第21話『猫の恩返し』
あれから、両親と姉さんにも沙奈会長が元気になったことを確認してもらった。みんな会長の体調が良くなって安堵の笑みを浮かべていた。ちなみに、会長の体調が良くなっていなかったら、昼前に連絡して会長の親御さんに迎えに来てもらうつもりだったらしい。
会長も元気になって心配もなくなったこともあり、俺の両親は久々のデートをすることになった。昨日の俺と会長が2人でお見舞いに行ったことに影響されたそうで。
「とても仲のいい御両親ね」
「ええ。高校で同じクラスになったのが出会いのきっかけで、父さんの告白をきっかけに付き合い始めてからずっとあんな感じらしくて。今でも、定期的に休日には2人きりでデートをするんです」
たまに喧嘩はするけれど、大抵は2、3日で仲直りする。俺の知っている限りでは離婚の危機になったことはない。
「なるほどね。まるで将来の私達を見ているようじゃない?」
「会長の頭の中ではそうかもしれませんね」
俺がそう答えると、沙奈会長は不機嫌そうに頬を膨らませている。
「……何か、段々と私のことを適当にあしらうようになってないかな?」
「そんなことないですって」
今の言葉だって想定内だったし、正面から反論しても懲りずにまた言うだろうから、適当な言葉を返した方が無難だと思って。
「それにしても、沙奈ちゃん良かったね。体調が良くなって」
「はい。玲人君が優しくしてくれたからだと思います」
沙奈会長はデレデレしている。
猫のように甘えさせたことを機に治ったみたいだけれど……もしかして、精神的なことが原因で体調を崩していたのかな。さっきみたいに冷たく接するのは控えた方がいいかもしれない。
「あっ、そうだ。お礼に私がお昼ご飯を作りますよ!」
「気持ちは嬉しいけれど、大丈夫なの? 病み上がりで……」
「大丈夫ですって。それに、朝ご飯は玲人君がお粥を作ってくれたので、今度は私が作りたい気分なんです。何か食べたいものはありますか?」
「甘いもの!」
姉さんは即答した。今朝は和風の朝食だったので甘いものもいいけれど、それでは間食になってしまうような。
「玲人君はどうかな?」
「甘いものがいいよね、玲人」
「……まあ、たまには甘いものがお昼ご飯っていうのもいいかな。じゃあ、俺も甘いものがいいです」
「分かったわ。じゃあ、ホットケーキミックスってある? パンケーキを作ろうかなって思っているんだけれど」
「そうですか。ホットケーキミックスは確か……」
思い当たるところを探してみると、未開封のホットケーキミックスがいくつもあった。
「これでいいですか?」
「うん、ありがとう。じゃあ、これを使ってパンケーキを作るよ」
「あたしも手伝うよ」
「ありがとうございます」
寝間着のままだったので会長は一旦、俺の部屋に戻った。料理ができるくらいに元気になって本当に良かったよ。ただ、料理中に体調を崩してしまうかもしれないので、俺も台所で見守ることにしよう。
そんなことを考えていると、ロングスカートに長袖のTシャツというラフな恰好をした会長が戻ってきた。ただし、
「どうしてそれを付けているんですか」
「鶴の恩返しならぬ猫の恩返しだよ」
頭には猫耳のカチューシャを付けていた。俺が猫みたいに甘えさせたことがそんなにも嬉しかったのかな。しかも、ウサギ耳のカチューシャとオオカミ耳のカチューシャを持っているし。俺や姉さんに付けさせる気か?
「うわあ、沙奈ちゃん、可愛い猫耳だね!」
「私達だけしかいませんし、せっかくですから。元々は玲人君に付けてもらおうかなと思って持ってきたんですけど」
「そうなんだ。あたし、ウサギがいい!」
さっそく姉さんはウサギ耳のカチューシャを付けて楽しんでいる。こうして一緒にいるところを見ると、会長の方が年上の女性に見えてくるな。2人とも可愛いけれど。
「はい、玲人君は今日もオオカミさんね。あと、料理中の私のことを襲ってもいいから」
やっぱり、俺もカチューシャを付けられてしまった。あと、料理にちょっかいとかを出すのは危険だから、会長に何かするつもりは全くない。
「玲人も似合ってるね」
姉さんにスマートフォンで写真を撮られてしまう。一匹狼みたいだっていう声もあるくらいだから、このオオカミ耳はお似合いなのかもしれない。
沙奈会長は姉さんと一緒にお昼ご飯のパンケーキを作り始める。
猫耳カチューシャやウサギ耳カチューシャをしているエプロン姿の女性達を、オオカミ耳のカチューシャを付けた俺が見守っている……という今の光景を第三者が見たらどう思うだろうか。俺が2人に料理させているように見えるのかな。
「こんな感じでやればいい?」
「はい、上手ですよ」
こうして家の台所に生徒会長が立っているなんて、先週の日曜日には想像もできなかったな。思えば、この1週間で高校生活ががらりと変わった気がする。沙奈会長絡みのことが盛りだくさんだった。
「あっ、沙奈会長。ケガしないように気を付けてくださいね。ケーキの生地に血が入っているのはさすがに……」
「大丈夫だって、たぶん」
「どの料理でもうっかりと血が入っちゃったら、それは食べさせないでしょ」
姉さんはそう言ってくれるけれど、血入りのハンバーグを実際に食べた人間がここにいるんだよな。
沙奈会長は血入りのハンバーグを食べたことを知った際に結婚するしかないと言ってくる人なので、今回も同じようなことをしてくるかもしれない。
「ケーキ作りに包丁は使わないから血は入らないって、玲人君」
「……鼻血の可能性があるじゃないですか」
「そうだね。この前も鼻血だったもんね。万が一、鼻血が出ても今日は近くに玲人君やお姉様がいるから大丈夫だよ」
本当に鼻血が出たら全力で止めに行かないと。
その後も2人のことを見守っていくと、段々と甘い匂いがしてきた。もう少しでパンケーキができあがるのかな。
会長がパンケーキを焼いている横で、姉さんが野菜を切っていた。間食ではなく昼食なのでサラダでも作っているんだろう。以前、姉さんはあまり料理ができなかったけれど、1人暮らしをしているときは自炊をしていたそうなので、そのときに培った実力が発揮されているようだ。
「パンケーキ、出来上がり!」
「生野菜のサラダも作ったよ」
正午過ぎにお昼ご飯のパンケーキと生野菜サラダができあがった。2枚に重なったパンケーキの上には溶け始めているバターが乗っており、ハチミツもかかっている。正直、昼食にパンケーキってどうなのかなって思ったけれど、実際にこうして目の前に出されると食欲がとても湧いてくる。
昨日の夕ご飯では俺の隣に座っていたけれど、今回は俺と向かい合うようにして姉さんの隣の椅子に座った。
「美味しそうにできたね、沙奈ちゃん」
「はい! それじゃ、さっそく食べましょうか。いただきます!」
『いただきます!』
血や涎などが入っていないことを祈りつつ、俺はパンケーキを一口食べる。
「うん、美味しいですよ」
温かいこともあってパンケーキの甘さが口の中に優しく広がっていく。バターの塩っ気とハチミツの甘さが見事に融合していて、美味しいという言葉以外に思いつかないくらいに美味しい。ちなみに、血の味や匂いは全くしなかった。
「良かった、美味しくできて。お姉様はどうですか?」
「凄く美味しいよ。これなら2枚どころか5枚くらいは余裕で食べられる」
姉さんは甘いものに関しては大食いだから5枚くらいいけそうな気がする。もしかしたら、3人の中では俺が一番小食かもしれない。
「ふふっ、そうですか。パンケーキだけだとさすがにキツいので、このサラダがちょうどいいですね」
「おやつじゃなくてお昼ご飯だからね。野菜もしっかり食べないと」
「姉さんのサラダがあるから、パンケーキをより美味しく食べられるのかもね」
正直、パンケーキを侮っていた。まだ1枚目の半分くらいしか食べていないけれど、着実に胃に溜まってきている。結構甘いのでたまにサラダで口直しをしないとキツい。
「いやー、たまにはこういうお昼ご飯もいいね。みんなで動物の耳のカチューシャを付けて甘いものを食べるのも」
そう言ってパンケーキを食べている姉さんは中学生くらいにしか見えない。甘いものはともかく、カチューシャを付けながらの食事は年に1度くらいでいいよ。
「パンケーキ美味しい」
「美味しいですよね。今の会長を見ていると、今朝の体調不良が嘘のようですよ」
「……嬉しいことがあると、急に体調が良くなることってあるじゃない。病は気からって言うし」
「じゃあ、今回の体調不良は精神的なものだったんですか?」
「う~ん、生徒会の仕事での疲れが溜まったことと、玲人君にもっと甘えたいっていう欲望からかな?」
「……そうですか」
それなら、猫を扱うように甘えさせたことで体調が良くなったのも頷けるかな。疲れはまだ残っているかもしれないけれど、この後もゆっくりすれば大丈夫そうだ。
「玲人君、あ~ん」
「今日もですか」
「沙奈ちゃんだけずるい。あたしもやる! 玲人、あ~ん」
「……はいはい」
沙奈会長と姉さんにパンケーキを食べさせられたこともあって、結局、俺はパンケーキを2枚よりも多く食べたことになり、昼食の後、しばらく動けなかったのであった。