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5.ロスト

 城館の西側はミラリアの区画となっており、最奥の部屋の一つが彼女の寝室である。

 盗賊襲撃の翌朝――その部屋の中では彼女一人、紅茶を啜る音だけが響いていた。


(渋みの中に渋み……やはり、あまり良くない事が起こっていますね)


 いつものにこやかな顔はなく、どこか神妙な面持ちであった。

 普段通りに煎れたはずなのに、渋みを感じる――これが、彼女をそうさせた。

 ミラリアは、妹のように攻撃的に“魔法”を使わない。その代わりと言うべきか、彼女は周囲の異変を感知する、<魔女の勘(シックス・センス)>に優れていた。


(負の連鎖……いや、これはまた別、一難去ってまた一難と言ったところでしょうか?

 フィーちゃんの“負”まだ続いていますが、また別のそれが絡み始めたような……これは一体……)


 ミラリアは『町を去ったのは早計だったかもしれない』と考えていた。

 シスターズの町を去った原因は、表向きは彼女にある事になっている……が、町を離れる事になった本当の原因は、セラフィーナ自身にあったのである。


 数週間前、セラフィーナは金を持ってそうな男を引っ掛け、連れ込み宿に消えた――。

 手癖が悪いのはいつものことなので、気にしてはいなかったが……その男が少々性質の悪い、この均衡を根城にしている盗賊団の頭領・ランバーだと分かったのは、翌朝のティータイムの時であった。

 妹が席を離れた隙に、その財布を確かめてみると……そこには何と、二掴みほどの金粒が入っており、彼女は即座にこれが原因かと気づいた。

 セラフィーナはたまにこうして“生活費”を得るのだが、この時だけはミラリアに“どす黒い”予感が走る。思い立ったが吉日――彼女は早急に町長の息子を“魅了(チャーム)”し、自らを“原因”として町を去る原因を作ったのでだ。


(お金に関しての嗅覚は、日々鋭さを増していますが――。

 ふふっ、フィーちゃんも泥棒猫ちゃんになるは、まだまだのようですね)


 渋い紅茶も悪くない。ミラリアは薄く微笑みながら、それを堪能するように息を吐いた。

 セラフィーナはこの手の“勘”を持ち得ていないが、代わりに金目の物を嗅ぎつける能力に長けている。

 カモを見つけては、甘い言葉と仕草で男を骨抜きにし、淫魔が精を吸い取るように金を全て差し出させる<女の罠(ハニートラップ)>――これには、ミラリアも舌を巻くほどの嗅覚と狡猾さであり、姉妹の旅に不自由らしい不自由がないのは、セラフィーナの技の賜物でもあった。


 セラフィーナは、いわば猫である。自由気ままに生きるのが信条であるため、飼い猫がどこかで子種を得て来たような、厄介な問題を時々起こす。その度、ミラリアはこうして陰ながらフォローしてきた。

 しかし、二人は常にそのようにして日銭を得て来たわけではない。それをするのは、あくまで困窮した時だけだ。常にしていれば“黒い魔女団”と変わらないため、普段の彼女たちは、一般人の中に紛れ、菜園などで採れた野菜を売るなどして真っ当に働いて来たのだ。


(しかし、メンツを潰されたのは分かりますが……。

 昨日やって来た盗賊さんたちからは、盗られたお金以外のそれが見えましたね)


 ミラリアは静かに小首を傾げた。

 二人の()()を見れば、金を持っていないのは一目瞭然であろう。

 盗まれた金を取り返すにしても端金(はしたかね)である。三下の彼らに恩恵があるわけでもないのに、あれほど爛々と目を輝かせるわけがない。それに、彼女たちを()()に出来るのならば、端金なんぞくれてやっても何ら問題はないはずだ。

 この国の高級娼婦を全て買い上げても、セラフィーナ一人を得る額には遠く及ばない。

 逆に売りつける事も考えられるが、そのような“お宝”をみすみす手放す者とは到底考えられない――とすれば、考えられる事は限られる。


(この城館……盗賊の“欲”……そして、私たちを取り巻く黒い影、ですか。

 あまり、力仕事はあまりしたくありませんが……もう一仕事やらねばならないようですね。あ、ついでに()()()()もしておきましょう)


 カップの紅茶を飲み干すと、ミラリアは椅子から立ち上がった。

 カバンの中から、真っ黒な手袋を取り出すと、ギュッギュッとそれをはめてゆく。

 手に()()()()()と、今度は慎重に……まるで壊れ物を扱うかのように、そっと木製の扉をノブに手をかけた。



 ◆ ◆ ◆



 その頃――妹・セラフィーナは、朝早くから庭と山狩りを行っていた。

 傍らには、いつの間にか飼い犬となった黒犬・ブラードがフンフンと忙しく鼻を鳴らし、地面の匂いを嗅いでいる。


「ねぇ、ブラード……アンタ、本当にこの辺りで()()()のよね?」


 怪訝そうな顔でセラフィーナが尋ねると、ブラードは『クゥーン……』と自信なさげに鳴いた。

 確かにここで間違いないのだが、何度も確認されると、己の嗅覚と記憶に不安を覚えたようだ。


「……別に咎めているワケじゃないわ。

 血の跡があるし、何度見ても確かにここで間違いないのだしさ」


 このやり取りはもう何度も行っているが、周囲には“何もない”。

 ゆっくりと見渡すも、木の根本――(おびただ)しい量の血が付着している木の葉や、()()()()()だけしか見えないのだ。……つまり、“死体がどこにも無い”のである。


「獣に持って行かれた……なら良いけど、それなら肉片がもっと飛び散っていてもいいし。

 それどころか、周囲にブラック・ドッグの匂いがしていたら、手すら出さないわよね……。

 しかも、この血の量――」


 犬や獣が貪った、にしては量が多すぎる。

 それに一か所に集中している――悪い予感がしたセラフィーナは、頭上の樹を見上げた。


(やっぱり……枝にツタの跡がある)


 何者かがここで、ブラードに仕留められた盗賊を逆さ吊りにし、家畜のように死体の首を切り落としたと見て間違いないようだ。

 しかし、そうなると『誰がそのような事をしたのか?』との疑問が浮かび上がる。


(……まさか、姉さん? いや、でも……)


 彼女の胸の中にも、どす黒い不安が生まれる。

 ミラリアは時おり、見た目からは想像もつかないようなエゲつない事をするのだ。

 セラフィーナはその時、昨晩の出来事をふと思い出した――。


(確か夜遅くまで『ブラードが獲って来た獲物を捌いてた』って言ってたよね……?

 逆鱗に触れたのなら、首を取り、相手に送り付けるぐらいはやりかねない人だし……。

 は、ははは……まさかね……いくら何でも、早々にそんな事は、ねぇ?)


 ブラードに同意を求める目を向けたが、当()は何のことか分からず、『ウォ?』と首を傾げた。

 セラフィーナは背中に冷たい物を感じていた。死体が消えたのは、ここだけではない。朝になったら片づけようと思っていた、庭にあるはずの死体までないのだ。


 盗賊に尻尾を掴まれた事に、姉がプッツンしているのだとしたら――。

 その矛先が向けられれば、“魔女狩り”された方がマシなほどの“お説教”が飛んでしまう。

 セラフィーナは、雑用を素直に請け負い、全てのティータイムに付き合おう、と心に決めていた。


 ・

 ・

 ・


 セラフィーナが帰って来たのは、それからしばらくしてからであった。


(い、いないわよね……?)


 ギィ……と小さく音を立て、玄関ホールの扉を開いた。

 誰も居ないのを確認すると、セラフィーナは抜き足差し足でそこを渡り、自分の居室がある西側の棟を目指す。

 ホールの階段を上り、バルコニーを抜ければすぐだ。黒犬のブラードは関係ないのだが、どうしてか同じように口に“収穫物”が入ったカゴを咥えたまま、抜き足差し足で彼女の背を追う。

 そろりそろりとホールの広間を抜け、ホールの階段の一段目に足をかけた時だ――。


「――あら、お出かけしていたんですね」

「ひぅっ!?」


 セラフィーナはビクりと身体を震わせたが、どうしてかブラードも同じ反応してしまっている。

 その勢いで収穫物のいくつか転がり落ちてしまい、その赤い物がミラリアの足下にコロコロと転がってしまった。


「まぁっ♪ 木苺を採っていたのですね」


 赤い木苺を見るや、ミラリアは声を弾ませた。

 セラフィーナは少しでも姉の機嫌を取ろうと、彼女が好きな木苺などを集めていたのだ。

 そんな事はつゆ知らず、ミラリアは黒い手袋をしたままの手を伸ばし、つまみ上げようとすると――


「ひっ!?」

「……あ、忘れていました」


 ミラリアがそっと挟んだだけで、木苺がプチュッ……とすり潰されたのだ。


「ね、ねねね、姉さん……? な、何で、<パワーグラブ>なんてしてるの……?」

「ああ、ちょっと……色々と探索したい事がありまして。

 ですが、色々収穫がありましたよ、うふふふっ……」


 彼女がはめている手袋は、普通の手袋ではない。

 彼女たち“灰の魔女団”は、他の魔女と比べて“魔法”の研究等はあまり行わない性質だ。その代りに、“魔法道具(マジックアイテム)”を所持しているのが、彼女たち“灰の魔女団”の特徴でもあった。

 セラフィーナは、魔法を込められる魔法道具・<マジック・スフィア>を所持している。

 それに対し、不気味な笑みを浮かべるミラリアが持つのは、己の腕力・握力を何十倍にも高められる――<パワーグラブ>なのだ。


「あら、顔色悪いようですが、大丈夫ですか?

 もう夏が終わりとは言え、まだ残暑が厳しいのですから気を付けないといけませんよ」

「う、うんっ、あ、あははっそうだねっ!」


 セラフィーナに戦慄が走った。木苺を潰したのは“警告”である、と――。

 黒犬もどこか股間を隠すように、キ()()と座している。


「?? ああ、そうでした。

 帰って来たら、ちゃんと言っておかなきゃと思っていたのですが――」

「は、はひっ!?」

「――ちゃんと言われる前にやるなんて偉いですねー。お姉さんは嬉しいですよ」


 ミラリアは、セラフィーナに近づくとその手を伸ばし――


「ひ、ひぃぃっ、ご、ごめんなさいっ、ごめんなさいぃぃっ!?」

「ふぇ? あ、あぁ手袋したままでしたね……。

 ですが、ちゃんと言われる前にやったのですから、謝る必要なんてないんですよ?

 今日のフィーちゃんはおかしいですね、うふふ」

「い、言われる前って……なんの、こと?」

「あら、とぼけちゃっても無駄ですよー?

 ちゃんと、昨日の盗賊さんの死体を片付けてたじゃないですか。

 昨晩はあのままだったので、いつやるのか――明日私が起きるまでにやらなきゃ“お説教”しなきゃと思ってたのですよ」

「へ……?」


 ミラリアの言葉に、セラフィーナは目を丸くした。

 確かに、姉が起きてくる前に片づけねば小言を言われてしまうかもしれない、と思い朝イチで処理に向かったのは事実だ。だが、彼女が外に出た時には、五つの死体は既になく、雑草には引きずったような跡がある事から、寝ている間に姉が全てやっていたと思っていたのである。

 だからこうやって、言葉には出さないで『怒っている』と伝えているのだ、と。


「ちょ、ちょっと……あれ、姉さんがやったんじゃないの?」

「いえ? 私があんなの好き好んで触るわけないじゃないですか。

 またまた、フィーちゃんったら、おかしな事を言いますね」

「え、わ、私がやろうとした時には、もう死体が無かったんだよ!?

 門に吊るした死体も、庭にあった四つの死体も、ブラードが噛み殺した森の死体も全部っ!」

「全部……?」


 その言葉に、ミラリアの表情が一変した。

 森の死体は流石に感知のしようがないが、眠っている間でも、庭への侵入者は気づくはずなのである。それゆえに、本当に妹がやったと思っていた。


「五つの死体が消えて、代わりに――」

「ど、どうしたの姉さん?」


 ミラリアの中で、信じられない仮定が浮かび上がっていた。

 だが、未だ謎の多い館……彼女は、探索によって新たに発見した事をセラフィーナに伝えようと顔をあげた。


「フィーちゃん、ちょっと来てください」


 いつになく真剣な表情のミラリアに、セラフィーナはごくり……と固唾を呑んでしまった。

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