てきそうな感じになってしまう。
「う、うん。九十九くんがいいなら、わたしはいいよ?」
「やったあ」
「で、でも、怖くない? 幽霊と一緒だなんて」
「何を言っているんだ。人だろうが幽霊だろうが、翠は翠だろ? 俺は……」
「『俺は』?」
「……何でもない」
「えええ。そこでお話しをやめちゃうんだあ。ほんとにもう」
恥ずかしいから言わなかったわけじゃない。
言ってしまったら、満足した翠が消えてしまいそうで。
俺の気持ちなんて彼女はもう分かっているだろうけど、それでも、口に出すと出さないじゃあ違うだろ?
こうしている間にも時間はどんどん経過して、それに伴い俺の瞼も重たく……。
「……くん。九十九くん」
「あ?」
「ダメだよ。そのまま寝ちゃったら。ちゃんと布団で」
「翠は?」
「もう、九十九くんはえっちだなあ」
翠の冗談を聞いている間にもまた意識が飛びそうに……ダメだ。限界。
◆◆◆
後頭部に柔らかく心地よい感触を感じる。
なんだろうと思って、目を開くと翠の色っぽい首筋と顎が目に……。
「え?」
「九十九くん。おはよ」
「お、おはよう」
翠のほっそりとした指先が俺の頬へ触れる。
「ずっと、膝枕をしてくれていたの?」
「えへへ。つい、寝ている九十九くんが可愛くて」
「そ、そうかなあ」
名残惜しいが、起きてしまったものは仕方ない。
俺は翠の膝から頭をあげ、起き上がる。
「それにしても、九十九くん」
「ん?」
「女の子と一つ屋根の下にいたというのに……」
「そ、そんなつもりで、誘ったんじゃね、ねえし!」
「あはは。そんな大きな声を出しちゃって」
「ち、ちくしょう。からかいやがったなあ」
「えへへ」
何かできるわけないだろ……。
もし翠が普通の女の子だったら、間違いなく唇を奪ってそのまま押し倒す自信があった。
「翠と一緒にいつつも、彼女とこれ以上仲を進展させない」
これがふがいない俺が答えだった。完全に妥協の産物だと自分でも認識している。
物凄く情けなくて、どっちつかずで自己嫌悪に陥ってしまうけど……。
「別に九十九くんだったら……いいのに……」
翠の呟きが聞こえたが、俺は耳を塞ぎ聞こえてないフリをした。
それでも聞いてしまったものは仕方ない。
「いけるいける、このままいったらいける」とか変な煩悩が湧き出てくるが、グッとこらえすくっと立ち上がる。
「翠。顔洗って朝食を食べて来る」
キリッと言ったつもりが、笑われてしまった……。
分かってるよ。さっきまであからさまに嫌らしい顔をしてたってことは。
「ここで待ってるね」
「ううん、翠もついてきてよ。留蔵さんの前では、話しかけないようにするからさ」
「うん!」
翠は俺の手を握り、そのまま俺を引っ張る。
部屋を出て顔を洗い、ダイニングに行くと留蔵がちょうど外へ出ようとしていたところだった。
「おはようございます」
「おう。昨日は何かうなされていたみたいだけど、大丈夫か?」
「元気そのものです! 今日は海水浴にでも行こうかと」
「そうか。今日も天気がいいしな。余り沖に出るなよ。ここは急に波が高くなるからな」
「はい!」
留蔵は行ってくるとばかりに手をあげると、そのままダイニングを出て行く。
「すごーい。九十九くん。平然と言ってのけちゃった」
「俺だってやる時はやるんだぜ」
二人きりになると、翠が感心したように俺の肩を叩く。
食卓には暖かいご飯、みそ汁、鮭に納豆と定番中の定番メニューが用意されていた。
食べられない翠の前で食べるのも少し気が引けるが、ちゃんと食べとかないと力が出ないしな。
「いただきまーす」
横で腰かける翠は、肘をついて両手を頬にやりにこにこと俺の食べる姿を伺っている。
「ん?」
「おいしそうに食べるなあと思って」
「うん。とてもおいしい」
「そうなんだ」
「食べる?」
「ううん。おいしそうに食べる九十九くんの顔を見ているだけで満足だよ」
そんなことを言われたら、頬が熱くなってしまうだろ……。
平然とにこにこーっとしやがってえ。
朝食を食べ終わった俺は、着替えて準備を終えると海へと向かう。




