始めの一歩─1:甘栗の少女
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ツヴァイ誕暦七七五年
四月一日
──Nエリア
◆
(今日から五年生だ………………今年こそ……………………………………)
D小学校の校門前、足を止めた笹森彩音は、小さな溜息を吐いて真っ青な空を見上げた。
今日もいい天気。あの子もこの空を見てるだろうか…………
「なにあの子、綺麗~」「お、可愛いじゃん、あの子」「なによあの髪、気持ち悪い」・・・・・・
いつもの様に立ち止まったままの私をチラチラ見ながら灰色の生徒達が追い越して行く。でも、今日はいつもと何か違う。──見られるのはいつもの事だが、今では容姿の事を口にする生徒は殆んどいない。新入生というわけでもなさそうだが、どういうことだろう?
首を傾げながら彼等を見ていてハッとした。見慣れない生徒がかなり混じっている。
(あっ、そういえば、今日からA小学校の生徒が一緒でした…………)
自分へ向けられる好奇に満ちた視線…………彼等が希望だとは思えない。──彩音は憂鬱な表情を浮かべてトボトボ歩き出す。
新学年のクラスが張られた掲示板の前に立ち、自分の名前を探すと三組にあった。そして早速新しいクラスメイト達の名前を確認する。
私にはまだお友達がいない、今確認してるのはあの人達の名前だ…………
もっとも一緒になりたくない人達…………そのリーダーといつも一緒にいる二人の名前を見つけてしまった。知らなかった…………私は先生にも嫌われていたんだな。
(ミコト…………お姉ちゃん今年も駄目かも知れない………………あっ、誤解しては駄目よ? 諦めてなんかいないからね?)
──
人の瞳と髪は黒一色。そんな世界で琥珀色の瞳を持ち、甘栗色の髪を腰下まで伸ばしている彩音は近所でちょっとした有名人だ…………
更にマネキンのような小さな顔と整い過ぎている目鼻立ちに白い肌。それらは全て母親から貰ったもので、すれ違う子供達はもちろん大人ですら立ち止まる。
色以外の特別さに無自覚な彩音はいつか母のように自身の色が似合う綺麗な女性になりたいと思っている。だけど子供の彼女にとってこの色はハンデでしかない……この色のせいで、学校では別の意味でも有名になってしまったのだ。
──
彩音は五年三組のプレートの掛かった教室の前に立ち止まり、いつもの祈りを念じる。
(お願いします。今日こそ……今日こそきっと……)
祈りは絶対に叶うと信じているのに小さな溜息が出てしまう…………肩を落としてドアを開けた。
「っ!」(な、なにこの子!?)
目の前に一人の少女が立っていた。──少女は両手で顔を隠し、大粒の涙を床に落としている…………それだけなら友達と喧嘩したとか、よくある光景だ。しかしそれ以前に少女は特別だった。なんと全身が朱色に包まれている。
──
彩音には人の周りを包む色が見える。とは言っても自分の母親とミコト以外の人の色は全て灰色だった為、意味の無い力だと思っていた。
──
(ま、まさか本当にいるなんて……)
少女の放つ暖かい朱色に惹かれ、そっと両手を伸ばして包み込む…………思考は殆ど働いていなかった、ただ自然に身体が動いてた。
少女はビクっと一瞬震えて拒絶されてしまうかと思ったが、そのまま身体を預けてくれた。その仕草はとても愛らしく、何より柔らかくて温かい。
(ミコトだ…………)──私はこの懐かしい感覚にホッとした。それにとても嬉しくて腕の中の少女に頬ずりをした。
「──はっ!」
一瞬、本当に一瞬だけど私は軽率な行動をとってしまっていた。悔やみながら周囲を見回すがやっぱり遅かった…………クラスの生徒達はポカンと私達を見つめていて、中には掲示板で見つけた人達も混じってる(リーダーの子はいない)…………ど、どうしよう。
後が恐ろしい………………でもこの子から離れたくない。だってこの子は泣いている、そのままにしておくなんてとてもできない。
どうせされることは確定してる。だから言いつけを破る覚悟を決めて話し掛けてみることにした。
「ど、どうしたのですか? そ、そんなに泣いてしまって……お、お顔がボロボロですよ?」
「……ゆきちゃんが戻って来ないの………………って、ええっ!!」
少女は涙を両手で拭って顔を上げてくれたが、私の顔を見るなり大きな目を更に大きくしてポカンと口を開けたまま固まってしまった。
初対面の相手にその態度はいけないと思うけど、大抵の人は私を見るとこんな感じだから、もう悲しくはならない。それに私だって少女にビックリしてるのだからおあいこだ。
小さな顔に備わっている鼻は小さめで、目と口がとても大きくて可愛らしい。言葉遣いと仕草だって私がやったら叩かれると思うが、この顔にはピッタリだと思う…………人はみんな顔が違うのだからこんなに可愛い子がいたって不思議じゃ無い。ビックリしたのはその大きな目に収まってる瞳の色だ。信じられない事にこの子はミコトと同じ深い赤を持っていた。
自分程ではないにしても特別な色を持つ彼女に思わず期待してしまう。私は《まさか》と思ってしまった。──しかしそんな突然はあり得ない。私は頭を振って調子の良い考えを掻き消した。
(この子が驚いているのは、どうせ私を醜いと思ったからだ。他の子と同じなんだ)
…………だけどお話をしてみたい。もう二度とこんな機会は無いかもしれない。
「ゆ、ゆきちゃん? お、お友達ですか?」
「う、ううん、『ダンナ』さま…………死ぬまで一緒だから……私、ゆきちゃんの『ヨメ』なんだって……」
「…………」
少女はニッコリと可愛い笑顔を見せてくれたが、私は喜ぶどころか頭に血が上るのを感じた。──他の子はどうか知らないが、私はその単語の意味を知っている。もし自分達の歳で使うのだとすれば、それは相手を拘束するものだ。
(この子は誰で、《ゆきちゃん》も誰かわからないけれど…………ゆきちゃん戻ってきたら、引っ叩こう。とにかく引っ叩こう! 話しはそれからだわっ!)
この小動物に会ったのは今が初めてだ。なのに何故か昔から知っているような気がしてならない。守ってあげないといけないと心の底から感情が湧き上がってくる。
(きっと私はすぐに嫌われてしまう…………だからその前に変態の魔の手から開放しないといけないわ)
「雪乃ゴメン! トイレ混んでたんだ」
後ろから発せられた声に直感したっ、この男子が変態だっ!
「オマエかっ!」
振り返りながら握った拳を繰り出すと上手く顔にHITっ!
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ! ゆきちゃん!」
男子は廊下の壁まで吹っ飛び、今までボロボロ泣いていた雪乃と呼ばれた少女が悲鳴を上げた。
「はっ!」
正気に戻った時には雪乃がゆきちゃんと呼ばれる男子に駆け寄って抱きついていた。
(まずい! 力の制御をしなかった。殺したかも……)
恐る恐る彼に近づいた。もし、殺してしまっていたら私はどうなってしまうんだろう…………連れ戻されるんじゃないだろうか?
「──いててて、いきなり何するんだ! 首が抜けたかと思ったぞっ!」
死ぬどころかゆきちゃんは涙目で力いっぱい訴えてきた。
(ほっ、良かった死んでない……さすが私! 無意識に力を抑えてたんだわ)
握ったままの手を開き、自分の中では彼を殴ったのではなく軽く引っ叩いた事にした。
深呼吸して冷静さを取り戻す。理由はともかく自分はいけない事をした。ちゃんと謝らないと…………
「っ!」興奮していて気が付いていなかった。なんと言うことだろう………………私を睨むゆきちゃんの潤んだ瞳も雪乃同様に赤色で更に身体の周りの色も朱色だったのだ。
(な、なんなのこの人達……か、考えられないわ……い、今私は夢でも見てるのかしら……)
信じられない二人を前に言葉も出ない。ゆきちゃんは自分を睨みながら立ち上がろうとしていたが、慌てた雪乃が必死に彼を宥める。
「ごめんなさいゆきちゃん。私がいけないのっ、この人を怒らないでっ!」
ゆきちゃんは立ち上がると怒りの表情のまま雪乃に振り向いて口を開こうとするが、別の男子が彼の背中を叩いた。
「おっすゆきちゃんっ、さっきのは自業自得だって……俺も今来たとこなんだけど、どうも雪乃ちゃんがお前に置き去りにされてボロボロに泣いていた処を、その子が宥めてくれてたみたいなんだよ。俺達なら事情もわかるけど、始めてそんなの見たらお前が意地悪でもしたんじゃないか? て思うかも知れないって」
短めの髪の毛を立たせた人の良さそうなその男子は自分に向かってニっと笑った。ゆきちゃんは彼の話を聞くと、頭をボリボリ掻きながら雪乃の頭を撫で始める。
「……雪乃の面倒見ててくれて、ありがとう………………」
ゆきちゃんは雪乃の方を向いたままではあったが、その言葉は確かに自分に向けられたものだった。
(わ、私。お礼言われたの? ど、どうしようどうしよう)
学校でお礼を言われるなんて初めてだった。こんな時どうしていいのか判らなくて手を彼に突き出しブンブン振る。
「い、いいえ、わ、私も気が動転してしまって、ご、ごめんなさい……」
*
始業のチャイムが鳴って席に着く。私は雪乃とゆきちゃんをずっと見ていた。彼女達の事を知りたいと思っていると、ツイている事にHRでクラスメイトの自己紹介が行われた。
──
先程の女の子は朝霧雪乃……髪は肩まで伸ばしていて、体格は自分と同じくらいだ。ほっそりしている自分に比べ、若干丸みのある彼女の小さな顔は可愛い。彼女を見つめる生徒達は息を呑んでいるようだった。その理由はおそらく目の色や可愛いだけでは無いと思う。自分も言われたことがあるが、彼女の顔はあまりにも整い過ぎていて人形のような作り物に見えるのだ。
挨拶中、彼女は周りの視線を意識しないようにしてるのか何故か終始自分を見つめていた。憎悪を感じないその視線はまるで自分だけに自己紹介をしてくれているみたいで恥ずかしかった。
挨拶を済ませてニッコリと笑みを見せてくれた彼女はまるでひまわりのようだった。
雪乃は可愛い。それに何故か他人のような気がしない。それが色のせいなのか、自分のように異質な容姿を持っているからなのかは判らないが、彼女にはまるでミコトのような存在感がある。
引っ叩いた男子は黒磯雪……背は自分より高い、挨拶をする彼を見た女子達は黄色い声を上げた。眉はキリっとしていて唇も程よい薄さで目鼻立ちも良い。そして彼もまた雪乃同様に整い過ぎている。彼は挨拶中周りをちゃんと見回していたが、自分と目が合うとプイっとあからさまに視線を逸らした。睨まれて「何、見てんだよ」といつものように殴られるよりはマシだが、そういう存在を認めないと言わんばかりの仕草も結構悲しい。
先ほど助けてくれた男子は杉崎康太、挨拶は皆を盛り上げる要素が含まれていてお調子者の印象が強い。しかし彼も不思議な人だ。雪乃と雪とは違って灰色で、見た目も特別では無いが、自分を庇ってくれたのは彼が初めてだった。
──
三人ともA小から来た事を知り、少しホッとした。彼らはまだ私の事を知らないのだ。
*
始業式の為すぐに放課後になり、私は慌てて席を立つ。自分の噂を知らない雪が何故自分と目を逸らしたのか聞いてみたかったのだ。
「なっ!?」
雪の席を見た私は愕然とした……なんと彼の周りの席の女子達が一斉に彼の席を取り囲んでしまっている。そして中の方から黄色い声が聞こえてきた。
「黒磯君、これからよろしく~」「黒磯君、どの辺りに住んでるの? もし帰り道同じなら一緒に帰ろうよ~」・・・・・・・・
(駄目だ、絶対に入れてもらえない………………今ならまだ教えて貰えると思ったのに、きっと私の事も知られちゃう……)
恨めしそうに彼を取り囲む女子を見ているとある事に気が付いた。
雪の周りにいるのはD小の女子ばかりだ。教室を見回すとA小の子達は男子も女子も私のように彼の周りを見つめていて微妙な表情をしていた。しかも皆、何故か廊下側に移動している。
D小の男子達もすぐには帰らずに雪や私を見ながら雑談していた。私を見ている男子達の考えている事は判っている…………………………気が重い。
(いったい何をさせられるんだろう……)
「さ、笹森さんっ!」
近寄ってきたA小の女子が裏返りそうな声で話し掛けてきた。私はD小の女子に声を掛けられる覚悟をしていた為、意外な事態に目を白黒させる。
「え……と、す、鈴白さんでしたよね? わ、私なんかに何か御用ですか?」
目の前に立つ髪を束ねた少女は明るそうな子だった。確か名前は鈴白明菜、彼女は親しみ易そうな雰囲気を持っていて、笑ったら可愛いだろうな。と率直に思ったが、残念ながら彼女は何故か頬を赤くしていて困ったような表情を浮かべていた。
「う、嬉しいな。私の名前覚えてくれてたんだ………………あのね、突然なんだけど──」
──バァァァンッ!!
突然大きな音が鳴り響き、私と鈴白明菜はビクっと身体を震わせた。何事かと思って音の発生源に目を向ける。
音は机に叩きつけられたランドセルが発したものらしい………………視線の先では机が倒れていて、床にはランドセルが中身を散りばめて転がっていた。──そして私は机の側に立っている少女を見て呆然と立ち尽くす。
朝霧雪乃は深みのある美しい赤に変色していた。
(ま、まるでミコトじゃない………………い、一体何者なの!?)
懐かしい大好きな色を目にしたのに私は喜ぶどころか彼女を警戒した…………彼女の表情は泣いてる様でも怒ってる様でもなかったからだ。
無表情…………何の感情も読み取る事が出来ないまるで人形の様なその顔を自分はよく知っている。
(こ、この顔まるでお母さん………………ううん、そんな筈が無い。でも何かとても嫌な予感がする。この子は本当にさっきまでの雪乃ちゃんなの?)
今まで経験のした事の無い程のプレッシャー…………身構えようとしても震えて身体が動かない。もし戦ったとしても、まったく勝てる気がしない。
雪乃の目線は雪を取り囲む女子達を通り越して、彼に突き刺さっているようだった。静まり返った教室の中、彼女はゆっくりと目標に向かって歩き始める。
目標まで一直線に移動する雪乃は机も椅子も身体で退かして行く、途中にいた生徒も雪の周りにいた女子達も彼女に怯えて道を空けた。
雪乃が遂に目標に辿り着き、生徒達は事の成り行きを見守っていると彼女は意外な行動をとった。
──ピトッ
『『抱きついたっ!?』』
単純すぎる行動に皆が一斉に叫ぶ。私はそれに驚いて身体をビクっと震わせた。
「大丈夫だから……お前も僕も大丈夫だから……」
雪は胸に顔を埋める雪乃に優しく微笑み、頭を撫でながら囁いた。意味が分からないが彼等は二人の世界を作った。とても他人が割り込める雰囲気じゃ無い。
二人には特別な繋がりがあるのだろうか? と思いながら見ていると明菜が呟いた。
「ふう、無罪か………………私達、こうなるの分かってたんだよね」
「わ、わかってた……ですか?」
安堵して私の席に座る明菜を見つめる。どうやら雪乃と雪はA小で有名らしい。
「ゆき君と雪乃はセットにしておかないと異性は近寄れないんだ。一人でいる時のゆき君や雪乃に異性が絡むと、雪乃があんなふうになるの……今見て感じたと思うけど、怖いでしょ? なんか巻きもまれたくない恐怖なんだよね……私達も何回か見てるけどやっぱり慣れないや。見てよこの腕、鳥肌立ってるよ……」
(この子の言ってる事がとても分かる。私がこんなに緊張したんだもの。普通の子が慣れられるレベルじゃない……)
雪乃の顔は雪の胸に埋めていて見えないが髪の色が黒に戻った。A小の生徒達は力が抜けたようにその場でへたり込む。
「…………これ、A小の生徒なら誰でも知ってるんだけど……」
明菜は雪乃と雪を見つめながら、話を始めた。
「一年生の時ね、あの二人クラスが別だったのよ。私は雪乃と同じクラスだったんだけど、事件が起こったんだ」
彼等の話は是非聞きたい。私は無意識に身を乗り出していた。
「一人の時のあの子は、別人みたいにオドオドしてるの……でもかなり可愛いでしょ? 友達になろうとする男子が近寄ってくるんだけど、すぐ怯えちゃうんだ……ある日、怯えられた男子達がゆき君といる時と明らかに態度が違うって怒ってちょっかい出したの……」
特に可愛くもない自分とは違うケースだが、特別な容姿は周囲から攻撃を受ける…………自分が受けている行為を考えながら頷いた。
「私が雪乃のさっきの表情と髪の色を見たのはその時が始めて……あの子はいきなり一人の男子を掴んで殴り始めたの……あの表情で顔を相手に近づけながらゆっくり殴るのよ。泣いても喚いても気を失うまでやめなかった。一緒にちょっかい出した他の男子も自分の番が来るまで、立ち尽くしてて逃げられないみたいだった。私も怖くて身体が震えて動けなくて、ただ見てる事しかできなかったんだ…………途中で先生が教室に入って来たんだけど、それからもっと凄くなった……」
(普通に聞いたら信じられない……でもさっきの彼女の雰囲気じゃとても抵抗なんて出来ないわ)
いつの間にか明菜の表情が青くなっていて目も潤み始めていた。彼女の話は決して大袈裟なものではないと理解した。
「……先生は雪乃の腕を掴んだの、そしたら先生が力ずくで倒されて雪乃は男子を殴るのをやめて先生の上に乗って殴り始めたんだ…………信じられないでしょ? 相手大人なんだよ? 今の私達だってそんな事出来ない…………しばらくして二人目の先生が来たんだけど、その時一緒にゆき君も来たの……そしてゆき君は、雪乃を抱きしめて、さっきと同じ言葉を言ったんだ……」
雪の優しい声で囁かれた言葉──『大丈夫だから……お前も僕も大丈夫だから……』
(信じられないけれど、今の話が本当なら雪乃は私と同じなのかもしれない……)
「雪乃はそれで落ち着いた……私達は後から来た先生に言われて、そのまま帰宅させられたんだけど、殴られた男子と先生はそのまま入院してもう登校してこなかった。退院後、他の学校へ移ったんだって聞いてる。事件の次の日、雪乃はゆき君の側にいるようにってクラス移動になった。そして全学年のクラスに男子生徒は雪乃に近づかないようにって連絡事項が回ったんだ……」
よほど恐ろしい光景だったのだろう。明菜は話の途中から涙を浮かべていた…………それに学校がそんな対応するなんて異常だ。
「あ、ありがとう、お、教えてくれて……こ、怖い事を思い出させてしまいましたね」
「ううん、自分から言い出した事だし、でも教えてる途中でその時の怖さまで思い出しちゃって……ごめんね……」
涙を拭う明菜はまだ伝えたい事があるような表情を浮かべていた。
「ま、まだ、何か……あ、あるのですか?」
「……朝、笹森さん、ゆき君殴ったでしょ?」
「え、ええ、引っ叩たきました」
「その時私、本当に怖かったんだよ……女子がゆき君に手を上げたんだもん、雪乃が黒髪のままだったなんて、見てなかったら絶対信じられないよ」
「………………えっ?」
背筋が凍った…………そ、そうか、今の話を聞く限り自分も殴られるのが当たり前だったんだ。
「あんなに派手に殴ったんだもん、当然雪乃に入院させられるかと思ったよ……」
あんな状態の雪乃に襲われたら、勝てないし無事ではいられない。──動揺が隠せず、震える手で明菜の両肩を掴んだ。
「な、な、なんでこの学校、そんな火気厳禁な子が編入した事をアナウンスしないのかしら? き、今日か明日には、じ、事件が発生すると思いますよ……」
「だよね、まぁあの二人の席を離すくらいだから、知らないか、噂だけとか軽く思ってるのかもね」
とんでもない話ではあったが、学校の暢気さに二人は顔を見合わせて苦笑した。そしてふと思った事を明菜に聞いてみる事にした。
「す、鈴白さん。あ、朝霧さんがこ、怖いから、黒磯君と朝霧さんは皆に避けられているのですか?」
明菜は笑いながら首を横に振る。
「ごめん、私のこと嫌じゃなかったら明菜って呼んでくれないかな? …………今の私達はあの二人を避けてなんかいないよ。まあ二年生ぐらいまでは雪乃が恐ろしくて、康太……あっ、ゆき君の友達なんだけど、あいつ以外誰も二人に近寄らなかったけどね。でも三年生の時、ゆき君がみんなに言ったんだ……『雪乃は僕と一緒なら誰にもケガさせないから、仲良くしてあげて!』ってね。私も他の子も本当はあの二人と仲良くなりたかったし、男子も普段の雪乃が気になっていたから、初めは怖かったんだけど、二人に話しかけるようになったんだ」
「今ではお友達ですか?」
「うん、ゆき君といる時の雪乃は明るくて可愛いし、ゆき君は無口なんだけど一年の時から雪乃に気遣っているのを見てるから優しいの分かってるし、格好いいし……それと……」
「それと?」
「仲良くなって分かったんだけど、雪乃ってどうも私達みたいなゆき君LOVEとは違うみたいなんだ」
「……違う?」(LOVEってなんだろう?)
「うん、雪乃はゆき君の側にさえいれば変にならないんだ。側って言っても、腕絡ませたり、手を繋いでたり、服を掴んでたりって、殆ど密着なんだけどね。だけどそれさえ黙認してれば女子がゆき君にベタベタしても大丈夫だし、男子が雪乃に話しかけてもあの子少し照れるけど、笑顔で対応するんだよ。まぁラブコールは考える間もなく、『ごめんなさい』してるけど」
(別の女子がベタベタしても怒らない? じゃあさっきのは彼が一人でいたから?)
「みんな二人と仲良くなってから二年近くになるけど、今では他の子達はみんな、雪乃はゆき君のアクセサリーみたいに感じちゃってるんだ。ライバルの女子として気にならなくなっちゃったんだよね、男子もそうみたい」
(アクセサリー……装飾物か……私は《それ》を知っている。でも本物のそれが、普通の小学校にいる筈がない……さっきのはともかくあの子には表情がありすぎるもの)
「今、他の子はって言わなかった? 貴方は違うの?」
明菜は罰が悪そうに困った顔をして弱々しく笑った。
「実は私……事件を起す前の雪乃と仲良かったんだよね…………一時期は恐くて離れちゃったんだけど、今は大事な友達だと思ってる。私は雪乃をアクセサリーなんかで見てないよ」
明菜に不思議な感情を覚えた。あんな一面を持つ雪乃を大事な友達と言ったのだ。ちょっぴり羨ましく思う。
「ありがとう、色々お話してくれて」
「いいよ~。あっ! 良かった~言葉普通になったね?」
深く頭を下げると明菜はそう言ってニッと笑った。
「え? 何の事です?」
言われた事が判らずに首を傾げる。
「いや、最初どもってたでしょ? 私が怖かったのかな~って思っちゃって、でも今は普通に話ししてくれるから、良かったな~って」
「あっ、そういえば……」
(まずい! 言いつけを守っていなかった。この子も私なんかと話をしてしまって大変な事になるかもっ)
血の気が引くような感覚を覚え、慌てて明菜に再度頭を下げた。
「ご、ごめんなさい……き、今日のわ、私おかしいかったです……ちょ、調子に乗っていっぱいお話をしてしまいました……」
「えっ? ちょ、ちょっと……笹森さん? あなた顔色真っ青よ? 大丈夫なの?」
明菜は慌てたようにしゃがみこみ、頭を下げ続ける私の顔を覗き込んできた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「どうしたの明菜ちゃん? あっ笹森彩音ちゃんだ!」
「っ!」(どうしよう。雪乃ちゃんが来ちゃった……お願い来ないで、今の私見ないで……どうしようどうしよう……こんな姿を見られたらこの子もきっと面白がる。これから他の人と同じように私を扱う……)
そう考えたら悲しくて涙がボロボロと溢れだした。
*
◆◆◆◆◆
鈴白明菜は混乱している。
(何がなんだかまったく分からない…………)
──
目の前で頭を下げる茶色の少女の事はクラス発表の掲示板の前で一目見た時から気になっていた。康太や周りにいた友達は彼女の髪の色や美貌を褒めていて、もちろん自分も綺麗だと思ったけど彼女はそれだけじゃなかった。どういう仕掛けがあるのかは分からないが彼女は髪の色とはまったく別の存在感を放っていて、釘付けにされた私は胸が高鳴り身体が震えたのだ。
嬉しい事にクラスが一緒になり、HRで名前も判った。《笹森彩音》、自分はドキドキしながら自己紹介をする彼女に見惚れていた。少し不満だったのは一緒に編入してきたA小の生徒達が「綺麗」だの「友達になりたい」だのとザワついて彼女の挨拶に雑音を混ぜた事だ。
私達A小の生徒は色の違いなんかにそれほど驚いたりはしないし怯えもしない。だって私達は突発的に自分達に危害を与える赤髪の《審判の天使》と友達になる程の強者なのだ。それに《天使》以上の恐怖がこの世に存在するわけが無い。
放課後、誰よりも早く友達になりたくて顔が熱くなるのを感じながらも勇気を出して話し掛けた。彼女はどもった口調だったが、自分を拒絶しなかった。声は外見に見合って美しく、それが自分に投げかけられていると思うだけで嬉しくなった。
雪乃イベント発生のお陰で本題に入る前に沢山話ができたが、彼女はとても素直で品のあるいい子だと思った。最後は彼女も自然な口調になっていたから警戒を解いてくれたのかとホッとして友達になって貰おうとしたのに、何故か途中で突然怯えられてしまった。
──
会話を思い返すが理由が判らない。オロオロしていると親友が近づいてきた。
「どうしたの明菜ちゃん? あっ笹森彩音ちゃんだ!」
「ゆ、雪乃どうしようっ、私もわからないんだ。突然──」
雪乃に説明を始めようとしたら、一人の男子の声が話を割った。
「お、笹森やっとショー始めんのかよ?」
男子の言葉は明らかに彼女に向かって発せられたものだったが、意味がまったく判らない。驚いて男子に振り向いた。
「ショーって何の事よ?」
「ああ、こいつ昔から色々させられてんだよ。今日は言いつけ破り捲くってたから、楽しみだったんだ」
男子はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら彩音を見ていた。周りを見回すとD小の生徒達はみんな同じような笑みを浮かべている。
ハっとした…………彩音の《どもり》と突然許しを乞い始めた態度の原因を漠然と理解した!
(う、嘘でしょ? こ、この子虐められていたの? 何で?)
理解したのと同時に身体が熱くなる。彼女が虐められていたのが本当なら私のする事は決まってる。
男子を睨みつけ、彼に向かってゆっくりと歩き出す。真偽はともかくムカついた……ぶっ飛ばす!
「ねえ? あんたに聞きたい事が──」
「あ~、鈴白、取り込み中悪い。笹森さんの話なら僕にさせて貰えないか?」
普段無口な雪が珍しく自ら話し始めた事に驚いた。その貴重な事態に思わず足が止まる。
(! ゆ、ゆき君が雪乃以外を庇うの?)
自分が驚いているのをスルーした彼は椅子の上に立つと、クラスの全員に聞こえる大声で問いかけた。
「みんなそのまま聞いてくれないか? 今、そいつが言ってた笹森さんのショーってやつを見た事、もしくはさせた事ある人は全員手を上げてくれないかな?」
教室は静まり返り、誰も手を上げない…………雪は溜息を吐くと、私が話し掛けた男子に問いかける。
「君さ、ゴメンまだ名前覚えきれてないんだ……さっき言ってたショーって有名なのか?」
雪の表情は柔らかいが私やA小の連中はこの異常事態に息を飲む。何も知らない問われた男子は気が緩んだのか笑顔で質問に答えた。
「ああ、俺は新井って言うんだ。よろしくな黒磯。笹森の話だけど学年どころか学校内でそこそこ有名だぜ? そいつ皆の前で女子に色々させられてんのさ。蹴られたり殴られんのなんて挨拶がわりで、虫食わさせてみたり、その茶色い髪をモップにされたり、去年あたりからなんて──」
(聞きたくないっ!!)
鼓動の早くなった胸を押さえて奥歯を食い縛るっ。残念ながら雪の出番はない、楽しそうに話す新井への歩みを再開した。
(私は虐めが嫌いだ。でも少し違う……そんなんじゃない。私はこいつらが許せないっ!)
「うるせえ、だまれムシケラが……」
良く舌の回る新井の話を遮った雪の口調は攻撃的なものに変わっていた。初めて聞く雪の口調に恐さを感じてまた歩みが止まる。
「……………………」
新井は顔から陽気さが消え、雪と目線を反らすように少し俯いた。
雪の口元は緩んだままだが、赤く光る瞳は決して笑っていなかった。彼がこんな目をしたのは初めてだ。
「ゆきちゃん、お前が怒ったの初めて見たけど、押さえてくれないか? ここから明菜と俺で引き継ぐからさ……ここにいる全員がクソなのはわかったんだけど、巻き込まれて死にたくないんだ俺達……」
雪を止めに入ったのは幼馴染の康太だった。A小の生徒達は康太の意見に同意するように頷いている。
「……康太ごめんな? 今の話だけで…………させられてる笹森さんの姿を想像しただけで、抑えられないんだ……」
雪の彩音を見る目は優しく感じられた。彼は彼女の事を知っていたのだろうか? だとしたらそれも気に入らない。
「ゆき君、私もあんたがそんな怒ったところ見たことないよ……でも、何だろう? 私、今だけはこの場を渡せない……あんただけじゃない、誰にもだっ!」
自身の吐き出した言葉で更に感情が高まる……いい感じに力が漲ってくる……
(私、ゆき君にケンカ売った? どうかしてる……でも、引いちゃ駄目だ。彼女は私が守らないと後悔するって胸の奥で何かが言ってるっ!)
雪が眉を顰めて睨みつけてきた。優しさの欠片も無いその視線は鋭くて私の身体を貫いた。
「鈴白? 僕の邪魔をするのか?」
「ち、違うっ! あ、あんたが私の邪魔をしてるんだっ! これだけは譲れない。それにまだ、彼にはいっぱい聞かなきゃいけない事があるんだっ!」
足を震わせながらも雪を睨みつけると彼は自分を睨んだまま黙っていた。おそらく様子を伺っているのだろうと思い、新井に目線を移す。
「新井君って言ったよね? さっきの話は私も聞きたく無かったんだけど、それじゃ駄目だって気がしてるんだ。全部知った上で怒る事にするから笹森さんに皆はどんな事をさせていたのか教えてくれないかな?」
新井は俯いて何も話そうとはしなかった。──このまま待ち続けてやれる程私は寛大じゃない。軽く溜息を吐いて拳と首の骨を鳴らす。
(取り合えず吐かせるか……)
大きく深呼吸をして、攻撃対象に集中する。見た感じ彼は大して強くない、私の攻撃に何分もつだろうか?
「ふざけるなっ! このクラスだけで何人いると思ってんだ? お前なんかが暴れてもたかが知れてるんだよっ!」
「あ!?」
黙って見てればいいものを雪が怒鳴り声を上げた。気を逸らされた私は嫌気を覚える。
「ゆき君さ……何度も言わせないでよ。私は誰にも譲らないって言ったよね?」
「いい気になるなっ、お前じゃ彼女を守れないっ!」
(こいつ、こんなにムカつく奴だったんだ……)
こんなに見下されてたんだ私………………あったまきた!
「うるせーぞっ! だったら最初にお前を沈めてやるよっ、雪乃がいるからって調子に乗ってんじゃねぇ! あんまし私を舐めてんじゃねーぞっ!」
(さっきまで恐かったのに、なんか負ける気がしない……いけるっ!)
大好きな雪にこれだけ言えるなんて、やっぱり笹森彩音は特別な存在なんだと思う。──攻撃対象を雪に変更し、彼に向かって歩き出す。
「──明菜ちゃん、ゆきちゃん。ちょっと待ってくれないかな?」
またも自分を呼び止める声と同時に周囲の『あっ!』と驚く声が聞こえ、渋々声の方に振り向くが、入ってきた光景に目を見開いた。
視線の先には涙を落としながら立ち尽くしてる彩音と、彼女を後ろから抱き締める赤髪の雪乃がいた。
(じょ、冗談でしょ? 審判モードの雪乃が喋った?)
怒りを忘れて呆然とした。赤髪になった雪乃が表情を浮かべているのも話をしたのも初めてだ。
「……明菜ちゃん。さっき新井君、彩音ちゃんの事学年以外でも有名だって言ってたよね? 綺麗で優しくて有名って意味じゃなかったよね?」
涙をぽろぽろ落とす雪乃は、とても哀しい表情を浮かべていた。親友の未知の姿にどう接して良いのか戸惑ってしまう、普通に話して大丈夫なのだろうか?
「うん、違うよ……これから全部聞こうと思ってるんだ」
新井や雪に対する怒りと彩音に対する哀しみと雪乃に対する恐怖で頭の中がゴチャゴチャになってる。お陰で声が震えてしまった。
「聞かなくていいよ………………今、私が彩音ちゃんの心に聞いたもん。酷かったよ…………彩音ちゃんの気持ちも知らないでみんな好き勝手にやってたんだ………………こんなに綺麗なのに、こんなに優しいのに…………」
肩を震わせながらポロポロ涙を落とし続けている真紅の少女は、話の途中で彩音から離れるとD小の生徒達を見回しながら睨みつけていた。
《心に聞いた》と雪乃は言った…………非常識な言葉なのに何故かこの子なら有り得ると思ってしまう。
「…………やっと出会えたんだよ? 朝会った時に感じたんだ。多分間違いじゃない、この人は私が待ち続けた希望なんだよ…………」
何を言っているのか分からない。だけどゾっとした……釣り上がった赤い瞳はまるで憎しみで燃え上がっているように見える。無表情の時も怖かったが、これはこれで半端無く怖い。
(こ、こんな雪乃、私は知らない……駄目だ、この子の怒りが凄く伝わってくる……でも……)
負ける訳にはいかないと、震える足を踏ん張って雪乃を睨みつけるっ、誰にも邪魔なんてさせないっ!
「雪乃、今のあんたはおっかない……でも、ここは譲れない……」
「明菜ちゃん……私は貴方が大好きだよ。私とまたお友達になってくれたんだ……でもね、私は笹森彩音ちゃんを守る理由があるんだ。これは私にとってゆきちゃんより大事な事なんだよ」
その言葉にはさすがにたじろいた。彼女は雪の為に存在していると言ってもいいくらい、みんなにアクセサリーと言われるくらい彼にベッタリとくっ付いている。それよりも大事な存在がいるなんて考えた事も無かった。
「ゆ、ゆき君より大事だって言うの? 今日始めて会ったんでしょ?」
「それは明菜ちゃんだって一緒じゃない。私はね、この人に会う為に今まで生きてきたんだ。楽しみにしてたんだよ。………………それなのにこんな出会い方酷いよ」
特別と言うだけで彩音に対する気持ちがハッキリしていない私は守る理由をハッキリ持っている雪乃の目を直視できなくなった。
私の想いは雪乃に負けてる…………踏み込んだら私が悪者だ。
「雪乃……貸し一つだよ?」
「うんっ! ありがとう明菜ちゃん」
自分に深々とお辞儀をした雪乃は、D小の生徒達を憎憎しく睨みつけた。
「ちょっと待て雪乃、ここは僕がやるって言ってるだろ?」
静かに口を開く雪は私が黙らせよう。雪乃の邪魔はさせない。そう思って拳を鳴らすと雪乃がキっと睨みつけた。
「ゆきちゃん、気持ちは判るんだけど引っ込んでてよ。貴方と私の想いの大きさは比較にならないんだよ……」
雪乃の考えられない拒絶の言葉を聞いて、慌てて雪を見た。彼は信じられないといった驚きの表情を浮かべてて、唇を震わせながら雪乃に話しかけようとしていた。
「ゆ、雪乃? 僕の言っている事がわからないのか?」
「聞こえてるよ! 私を殺したければ殺せばいいんだ! でも、その前にここの生徒達は私がやるっ、彩音ちゃんに酷い事してた奴らに罰を与えてやるんだっ!」
荒々しくなった雪乃の口調に気圧された雪の表情は怒りの色から焦りの色に変わっている。──自分だってそうだ……なんだかんだ言っても最後に雪乃の天罰を止めるのは雪の仕事だと思ってた。
…………この子の怒りは私の理解を超えている。私達まで殺される。
「お、落ち着け雪乃。僕はお前を殺すなんて──」
「うるさい黙れ! もう話しかけないでよ! これ以上何か言ったらゆきちゃんでも許さない! …………新井君、《お姉ちゃん》を傷付けた奴を取り敢えず一人教えろ! あんた達の前で最初に内臓引き出してやる!」
泣き喚く雪乃に睨まれたD小の生徒達は次々とへたり込んで泣き始めていた。
「い、一年の時と全然違う……あの時は誰も死ななかったけど、完全に皆を殺す気だ…………」
誰に言ったわけでも無いが呟いていると、「ガタガタッ」と机が動かされる音が響いた。
音は雪乃に向かってふらふらと歩き始めた彩音が立てたものだった。
雪乃は音に反応して振り返るが、両手を伸ばして近づく彩音に驚いたようで立ち尽くした。そしてゆっくりと彩音に抱み込まれていった。
「もうやめましょう……貴方本当は暴力嫌いでしょう? ……そんなに怖い事ばかり言っているとお友達が遠ざかってしまいますよ? 私の為に心を傷つけている貴方を見てるのが辛いわ……」
雪乃は泣き声を上げて彩音に縋りつく。──この二人、本当に初対面なの!?
「だって見ちゃったんだ! あいつらはお姉ちゃんにあんなに酷い事をしてたじゃないかっ! こんなに人が許せないのは初めてなんだ! 私がお姉ちゃんの代わりに罰を与えてやるっ、こいつらはそれを受けなきゃいけないんだ!」
お姉ちゃん? 雪乃は何を言っているのだろう? 雪乃が守ろうとする理由と関係あるのだろうか?
「いいのよ。辛いけれど我慢出来るもの……私ね、毎日お祈りしてるのよ? だからいつかみんなが私を受け入れてくれると信じてるの。私は大丈夫だから貴方も落ち着いて黒磯君に謝ってらっしゃい? ダンナ様なんでしょう?」
彩音に頭を撫でられる雪乃は姉に宥められる妹そのものだった。余程心地が良いのか雪乃は彩音に頬ずりをしてる。
「…………思ってた通りだ。本当に暖かいなぁ、ずっと会いたかったんだよ?」
(な、何なのこの子達…………まるで再開した家族みたいじゃない……)
抱き合う二人を見つめていたら、何故か自分の目まで潤んできた。しかし決して哀しい訳ではなく、むしろ心が暖かくなっていくような気がする。
*
四,五分だろうか……雪乃は彩音の胸で泣いていた。周りの生徒達もその間一歩も動くことが出来ずただ二人を見守るだけだった。
雪乃は彩音に背中を押され、トボトボと雪に近づいた。
「……ゆきちゃん。ごめんなさい……」
自分達と同じ様に二人を見ていた雪はホッと安心したように息を吐くと、いつもの様に雪乃を抱き締めた。
「雪乃? いいんだ感情を出しても……でもいきなりこれはキツいから、今度からはもう少し我慢してくれよな?」
雪は雪乃が頷くのを確認すると「ちょっと待ってろ」と言って彼女から離れた。
彼は近くの椅子を右足で蹴り上げる。椅子は雪の頭まで上がり、胸の辺りまで落下すると、またも右足で新井に向かってその椅子を蹴りだした。
動作はスローモーションのようにゆっくりとしていたが、最後に蹴りだされた椅子は目に止まらない速度だった。椅子は新井の耳を掠めて廊下側の壁に『ドォォン』と激突音と共にぶつかって砕け、壁に大きな亀裂を入れていた。
新井は椅子が砕けた後、壁の様子も確認出来ずにヘナヘナと膝を床につく…………当然私だってビックリだ。こんなの能力も使えない子供の私達に出来る芸当じゃない。
元々異常な空気と飛び交う会話だったが、それに見合った出来事も起こり始め、生徒達は恐怖で悲鳴すら発せられずにいた。雪はニコっと場違いな笑顔を見せている。
「ごめんごめん狙いズレちゃったよ。イメージではお前の頭吹っ飛んで、二度とふざけた話を聞かなくて済む筈だったんだ。やっぱ投げたほうがいいなぁ」
雪は笑いながら、隣の席の椅子に手を伸ばす。
「ひぃっ、た、たすけて、たすけてっ!」
新井の腰が抜けてる事に気が付いた……両手を雪に向かってバタつかせ許しを請い始めているが、誰も動く事も声を出す事も出来ずにただ見守っているだけだった。
雪は深い溜息を吐くと、掴んだ椅子を軽く新井の方へ投げ捨てて、別の椅子に座った。
「康太と鈴白、後頼んでいいかな? 僕も冷めちまった」
椅子を破壊した雪の蹴りの威力に震えていた身体は治まっていなかったが、気持ちで負ける訳にはいかない。頑張って気丈に振舞って見せた。
「笹森さんが止めたんじゃしょうがないよね…………私も頭が冷えたわ……」
「あ、あはは……まったく明菜までキレるとは思わなかったぜ……まぁ一応仕切るよ。ゆきちゃんはそこで大人しくしててくれ」
康太だって恐怖を感じていた筈だ。しかし彼はいつもの素振りを見せている…………私も負けていられない。
「じゃあ康太、私が言うよ。えっと、みんな取り敢えず安心していいよ。もう大丈夫だから……笹森さんの事で少しみんなに聞いておいて貰いたい事があるんだ」
教室の空気がゆっくりと和らいでいく……A小の生徒達は皆ホッとした表情をして、D小の生徒達は緊張が切れて若干放心状態となった。しかし、D小の女子についてはかなりの子が泣きじゃくっている。
「……まぁ、みんな驚いたよね? 今は何も考えない方がいいと思うよ。できる事なら忘れちゃうのが一番なんだけどね。ちょっとみんなが落ち着くまで待ってられないから、話し始めちゃうね? さっき自己紹介したけど改めて……私は、A小から来た鈴白明菜です。好きな物はゆき君で、どうでもいいのは康太です!」
「お、お前! 扱い受けてる本人はわかってるんだから、わざわざ言う必要ねーじゃんか!」
康太が悲しい表情で訴えるとA小の生徒から笑いが漏れた。さすが私の同志達だ、気持ちの切り替えが早い。
「コホン……そんで、嫌いなものは、虐めが出来る人です。まぁ私、暴力の恐怖に対してちょっとトラウマあるんで、見るのも話し聞くのも嫌いです。で、本題なんだけど、私は笹森彩音ちゃんの友達になります! 彩音ちゃんの親友枠は今のところ二名らしいので、私と朝霧雪乃が狙いますっ! 今後、彼女に手を出すんなら今度は絶対に許さないからそのつもりでいてください。まぁ友達枠も狭そうだし、A小のみんなも狙ってるんなら、がんばんなっ!」
右手を上げてガッツポーズを見せると、A小の男子達が「オオー」と右手を高々と上げて乗ってきた。連中には自分と同じトラウマがある。味方になってくれるのは分かってた。
(この子は私と雪乃で守っていく。てか一緒にいれるって思うだけで嬉しい)
口を開けてポカンしていた彩音を見る。そして彼女にニっと笑ってVサインを決めた。
*
◆
笹森彩音は目を見開いて鈴白明菜を見つめていた。
意味は判らなかったが彼女の手を真似て二本の指を立てて恐る恐る返してみると彼女は嬉しそうに笑ってくれた。どうやら相手の気を損ねるものじゃ無いらしい。
(親友枠って何処で判るのかしら? 親友の数に制限があるなんて知らなかったわ………………ち、違う! そ、そんな事より彼女私の友達になるって言った! みんなに普通に扱って貰えない私が? しかも雪乃ちゃんまで巻き込まれてたわよ? ………………本当なのかな? 本当にそう思ってくれたのかな? いつか来ると信じていた日が今日なのかな?)
戻って来た雪乃が腕に絡みつき、明菜もニコニコと笑顔を見せて手を握ってきた。
「……本当だよ彩音ちゃん。今日は貴方が待ち望んでいた日なの……だから疑わなくていい。明菜ちゃんの言葉を素直に受け止めていいんだよ?」
「待たせたね。笹森さん……今日まで親友枠空けておいてくれてありがとうね。私そこ狙うから……これからは一緒だよ。あっそれとあんたの事は今から彩音って呼ぶね?」
オロオロする自分は取り敢えず頷くが、不安もあった。自分を助けてくれようとしている人達はこれから辛い目に遭うかもしれないと思ったのだ。
「で、でも私こんな身なりだし……い、一緒にいたら皆に何かされるかも知れません……」
「はっ、そんなのっ! 雪乃やゆき君に手を出せば間違いなくそいつ死ぬし、虐めを理由に私にちょっかい出せばD小とA小の全面戦争だよ」
明菜は鼻を啜りながら「へへっ」と笑う。でも彼女は暴力での解決方法ばかり言っている。
「ぼ、暴力はいけませんっ! ひ、人を簡単に傷付けるのはいけない事ですっ!」
思わず叫んでしまった。しかし明菜は軽く溜息を吐いて教室中を見回した……
「みんな~今の言葉聞いた? 私がキレた理由が分かるんじゃないの?」
彩音には明菜の言っている意味が解らなかったが、教室にいるA小の生徒達は頷きながら自分を優しい目で見ていた。
「いい? あんたが傷付けられるのは私達が暴力を振るうのに充分過ぎる理由なんだ」
意味が判らない。正当な暴力なんてある訳が無い。
「充分な理由?」
「あんたはお姫様なんだよ。そのお姫様を傷付ける奴に言葉なんていらないんだ。私達が本気で守ってあげる」
雪乃のまるで自分の心を読んだかのような言葉、そして先程からの明菜の言葉…………待ってた言葉だった。待ってた人達だった。
「………………ぅぅぅうええぇぇぇん、うえええええええええん…………」
(あろがとう……私を見つけてくれてありがとう……)
雪乃と一緒に優しく包み込んでくれる明菜に心から感謝する。夢でもいい、でも今は覚めないでっ。
*
「あ―あ―、そこの三人は暫くそのままにしてやってくれ……俺も一応自己紹介! 杉崎康太だよろしくなっ、さっき椅子ぶっ壊したゆきちゃんとは親友だから何かあれば言ってくれっ。あ……一応さっきのフォローなんだけどさ、ゆきちゃん本当はすっごく優しいんだ。それでムカつくけど顔いいじゃん? 結構女子に人気あるんだぜ。まぁ切れたの初めて見たんで、実は俺も明菜も驚いちまったんだけど、地雷が分かったんだからこれからは踏むのやめようぜ? 出来たら他のクラスの連中とかにも笹森さんににちょっかい出さないように回覧まわしてくれ……それとこれ大事な事なんだけど、笹森さんに感謝してくれな? 彼女が雪乃ちゃんを止めなかったら、D小の五年は全員旅立ってたんだからさ……まぁ驚いたと思うけどそんな感じでよろしく! あと最後に一つ、地雷っつってもLOVEは別な? あんな綺麗な子、既に雪乃ちゃんがいる奴に渡してたまるかっ! てのが俺の心境! 以上!」
康太は言い終わるとすぐに雪の前の席に座り、まるで彼を気遣う様に雑談を始めた。今は混乱していて訳が分からなくなっているが、落ち着いたら二人にちゃんとお礼を言おう。
暫くすると担任が入って来て、教室の状態と雰囲気に驚いていた。事情を生徒達から聴いた担任は雪を職員室へ連れて行ってしまった。
*
教室には彩音と明菜、雪乃と康太の四人だけが残っていた。もちろん雪の帰りを待つ為だ。
私は腕に絡みついてる雪乃にピッタリとくっ付き、明菜と康太は私達と向かい合うように前の席に座っていた。雪乃の髪の毛は黒に戻っていて、今はただただ愛らしい表情を浮べている。
「しっかし……」「驚きよね~」
康太と明菜が関心したように私達を見ながら呟き、意味が分からず首を傾げると、康太が説明をしてくれた。
「笹森さん、あのさ……明菜に少し雪乃ちゃんの話を聞いてると思うんだけど、彼女はゆきちゃんがいないと駄目なんだよ。はっきり言ってこのゆきちゃんがいない状況で、雪乃ちゃんがそんな表情していられるのが、俺達には考えられない事なんだ」
康太の隣で私を見つめる明菜も頷き、驚いた私は雪乃に尋ねてみた。
「あ、朝霧さん……す、杉崎君の今のお話は本当なの?」
「私の事は雪乃って呼んでっ、…………うん多分そんな感じかな? でも彩音ちゃんいれば私は大丈夫みたい。彩音ちゃん柔らかくてポカポカで気持ちいいんだ~」
ニコニコしながら話す雪乃を本当に明るくて可愛いと思った。お持ち帰りしてずっとお話していたい。
「と、とても杉崎君の言ってる事が信じられません……そ、それより……く、黒磯君大丈夫でしょうか? わ、私のせいで……」
「まぁ、なるようになるよ……多分慌ててA小の関係者に連絡とったりして、ゆき君と雪乃の情報集めたりしてるんじゃないかな?」
あっけらかんと明菜に言われ、確かになるようにしかならないのだからと深く考えるのをやめた。
(ゆき君のあの力と雪乃ちゃんの赤い髪……やっぱり私と一緒なのかな? でも、そんな話は聞いた事がない……私が知っているのは、『ミコト』だけだ……)
そんな事を考えていると不意に雪乃の腕に力が入るのを感じた。慌てて雪乃を見ると彼女は私の顔をじーっと見つめていた。
「ゆ、雪乃?」
不思議に思って首を傾げると、雪乃は暫く私を見つめた後、またニコニコっと笑って口を開いた。
「彩音ちゃん。私やゆきちゃんの事は気にしないでいいんだよ。これから少しずつ分かっていくと思うから今は何も考えずに素直に喜んでよ。今日はいっぱい疲れたでしょ? きっと今晩はぐっすり眠れるね?」
(不思議な子だけど、ホッとする…………変な事を考えて怒らせちゃ駄目だ)
その後、皆で住んでる住所や好きなものなどの情報交換をしているうちに雪が戻ってきた。
「おまたせ~、まいったまいった、すっごく怒られたよ。さあ帰ろうぜ?」
雪乃はニカッと笑顔を見せる雪の腕に移り、「うん!」と大きく頷いた。
*
「今日は、本当に色々あったね~、じゃあ私達はこっちだから。また明日~」
校門を出ると明菜は私達に手を振って康太と一緒に帰っていった。
「ま、また、あ、明日……」「ああ、また明日」「またね~」
小学に入って初めて口にした言葉に感動する。なんて素敵な言葉なんだろう。
《また、明日──》
公園に差し掛かり、雪と雪乃が立ち止まる。どうやら此処でお別れのようだ。
「じゃあ、僕達こっちだから」
雪がやさしく微笑んだ。それを見て頬が熱くなった私は隠すように深々と頭を下げる。
「あ、あの! き、今日は、ほ、本当にありがとうございました!」
「あ~、笹森……あのな……明日からは、頭を下げない努力をしてみようぜ?」
「え?」雪の言葉の意味がわからずキョトンとした。
「あのね、彩音ちゃん。みんな対等なんだよ。そんなに頭ばかり下げてると相手は彩音ちゃんより上の人って気がしちゃって、本当の彩音ちゃんを見てくれなくなっちゃうんだ。まぁ本当に悪い事すれば、頭を下げて謝らないといけない事もあるけど、私が知る限り、彩音ちゃんは今まで頭を下げなきゃいけない事なんてした事ないんだよ? 今日のゆきちゃんも、自分でしたくてやっただけなの。彩音ちゃんが感謝してるなら、頭を下げるんじゃなくて、ニッコリ笑ってありがとうって言ってあげて」
雪乃は話している間、自分の手を握っていた。雪も雪乃の言葉に同意するように頷いた。
「わ、分かりました。が、がんばります」
「そうそう、頑張っていこう。慣れれば自然に笑えるようになるから~」
雪乃はそう言うと自分から離れて雪の腕に戻り、「じゃあね~」と手を振りながら帰っていった。
*
◆◆◆◆◆
鈴白明菜の心は未だ落ち着いていなかった。
遂に身体が震え始めた…………騒動が収まった後、ずっと表に出さないようにしてたけどもう限界だ。──私は両手で自身を抑えるように包んでしゃがみこむ。
「……こ、康太……私、生きてる……………………」
向かいに立つ康太は「今さらかよ」と呟いて軽く息をを吐いた。
「A小の連中もみんなそう思ってたんじゃないか? ったく、普通ゆきちゃんや雪乃ちゃんに本気で逆らうか?」
康太に右手を差し出され、私はその手を両手で掴む。恐怖が彼に伝わっていく…………彼は困ったように眉を下げた。
「なあ明菜。彩音ちゃんは何なんだ? いくら虐められてたって言ったって、お前のキレ方ハンパ無かったし、ゆきちゃんと雪乃ちゃんが同時にキレるなんて普通じゃないぜ」
「二人の事は判らないよ。でも私はあの子に色を見たんだ…………」
「色?」
「朝、掲示板の前で初めてあの子の後ろ姿を見た時、一瞬だったけどあの子の身体が眩しい金色に包まれてたんだよ。とっても暖かそうだった……そんで近づいて顔を見たら身体が震えたんだ、心臓もドキドキして止まらなかったんだ…………どうしても友達になりたくて、教室で話し掛けるのだって勇気を出したんだ。第一印象で嫌われたらどうしようって恐くてしょうがなかった…………」
康太は目を大きく見開いて自分を見つめている…………。何かおかしな事を言ったっけ? あれ? 震えが止まってる。
「お、お前……それって……」
「康太、この気持ちが判るの? ……こんなの初めてなんだ。あの子が虐められてたなんて絶対に許せない。私が助けなきゃって思ったんだよ」
「そ、その気持ちは……多分俺が思ってるのと違うと思うぞ? でも、キレた理由がそれなら…………やべえ、考えたくね~」
康太は頭を抱え唸りだす。言葉を濁されてまったく判らなかった。
「俺には彩音ちゃんに色は見えなかったよ」
「やっぱりね……誰も何も言わなかったもん。私の目がどうかしてたんだ……」
「……いや、お前には本当に見えてたのかも知れない………………」
意外な康太の言葉にキョトンとした。だけど彼は「いや何でもない」と言って慌てたように話を戻してきた。
「しっかし、お前が無事で良かったよ……あんまり心配させんなよな~」
「ごめん……」
「でも怒った雪乃ちゃん可愛かったな~。あれきっと、ゆきちゃんも初めて見たんだぜ」
「えっ?」
「ゆきちゃんに雪乃ちゃんが言い返した時のあいつの顔見たかよ、かなりショックだったんじゃないのかな……だってあいつ、自分が怒ってたの忘れてたもん」
その時の雪の顔を思い出したのか、笑い始める康太が信じられなかった。
「こ、康太? あんたなんで笑えるの? 雪乃が恐くなかったの?」
「今日の雪乃ちゃんは恐くなかったよ。それどころか安心した……」
「こ、恐くなかった? 審判だよ? 有罪だったんだよ? あの子絶対みんなを殺す気だったよ?」
康太がおかしくなってしまったのかと思って、掴んでいた手を思い切り振るが、康太はやれやれといった感じで大きく息を吐いた。
「あのさぁ、俺もお前も本当にムカついた相手と喧嘩になったらそんぐらいの感情を持つだろ? お前だってさっきそう思ってたんじゃないのか?」
ハっとした。虐めた連中を全て沈めようとは思っていたが、確かに新井は許せなかった。あの時私はそう思っていたかも知れない。
「今日の雪乃ちゃんはいつもと違う、感情丸出しで人間らしかったんだ。ちゃんと喧嘩相手が見えていたし、泣き叫ぶほど悔しかったんだろ? 力は人間離れしてるからあいつらは無事で済まないと思ったけど、俺は雪乃ちゃんを孤立させたくなかったから、加勢しようと思ってたんだ」
嬉しそうに話す康太を見て衝撃を受けた……
(私は馬鹿だ……あの子の気持ちの強さを理解していたのに、私は自分の事ばかりで精々ゆき君を暫く押さえる事しか考えてなかった……康太みたいにあの子の力に怯えずに加勢しようだなんて、まったく思ってなかった……)
「そっか、私は途中から止められないあの子をどうしようって考えてた…………康太、雪乃は私の親友だ! 次はちゃんとあの子の気持ちを理解出来るように頑張る! 一緒に大暴れしてやる!」
「おう頑張れ! って、え!? ………………き、気持ちだけでいいんだぞ?」
慌てる彼を見て思わず笑う。──不思議だ。さっき迄の恐怖心が綺麗に無くなった。
「ねえ康太。彩音の事なんだけど、あんたはどう思った?」
「俺だって朝見た時びっくりしたよ。髪の色もそうだけど、顔が雪乃ちゃんみたいにすっごく綺麗なんだもんな……声も綺麗だったなぁ…………いいなぁ」
「……あんた、自分が小学生って自覚ある? さっきの雪乃の話でも思ったんだけど、その評価、なんか歳相応じゃない気がするよ?」
この幼馴染はたまに後で理解出来るような事を言う。その言葉は頼もしいのだが、今のはなんかエッチだった。
「えっ、そ、そうなのか? 分かった。他の奴と話す時には気をつける……べ、別に変な意味はないんだからなっ! 思った事を言っただけだからなっ!」
慌てる康太を半目で見ながら私は溜息を吐いた…………まあ、本当にエッチだとは思ってない。
「わかってるよ。でも、なんであんな子が雪乃が言うように酷く虐められてたんだろ?」
疑問に康太は苦い表情を浮かべて舌打ちをした。珍しい彼の仕草に首を傾げる。
「そんなん一〇〇%妬みだよ。新井も言ってただろ? 主犯は女子なんだよ。男子には間違いなく彼女のファンが一杯いるぜ?」
「だったら、なんでその男子達が助けてあげないのよっ!」
「俺に怒るなよ……あの感じだと学年全員に虐められてるようなものだろ? 助ければ自分も同じ目にあうと思って黙ってるのさ」
「……私はそんなの許せない」
「ああ、俺もだ。でも、もしかしたらA小の生徒だけが特別でD小の連中みたいなのが普通なのかもしれない。だって天罰知らねーんだもん。一方的な暴力の恐さを知らないあいつらはゲームか何かと勘違いしてるんだ」
「…………」
康太の言葉をなんとなく理解したが、哀しく感じてしまう。自分達もそうだけど、体験しないと分からないって事じゃないか…………
「ねえ? 普通ってさ、正しいって事と違うよね?」
「当たり前だ。見てろよ? 彩音ちゃんは明日から……いや今日から女神になって貰う!」
「……はい?」
「お前はお姫様って言ってたけど、あんなに綺麗で優しい子、他にいねーだろ? 女神として存在するのが正しいんだ。きっと雪乃ちゃんもそれがわかってるから怒ったんだよ。だって天使だぜ? 女神が傷付けられればそりゃ天罰降らせるさ……他の連中にもしっかり認識させてやる!」
拳を握り真面目な顔で決意するアホな男子に苦笑した。
「ま、まぁ頼むわ……女神様ねぇ、彩音は暴力なんてきっと振るわないかけど絶対的って意味ならなんとなく解らないでもないわ、あの子男子だったら良かったのに……」
「はい??」
思わず漏らした言葉に康太は目を丸くした。
「い、いや。さっきも言ったけど不思議な気持ちなんだよ。きっと男子だったらゆき君より好きになるかも知れないって意味よ」
説明の途中で、(あれ?あれ?)と思いう。なんだろう? 頬が熱い?
「い、いや。お前も小学生の自覚ないだろ? ……いいか明菜、今のお前はおかしい。単純にお前は彩音ちゃんと友達になりたいだけなんだ。男子とか女子とか考えるな」
「ば、馬鹿にしないでよっ康太の癖に生意気だよ! さっきのはじょ、冗談に決まってるでしょ? それと彩音とはもう友達なの! これからはずっと一緒なんだっ!」
プイッと康太から顔を反らし、彼を置いていく勢いで歩き始めた。
と、とにかく目的は達成した。私はあの子と友達になったんだ。
*
◆◆
朝霧雪乃はいつものように雪の腕に絡みつきニコニコと笑顔を見せている。
帰り道にある商店街に差し掛かった時、雪がポツリと話し掛けてきた。
「雪乃……笹森どうだった?」
喉まで出かかっていた言葉を殻の中に閉じ込める。アリスは放課後の一件を知っている、これ以上の勝手を許す筈が無い。
「綺麗だったね~、すぐ大好きになっちゃった」
「あ、ああ……でも、お前があんなにムキになるなんてびっくりしたよ……お姉ちゃんとか叫んでたよな?」
「…………うん」
彩音に抱きしめられた時の暖かさを思い出し、嬉しくなってクスクスと笑う。
「みんな灰色なのに、ゆきちゃんみたいに綺麗なんだもん。驚いちゃったよね」
「やっぱり色が見えてたんだな、だから虐めの話を聞いて僕もあんなに頭にきたのかな?」
「? ゆきちゃんもしかして……」
目を大きくして雪を見つめる。そしてハッとした。
(そういえばゆきちゃんは施設にいたの、まだ知らないんだった……)
雪があんなに怒ったのは、無意識に彩音が同類だと感じていたかららしい…………
「どうした?……」
「……う、ううん、何でもない……ねえ、ゆきちゃん。彩音ちゃんを大切にしようね?」
雪は「ああ」と少し照れ臭そうに頷いて話を止めた。
(雪乃……)
ビクっと身体が震わせる。放課後の一件以来、遂に彼女に話し掛けられたのだ。
(ア、アリス。何?)
(惚けるのはおやめなさい……貴方随分力を付けていますね? 私を押さえ、自力で《通常の姿》になれるとは驚きました)
(悪かったよ……勝手な事をした……)
(しかも貴方はマスターに逆らいましたね? 人形の契約を忘れましたか?)
(忘れてないっ! 私はゆきちゃんの道具……ゆきちゃんを楽しませる為の人形なんだ。彩音ちゃんを助けたのはゆきちゃんがわざわざ手を下すまでも無い事だったから、私自身がやろうとしたんだっ!)
(ほう、自覚はあるようですね? しかし今日の貴方の行動には不自然でした。今後は私に話をしてから行動に移りなさい……それを忘れないように罰を与えます。帰ったら自由を奪いますから朝まで痛みに耐えなさい……)
恐らくまた手足を折られるのだろう。でも私の殻は破られていない、まだ本当の心は読まれていないんだ。いつか必ずアリスを押さえ込んでやる……。
(解ったよ。私は人形なんだ。貴方の好きにすればいい……)
(いい子ですね雪乃。では家に着くまで役割を忘れないようにしなさい)
そう言い残してアリスの意識は消えた。
「雪乃どうした? 顔色悪くないか?」
雪が顔を近づけてきたので、彼の頬に唇を軽くつけた。
「な、何すんだよっ!」
「えへへ……照れちゃった? ちょっとチューしたくて雪ちゃんが顔を寄せてくるように暗くなってみたんだ~」
雪乃はニコっと笑って雪の照れた顔を見つめた。
(昔はあんなに好きだったのに……今は義務でこんな事をしてる……でも、やっと会えた。彩音ちゃんはきっと私を守ってくれるお姉ちゃんに間違いない。早く私を見つけて……助けて……)
何年もかけて作り出した心の殻はそう簡単に破られない。私は殻の中でそう願いながら雪の腕にしがみ付いた。
*
◆
「ただいま」
笹森彩音はリビングのソファに腰掛けていた母に挨拶をする
「おかえりなさい。彩音、始業式だったのに遅かったのね」
「ごめんなさい。お母さん、クラスの子とお話していたの」
(相変わらず、お母さんは表情が読み取りづらい……)
──
母、笹森香奈はとても美しい。目は切れ長で鼻もバランスの良い高さ、唇も絶妙な薄さで、ほっそりとした輪郭、とても良く整った美人顔だ。そして身体もメリハリが凄くてスタイル抜群だ。お世辞を抜いて二十台前半に見えるその容姿は、既に一〇歳の母親では無い……私の髪と目の色は、そんな母から受け継いだものだ。
──
「では、お座りなさい、いつもの質問に答えて頂戴」
「はい、お母さん」
香奈の向かいに腰を下ろし、無表情で淡々と質問を始める彼女に、顔を俯かせながら答える。
「今日、色のついた人は見ましたか?」
「……いいえ、見ませんでした」
「気になる人と出会いましたか?」
「…………いいえ、会いませんでした」
「誰かを傷つけましたか」
「はい、クラスメイトを引っ叩いてしまいました」
「…………貴女の存在意義は何ですか?」
「私は……異界の人間との子供を産むために育てられています」
「では、異界の人間に出会うまでに、貴方がしなければならない事は何ですか?」
「異界の人間に知識を与える為に、普通の人と同様の生活を送り、様々な性格の人と知り合い、いろいろな経験を積むことです」
「質問は終わりです。こちらに来て両手をお出しなさい」
「はい、お母さん」
香奈の前に立って、両手の掌を上に向けて差し出した。
ピシッ「っ!」ピシッ「っ!」ピシッ「っ!」
香奈に乗馬の鞭で掌を叩かれる。彼女からの指導は本当に痛い。
「貴方は、普通の人と違うのです。手を上げたりしたらすぐに問題になり、お父さんにご迷惑がかかります。判っていますね?」
「はい、すみませんでした。お母さん」
頭を下げて謝ると、香奈の溜息が聞こえた。──ああ、また呆れられてしまった…………
「夕食まで時間があるので、お部屋でゆっくりしていなさい」
「はい、判りました」
無表情のままキッチンへ向かう香奈を見送り、自分も部屋に向かう。
──
みんなが幼稚園に通っていた頃、私は自分の強靭な身体の事、両親の事、異界の人間が存在する事、その人間の子供を作る義務などの知っておくべき事を全て教えこまれていた。
なにも知らない子供の私はそれらの話を聞かされても驚く事もなく、ただ自分はそういう存在なんだと考えていた。
施設を出て小学校に通い始めると、段々自分を取り巻く環境が異常なものだったんだと実感し始めた…………でも、それを疑問として口に出す事は母の怒りを買うのではないかと恐ろしくて出来なかった。
──
(ゆき君と雪乃の事は秘密にしよう。もし、質問で答えたりしたら、きっと二度と会えなくなる気がする)
質問で私は嘘をついた…………それは外の世界で初めてついた嘘で、心臓が破裂するかと思うほどドキドキしたが、母に気付かれなくて本当に良かった。
(ミコト…………お姉ちゃんはやっと友達を見つけたかも知れない。頑張るから応援してね…………)
良い報告なのにベッドに伏せた私は声を上げて泣いていた。赤髪の少女に出会ったせいか、今日は施設に置き去りにしてしまった大事な妹の姿がいつもより鮮明に浮かんでしまうのだ……………
会いたい…………会いたいようぅ…………
まだ何も出来ていない。あの子は私を信じて待ってくれている。