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ベイルワールズ  作者: スノウ
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想い

14.07.18:文章修正しました。m(_ _)m

 ツヴァイ誕暦七七一年

       六月某日

          ◆

──Mエリア:第一収容所

「ねえさま。こんにちわ~」

 よかった…………今日も大好きな声がやってきた。

 マリアは読んでいた小学校の教科書を机の上に置く。さあっ、一日で一番楽しい時間の始まりだ!

(あううう、顔がニヤニヤしちゃう。でもがまんしないと…………)

 ドアの前に立っているだろう声の主にこの顔はまだ早い。私は口をキュッと締めて眉を吊り上げた。

「ミコト。いつも言っているでしょ? ちゃんとドアはノックをしなさいっ」

 そう、私は怒っているのだ。怒っていないけれど、怒っているのだ。この子に《じょうしき》というものを教えてあげられるのは私しかいない。だからちゃんとやらないと!

「えへへ〜、ごめんなさいっ、でもびっくりするねえさまの顔、ミコトだい好きなのっ!」

「はうっ」

 言葉だけの「ごめんなさい」なんていけないことだ…………だけど、こんな想いの伝わってくる笑顔を向けられてしまったら、怒ったフリを続けるのなんて無理だ。私だってあなたがだい好きなんだもの!

(ううう……今日も怒れなかった…………)


 図鑑に載っている猫の様にちょっと吊り上がった大きな目、左目の下にある可愛いホクロ、笑うと大きく開いてこっちまで楽しくなってくる元気な口、そして濃い赤色の綺麗な髪と瞳…………

 お父さんは私をこの世界で一番可愛い、綺麗だ。と言ってくれる。でもそれは《おせじ》と言うものだ。だって世界で一番綺麗なのはお母さんだし、ミコトは私なんかよりずっと綺麗で可愛いじゃないか。


 ミコトの笑顔はまるで宝物のように輝いて見える…………私には見える…………だから私はいつも泣きそうになる。


 この子の《まとも》な姿を見た事がほとんどない…………今だっていつもより瞼が大きく晴れ上がっていて、髪も相変わらずグシャグシャだ。私と同じ白い診察着も所々濁った赤に染まっていて、見えている素肌の部分も血と痣だらけで本来の白い肌が分からない。


 私はいつもの様にニッコリと笑顔を作る…………胸はキュウって苦しくて痛いけど、絶対に表に出さないと決めている。

「今日は来るのが遅かったわね? さあ、いつまでも立ってないでベッドに座りなさい」

 ミコトはコクリと嬉しそうに頷いてベッドに向かうが、右手で大事そうに左上腕を支えて歩く彼女を不思議に思った…………そしてその事実に気がついた途端、座っていた椅子を倒して立ち上がる!

「み、ミコト!? その腕はどうしたのっ!?」

「えへへ……今日ね、お父さん機嫌が悪かったの……いつもより一杯叩かれちゃったんだ。ミコトまた気を失っちゃってて、気が付いたら腕こんなになってたの…………全然動いてくれないの…………痛いの……えへへ」

 肘から先が逆を向いている左腕を見ながら、ミコトはニコニコと笑っている。それはまったく辛さや悲しみを感じさせない本当に楽しそうな笑顔だった。

「い、痛いのになんで来たの? 早く先生達に診て貰いましょうよ……その腕絶対に骨が折れているわ……」

「大丈夫じゃないけど大丈夫っ、腕が治るまではお父さんに会わなくていいって先生に言われたの。だからこのまま自然に治るまで我慢するの…………それに、ねえさまに早く会いたかったの、大好きなねえさまと会うためだったらミコトは痛いのなんか気にしないよっ」

 我慢出来なくなって顔がクシャクシャになって、涙を零してしまった…………この子がどんな姿で自分の前に現れようと、いつも笑顔で暖かく抱き締めてあげようと決めていたのに、こんなの絶対無理だ。

(私は無力だ……この子を守りたいのになにも出来ない……)

 ベッドに腰掛けてミコトをそっと抱き締める。左腕に負担が掛からないように気を付けながら頭を撫でていると、彼女は幸せそうな笑みを浮かべたまま寝息を立て始めた。


 この子はいつもこうやって寝てしまう。まるで此処でしか眠れないみたいにグッスリだ。

 ミコトを静かにベッドに寝かし、机の上に置いた教科書を睨みつける。

(このままでは、私もミコトも死ぬまで外には出れない……今の私は何も出来ないけれど、いつかこの子を幸せにしてあげたい……)

          * 

 いつの間にか自分も眠ってしまっていて、起きた時にはミコトと遊んでいい時間を一時間も過ぎていた。

 何故かとても身体がだるくて頭がボーッとしていたが、このままではミコトがまた酷い目にあってしまうから、眠り続ける彼女を抱き抱えて部屋まで連れて行った。

          *

「お父さん、今よろしいでしょうか?」

 ミコトの部屋を後にして、父に会いに来た。今日こそは絶対に我がままを言ってみせるっ。

「彩音か、どうした?」

 自分にちゃんと名前をくれて、とても可愛がってくれる父に会うのは嬉しいが、最近はいつも胸が締め付けられるように痛い……ミコトの怪我の殆どは彼女の父親から受けているものなのだ。私は恵まれている…………

 拳を握り、優しい父を睨む。決心はとうにしている。後は勇気だけだっ!

「……私は一六歳になったら義務に従い、ライアンと子供を作ります。嫌だなんて思っていません」

 父:笹森武ささもりたけしは溜息を吐くと、眉間に皺を寄せて何も言わずに目を閉じた。

「ですから、お願いです。一六歳になるまで外の世界で生活をさせて貰えないでしょうか?」

「なんだとっ!?」

 武は目を大きく見開いて怒鳴り声をあげた。この反応は予測していたが、実際に怒鳴られると恐くてビクっと身体が震えてしまった。

(が、がんばれ……言うんだっ)

「わ、私もライアンも外の世界を知りません。こ、このまま大人になって子供を作るだけというのは、やはり悲しいです……ですから私が少しでも外の世界を経験して、彼にも教えてあげたいのです」

 武は目に手を当てて大きな溜息を吐いた。呆れたんじゃ無いと思う、なんだか哀しそうだ。

「……私も十六の時から此処に更迭されているのは知っているな? そんな理由で出れる可能性は殆ど無いぞ?」

「それでもっ! …………何もしないでじっとしていられないのですっ。お願いですっ、どうか香月先生にお願いして貰えないでしょうかっ!」

 言えたっ! 自分は絶対に外に出なければいけないっ、この《準備していた理由》だって嘘じゃないっ!

「むう…………わかった。後で話だけはしてみよう。しかし期待をしてはいけない……すまないが私の力ではどうする事も出来ないんだ」

 父は必ず話をしてくれる、それだけでも大きな一歩だ。私は希望を胸に抱き、目を輝かせて父に抱きついた。

「だい好きです! お父さん!」

「う、うむ…………彩音、一つ聞きたいのだが……」

 武は心配そうな顔をしていた。思わずキョトンとしてしまう。

「はい、なんでしょう?」

「お前は、ライアンの事を愛しているのか?」

 一瞬ポカンとしたが、とても面白い質問だった。それに父の顔も面白くて思わずクスクスと笑ってしまう。

「嫌だわお父さん。私は好きって気持ちも良くわからなくて説明できないんですよ? 子供を作る勉強をしていた時に愛って言葉は聞いていますが私にはわかりません。わかっているのは私もライアンもこの収容所の中だけしか知らないなんて、可哀想だという事だけです」

「そ、そうだな。お前には愛などまだ早い……しかし驚いたぞ? お前はまだ六歳だ。こんなに話せるのも驚くばかりだが、普通の子供でこんな事を言い出す子はまずいない……お前は身体以外も特別なんだな……」

 そう言って父は少し悲しげな表情を浮かべたが、その表情の意味が良く判らない。ライアンの子供を産む為に育てられている自分は確かに外の子達とは違う。でもそれは生まれ方の問題だけで他はみんなと一緒の筈だ。

         

──二週間後

「ねえさま、こんにちわ~」

 顔を腫らした真紅の少女は、今日もニコニコ笑って部屋に顔を出した。

「ミコト? ノックをしなさいっていつも言っているでしょう?」

 いつもの様に怒らずに微笑みながら両手を広げると、ドアの前でウズウズしていた宝石が腕の中に飛び込んできた。

「えへへ、ねえさま暖かい~」


 父にお願いをした日、重傷だった筈のミコトは信じられない事にたった一晩で骨折を完治させていた。当然身体に異常が無くなった彼女はすぐに暴力を振るわれて、彼女の望んでいた休息の時はやって来なかった。


(この子、同じ歳なのに結局『ねえさま』だったわね……)

 今日は悲しい日だ…………まだ何も知らないミコトにどう話そうかと悩みながら頭を撫でていると、ミコトは机の上に置いてある物に気が付いた。 

「ねえさま。それカバンですか?」

「ええ…………ランドセルよ。私、小学校に通うの…………」

 ミコトは慌てて自分から離れると、信じられないといった顔をして見つめてきた。

「しょ、小学校? ねえさまここから居なくなっちゃうの?」

 目をうるうるさせて今にも泣き出しそうなミコトを見て顔が歪む…………辛い、可愛いこの子に会えなくなるのは嫌だ…………でも私が出来ることはこれしか無かったのだ。

「…………ミコト、私は今日ここを出るわ、外の世界に行くのよ……」

「嫌だ! ねえさまがいなくなるなんて絶対嫌だっ!」

 強く握り締める両手をプルプルと震わせながら泣き叫ぶミコトを再び捕まえてギュっと抱き締めた。──が、我慢だ…………もうちょっと…………がんばって私!

「ミコト? これから私の言う事を覚えておいてね? そして誰にも言っては駄目……これは私と貴方と二人だけの秘密なの……」

「ぅぅぅぅ………………ねえさまとみことのひみつ?」

「そう、秘密よ。私は外に出る機会を貰ったの……でも一六歳になったら必ず戻ってくる」

「ライアンのおよめさんになりにでしょ?」

 ミコトは大粒の涙をポロポロと落としている。見捨てられたと勘違いさせてしまったのかも知れない。

「違うわ……貴方を迎えに戻ってくるのよ。私はこれから貴方が幸せに暮らせる居場所を作りに行ってくるの」

「ミコトの居場所?」

 ミコトはポカンと不思議そうに首を傾げている。私は出来るだけ優しい笑顔を作ってコクリと頷く。

「ええ、そこには貴方を虐める人がいないの。その代わりに貴方を大事にしてくれるお友達がいっぱいいるのよ?」

 ミコトは暫く固まっていたが徐々に大きな目を更に見開いた。

「ミ、ミコトを大事に? ねえさま以外にそんな人達がいるの? 叩かないの?」

「そうよ、みんなミコトが大好きで優しくしてくれる…………だからお願い、それまで辛いと思うけれど頑張って欲しい」

「で、でもねえさまいなくなっちゃったら、ミコトどうなっちゃうの? 十年も離れ離れなんてミコト寂しくて死んじゃうよぅ…………」

 ミコトは両手を目に当てて本格的に泣き始めた。──可哀想だが言い聞かせるしかない、今の私にはこれしか……これだけしか出来ないんだ。

「これからはライアンとお話ししなさい。彼はとても優しいわ……でもこの秘密は教えちゃ駄目よ? 他の人に聞かれると私は連れ戻されてしまうかもしれない…………でも、ミコトがどうしても我慢出来なくなったら言ってもいいわ、そうしたら私は連れ戻されるもの……」

「ぅぅぅぅぅ…………でも、途中で戻ってきたらねえさま悲しい顔しちゃう…………ミコトはねえさまが迎えに来てくれるまで頑張ります……もし途中でミコトも外に出られそうだったら頑張ってみるね? ねえさまに早く会いたいもの」

 ミコトも私の身体をギュッと抱き締めてきて、ニッコリと笑顔を見せてくれた。彼女がとても頑張って作った笑顔…………絶対に忘れない。

「そうね……頑張ってね…………今すぐ助けてあげられないお姉ちゃんを許してねミコト……………………うっ!」

 おつかれさま……もういいわ…………

 

 ミコトの前で初めて声を出して泣いた。──こんなに辛いのはいやだ…………なんでよっ、なんで私達が離れなくちゃいけないのっ!?


「泣かないで、ねえさま……綺麗なお顔がクシャクシャですよ? ねえさまはそんなお顔しちゃダメです! 綺麗で頭が良くて優しいねえさまは、笑ってミコトを抱き締めてくれていないとダメなんです! だから笑ってください。泣くのはミコトの役割だもの…………さっきは我がまま言ってごめんなさい」

「ゔゔゔゔゔゔぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……………………ゴメンね、ゴメンねぇぇぇ………………」

 温もりを忘れないように、腕に力を加える。匂いを自分に擦り付けるようと強く頬ずりをする。


(私は友達を一杯作る! そしてここでは教えて貰えないような事をいっぱい教えて貰うんだ! 知識をつけて、力をつけて、幸せな居場所を絶対作ってプレゼントするんだっ)


 この悔しい気持ちを絶対に忘れないっ、私は決めたんだっ! 私の時間はこの子の為に全部使ってやるんだっ!

            *

──Nエリア・A小学校

          ◆◆

 昼休み。

(嫌だ、やめて……もうやめてよ!!)

 一年四組の教室で朝霧雪乃あさぎりゆきのは悲鳴をあげていた。

 しかし、その声は誰にも聞こえていない。自分の意思とは関係なく映し出される視界には、鼻を潰されたクラスメイトの男子が涙と鼻血を流していて、呻き声をあげている。

 身体は左手で男子の胸倉を掴み、右手で彼の顔を殴っている。力はかなり加減されているのが判る。しかしこれは男子を殺さない為ではないと思う、勝手に動く視界は時々周囲の生徒がちゃんと怯えているのを確認するかのように見回しているのだ。

 殴る度に歪む男子の顔を見ていられなかったが、瞼を閉じる事も出来ない自分は一方的にその光景を見せられ続けていた。

(助けて……ゆきちゃん助けて!)


──

 二十分前、人見知りの激しい自分は唯一会話の出来るクラスメイト:鈴白明菜すずしろあきなと自席で楽しく話をしていた。すると数人の男子が近寄って来て、突然自分の頭上で黒板消しからチョークの粉を降らせてきたのだ。

「あんた達何やってるのよ!」

 明菜はビックリして男子達を怒鳴り、一人の胸倉を掴んだが他の男子達に両腕を掴まれて拘束されてしまった。

「朝霧が気にいらねーんだよ。隣のクラスの黒磯と一緒に居るときは明るいのに俺達が話しかけると怯えやがんだもん。いったい俺達が何したっていうんだよ!」

 明菜に掴まれた男子が解放された胸倉を擦りながら言うと、明菜はその男子を睨んで猛々しく怒鳴るっ。

「きっと雪乃はあんた達がこんな事する連中だって最初から判ってたんだよっ! 最低なんだよあんた達っ!」

 明菜に怒鳴られた男子は、明菜を睨みつけると躊躇なく彼女の顔を殴った。

「うるせーよ、お前に用なんかねーんだから黙ってろよっ!」

 動きを抑え込まれていた明菜は涙を浮かべ、悔しそうに男子を睨む。──私は凶暴な男子達が恐かった。目の前で明菜が助けてくれようとしているのに、ただ震えて見ている事しか出来なかった。

(明菜ちゃんごめん……私、怖いよ……)

 私は明菜の顔もまともに見れなくなり、目をギュっと瞑って男子達が離れて行くのを待つ事にした。しかし、彼等はそう簡単に離れてくれるのだろうか? いやそれ以前に自分も殴られるに違いない。そんな事を考え始めていると突然身体が熱くなるのを感じた。

(何? これ……)

 早くなっていた心臓の鼓動に共鳴するように身体がドクンドクンと揺れているような気がして、慌てて自分の身体を抱きしめようとしたが、信じられない事に身体が一切動かせなくなっていた。

 頭が一瞬真っ白になった私は慌てて腕の動かし方を考えようとするが、普段そんな事考えた事もないから何も分からなかった…………すると突然、自分の心情を完全に無視した身体は席を勢い良く立ちあがった。

(な、何? なんで私立ったの?)

 視界が勝手に動き出し、明菜を殴った男子生徒の前で止まった。今自分に信じられない事が起こっているっ、視界に写っているものは間違いなく自分の目で見ているものだ。でもそれはテレビや映画のように勝手に流れている映像でしかなく、私はそれを見ている事しか出来なくなっていた。

「ゆ、雪乃? あんたその髪と目……」

 明菜の言葉は聞こえていたが、声を出す事も彼女に振り向く事も出来ない。視界に移っている男子は怯えるような表情を浮かべていた。

(……な、何で彼を見ないといけないの? こ、怖いよ、殴られちゃうよ……助けてよ明菜ちゃん……)

 怯える自分とは裏腹に左手が勝手に動き出し、男子の胸倉を掴んだ。

「おっ!? な、なんだよやるのか?」

 男子の言葉は聞こえていた、しかし身体は男子の言葉を無視して、右拳を彼の鼻柱に叩き込むっ!

(きゃっ、ヤダッ!)

 男子の身体は後ろに流れるように傾くが、身体は離れる事を許さないと言わんばかりに掴んでいた胸倉を自分に引き寄せ、男子の顔を更に殴り始めた。

──


 …………ついに男子がピクリとも動かなくなると、身体は左腕だけで彼を床に叩きつけた。彼の腫れあがるまで殴られた顔はあまりに酷くて、とても見ていられない。

(あ、明菜ちゃん……助けてっ、私の身体止めて!)

 視界に彼女が映り、必死に叫んだが無意味だった。彼女は顔を真っ青にして自分を見ていて、身体をガタガタと震わしている。

 明菜を抑えていた男子達も真っ青になっていた。身体はその一人に近寄り、彼の肩を捕まえると今度は顔ではなく腹と胸を殴り始めた。──何故だか分かる…………こっちの方が《もつ》からだ…………

(嫌だ…………ねえやめてよ! 止まってよっ!)


 初めこそ混乱していたが、どんなに叫んでも声が誰にも届かない事をいい加減に悟った私は徐々に冷静さを取り戻し始めていた。そしてあまりにも自然に動いている自分の身体は誰かに乗っ取られているのではないか? と考え始めた。だってこんなのおかしすぎる…………私はこんな酷いことをしない。

 二人目の男子を床に叩きつけると身体は次の男子へ向いた。偶に視界は周囲を見せるが、そこに映る生徒達はみんな怯えきっていて、まるでバケモノでも見るような……そんな印象を受ける目で自分を見ていた……

(私どうなっちゃうの……こんな酷い事、いつになったら終わるの……)

 左手は男子の肩を掴もうとしたが、突然左腕が何者かに掴まれ、視線から男子が外れる。

『やめないかっ!』

 掴んできたのは担任の三枝さえぐさ先生だった。彼は趣味で身体を鍛えているらしく、がっちりとした大きな身体だが、太い黒縁の眼鏡から覗かせる瞳はいつも優しいもので、自分も彼を怖いと思った事はなかった。

 助かったと思ったら、恐くて悲しかった感情が一気に溢れ出た。身体が動けば間違いなく先生に泣きついただろう。


──身体は私の希望を粉々にした…………これは私の身体じゃない。そうじゃなかったらこんなに私を裏切ったりしない。


 身体は暴れるのを止めるどころか、右手で自身の左腕を掴んでいる先生の腕を握り締めた。先生は悲鳴を上げながら左腕を開放するが、右手は彼を解放しないで彼の身体ごと宙に浮かび上がらせて床に叩きつけた。

 叩きつけた瞬間、右手からは何かを砕いたようなゾワゾワと嫌な感触が伝わってきた…………な、なによこれ…………今の感触って骨を折っちゃったんじゃないのっ?

 一人目の男子を床に叩きつけた時に何故気がつかなかったのだろう…………こんなの私の力じゃ無い、バケモノだ………………私の身体がバケモノに乗っ取られている!?

 身体は仰向けに倒れている先生の胸の少し下に馬乗りになると、引き攣った彼の顔を見つめた。そして私は驚いた…………彼の眼鏡に自分の姿が写っていたのだ!

(だ、誰よこれ…………私じゃないじゃないっ!)

 顔の造りまでは確認できなかったが、私じゃない事だけは確信が持てた。だって私はみんなと同じ黒髪だ! なのに《この子》は髪が真っ赤じゃないか!

(出てきなさいよ! 誰かいるんでしょっ? 私をこんなに恐がらせて、みんなにいっぱい酷い事をして何を考えているのよ!)

 なんで私がここに居るのか知らないけど許せない! 怖かったんだ! 悲しくて仕方なかったんだ!

(少しは静かにしなさい雪乃……さっきから騒いで煩いですよ?)

 突然響いてきた声に緊張するっ。視界では身体が先生の胸を殴り、何かを砕いた…………先生の悲鳴が教室中に響いてる中で、身体は一度周囲を見回し、今度はゆっくりと顔を殴り始めた。

(だ、誰よ貴方! 早く先生から離れなさいよ!)

(駄目です。この人間は私の邪魔をしました)

 相手が何を言っているのか理解できなかった。声の主は女性のようだったが全然優しくなくて、冷たさを感じる。

(駄目だよ! そんな事をしたら駄目だっ、お願いもう人を傷付けないでよっ、暴力を振るわないでよっ!)

(私はマスターとこの身体を傷付ける者を許しません。忘れましたか? 先に攻撃してきたのは彼等です。本来ならば止めを刺すところですが、マスターが悲しむかもしれませんからこの程度で済ませているのです)

(何を言っているのかわからないよ! 頭おかしいんじゃないの? ……とにかく私を私の身体に戻してよ!)

(……何を言っているのです雪乃? この身体は貴方の器で他などありません。それに貴方は思い違いをしていませんか? 私達は人ではありません、マスターの望む道具ではありませんか?)

 いきなり道具と言われ、状況を一瞬忘れてしまう。

(っ! わ、私が道具!? 人じゃない?)

(そうですよ? 私は《アリス》、マスターの身体を守り共に戦う道具、装備です。貴方はマスターに安らぎを与える為の道具、人形です)

(人形っ? マスター? なんだか判らないけど嫌だよっ!)

(しょうのない子ですね貴方は……早く自身の立場を受け入れられるくらいに成長しなさい。今回の記憶は貴方から消します。幼い貴方にこの力を与えるのはまだ早いと判断しました)

(き、記憶を消す?)

(ええ、今回の件について貴方は全て忘れる事になります。後一、二年様子を見て、問題ないと判断したらこの力と記憶を渡しましょう)

(い、いらないよこんな記憶っ、私は人形なんかじゃない!! 明菜ちゃんだってお友達になってくれたっ、私は人間なんだっ!)

(鈴白明菜はもう貴方には近寄りません)

(えっ!?)

(私が今、恐怖を植え込みました。先程貴方も彼女の顔を見たでしょう……あれは畏怖です)

 やっぱりそうだった。わざと手加減して周りのみんなを恐がらせていたんだ。

(な、何よ恐怖って…………と、友達がいなくなっちゃうじゃない……)

(貴方に友達など不要です。マスターの事だけを考えなさい) 

(なんてことするのよっ! 馬鹿ぁっ!)

(それは私の台詞です。人形の分際で許可も無く他の人間と接しているなんて許されません。私の顔に泥を塗ったのは貴方の方です)

 気狂いだ…………だけど逃げられない、どうして良いのかなんて分からない…………

(…………私の中にこんなバケモノがいたなんて……ねえ、お母さんは貴方を知ってたの?)

(当然です。あずさは貴方を育てているだけで、別に貴方を生んだ訳ではありません)

 と、とんでもない事実を知ってしまった…………私は大好きな母の子供じゃ無かった!?

(嘘だっ! 私はお母さんの子供だもんっ!!)

(……諦めの悪い…………)

 信じたくないのに彼女の言っていることが真実だと分かってしまう……………………なんなのよ…………

(…………………………)

(雪乃?)

(私が人形? 皆と同じ格好した人形? …………ねえ? マスターってゆきちゃんの事?)

(はい)

(そっか、ゆきちゃんのお人形だったんだ私…………お母さんも私を育ててるだけだったんだ)

 何かがブチブチと切れていく………………信じたくない気持ちが消されていく………………

(そうです。梓はマスターの為に貴方を育てています…………)

 おかあさんは私の事を愛してくれていなかったのだろうか? それは本人に聞いてみたい。

(ゆきちゃんは私をヨメって言ってたよ? ヨメと人形は一緒なの?)

(違います。セツナ様は将来他に伴侶を見つけるでしょう)

(名前間違ってるよバカ…………ヨメをはんりょって言うんだ? じゃあ私はずっと一人ぼっちじゃない。なによそれ、なんで生きてるのよ私…………どんなに寂しくても誰もお友達になってくれないなんて嫌だよ。本当にみんな私のお友達になってくれないの? 貴方がみんな追っ払っちゃうの?)

 この子と友達なんて絶対に嫌だ。自分はこれからどうしていけば良いのだろう? と思いながら力なく質問をした…………どうせ、当然です。とか言われるんだ…………

(…………………………)

 一時間……たったそれだけの時間で私の今までは無くなってしまった…………この子の言っていることが本当だと分かるから、疑う事も逆らう気持ちも起きないから…………私は諦めなきゃいけないんだ。

(ほら、言いなさいよ。人形にそんなものはいないって言えば良いじゃない!)

(…………………………)

 !? あれ? まさかこの子。

(もしかして、貴方にも邪魔できないような人がいるの? 私とお友達になってくれる人がいるの?)

(…………………………)

 間違いないっ、この子は嘘がつけないんだ!

 受け入れることしか出来なかった心に何かが生まれた…………きっととても大事なものだ。

(その人は明菜ちゃん?)

(違います…………余計な事を考えるのはおやめなさい)

(そうか、でも誰か解らないけどいるんだね?)

(…………この男で終わりにします。大人しく見ていなさい)

 アリスはそう言い残し、何も話さなくなった。──私も何も聞かずにじっと先生が殴られるのを見つめる事にした。

(この子の言った事は全部じゃない、私は一人じゃない、その人を見つけて友達になれればきっと私は寂しくない…………だから諦めちゃダメだ。さっきはいらないって言ったけど、この記憶を……この感触をいつか思い出す。そうしたら絶対先生に謝ろう。こんなバケモノと一緒になんかなるもんか、人形なんかになってやるもんか。悪い事をしたんだからちゃんと叱られないとダメだ。だってそれはお母さんが教えてくれた事なんだ)

 手に伝わってくる感触は気持ちが悪くて堪らない…………でも記憶を取り戻したらすぐに思い出せる様に心に深く刻み込む。

 心に生まれたのは反抗だ…………さっきは思えなかったのに、今はこれ程彼女アリスが憎い。

          *

 暫くすると教室に別クラスの教師と黒磯雪くろいそせつが慌てるように入ってきた。

 雪は身体を抱きしめて「大丈夫……僕もお前も大丈夫だから」と囁いた……すると身体はピタリと動きを止めて、大人しくなった。


 ゆきちゃん。それ私じゃないよ…………


──私は大好きな幼馴染のヨメじゃない。喜ばせる為だけの人形だった。


 身体アリスは何も言わずに彼の優しい顔をただじっと見つめてる…………私は彼の顔が大好きだ。だけどいつもと違う…………嬉しくない、ドキドキしない。


(では雪乃……貴方の記憶を消します……マスターの為にこれからも明るく振舞うのですよ?)

 ふざけてると思った。だから無視してやったのに、どんどん眠くなってきて動きもしないのに瞼が閉じたみたいにに視界が真っ暗になっていく…………

          *

「う……ん、あれ? 私なんで寝てたんだろう? 学校にいた筈なのに……」

 そこは自分の部屋のベッドの上だった。左手は雪に握られていて、上半身を起こすと彼の寝顔が見れた。自慢だけど彼の寝顔を見れるのは私だけの特権だ。状況はまったく分からなかったけど、嬉しくなってクスクスと笑いが溢れだす。


 雪は同じマンションの隣に住んでいる幼馴染だ。私は母親、雪は父親と片親同士のせいもあってか、昔から家族同然の付き合いをしている。だからこうやって自分の部屋に雪が居るのもよくある自然な光景だった。

「ゆきちゃん……ゆきちゃん起きて……」

「ん……あ、ああ雪乃、目が覚めたのか……」

 雪が両手を上げて背伸びをするのを見て、また笑いが溢れた。こんな彼も大好きだ。

「うん、でも変だなぁ、何で私寝てたんだろう? 学校にいた筈なんだけどなぁ」

 首を傾げていると頭にポンと手を置かれ、キョトンとして彼を見た。

「ん? まだ夢でも見てるのか? 家に返ってくるなり昼寝してたんだよ……でも、変だったな。お前全然笑わなかったし、話しかけても頷くばっかで喋りもしなかったんだぜ?」

「ええっ! わ、私何も覚えてないよ?」

(ゆきちゃんと一緒にいて笑ってなかった? ど、どうしよう、嫌われてないかな?)

「まったく、しょうがないやつだなぁ」 

 雪が呆れたように大きく溜息を吐くのを見て、「えへへ」と愛想笑いを作って見せた。それにしても気持ちが悪い……なんにも思い出せないよ。

「それより明日からお前は僕のクラスになるぞ? これからはいつも一緒だな?」

「えっ、何で?」

 気持ち悪さが吹き飛ぶほど信じられない情報だった……嬉しくなって雪に飛びつくと、彼は優しく頭を撫でてくれた。

「…………知らない。特別だってさ…………」

「そうなんだっ! ゆきちゃん大好きっ、ずっといっしょにいてね?」

 やったぁ! ずっと一緒にいれるんだ! もう寂しくないんだ!

「あん? 当たり前だろ? お前は僕のヨメになるんだ」

「うんっ、ゆきちゃんは私のダンナ様だもんねっ!」


 ヨメとかダンナというのは前に雪に言われた事で自分には意味が分からない。でもそれはきっと良い事だと思ってる。だってゆきちゃんが私に意地悪したことなんて無いもん!

 そんなゆきちゃんと一緒のクラスになる。明菜ちゃんとはクラスが離れちゃうけど、明日からは楽しいことでいっぱいだ!


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