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16.車椅子

 それにしても、翠は一体どうしたんだろう? てっきり先にお店に来ていると思ったんだけどなあ。

 翠に渡す水着を手に持ったまま、棚の裏手とかに隠れてたりしないかと探してみたけど……やはりいない。

 

「お兄さん、奥で翠ちゃんを待つかい?」

「お店のお邪魔になりませんか?」

「そんなことないさね。話し相手がいると楽しいから。こちらからお願いしたいくらいだよ」

「お言葉に甘えて、あがらせてもらいますね」

「じゃあ、縁側へ行こうかね」

「はい!」


 お店の奥に上がらせてもらい、この前来た縁側へ腰かける。

 今日もいい天気だから、洗濯ものがよく乾きそうだなあと物干し竿を眺めながら、お茶を入れに行ったおばあさんを待つ。

 

「お待たせ」


 お盆を預かり、床に置く。

 おばあさんはよっこらしょっと声を出して、座布団の上に腰かけた。

 

「いただきます」


 おはぎをパクリと口にいれモグモグ。冷たい麦茶をいただく。

 甘くておいしい。

 

「手作りですか?」

「そうだよ。一人だしねえ。暇なのさ」

「とても美味しいです!」

「そんな顔で食べてくれたら、嬉しいねえ。好きなだけ食べておくれよ」


 お言葉に甘えて、もう一個。もぐもぐ……やはりうまい!

 あれ、食べることで満足していたけど、おばあさんに何か話をしようと思っていたことが……あ。

 

「おばあさん。昔の……たぶん二十年くらいは前の話だと思うんですけど」

「うん?」

「車椅子に乗った淡雪のような肌をした高校生の女の子って覚えてますか?」

「車椅子……この島で老人以外となると……車椅子は珍しいねえ。ちょっとお待ちよ、思い出してみるからね」

「普段は凛とした美人系なんですけど、笑うと可愛い系っていうか。儚い感じではにかむんです」

「あ、ああ。抜けるような白い肌をした可愛らしい子。覚えているよ。確か、港前で熱中症になりかけていたんだ」

「お、おお」


 おばあさんは言葉を続ける。

 彼女はぐったりしている翠をお店まで連れて行って、水を飲ませた。すぐに暑さからの熱は抜けたんだけど、蒼白な顔で心配したそうだ。

 後から母親が来て、何度もおばあさんに頭を下げて。その時におばあさんは翠の母親から翠の心臓の病について聞き、病気が原因で顔色が悪いんだと知った。

 「こんなに若い子が」とおばあさんはその時思ったんだそうだ。

 しかし、病気のことなどおくびにも出さず、笑顔を見ぜる翠が何ともまあ可愛らしかったことと目を細めて語ってくれた。

 

「そうだったんですか……」

「確か。震災があった年の夏だったねえ」

「震災って……」

「お兄さんが産まれる前の話だよ。この辺はほとんど揺れなかったんだけど淡路島の方が大災害でね。そらもう毎日テレビで」


 俺も話だけは聞いたことがある。その震災は多くの人が亡くなったと。

 今から二十年以上前の話だ。

 でも、確かに生前の翠はそこにいた。このお店で水を飲み、おばあさんへあのこぼれるような笑顔を見せたんだ。

 

「おばあさん、ありがとう……ありがとう」

「どうしたんだい。突然また泣き出して」

「いえ、嬉しいんですよ。俺は。確かに彼女はここにいた」

「……あの子が翠ちゃんなのかい?」

「はい。おばあさんとここで会っていた。彼女の生きた証がここにあった。彼女は幻なんかじゃなかったんです」

「そうかい。そうかい。あの子だったら、あんたが惚れるのもわかるさねえ。好きなんだろう?」


 歳に似合わず軽快な仕草でおばあさんは「ほらほら」と言わんばかりに肘で俺の腹をつつく。

 

「……否定はしません……」

「そうかい。あの子はその年の秋に亡くなったんだよ。それ以来ずっとこの島にいるんだね。あの子は……」

「幽霊となって、二十年以上ってことですよね」

「未だあの子が幽霊をやっているのは、未練が残っているのかねえ」

「未練ですか……この世にやり残した未練があったら、お化けになるとか聞きますものね」

「何か満たされていないものが残っているんだろうね。あれほど健気でいい子はなかなかいないよ。お兄さん」


 満たされるかあ。満たされたら翠はどうなる?

 ……。

 

 俺は何となく察していたことだけど、改めて辛い事実を突きつけられ愕然と手を床につく。


「未練が無くなったら……やっぱり……ですよね」

「そうさね。それが幽霊にとっての幸せ……成仏ってことじゃないのかね」

「……」


 嫌だ。翠が消えてしまうなんて。

 分かってるよ。来年になれば、俺は翠と語り合うことができなくなる。

 それでも、彼女は見えないけど……島にいるじゃないか。

 でも、消えてしまったらもう二度と彼女を感じることはできない。

 わがままだって、俺の自分勝手な思いだって分かってるよ。

 でも、でも……。

 それでも俺は翠に消えて欲しくなんかないんだ。

 

 俺はどうすればいい?

 翠といたい。いたいんだけど……いや、まだ彼女が成仏してしまうって決まったわけじゃないし、俺と遊んだ程度で満たされるってのは傲慢な考え方だよな。

 

 うん。そうだ。そうに違いない。

 じゃあ、何で翠はここに来ていないんだ?

 

「おばあさん、ちょっと出ます。もし翠が来たら待っててもらってください」

「せわしない子だねえ。行っておいで」


 おばあさんは口ではそう言いつつも慈愛の籠った目で俺を見やる。

 

 翠、君はどこにいるんだ?

 立ち上がりお店の外に出た俺は、休むことなく駆ける。

 あそこにいるかもしれないと思って。

 

 ◆◆◆

 

 山道を進み、脇道に逸れると石の鳥居が見えて来た。

 

「翠! 翠!」


 叫ぶ。

 鳥居をくぐり、境内を見渡し本堂の裏手に回る。

 

 いない。


「翠! どこだ、どこにいるんだ?」


 左手に進み、川を見渡すがやはり翠の姿はない。

 まさか本当に消えてしまったのかだろうか。

 

 ひょっとしたら石碑のところか?

 昨日、彼女はとてもあの場所が気に入っていた。はしゃいで石碑のところまで行って足でもくじいてそのままとか。

 俺は幽霊である彼女が怪我なんてするわけないと理解しつつも、歩けなくなってうずくまっていると一縷の望みを託す。

 人が怪我していることを願うなんておかしな話だけど、そう考えることで何とか自分を奮い立たせ、また走る。

 

 息を切らせ立てなくなるほどに疲弊した俺は、石碑まで後少しのところで足がもつれて転んでしまった。


「何やってんだよ。俺! こんな時に」


 ペットボトルの水を肩からかぶり、足も水で冷やす。

 もう一本ペットボトルをリュックから出して、中のスポーツドリンクを一息に飲み干した。


「ふう……まだ行ける。いや行くんだ」


 そして、俺は走り出す。

 

 石碑のところにも翠はいなかった。

 崖を隔てる柵に手をつき、大きく息を吸い込む。

 

「翠ー! 出て来てくれえ!」


 力の限り叫ぶが、むなしく俺の声がこだまするだけだった……。

 

 この後おばあさんのところに戻るが、彼女がお店に来た形跡は無かったのだ。

 

 本当に成仏してしまったのか?

 俺は暗い夜道を一人トボトボと歩き、留蔵の家に戻った。


 家の中に入ると、留蔵が酒を飲む手を止めて俺の顔を見やる。

 

「おう、遅かったな。先に風呂に行くか? 夕飯は適当に食べてくれ」

「ただいま。いつもありがとうございます」

「大丈夫か? 顔色が悪いぞ。こういう時は早めに寝ろ」

「はい……」


 風呂に入り、留蔵の作ってくれた夕飯を食べた。

 いつもは本当においしい留蔵の料理も、今日ばかりは砂を噛んでいるようだ。

 

 食器を洗って、自室の扉を開けると――

 鹿のはく製と目が合った。


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