3.
ヴォヤージェ窓から漏れてくる橙のひかりは、暖炉のやさしさがありました。
中からは、聴いたことのない音色の楽器の音と歌声、笑い声がきこえます。
よかった。まだお店やってる。
木製のドアを両手であけます。
ドアの建て付けがわるいので、幼いシーエルには少し力がいりました。
ドアを開けようとした時点で、
夜分にノックもせず迷惑じゃなかったかしら。
と、思いましたが、そう思ったときにはカタンという音とともにドアは開いていました。
すこし、熱く感じるくらいのこもった熱気がシーエルをつつみます。空気がいっきに膨らむのを感じました。
いつもは、四角いフロアに椅子と机が入れるくらいの等間隔で配置されているヴォヤージェですが、今日は卓をくっつけてパーティーをするみたいに並べてあります。
そこには、サラダや5kgはありそうな鳥肉のオーブン焼き、鍋のシチューなどの色とりどりの料理で埋めつくされていました。
そして、テーブルを囲むのは見知らぬお客さんたちです。
お客さんたちは一様に、黒い髪の毛をもち、秋も半ばだというのに頬を日焼けをしていました。
店内が暖かいとは言え、暖房は部屋の端にある暖炉しかありません。しかし、そんなことお構いなしに、ほとんどの人が半袖なのでした。
つなぎのような服の上着を腰に巻いて、上半身は簡単な下着だけです。
「おや、どうしたんだいシーエル。こんな遅い時間に。いや、もう日をこえてしまったから早い時間かな」
「あの…」
店主のヴィアンデさんがこえをかけてくれましたが、シーエルは、知らない人ばかりで縮こまってしまいました。
ひとりやふたりだったらまだしも、テーブルを囲む20人程のひとすべてが知らない人なのです。
シーエルの住む小さな街では誰もが顔見知りです。ですから、知らない人ばかりの店の中は、シーエルにとって別の街のようでした。
「そこはさむいだろう。とりあえずお入りな」
丸いめがねで短髪の大柄な店主は、シーエルに優しくいいました。
しかし、店内の視線を一手にあつめて、シーエルはさらに縮んでしまいました。
「おいおい、かわいいお嬢ちゃんだな。ヴィアンデの隠し子かい?」
テーブルにつく見知らぬ人のなかでも、一際大柄なのがからかうと、どっとみんなが笑うのでした。
「バカ言え。この子は向かいの家の子だ。なあ、シーエル」
シーエルはこくりと頷きました。
「あの…シーエルです。12歳です」
シーエルは緊張のあまり、頼まれてもいない自己紹介をはじめました。
「あの…あの…」
みんなは黙って耳を傾けましたが、シーエルは何を言いたいのか自分でもわかっていませんでした。
あの…と言ってしまったてまえ、何かを言わなくてはならない気持ちになります。
チラッと上目で目の前をみると、みんながシーエルをみています。
「あの…みんなはどこからきたの?」
「ん?」
さっきの男が軽く首を傾げました。
「おじさんたち、この街のひとじゃないよね。どこからきたの?」
男のよこにいた、垂れ目の女性がシーエルをしっかり見ていいました。
「山のむこうの国よ。お嬢さん」
「!」
シーエルは純粋に驚いていました。
山の向こうの、雪の降るくに?
そう、聞こうとしましたが、それより先にさっきの女性がやさしく微笑みながらいいます。
「ほうら、こっちにきてホットワインをお上がり。ハチミツがたくさん入ってて甘いわよ。お話しましょ」
「うん」
シーエルは大きく頷きます。
「そうだ。ヴェーネ、起きなさい。レディがエスコート待ちよ」
そういうと、垂れ目の女性は横の何かをゆさゆさゆすり始めました。
「ん…んー」
シーエルからは机の影になって見えませんでしたが、そこには誰かいるようでした。
目を擦りながらむっくり起きたのは、シーエルと同い年くらいの男の子でした。
「ネーヴェ。同い年の女の子が来てるわよ。お話しに付き合ってあげなさい。たのしいお話にするのよ」
「うん。…」
いかにも、いま眠りから起こされた少年は寝ぼけた目で、ぼぅっとシーエルを見つめます。
少年の髪もまた黒く、黒炭のような美しいツヤを持っていました。
シーエルがその場を動けずにいると、少年が急にハッとします。
そして、シーエルめがけて駆け寄ってきました。
「ねえ!キミはこの国のこども?」
先程までねむそうだった少年は、目をキラキラさせてシーエルを見つめます。
まるで、覆いかぶさりそうな勢いと熱い視線に、シーエルは少しだけ恥ずかしくなって顔を背けました。
「…うん」
「そっか!じゃあ、たって話すのも疲れるし、こっちに来なよ」
シーエルは強引に手を引かれて、少年がいた席と先ほどの女性の真ん中に座らされました。
他の大人たちは、二人のことを面白い物を見るみたいにニヤニヤしながら見ています。
そんなことはお構いなしに、少年は話をはじめました。
「僕の名前はネーヴェ。ここから見ると山の向こう側の国に住んでるんだ。君の隣の人は僕のお母さん。その隣はお父さんだよ」
自己紹介を終えた少年ネーヴェは、ミルクを新しいコップに注いで、シーエルの前に出しました。
「ねえ、僕聞きたいことがあるんだけどいい?」
シーエルはこくりと頷きます。内心、何を聞かれるのかドキドキしていました。
「君の髪の色はなんで金色なの?」
「え?」
「僕の国にはそんな髪の人はいないよ。太陽たくさんに当たると、お日様の色が移るの?」
シーエルとネーヴェの周りの大人たちはどっと笑いました。シーエルはなぜそれがおかしいのかわかりません。
それよりも、ネーヴェのいった質問の答えを必死に探していました。
「私はたぶん生まれた時からこの髪の色よ。でも、お母さんや、そのお母さんのお母さんは、昔この色じゃなかったかもしれない。もとは黒とか白で、お日様が当たったから金色になったのかもしれないわ」
シーエルは真剣に答えました。ネーヴェは「へーやっぱりそうなのかな」とうんうん頷いていました。その横で、大人たちは大笑いしたり、その対局に「なるほどな」とつぶやいたり様々でした。
「ねえ、私からもきいていい?」
シーエルはネーヴェに話します。
「ゆきってどんなもの?」
「ゆき?」
ネーヴェは、シーエルがなぜそんなことを聞くのかわからないといった風でしたが、きちんと答えてくれました。
「白くてとっても冷たいよ。ふわふわっていうか、さらさらしてるね。でも、水分が多いと重くて硬いんだ」
ネーヴェは博士になったみたいに、得意になって言います。シーエルも真剣に聞きました。
「それから?」
「え?それから?…えーと、天気のいい日にずっと見ていると目が痛くなるんだよね。僕らって、こんな冬でもほっぺの色がこいでしょ?雪に反射した太陽で、日焼けしちゃうんだって。太陽が出ると嬉しいけど、それくらい強いひかりだからすごく眩しい」
今度はシーエルが「へー」と感嘆しています。
「雪ならここからも見えるよね?」
ネーヴェは山の方角を指でさしました。
「あれは視界の中に入ってるだけで、見えてるとはいわないわ。私にとってあれは白い山であって、雪の降った山ではないの。私は雪のこと全然知らないから」
なんだか残念そうにしているシーエルを見て、ネーヴェは悪いことをしたような気分になります。でも、ネーヴェには「雪が降らないこと」を残念がるということがわかりませんでした。
「こんなこときいて、当たり前のことかもしれないけど、雪合戦とかかまくら作ったりしたことはある?」
「あるよ。とっても楽しいね」
「ゆきはきれい?」
「きれいだよ。冷たいし、なだれとか怖いこともあるけど」
「そう、ありがとう」
シーエルがどんどんしょんぼりしていきます。
「私の国には雪はふらないの。雨さえあまり降らないわ。空はいつも青くて、つまらない」
ネーヴェは、自虐的になっていくシーエルに我慢できなくなりました。
「そんなことないよ。僕の国は曇りの日のほうが多いんだ。雲一つない青空なんて、そうそうは見られない。だからね、ここに来るみちで、山を越えた時の感動は忘れない。この国の空は悲しくなるくらいに青く澄み切っていて、綺麗なんだ。僕は世界にひとりきりでたたずんでいるような感覚になる。すっと息を吸うとね、そらの青色が僕の胸の中に入ってくるんだ。それは冷たくて透明で、水よりもずっと澄んでいて、僕の喉をあらっていくんだよ。青い擦りガラスの芸術品みたいで、ツルツルはしていないけどきっとサラサラなんだ」
ネーヴェが熱っぽく語ると、シーエルの顔はその熱が移ったみたいに火照り始めました。まるで、自分が綺麗だと言われているみたいで、誇らしく、照れくさかったのでした。
隣にいた彼の両親だけは「あら、あの子ったら詩人ね」「俺に似たんだな」なんて言って盛り上がっていましたが、大人たちは、もう、シーエルたちの話しに注目はしていません。
ふたりだけの会話の空間に、逃げ場を失って、シーエルはこそばゆさを我慢できずに下を向いてしまいました。
下を向いてしまったシーエルが、何か気分を害したんじゃないかとネーヴェは思いました。ネーヴェは取り繕おうと必死に考えます。
「君のその首飾り、すてきだね」
「これ?」
それは、12歳の女の子がもらうラピスラズリの首飾りでした。シーエルは首飾りを外してじぃっと見てみます。
「そうかな」
シーエルはあまり綺麗だとは思いませんでした。ただ青いだけの石です。
シーエルは首飾りを外して、ネーヴェに手渡しました。
「夜みたいだね。この白いにごりは天の川みたいだ。金色は星みたいだ」
ネーヴェは場を取り繕うために首飾りのことを引き合いに出しましたが、手にとってみて、本当に綺麗だなと思いました。
青金石や藍方石の青いよどみの中に方解石の白い濁りと金鉱石の金色が浮いていました。
それはまるで、ネーヴェが夏にみる満天の星空を閉じ込めた結晶でした。
「良くいいすぎだよ。冗談みたいに聞こえる。これも宝石らしいけど、透き通ってないし、キラキラしてない。これね、12歳の誕生日に、この国の女の子がもらう石なの。もっと、綺麗なのが良かったわ」
ネーヴェは「ふーん」といって、
「だったら、それ、僕にくれない?」
と、言いました。
シーエルはいきなりのことに驚いてしまいました。
それもそのはず、「首飾りを男性にあげる」ということは、婚約を結ぶということです。「ラピスラズリの装飾をください」ということは、この国の婚約を申し込む常套句なのでした。
ですが、ネーヴェがこの国のしきたりを知らないということを思い出して、はっと胸をなでおろしました。
「だめ」
そういうと、ネーヴェは「ね?」といいます。
「キミはその宝石が気に入っているはずだよ。せっかく12歳にもらうって決まっている首飾りなんだから何か大切な意味があるんでしょ?もし、キミがその宝石を好きじゃなくても、キミのお母さんや、そのお母さんのお母さんが、きっと大切な意味を込めているはず。だからいやなんだよね?」
シーエルは何も言い返せませんでした。自分と同い年の男の子が、自分よりもはるかに大人びたことを言っていて、なんだかさっきとは別な意味で恥ずかしくなってしまいました。
しかし、そんなことよりも、シーエルは気になったことがあります。
「ねえ」
「なに?」
「自己紹介したんだから、私のことキミじゃなくてシーエルってよんで」
「わかったよシーエル」
「いいわネーヴェありがとう」
シーエルは自分の周りの大気だけ、厚みを帯びて膨らんでいるように感じました。周囲は宴も盛り上がり、シーエルとネーヴェだけの世界が喧騒の中で脈打っているように感じました。
ここが書きたかった。