13.クロダイ
翠と一緒におばあさんのお店から出る。
近くの波止場でちょうどベンチがあったので、そこに自転車を押して行って停車させた。
ベンチに腰掛けおばあさんから頂いた饅頭とペットボトルをリュックから出す。
「七海さんは食事できるの?」
「ううん。食べても。すり抜けちゃうの」
「そ、そっか……残念」
一回だけなら見てみたいけど……口から入ってそのままストーンと落ちるんだろうか。
「うお。ち、近いって」
饅頭に目を落としていたら、翠が手を床につき俺を下から見上げるような形で……。
「ねね。九十九くん。さっき」
「な、なんだろう?」
「もう、分かっている癖に―」
「な、なんだったっけ。七海さん」
「そうじゃなくって、ね?」
ん、んん。
何だろう。何か言ったっけ俺……。
あ。
ああああ。
思い出して今頃恥ずかしくなってきたぜ。
『あ、いや。そうだ。翠』
確かに俺はさっき「七海さん」じゃなくて「翠」って呼んじゃったよ。
小学校に入ったら、突然みんな名字で呼ぶようになるじゃない。特に男子は女子のことをみんな名字で呼ぶんだよ。
幼馴染でも小学校になったら名字で呼ぶくらいだしさ……名前で呼ぶのは気恥ずかしいのだ。
「ど、どこに顔を乗せてるんだよ……」
「ん、肩だよ?」
「七海さん、ちょ、ちょっと。待って」
「んー?」
だああああ。呼べばいいんだろ。呼べば。
「翠」
「よくできました。やったあ。嬉しい」
顔をあげ、元の姿勢に戻った翠は両手を胸の前に当てて喜色をあげる。
「と、ともかく……明日は石碑までハイキングだぞ」
「うん! お昼ごろに九十九くんのところに行ってもいいかな?」
「もちろんだよ」
「楽しみ!」
「俺も!」
「えへへ」
「ははは」
お互いに頷き合い、笑う。
俺が君を見えているうちは、絶対に寂しい思いはさせないぜとカッコよく心の中で呟く。
「九十九くん、変な顔ー」
「え、えええ。結構真剣な内心だったんだけど……」
「そうなんだ。大丈夫だよ。どれだけでも歩くことができるから」
「お、俺の方が先に参っちゃわないようにしないと」
コロコロとよく変わる翠の顔。
彼女はこれまで長い時間を幽霊として過ごしてきたはずだ。会話できる相手もいなくて、ずっと寂しかったはずなのにどうしてこんなに笑えるのだろう。
でも、君が笑うと俺の心は高鳴る。
それが嬉しくもあり、君が心から笑えるようになって欲しいと願う。きっと俺が。うん!
翠。俺は君が幽霊だから惹かれたんじゃない。君の真実をまだ知らなかった初めて出会った時から……。
「また変な顔してるー」
「えええ。だから真剣に」
「またまたあ」
「うー。まあいいや! 楽しもうぜ。明日も明後日も」
「うん!」
◆◆◆
留蔵の家に帰る頃にはもう夕飯の時間だった。
留蔵はといえば、今日は日本酒らしい。今日は漁師さんからとれたてのクロダイをいただいたそうだ。
そんなわけでお刺身と日本酒だと留蔵は言う。
「クロダイって夏にとれるんですね」
「おう。漁ってやつはビニールハウスで育てたりできねえからな。チヌ(クロダイ)は夏の魚。季節感があっていいだろ」
「クロダイの刺身とか食べるの初めてですよ」
「そうなのか! うまいぞ! 天然のとれたてだ」
「へええ。さっそく」
「お、炊飯器にチヌ飯も入ってる。お前さんが来てると伝えたら、三匹もくれたんだよ」
「そ、それは、そんなもらっちゃっていいんですか?」
「おうよ。俺は奴に野菜をちょこちょこ、奴は俺に魚をってな」
留蔵は、ガハハハと愉快そうに笑う。
ふむ。刺身と日本酒か。美味しそうに飲むよなあホント。しかし俺は未成年。まだ飲めないのだ。
お茶碗にチヌ飯を盛って、ダイニングテーブルへ戻る。
じゃあさっそく。
「お、鍋に味噌汁も入ってるからな」
「は、はい」
再び立ち上がり、今度はお椀にみそ汁を入れて席に着く。
「いただきまーす」
ではさっそく、クロダイの刺身をいただいて。
お、おおう。
これは、なかなか。ほうほう。鯛に似た味だけど、身が詰まっているというか噛んだ時の弾力感が違う。
「おいしいです」
「そうかそうか。そいつはよかった」
クロダイの他にもエビやイカの刺身もあったが、こちらも美味しい!
漁師さんに感謝。
食器洗いだけでもと、留蔵に申し出て食器を洗いお風呂に入る。
一日の汚れを洗い落とし、湯舟にどぼーんするとこれがまた気持ちいいのだ。
暑い時って風呂に入るのがおっくうで、シャワーで済ませちゃうけど風呂は風呂でよいな。うん。
さっぱりしたところで自室に戻り、クーラーをつけてから布団を敷く。
布団にゴロンとして、スマホで石碑を調査。
ふむふむ。ルートは神社へ行く道を脇道に逸れずに真っ直ぐ進むだけか。これなら迷わずに行けそうだ。
安心したらすぐに眠くなってきたので、そのまま電気を消して寝ることにしたのだった。
◆◆◆
八月一日。七月が終わり八月になった。
お昼前まで留蔵のお手伝いをして汗を流し、シャワーを浴びた後自室に戻る。
部屋の扉を開ける。
鹿のはく製がこっち見てるじゃねえか。
「翠!」
俺の呼びかけに、鹿のはく製の傍から翠が降って来た。
音も立てずに着地した彼女は、小さく舌を出し頭に手を乗せる。
「えへへ」
「鹿のはく製が正面を向いたことが『来たよ』の合図とは……」
「どこで九十九くんを待とうかなあと思ったんだけど」
「あ、鹿のはく製はいいかもしれない。次からここへ来た時に鹿のはく製を動かしてくれないか?」
「うん! 次っていつかな……?」
ペタンと座ったまま翠は俺を見上げる。
彼女はいつものあっけらかんとした感じではなく、小動物を感じさせる不安気仕草をするものだから……。
俺の保護欲を嗅ぎたてて、守ってあげないとって気持ちが沸き上がってくる。
「い、いつでもいいよ。翠が来たい時で」
「本当!」
「うん、本当」
「いつでも九十九くんのところに……えへへ」
「寝てたらすまん。あ、あと……」
「ん?」
「変なことを呟いていたら、聞いてないことにしておいて欲しい」
着替えとか別に覗かれても何とも思わないけど、俺のよく滑る口が何を言うか分からんからな。
一人の時ってよく心の中が駄々洩れになるんだよ。
「変なことかあ。例えば―?」
「う……」
痛いところを聞いて来やがる。
「変なことは変なことだよ」
「あ、わかった!」
翠は満面の笑みを浮かべポンと手を打つ。
嫌な予感しかしねえが……。
「分かったって……?」
「えっちなことでしょー?」
ズッコケそうになった。
あながち間違いじゃないから、否定できないのが悔しい。
「あ、その態度。図星だったんだ。大丈夫。九十九くんがどんだけえっちなことを言っても聞いてないからね」
「ま、まあいいや……、出る準備をするよ」
「うん!」
といっても、準備なんてすぐに終わる。
リュックに飲み物やら軽食を詰め込んでタオルを首に巻けば終了だ。
翠はと言えば、俺の渡した麦わら帽子以外はいつものセーラー服。
なんかこう着替えでもできたらいいんだけど、生憎、女性服は持っていない。ひょっとしたらコンビニのあった辺りに服とか置いてる? かも?
「翠、服が売っているお店とか知らないかな?」
「んんん。海水浴場があるから水着なら……あったかも?」
「そっかあ」
「どうしたの?」
「いや、いつもセーラー服だと、せっかくだから気分ごとに服装をと思って」
「そんなこと考えていてくれたんだ。気持ちだけでも嬉しいよ! 九十九くん」
俺の両手を握りしめて、翠はひまわりのような笑顔を浮かべる。
「ま、まあ。行こうか」
「うん!」




