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1.


 とおいとおい国のこと。


 雪の降らない国に、ひとりの少女が住んでいました。


 年は12歳です。鼻頭に散ったそばかすを気にするお年頃。

 頬はりんごのように朱が差し、肩に下げた三つ編みは稲穂のように美しい金の色なのでした。


 今日はお父さんのお手伝い。収穫の終わったライ麦の畑から取りこぼした穂を丁寧に拾っていきます。


 少女の住む国は雪が降りません。しかし、春夏秋冬は訪れ、夏は極端に短かったのです。


 太陽の恵みをその身にいっぱいうけて、やがてこうべをたれた穂を拾う季節には冷たい風が吹き、少女の指先を紅葉のように赤く染めます。


「シーエル。今日はこれでおしまいにしよう」


 少女__シーエルの父が束ねた麦を縛って荷車に乗せ終わり、少女に声をかけました。


「うん」


 少女は立ち上がって、すっかり冷たくなってしまった手にはあっと息を吐きかけ温めます。


 鼻の頭に触れた指からは乾いた土の匂いがしました。季節は秋ですが、土は冬の匂いがします。乾燥していて、静かな冷気こもっていて、夏に青く茂った草木の寝息が聞こえてきました。

 シーエルは手をぱんぱんと打って払い、父の待つ荷馬車へと駆け寄ります。麦を積んだ荷台にぴょんと腰掛け、麦わらに寄りかかるようにして荷馬車の出発を持ちます。


「シーエル、そこでいいのか?お尻が痛くなるぞ」


「うん。いいの」


 そういってシーエルはてっぺんが白んだ山を見ます。高く切り立った山々は、大きく、威厳のある美しさを魅せます。白い雪の化粧は太陽を反射して輝き、青くかすむ山の輪郭に緩やかなグラデーションを映します。


「いいなあ」


 そうやって馬車に揺られながら、山の向こうの白い世界に思いを馳せるのが好きでした。


 シーエルの住む国には雪が降りません。


 四季を通して気温が低く、雨は短い夏にしか降りません。そのためほぼ一年中晴天なのでした。だから、生まれてから今まで雪を直接見たことがありません。


 雪はとても冷たいと聞きます。サラサラしていると本で読みました。手で握ると硬くなって、持ち続けていると溶けるそうです。


 シーエルはこれしか知りません。


 今シーエルの目に映っている山頂の雪化粧は、白いということ以外自己紹介をしてくれません。とても遠くの山の頂上に積もっている白い輝きは全く現実味がありませんでした。冬に現れた蜃気楼とでも言うのでしょうか。シーエルにとって雪は、目に見えているようで、決して手の届かない所にある幻想なのでした。


 ややあって、馬車は出発します。


 ふかふかの麦わらに寝転んで、馬車に揺られるのはシーエルの楽しみです。


 お母さんには服が土やわらで汚くなるからやめなさいと言われていましたが、シーエルは内緒で麦わらのベッドに背中を預けます。お父さんにも注意はされましたが、今日も見ぬふりをしてくれました。

 

 シーエルは空を見上げました。


 シーエルの住む国は雪が降りません。


 空は青く澄んでいて、井戸の水面のように静かです。この国に旅で立ち寄る人たちは、「綺麗な空だね」と上機嫌でいうのですが、シーエルにとってそれは当たり前なので何が綺麗なのかわかりません。


 一筋の雲さえまばらな、青いだけの空にシーエルは飽き飽きしていました。


 この国では女の子が12歳になると親からラピスラズリでできた飾りを渡されます。昔の成人を祝うお祭りの名残だそうです。青空が多いこの国らしい風習だと思いました。


 つい先日の誕生日に、シーエルは母親からラピスラズリの首飾りをプレゼントされました。涙の雫の形をしたウズラの卵くらいの大きさの首飾り。


 代々受け継がれてきたものというわけでもなく、12歳の少女のために毎年新調される飾り物。


 それは、まるで空の海の淀みの一番深いところから汲み取った液体を固めたような、深い青色の石です。


 シーエルはつまらない色だなと思いました。いつも見ている空の色が、そこにはありました。


 首から下げて、胸の中にしまった首飾りを手にとって眺めます。宝石のように透き通ってはいません。磨いてはあるものの、ところどころひび割れたように金や白の筋が浮いています。霧のようにくすんだ部分も所々にあります。こんな宝石いしでも嫁入り道具の一つです。


 結婚前に夫となる男性は、妻となる女性のもつ、ほぼ原石を磨いただけのラピスラズリの装飾に金や銀で彫金するように鍛冶屋に依頼して、この世に一つしかない完全な形に仕上げます。

 これが、ほかの国で言う結婚指輪エンゲージ・リングなのでした。


 冬、町や集落の外は荒涼とした大地がどこまでも続きます。土がカサカサしていて、まばらに生えた植物たちも、枯れるようにして休眠しているのでした。シーエルが見ている方向には山があり、馬車の進行方向には地平線があります。

 何もない地平線をずっとみていると、なんだか世界に一人ぼっちになったみたいで悲しくなってくるのでシーエルは山の方を見て、その向こうの白銀の世界に思いを馳せるのでした。


 シーエルは視線を遠くにやって考えてみます。


 山の向こうの国について。


 山の向こうの国は雪の降る国だといいます。短い夏以外は一年中雪が降っていると誰かが言っていました。


 そこで、子供たちは雪遊びをするのです。


 雪合戦をして、雪だるまを作って。


 かまくらをつくったら、そこでシチューを食べるそうです。


 かまくらのなかは寒くないそうで、むしろ暖かいといいます。その感覚は、シーエルには想像もつきませんでしたが、シーエルの頭の中は、雪の世界での遊びへの憧れでいっぱいでした。


 雪だるまはどれくらい大きいのかしら。

 雪合戦は興奮するでしょうね。

 かまくらでたべるシチューは、きっと学校帰りにつまんで食べる木苺よりも特別な味がするのよ。


 荷馬車はコトコト揺れて、シーエルがまどろむうちに家につきました。


 シーエルは胸をドキドキさせながら、眠ってしまっていました。



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