第21話『絶対霊度』
「あー、楽しかった! たくさん叫んでスッキリしたわ」
「凄く叫んでたよね、麻実ちゃん。ひさしぶりだけど楽しかった」
「怖かったですけど楽しかったです、樹里ちゃん」
「あははっ、そっか。連続ループはさすがに凄かったね、真奈ちゃん」
マシンがスタート地点に戻ったとき、琴葉達はそういった好意的な言葉を口にした。どうやら、みんな天地逆転に満足したようだ。……ただ1人を除いて。
「終わった……の?」
「終わりましたよ」
「そっ、かぁ……」
はあっ、と沙奈会長は無表情で深呼吸をする。目線があさっての方向に行ってしまっているな。終わってほっとしているのか、それともあまりに怖すぎて呆然としているのか。
「……終わったと思わせて、また動き出すってことはない?」
「大丈夫ですって。安全バーも上がっているんですし。これで動いたら大問題ですよ。さあ、降りましょうか」
「うん」
ゆっくりと立ち上がり、マシンから降りたところで沙奈会長は僕に寄り掛かってくる。普段と違って重く感じるな。
「あの、すみません。近くにベンチってありますか?」
「出口の階段を降りたら、正面にベンチがございます」
「ありがとうございます。沙奈会長、階段もありますけど、もうちょっと歩くのを頑張れそうですか?」
「……うん。ゆっくりなら何とか」
「分かりました。じゃあ、ゆっくり行きましょう」
ベンチに行ったら少しの間休もう。正直、僕も少し休みたいと思っていたところだ。
「レイ君、沙奈さん。どうかしましたか?」
「……ちょっとね、絶叫マシンが凄すぎて。あははっ。ちょっと休みたい……」
「確かに、かなりの迫力がありましたもんね。一旦休みましょう」
僕らはスタッフさんに教えてもらった天地逆転の出口近くにあるベンチへと向かう。一緒に腰を下ろすと、沙奈会長は幾らか気分が落ち着いているように見えた。
「どうですか? 沙奈会長」
「……ベンチに座ったからかだいぶ楽になったよ。ここまで連れてきてくれてありがとう、玲人君」
「いえいえ、安心しました。それにしても天地逆転、凄かったですよね」
「……うん。怖かったけど、キュンキュンした。聞こえていたか分からないけれど、玲人君への想いを叫んだら楽しく思えてきて」
「そうなんですか? 終わったときに無表情になっていましたから、怖すぎて意識が飛んでしまったんだと思いましたよ。あと、沙奈会長の叫びははっきりと聞こえました。それもあってか、僕は怖さが吹き飛びましたけど」
「そうだったんだ。思い返すと、何だか恥ずかしいな……」
沙奈会長はそう言ってはにかむと、琴葉達に見られないようにするためなのか、僕の胸の中に顔を埋めた。
「あたしにも聞こえていたから、みんなも沙奈さんの叫んだ内容は分かってると思う」
琴葉は僕の耳元でそう囁いた。みんな普通に叫んでいる中で、沙奈会長が言葉を言っていたから2列前の琴葉にも聞こえたんだと思う。姉さん、副会長さん、真奈ちゃんもみんな優しい笑みを浮かべながら僕達のことを見ていた。
マシンから降りたときと比べて、沙奈会長も気分が良くなったようだし、違う話題を振るか。
「そういえば、どこか行きたいアトラクションってありますか?」
『絶対霊度!』
琴葉と姉さん、副会長さんが口を揃えてそう言った。
お化け屋敷だけど、絶叫系であることには変わりない。小さい頃、お化け屋敷も苦手と言っていた沙奈会長にはキツいのではないだろうか。
「沙奈会長。絶対霊度はお化け屋敷ですけど……」
「行く! 絶対霊度にも一度は行くって決めていたもん! それに今度は怖かったら今みたいに玲人君にしがみつけばいいんだし」
「……ポジティブですね」
天地逆転についても怖かったけどキュンキュンしたと言っていたくらいだ。沙奈会長なら絶対霊度も乗り越えられる気がしてきた。
「でも、無理はしないでね、お姉ちゃん」
「うん、真奈」
「じゃあ、沙奈会長も大丈夫そうなので、絶対霊度へと行きましょうか。もう歩けそうですか?」
「すっかり大丈夫だよ」
沙奈会長はベンチからすっと立ち上がって、僕に普段と変わらぬ元気そうな笑顔を見せてきた。これなら大丈夫かな。
僕達は絶対霊度に向かって歩き始める。
パンフレットによると絶対霊度はお化け屋敷であり、読み方は「絶対零度」と同じなので、屋敷の中の気温を10℃と寒くし、恐怖を倍増させているとのこと。冬季は元々寒いので本当に0度にするとか。お化け屋敷だからきっと中は暗いだろうし、そういう意味では氷穴に似ているかも。
絶対霊度に辿り着くと、天地逆転のような待機列はない。入り口前には幽霊のコスチュームを着た若い女性のスタッフさんがいた。
「ようこそ、絶対霊度へ。冷えた空間の中で本格的なお化け屋敷を味わうことができます。身も心も震える体験を……ぜひ。あと、一度に入ることができるのは3人までとなっております。寒いので、不安な方はこちらのウィンドブレーカーを貸し出しております」
僕達にしか聞こえないような小さな声でそう説明した。
「……どうしよっか? 玲人と沙奈ちゃんが一緒なのは確定だろうけど」
「……琴葉ちゃん、玲人君や私と一緒にお化け屋敷に入らない?」
「ええ、あたしはかまいませんけど。てっきり、レイ君と2人きりで楽しむと思っていました」
僕も同じことを思った。今は1人でも多くの人と一緒にいて安心したいのかな。
「玲人君と2人きりなのもいいけど、お化け屋敷はできるだけ多い方、が少しでも怖さがなくなると思って。琴葉ちゃんはお化け屋敷も好きだっていうし……」
「ふふっ、そうですか。じゃあ、沙奈さんとレイ君とあたしの3人で行きましょう」
「それなら、あたしと樹里ちゃんと真奈ちゃんで行こうか」
こうして、僕らは3人ずつに分かれて絶対霊度に入ることになった。
最初に姉さん、副会長さん、真奈ちゃんが中に入り、それから数分後に僕達も中に入り始める。
「寒いね……」
「暗いですし、氷穴に似ていますね、沙奈さん」
琴葉も同じことを思ったか。ただ、氷穴とは違ってここでは僕らを恐怖させるポイントがいくつもあるということ。
僕達は横並びになって歩き、沙奈会長が琴葉と僕の腕を絡ませる形に。
「ひゃああっ! 誰かから脚に息吹きかけられた! 後ろから!」
「えっ、誰かいる……うわっ!」
振り返ると、すぐ側に病院着を着たガリガリの男性が。幽霊になりきっているのか生気が全然感じられない。
「女性の体に触れられないからって、足元に息吹きかけたんだろうけどちょっとね……」
「ううっ、このド変態! どっか行っちゃいなさいよ!」
冷静な様子で非難する琴葉と、感情的になって大きな声を挙げる沙奈会長。2人の言うことはごももっともだな。
「申し訳……ございませんでした……」
はあっ、とため息をついて幽霊役の男性は僕達の元から立ち去っていった。その後ろ姿が虚しく感じられた。あれが演技なら、相当上手いと思う。
「ううっ、今でも脚がムズムズする……」
「足元に息を吹きかけたってことは、もしかしたらそのときに沙奈さんの下着を見たんじゃないですか? 薄暗いですけど見えそうな気がします」
「……今度会ったらただじゃおかない」
そのときは、あの男性が本当に幽霊になってしまいそうだな。あんなことをせずに、僕の脚をがっしり掴むとかすれば良かったのに。
僕達は再び絶対霊度の中を歩き始める。時々、冷たい風を受けるし、足元が悪くてつまずきそうにもなって。それだけでも怖さと緊張感が増していく。
「コイビトトワカレタ。ワタシ、ユウレイニナッタ。カナシイ……」
そんな声が聞こえたかと思うと、目の前にライトに照らされたセーラー服姿の女の子が現れた。今のセリフからして、恋人と別れたショックで自殺し幽霊になった……という感じかな。アルバイトの人なのか分からないけど、演技が上手だな。
「今は髪が長いので顔が見えないけど、髪をたくし上げたら顔がとても恐いってパターン……なのかな」
「そうかもしれませんね、沙奈さん」
その通りになればいいけれど。
「ワタシ、サビシイ。サビシイ……!」
すると、セーラー服姿の女の子は一気に僕の目の前まで近づく。
「ワタシ、イケメン、ダイスキ! アナタ、ワタシゴノミ!」
そう言って、僕のことを上目遣いで見てきた。そのときに初めて顔がはっきり見える。結構可愛らしい女の子だ。ただ、寒いのかメイクなのか……顔が青白くなっていて可哀想な印象。
「レイ君、幽霊さんに気に入られちゃったね」
「そ、そうだね」
きっと、別れた恋人と僕が似ているという設定なのだろう……と思っておく。
「アタシトツキアッテ! アナタ、キット……アタシニトッテ、ウンメイノヒト!」
「……へえ、彼と腕を組んでいる私がいるのに、そういうことを言っちゃうんだぁ」
沙奈会長がそう言った瞬間、全身に悪寒が走る。彼女と絡ませている腕が痛む。恐る恐る沙奈会長の方を見てみると、彼女はにっこりとした笑みを浮かべていた。
「私は彼の恋人なんですぅ。ねえねえ、教えて。今の言葉って玲人君のようにイケメンだったら全員に言うものなんですか? それとも、玲人君だから言ったんですか?」
「エ、エエト……」
「言っている意味が分かりませんか? つまり、演技で言ったのか本音で言っているのかって訊いているんですよ。怒らないから正直に教えてくれませんかぁ?」
笑みを絶やさずにそう言う沙奈会長がとても恐いんですが。あと、「怒らないから正直に言え」って言う人に正直に話すと、大抵は怒るんだよなぁ。
「ウウッ……」
セーラー服の女の子、沙奈会長が恐いのかさっきよりも顔色が悪くなって、脚がガクガクと震えている。そして、
「ご、ごめんなさああい!」
そう叫んで僕達のところから走り去ってしまった。
「沙奈さん……見事に幽霊を追い払っちゃったね」
「そうだね」
幽霊よりも恐い人ここにあり、ってか。怒ってしまえば沙奈会長に恐いものなんて全く無いんだろうな。
「ふふっ、この絶対霊度で一番恐ろしいのは如月さんかもしれませんね」
背後から聞き覚えのある女性の声が聞こえたので振り返ってみると、そこには幽霊らしく白い浴衣姿のアリスさんがいた。彼女は穏やかな笑みを浮かべている。
「アリスちゃん!」
「ふふっ、今日もみなさんと楽しそうにしていて何よりです、琴葉」
琴葉とアリスさんは手を握り合って喜んでいる。
「アリスさん、どうしたんですか。こんなところで。しかも、その服装……」
「ふふっ、ここではこのコスチュームが最適だと思いまして。ちょっと寒いですが。あたしの正体を知るあなた達だけですから、姿を現すのにちょうどいいかと思って。それにしても、如月さん……2人の幽霊役の方を見事に撃退しましたね」
「……癇に障っただけですよ。だって、1人は足元に息を吹きかけて、もう1人は幽霊の役をいいことに玲人君に迫ってくるんですもん。というか、私が一番恐ろしいって言わないでください」
沙奈会長は不機嫌そうな表情をして頬を膨らましている。さっきの恐ろしい様を見ているからか、とても可愛らしく思える。
「褒めたつもりで言ったんですけどね。可愛らしいと思いましたし。さっ、出口の近くまで一緒に行きましょうか」
「行ってくれるの? アリスちゃん。あと、こういうお化け屋敷って……」
「琴葉達と何かしたいと思っていましたから。あと、ここにあるものも所詮は作り物でしょう? この世界にあるもので、あたしに怖いものなんてありませんよ。猫ちゃんという可愛いと思う存在はいますけど」
アリスさん、余裕そうな笑みを浮かべている。彼女の魔法で沙奈会長が死にかけたこともあるくらいだし、それに比べたらここに出てくる幽霊なんて可愛い方か。
「アリスさんと一緒なら心強いです」
「如月さんの役に立てれば嬉しいですね」
「じゃあ、出口の近くまで4人で行きましょうか」
その後、アリスさんを加えて4人で絶対霊度を楽しむことに。
幽霊役の人が出てくると琴葉とアリスさんは一緒に楽しそうに叫んでいた。沙奈会長も僕の腕をしっかりと絡ませてくるけれど、序盤の2人に比べるとマシだと思ったのかあまり恐がっている様子はなかったのであった。