17.優ちゃん
「翠! いるのか?」
「うん」
ずっと探し続けていた声と共に、翠が鹿のはく製の真下に姿を現した。
「よかった。よかった……翠」
「ごめんね。お店に行けなくて」
翠はペタン座りしたまま眉をひそめ、立ったままの俺を見上げる。
「何言ってんだよ。来てくれてよかった。ありがとう。翠」
「九十九くん……やっぱり、九十九くんは九十九くんだ!」
「何だよそれ」
「えへへ」
しかし、このままでは済ますまい。
てへへと可愛らしく頭をかく翠の後ろにしゃがんで……。
両手に握りこぶしをつくり、彼女の頭を両側からぐーりぐりと。
「ご無体なあ。九十九どのお」
「ははは、くるしゅうない。くるしゅうないぞ」
これ違うって。
つい乗っかってしまったけど、絶対このシチュエーションでそれはない。
「なんだか、眠たくて……気がついたら夜になってたんだ……」
落ち着いたところで、翠はごめんねと手を前にやり頭を下げる。
仕草が古い……まあそれはともかく。
「気がついたらって。翠はいつも寝ているのか?」
「いつもは……寝るのと少し違うかな。休む? って言ったらいいのかなあ。ずっと起きていると、何だか気持ち悪い? みたいな」
「ん、それって生前の人だったころの習慣で、寝なきゃなんだか座りが悪いって感じかな?」
「そうそう! 九十九くん。てんさーい!」
「いつもどこで休んでいるの?」
「神社のお堂だよ。あそこが落ち着くんだあ」
翠はいつもお堂で休息をしているのだが、彼女はさっき「眠くなって」と言った。
てことは、普段と違う現象が彼女に起こったってことに違いない。
「翠、眠くなったのと休息って違うんだよな?」
「うん、休息しているといつでも起きることができるんだけど……昨日? 今日かな? は違ったの」
翠は自分の体を両手で抱き、肩を震わせた。
その顔はとても不安気で、唇もふるふると震えている。
俺は思わず彼女を後ろから抱きしめ、腕にギュッと力を込めた。
「眠たくなる前にどんなことがあったのか、気が付いたことを教えてくれないか。何が起こったのか、一緒に考えたい」
「うん。少し恥ずかしいんだけど……やっぱり話をしないとダメ?」
「できれば……」
「じゃ、じゃあ。そのまま抱きしめててね」
「うん」
「この体勢なら、九十九くんの体温を感じるし、顔も合わせないでいいから……」
体温とか言われるととんでもなく恥ずかしいんだけど……一体彼女はどんな顔をしてこんなことを言っているのか見て見たいが、残念ながら前を向く彼女の顔は確認できない。
「九十九くん、わたしが幽霊になったところからお話してもいいかな?」
「うん。翠が話をしてくれるなら、最初から聞かせて欲しい」
その方が理解が進むだろうから。
これまでは彼女の辛い話を聞かずにおこうと思っていた。
でも今は、翠のことを一つでも多く知りたい。
今この時、次の瞬間にも彼女は眠くなってしまうかもしれないのだから。
「わたしね。ずっと心臓が弱くて、高校三年生の九月末にいよいよになっちゃったの」
「うん」
「でも苦しくなくって、眠たくなって……気が付くと自分の体を見下ろしていたのね」
「亡くなって幽霊になったってことかな」
「うん。最初は何のことか分からなくて、夢でも見ていると思ってたの。でも、お父さんが急いで島にやって来て……」
翠は淡々と過去に起こったことを述べていく。
幽霊になった翠は、空から悲しむ家族を見下ろして泣きに泣いた。自分の体が運ばれて行って、火葬され葬られる。
亡くなったらこの島に墓を作って欲しいと彼女は希望していて、その言葉通り彼女はこの島に埋葬された。
その後、いつも力強く少し怖い感じの父親は信じられないくらい憔悴していて、彼女は胸が締め付けられる思いをしたそうだ。
「ごめんね。おとうさん」と呟いても、彼には聞こえてないし、翠の姿を見ることもできない。
母と妹も同じようにふさぎ込んでいて、翠は残された家族のことが心配でならなかった。
そうだ。自分は残された家族を見守るために幽霊になったんだと彼女はその時思ったという。
数か月後、家族は彼女の死をまだ引きずっていたものの立ち直り、彼女のために住んだこの島を出て行く。
これで自分の役目は終わったんだと彼女は思っていたが、成仏することは無かった。
大量の時間だけは彼女に残されている。だから彼女は「どうしてなんだろう」といろいろ考えながら、島のあちこちを彷徨う。
「辛かったら、飛ばしてくれてもいいんだぞ」
「ううん、九十九くんに全部聞いて欲しいの。わたしのこと、知ってほしい」
「うん」
翠のいじらしい態度に俺は彼女を抱きしめる腕に力を込める。
ぎゅーっと抱きしめると、翠は俺の手に自分の手を添えた。
「その後、何もないまま数年が過ぎたの。そこでわたしは」
「『ゆうちゃん』と出会ったんだよな」
「うん! すごい九十九くん。ちゃんと覚えているんだ」
「へへへ」
「えへへ」
翠は俺の手を愛おしそうに撫で、話を続ける。
数年間たったひとりで島を彷徨った翠。聞いているだけで気が遠くなってくるけど、彼女は数年で一つの特技を身につけた。
それは「休息」すること。意識を閉じ、休みたいだけ休むことができる能力だ。
休息からの覚醒はいつでもできるのだけど、翠は目安として朝日で起きることにしたとのこと。
休息ができるようになって随分と気が楽になったんだと翠は言う。
もし孤独に耐えられなくなれば、ずっと休息することができるのだから。
「えへへ」と頭をかいてはにかんでいるだろう翠。
また目の奥が熱くなってきたけど、翠へ続きを促す。
数年間、彼女は自分が島の人みんなに見えて騒ぎになることを懸念して、もしかしたら誰か自分のことが見えるかもしれないと思い、一人きりでいる人の前で手を振ることを繰り返す。
しかし、彼女の姿が見えた者はいなかった。
そこである暑い夏の日に出会ったのが優だ。
誰かに気が付いて欲しかった翠は、他の人にもしてきたように優の前で手を振る。
その時、優は驚いたように指をさした。
「かんざしが宙に浮いてる!」
って。
かんざしだけだったけど、「あの子には自分が見えるんだ!」と翠は歓喜に震える。
もしかしたら、彼女ならお話しができるかもと思った翠。どうすればいいかなあってその場でまごまごしていたら、優がかんざしをひょいと指先で挟んでつまみ上げた。
すると、優は翠の姿が見えてまた驚いた声をあげる。
すぐに二人は打ち解けて、年ごろの少女らしい会話を交わすようになった。
どんな服が好き? どんな男の子が好み? 翠は長袖を着ていて暑くないの? とか。
何気ない会話。どこにでもあるようなたわいのない話だったけど、翠にとってこの上なく楽しい時間となる。
これまで普通の少女として暮らすことができなかった翠にとって、全てが新鮮で初めてできた友達の優といるのは宝石のような時間だった。
優は高校三年生で、受験を控えた夏だというのに夏休みの間は毎日神社に顔を出す。
彼女は彼女でいつしか翠がかけがいのない友達になっていた。
「受験頑張ってね」
「うん!」
そう言って別れた二人。
優は離島を去り、翠と約束した大学に合格するため冬も離島に帰らず勉強に打ち込んだ。
春になり、大学入学を目前に控えた優は、翠に会いに神社へ顔を出す。
大学合格の証を手に持って。
「やったね!」
顔を見て一目で優が大学に合格したと分かった翠は彼女へ手を振る。
しかし――。
優の顔が曇っていく。
「翠! 翠! どこにいったの?」




