第18話『温泉と君に浸かる』
午後10時前。
僕と沙奈会長は801号室に戻ってきた。散歩中は人とはほとんど会わなかったけど、部屋に戻ると2人きりでいられるからか安心する。
「部屋に戻るとより気持ちが落ち着くなぁ」
「そうですね。沙奈会長、コーヒーありがとうございます。いただきますね」
「うん」
ベッドの横にある椅子に座って、僕は沙奈会長が買ってくれたベットボトルのブラックコーヒーを飲む。
「これは苦味だけではなく酸味も強いコーヒーですね。美味しい」
「ふふっ、そっか。お昼のときみたいな嬉しそうな顔をしてる。本当にコーヒーが好きなんだね、玲人君は」
「ええ。以前はカフェオレが大好きだったんですけど、今はすっかりとブラックが一番好きになりました」
「そうなんだ。私は当分の間……カフェオレかせいぜい微糖のコーヒーかな。いつかはブラックを飲めるようになりたいな」
「そのときを楽しみにしていますよ。試しにちょっと飲んでみますか?」
「うん、挑戦してみる」
沙奈会長はブラックコーヒーを一口飲む。すると、昼間と同じようにそれまでの笑顔が崩れてしまう。
「……苦い。あと、お昼に飲んだものよりも酸っぱい……」
「コーヒーにも色々なものがありますからね」
「なるほどね。……やっぱり、ブラックが飲めるようになるのは当分先かも」
「ははっ、そうですか」
僕もコーヒーを飲み始めた頃にブラックに挑戦したら、苦くて思わず吐き出してしまったことがある。甘いコーヒーから少しずつ慣れていけばいいんじゃないだろうか。
「ねえ、玲人君。そろそろ……このお部屋にある温泉に入らない?」
「いいですね、入りましょうか」
そういえば、まだ部屋にある温泉がどんな感じなのか見ていなかったな。貸切温泉も素敵なところだったから、きっと部屋の方もゆったりとできるだろう。
部屋の温泉は洗面所から行けるようだ。浴室とは別に河乃湖天然温泉というプレートが貼られている扉があった。
「玲人君は部屋の温泉を見るのは初めてなんだっけ」
「ええ」
「そっか。夕方、樹里先輩と一緒に見たんだけど、とても素敵なところだよ。富士山も綺麗に見えるし」
「へえ、そうなんですね」
沙奈会長が天然温泉に繋がる扉を開けると、そこには石造りのお風呂があった。2人で入るには十分すぎる広さに見える。外の涼しげな空気を楽しみながら、富士山などの風景を楽しめる半露天風呂という感じかな。
「いいところじゃないですか。素敵な風景を見ることもできて」
「そうだね。夕方に調べてみたら、どうやら各階に1部屋ずつこういった温泉付きのお部屋があるみたい」
「そうなんですか。じゃあ、運良くこの部屋に泊まることができたんですね」
「直前に予約したから本当に運が良かったと思うよ。さっ、玲人君。一緒に入ろう」
「はい」
僕と沙奈会長は一緒に温泉に浸かる。隣同士に腰を下ろし、脚を伸ばして。それでもゆったりとできる広さだ。夜だけれど、月明かりもあってうっすらと富士山を見ることができる。
「気持ちいいね、玲人君!」
「ええ、本当に気持ちいいですね」
夜の涼しい空気を感じていることもあってか、温泉の温もりがとても心地よい。それを沙奈会長と2人きりで堪能できるなんて。本当に幸せなことだと思う。
「まさか、付き合って間もないこの時期に、玲人君と2人きりで温泉に浸かりながら富士山を眺めることになるなんてね。1ヶ月前には想像もできなかったな」
「僕だって想像できませんでしたよ」
旅行のこともそうだけど、沙奈会長のことをここまで好きになるなんて。この旅行を通してより一層彼女のことが好きになったし。きっと、忘れることはないだろう。
「夜の富士山も悪くはないけど、やっぱりはっきりと見える方が好きかな」
「それは同感です。じゃあ、明るいときにも一度は入りましょうか」
「そうだね。あと、樹里先輩達さえよければだけど、またみんなで入るのもいいかもね」
「ここに6人で入るんですか?」
「うん。このくらい広ければそれもできるかもよ?」
沙奈会長は笑ってそう言う。まあ、この広さなら全員正座をすれば6人一緒に入ることはできるかもしれない。
「そういえば、みんな玲人君のこの筋肉質な体に興味を持っていたね。恋人としては、素敵だと思っていることに嬉しく思うけど、変に欲が出たら恐いっていう不安な気持ちもあって、何とも言えなかったな」
「そうだったんですか。何かその……ごめんなさい」
「ううん、玲人君は全く悪くないし、健康のことを考えたらむしろこの体はいいと思うよ。ただ、その……玲人君の体を堪能していいのは恋人である私だけなんだって嫉妬しちゃった。大げさだとかひ弱だって思うかもしれないけど、心がポロポロと崩れ落ちていく気もして」
沙奈会長は切なげな笑みを浮かべながらそう囁いた。
あのときは僕のすぐ隣で笑みを絶やさなかったけど、考えてみれば……そうだよな。何人もの女性が恋人の体に興味を持って触ってもいたから。沙奈会長が嫉妬するのは当然のことだろう。
そんなことを考えていると、沙奈会長は僕の目の前に回り込んで、僕のことをそっと抱きしめてきた。
「もう我慢できないよ、玲人君。私……玲人君のことをたくさん感じたい。一緒に気持ちいいことを……したい」
沙奈会長は上目遣いで僕のことを見つめ、そっとキスしてきた。
きっと、旅行の話が決まったときから、夜には僕と一緒に濃密な時間を過ごしたいと考えていたんだろう。旅が始まって、常に一緒にいることでその欲は溜まっていく一方で。嫉妬がそれに拍車をかけて。
「……分かりました」
沙奈会長の気持ちを受け入れて包み込みたい。彼女のことをぎゅっと抱きしめる。
「僕も、旅先での夜は沙奈会長と2人きりで色々なことをしようと思っていましたから。たっぷりとしましょう」
「……うん!」
すると、今度は満面の笑みを浮かべて沙奈会長は熱いキスをしてきた。
「さあ、玲人君。旅先での恋人との夜の過ごし方を一緒に勉強しようね」
僕は沙奈会長とベッドの上や浴室でたっぷりと体を通じて求め合い、愛し合った。
そのときの沙奈会長がとても可愛らしくて、彼女への好意や欲は深まっていくばかり。
沙奈会長からはどのくらい好きだと言われて、キスされただろうか。ただ、何回だったとしても、お互いに好きである気持ちを強く抱いていることは確かなのだ。きっと、それでいいんだと思う。
「……今日もたくさんしちゃったね、玲人君」
「そうですね。どんどん可愛らしくなりますよね、会長って。甘えんぼだし」
「それは……君のおかげだよ。気持ち良くしてくれるから……」
「……今も可愛い」
「ふふっ。ねえ、今日はこのまま玲人君と同じベッドで寝てもいい?」
「もちろんですよ。むしろ、旅行に行く前から、沙奈会長さえ良ければ一緒のベッドに寝たいくらいでしたから」
「……嬉しい。たとえ、玲人君に嫌だって言われたとしても、寝ている間に潜っちゃうけれどね。それで、起きないように気を付けながらたくさんキスするの」
ふふっ、と沙奈会長は楽しげに笑う。いかにも彼女らしい言葉だ。
ツインルームのベッドだけれど、家のベッドよりも大きいので沙奈会長と一緒に寝るには問題ない。むしろ、このくらいの広さがいいくらいで。
「そういえば、玲人君。いちご狩りのときにあなたが予約した2つの果実……いちごよりも甘かった?」
「……当たり前じゃないですか。僕好みでした」
だからこそ、絶対に他の人には味わわせたくないな。
今も下着を何も着けず、ただ浴衣を羽織っているだけの状態なので、例の2つの果実の一部がチラッと見えている。
「ふふっ、それなら良かった」
「……また、味わってもいいですか?」
「もちろんだよ。じゃあ、一生予約だね。さっ、明日のためにもそろそろ寝ようか」
「そうですね。もう日を跨いじゃましたし」
それだけ沙奈会長に夢中になっていたということだろう。それもあってか眠い。会長が買ってくれたブラックコーヒーをたまに飲んだんだけれどな。
「じゃあ、スマホで目覚ましをかけておこうかな。トランプを遊び終わったとき、確か明日は7時に待ち合わせをして、朝ご飯を食べる約束をしたもんね。だから、6時45分くらいにセットしておくね」
「僕もやっておきます」
眠るのが大好きだし、一度寝たらかなり長い時間寝てしまうこともあるので、目覚ましはかけておいた方がいいな。
「これでOKと。玲人君は?」
「僕も6時45分にかけました。ボリューム大きめにして」
「玲人君はよく寝るもんね。それがいいと思う。じゃあ……おやすみ」
「おやすみなさい」
寝る前のキスをし、僕は沙奈会長と身を寄せ合い、優しい温もりを感じながら眠りにつくのであった。




