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その3

 二度あることは三度ある。

 若い整備工が勤める自動車整備工場には、長い付き合いのあるお年を召した男性客が一人いる。毎回の定期点検のみならず、タイヤ交換からなにから必ず来てくれる、いわゆるご贔屓様だ。もう二十年近くも同じ車に乗り、あちこち故障を直しつつ、いまでも元気に愛車を乗り回している。

 雨の多い六月の上旬、車検を上げて一週間も経たないうちにその車が故障した。昨夜まで問題なく動いていたのに、朝になったらどういうわけかエンジンがかからないという。

 大急ぎで用意した代車と引き換えに、故障車を牽引して工場まで運びこみ、再チェック。セルモーターは回るので、電気系統のトラブルではない。着火タイミングがずれたために霧状のガソリンが点火プラグを先に濡らしてしまって着火しなくなる、いわゆるカブリと呼ばれる状態だ。部品そのものを外して調べてみたもののどこも異常がなく、再組み立てすると、まるで嘘のように難なく起動。手間はともかく部品交換もないので料金不要ということで事情を話し、夕方には自宅へ納車した。

 ところが、その翌朝、また同じ事態が起きた。

 昨日と同様、キーを回しても唸るばかりで起動しない。

 いくら人の好い馴染みの常連客とはいえ、修理を頼んで昨日の今日だ。さすがにもういい顔はしない。眉間に刻んだ皺がいっそう深くなった。

 持ってきた代車から降りてお客様に平身低頭。牽引して運んだ車を工場で調べると、やはりカブリ気味だった。

 だが、プラグに付着していたはずのガソリンが輸送中に気化してしまったらしく、三回ほどキーを回してみると、大きな震えと唸りともにエンジンが動き出す。

 車を囲んだ整備工たちも唸った。ある者は腕組みし、また、ある者は頭を抱えた。

 またしても、原因を特定する前に回復してしまったのだ。

 これは、おそろしく再現性の低い不具合が、たまたま二日連続で発生した可能性が高い。

 冗談みたいな馬鹿馬鹿しい状況だが、実際ないこともないのだ。

 けれど、車検から数えれば点検修理はすでに三度。

 なんかわからないけど直りましたのでお返しします、なんてことはもう通用しない。

 工場の信用、そしてなにより自動車整備技師としての沽券に関わる。

 何の異常もなくなり元気になった古いエンジンを相手に試行錯誤を繰り返し、結果、たいして悪くもない点火プラグを新品と交換。安定性をわずかばかり向上させた。……はずだ。

 試運転では問題ない。だが、それは前回もそうだった。

 これ以上、なにも起こらないでくれ。

 祈るような整備工たちの心をのせて、車は本来の持ち主のもとへ帰っていった。


 仕事上の不安を抱えているせいもあってか、余計に雲行きが怪しく感じる帰り道。

 またぞろコンビニで何日か分の食料を買い込んだ整備工は、歳月と水が染みになって滲むコンクリートの陸橋下を歩いていた。向かい側へ抜けるトンネルに踏み入るのとほぼ同時に、静かな雨音が背後から聞こえはじめた。振り返れば、道路のアスファルトが見る間に濡れて、より濃く黒くその色を変えていく。

 ぼんやりと眺めていると、雨の帳の向こうから、ぴょこんとこちらに飛び込んできた小動物のような影がひとつ。

「おう、かしこいの。ひさしぶり」

 深緑の衣服に身を包み、三角帽子を頭に被った例の小人、ミリメルだった。

「ミリメル。お前、そんな風にこっちの世界へ来てたのか……」

 あたり一面が輝いて異世界の扉が開き……とかでもなんでもなく、まるで横丁の角でも曲がるかのようにひょいと現れたミリメルの姿を認めて、予想以上にがっかりしている自分に気付く整備工であった。

 やはり、映画のようなスペクタクルは、名も無き一市民にとって縁が無いものらしい。

「まあな」

 なぜか偉そうにふんぞりかえるヘンな小人には、妙に縁があるようだが。

「それで、今度は何をしに来たんだ?」

 二度あることは三度あるという。

「おいしいもの、たべに」

 そして、三度目の正直ともいう。

「いや、もう帰れ」

 けれど、仏の顔も三度まで。

「よし。さきにいく。はやくこい」

 どっこい、馬の耳に念仏であった。

 まさに今、たまたまトンネルを抜けようと通りかかったらしい、白黒まだら模様をしたボス猫ブン太と小人ミリメルの目が合った。駆け寄った小人が問答無用で背中によじ登るあいだ、いつも険しい猫の表情がやや困惑しているようにみえなくもない。首の後ろにしがみつくミリメルを振り落とさない速さで、トンネルから出たブン太は雨の中を走り去る。

 別段、急ぐつもりもないが、この雨模様に傘が無い。

 やむなく、ミリメルが戸口で待っているはずの住まいに向かって整備工は駆け出した。


「それで、前に教えたロープの作り方は役に立ったのか」

「ろーぷ?」

「ほら、あの二本の蔦を絡めて作るあれだよ」

「ああ、あれ」

 座布団代わりの万年床に胡坐をかいた整備工の問いかけへ、新聞紙を敷いた卓袱台にぺたりと座ったミリメルが答える。抱え持ったビスケットから口を離すと、欠片と粉がぽろぽろこぼれ落ちた。

「のぼる。ほどけて、ぐるぐるまわる」

「そうだったか……すまん」

 あのあと整備工自身も気になってすこし調べてみたのだが、ロープ製作は単純なようでなかなか複雑だった。細い一本を中心の軸として、その周りに二本から三本を引っ張りながら巻きつけていくのが一般的だが、繊維の材質や使う用途によってもその製法はかなり違ってくる。

 前回教えたのは、単純で原始的な縄の作り方だった。ただし、材料となる蔦の性質や強度までは考慮していない。異世界の実物を手にする手段がないのだから仕方がないといえばそれまでだが、結果的に不正確な情報を教えてしまったことに、整備工はチクリと胸を刺すような罪悪感をおぼえた。

「ぐるぐるまわる。みんな、おおわらい」

「そ、そうか」

 切れにくい頑丈なロープとしては問題アリだが、それはそれとして小人たちが遊ぶ役には立っているらしい。

「あれのおかげ。また、あたらしいあそび、だいにんき」

 さらにミリメルはきりりとした真顔で告げる。荒々しい鼻息で卓袱台にこぼしまくったビスケットの粉がすこし動いた。

「ぐるぐるまわるやつか」

「ちがう」

「他の遊び?」

「そう。『つたひっぱり』」

 どういう競技か、なんとなく思い浮かんだが、念のために一応は聞いてみる。

「ほほう。それはどんな遊びなんだ」

「ねじったつた、なんにんか、つかむ。りょうほうから、ひっぱりあう」

 それは、やはりというか案の定というか、紛れもなくこちらでいうところの『綱引き』だった。

 咄嗟にかける言葉に詰まった整備工を見たミリメルは、新たな遊戯の発明に鼻高々な調子でさらに話を続ける。

「ちからつきて、たおれたほう、まけ」

 ふと整備工の頭をよぎる、綱を掴んだまま地面に横たわり、うんともすんとも動かない小人たちの姿。

「いやお前! それガチ過ぎるだろ! もっとちゃんと安全なルール作れよ!」

「……るーる?」

「決まりのことだ」

「つよいほう、かつ」

「そういう厳しい野生のオキテじゃなくてだな、例えば、こう……」

 整備工はミリメルにもわかるようになるべく簡単に説明しようとした。

 まず、ピンと張った蔦の端を合わせてふたつに折り、中点を割り出す。中点こと蔦の真ん中に、別の草を結ぶなりなんなりして印を付ける。伸ばした蔦を地面に置き、その上を印から一歩ずつ同じ歩幅で進んで、地面に線を引く。それから蔦を引っ張り合い、印が自軍側の線を越えたほうが勝ち。

 なんてことはない『綱引き』の大雑把なルールである。

「うぬぬ……」

 お菓子を置いて腕組しながら聞いていたミリメルが、不機嫌なオヤジよろしく唸り出す。

「どうした? なにか気に入らないとこでもあるのか?」

 さらに眉間のシワを深くすると結んでいたへの字口を開いた。

「それ、やるき、たりない」

『もりのくに』の小人たちは、メルヘン世界の住人らしい陽気でのんきな連中だと思っていたが、事と次第によっては予想を遥かに上回る真剣さで当たるようだ。ただ、その判断基準がいまいちよくわからない。

「ちなみに、その『綱引き』、いや『つたひっぱり』はどのくらい遊ぶものなんだ?」

「きづけば、よる」

 いつからはじめて夜までやるのか。それとも、疲れて倒れた者たちが目を覚ますのが夜なのか。

 どっちにせよ、命の危険を感じさせるレベルだ。

「でも、いま教えた方法なら、短い時間で勝負が着くぞ」

「……」

 時間ではなく質の問題だとでもいわんばかりに不満顔なままのミリメル。

 そこで整備工はもうひとつの見解を示した。

「つまり、一日に何回も『つたひっぱり』で遊べるんだ」

「……! そうか! おまえ、かしこいな!」

 どうやら質より量で納得してくれたらしい。

「いや、それはどうだろうな」

 しかし、必ずしも質を数で補えるとは限らない。

 たとえば、愛車の故障を何度も何度も直すハメになったとしたら、そんな整備のクオリティーに納得する客がいるだろうか。

 勢いよく万年床へ土足で飛び降りようとした小人を危うくキャッチした整備工は、そのまま湯飲みを持つようにして玄関まで運んだ。幸いなことにミリメルも珍しく神妙にしている。お釈迦様の手の上の孫悟空も意外にこんな感じだったのかもしれない。

 たたきの上の汚れたスニーカーの隣にそっとミリメルを下ろし、ドアを開けようとすると、外になにか重く柔らかい抵抗がある。

 もう一度そっと押してみると、のっそり起き上がる白黒まだらの猫の姿が隙間から見えた。

 殊勝にも野良猫ブン太は、ここでミリメルを待っていたようだ。

 人相の悪い猫が印象深い目で一瞥するのも特に気にせず、後ろ足からよじ登った小人は、背中まで辿り着くと首根っこにしがみついた。

「よし。いけ、ねこ」

 競歩のようなスピードの小走りでブン太は霧雨の中を軽快に去っていく。

「あばよ! かしこいの!」

「ああ。もう、遊びに来なくていいからな」

 整備工も負けずに捨て台詞を返したが、細かい雨の向こうから答える声は聞こえない。

 部屋に戻って卓袱台を見ると、ミリメルが残したビスケットが食べかけのまま置きざりにされてあった。

 あの食い意地の張った小人にしては珍しい。

 もし、また来ることがあったとしても、その頃にはもうカビが生えていることだろう。



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