10.釣り竿
しばらく川の中に浮くウキを見ていたけど、釣りってのは基本「待つ」だけなんだ。
なので、じーっと見つめていても何ら進展はないわけで……。すぐに引きが来る入れ食い状態なら話は別だけど。
残念ながら、今回は入れ食いではないようで……翠は初めての釣りだというから釣り上げるのを体験してもらいたいなあ。
「どうしたの? 九十九くん。何か失敗しちゃったかな?」
考え込む俺へ翠が不安そうに眉をひそめる。
「いや、せっかくだから魚がかからないかなあって」
「わたしはこうしているだけで、嬉しいよ?」
「そっか。それならいいんだけど」
本当に嬉しそうな顔をするんだなあ。
川べりで釣りをしているだけだというのに。
さっきも思ったんだけど、離島に住んでいてこれだけ海と川が身近にあるのに釣りをするどころか、隣で見ていることもしたことがないってのはちょっと考えられない。
彼女は魚が嫌いだった? いや、そんなわけないだろう。こんなに楽しそうなんだもの。
なら……やはり。
俺はキラキラした目で川を見つめる翠の横顔をチラリと見やる。
聞いてしまおうかと思い口を開くが、また閉じてしまった。
前を向き、ウキを見るが相変わらず動きはない。
手持無沙汰になって、またしても彼女の横顔をチラリと。
あ、目が合った。
「九十九くん、さっきからソワソワしてる?」
「あ、いや」
「何かやらないとなことあった? 餌かな?」
「餌はまだ大丈夫だと思う」
「んー。じゃあ……トイレ?」
「それも大丈夫!」
察しが悪いといか、天然なのか翠は自分のことを俺が考えているって発想がないのかな。
声に出して言えないけど、俺は君と出会ってから君のことばかり考えていると思う。
「んー。だったら」
「ん、いや。釣りをしているのが本当に楽しそうだなあと思って」
まだ続けようとする翠に声を重ねる。
すると、彼女は目を細め川を眺めた。
「うん、楽しいよ」
その声は、なんだかとても儚くて寂しそうで……。
鈍いな俺って……。
やっと分かったよ。
どうして彼女がこんなに楽しそうなのかって。
彼女は俺と同じ歳の時、亡くなったんだ。釣りさえもできずに……。
そこから推測するに、彼女はきっと幼い時からずっと体の調子が悪かったんだと思う。病気なのか生まれつきなのかは分からないけど、外で遊ぶこともほとんどなかったんじゃないかなって。
「七海さん、楽しいことなんてもっとあるぞ」
「本当に? 九十九くん……ひょっとして」
「ん?」
「遊び人なんじゃあ。きゃー」
「ちょ。俺は彼女なんてできたことねえし」
「ふうん。そうなのお? 意外」
どうせモテねえよ。
「意外」とか、そうやって気を使ってもらわなくたっていいんだい。
不貞腐れる俺へ、翠は口元に微笑みを浮かべ、
「わたしみたいな幽霊に、こんなに親しくお話してくれるもん。だからモテるんだと思ってたの」
「『わたしみたいな』じゃないって。七海さんだからだよ」
ついポロっとなんてことを言うんだ。俺の口。
毎日一度は口を滑らさないと気が済まんのか。ち、ちくしょう。
気障過ぎるセリフに対する気恥ずかしさから頭に手をやりボリボリとかきむしる。
「そんなこと言われたの初めてだよ」
「え?」
翠はぐすぐすと目に涙をためて、俺の手を握る。
「お、おおお」
「ご、ごめんね」
釣り竿を握る手を離したら、もちろん釣り竿は落下するわけで。
しかし、とっさに身を乗り出して釣り竿をキャッチする俺。我ながらよく間に合ったよ。自分ながらカッコいいかも。
「九十九くん、いきなり泣いちゃってビックリしたよね」
「あ、いや」
どこか痛いの? とか体調がとか聞きそうになったけど、お化けにそういうものは無いだろうと思って口をつぐむ。
まさか俺の気障なセリフが痛すぎて、ショックで泣いたとかじゃねえよな。
「わたしね。生まれつき心臓が悪くて、それで……」
「うん」
俺の予想した通りだったみたいだ。
こんな時、どういう言葉をかけていいのか。俺がもう少し気が利くやつならどんだけよかったことかと悔しい。
「元々都心部に住んでいたんだ。でも、家族が空気のいいところで療養しようって言ってくれて」
翠はポツポツと自分の過去を語っていく。
彼女は産まれながらに心臓に欠陥を抱えていて、幼い時から入退院を繰り返す。
心肺機能に問題があるから、走ることができず、外ではしゃぎまわることももちろんできなかった。
それどころか、外に出る時でさえ付き添いが必要で五分ほど歩いただけでも息があがるほど。
小学校になり、学校へ通うようになっても余り授業に出ることもできずお友達と一緒に遊ぶこともできなかった。
彼女の友達は病院のベッドというありさまだ。
中学、高校と進学していくも体は良くならず、薬が手放せないままだった。
高校三年生になった翠は、体の成長と共に心臓への負担が大きくなっていて学校も休むようになっていたそうだ。
そんな折、両親から離島に行かないかと提案される。
離島は空気が良く、都会にいるより翠の体にいいんじゃないかって理由だった。
しかし、俺はそれだけの理由じゃないと思う。
彼女の両親は翠がこれまで余り自然に触れることができなかったから、少しでも自然と触れ合える機会を作りたいと考えたんじゃないかなと。
きっと両親も分かっていたんだろうなあ……彼女の命の灯はもうそれほど残されていないってことを。
突然の提案に戸惑う翠へ両親は言葉を続ける。
離島に行くにあたって、病院とも相談して、薬と緊急時の対処法を万全にしてきているから安心しろと。
そんなこんなで父親は仕事があるから、単身赴任して母と妹と一緒に彼女は離島に渡ることになった。
「それでね。私は離島で体調を回復させて、高校に戻るんだって思ってたの」
結局、翠は離島に渡るものの調子は戻ることなく、そのまま他界した。
だから、だから制服を着ているのか。
未練。
幽霊は未練があるから幽霊になると聞く。彼女にとってセーラー服とはそれほど意味のある衣装だったのだ。
なんて、なんて悲しい過去なんだ……。
俺と同じ歳の少女が、こんな過酷な運命を背負っていたなんて。
自分のこれまでを振り返ると、彼女に比べ俺はなんてのほほんと何となしに生きていただけなんだって痛感する。
「お、重いよね。こんなお話」
翠は健気にもそんなことをのたまう。
これが俺の限界だった。
その言葉に俺の決壊は崩壊し、目から熱いものがこみあげてきて……。
「う、ううん。聞かせてくれてありがとう」
「九十九くん」
「ご、ごめん……う、うぐ……」
翠は後ろから俺に抱き着いてくる。彼女は俺の背中に顔を当てたままギュッと腕に力を込めた。
背中に熱いものが感じられ……泣いているのか彼女は。
「ありがとう。九十九くん。そんなに真剣にわたしのお話を聞いてくれて」
「う、うん……」
そんなこと言うなよ。また涙が止まらなくなってしまうじゃないかよ。
「でも、私ね。この島に来てよかったんだ。最後にお友達もできたんだよ」
「そ、そっかよかった。うん、よかった」
「男の子じゃないよ? 安心した?」
「また変なことを」
笑顔で返す俺に笑いながら彼女も応じる。
彼女から体を離し、正面に向き合って彼女の目と目を合わす。
「いっぱい、遊ぼう。やれなかったことをいっぱい」
「うん!」
彼女の頭を撫で、微笑みかけた。
来年になれば、彼女と話すことはおろか姿さえ見ることができなくなる。
でも、それまでは俺と思いっきり。うん!
「あ、九十九くん。釣り竿!」
「ああああ」




