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3 微笑みの季節

ピョッキンが生まれた朝、パパとママとマヤリンの心は幸福な気持ちで満たされていました。

 

最初に生まれたのが女の子のマヤリンだったので、パパとママは、いつも…

 

「次は男の子が生まれたらいいね」

 

と、話し合っては微笑んでいたのです。一姫二太郎というやつですか…

 

マヤリンは女の子なので、てっきり妹を欲しがっているのかと思いきや、

 

「マヤリンも、可愛い男の子が欲しいの」

 

と、パパとママに同調して男の子が生まれてくることを心待ちにしていました。 

この時、マヤリンはまだ2歳半。生まれてくる子が弟や妹になるという感覚はなかったとは思いますが、家族がひとり増えるということは認識できていたのだと思います。

 

病院から家に移ってきたピョッキンは、良く寝て良くミルクを飲む優等生の赤ちゃんでした。

 

マヤリンはピョッキンが寝ている小さな布団の横で添い寝をするのが大好きで、ふと気がつくと… いつもピョッキンの足の裏を摩りながら一緒に昼寝をしていました。

 

「ほっぺがプニョプニョでね、お手々がピニョピニョでね、足の裏がムニュムニュなんだよっ!」

 

マヤリンは、ピョッキンのことが大好きで、お姉ちゃんらしく、いつも優しい笑顔で見守っていました。

 

ピョッキンも、マヤリンの笑顔に応えているかのように、微笑みの絶えない愛想のいい赤ちゃんでした。

 

ピョッキンが2歳の誕生日を迎えようとしていた頃、おしゃまで口が早かったマヤリンに比べ、ピョッキンの成長の速度が著しく遅いことを懸念したパパとママは、医療機関など多方面に相談を持ち掛けるようになりました。

 

マヤリンが積み重ねて造形していたブロックを、ピョッキンは重ねずに畳の縁に合わせて横に並べて遊んでいたのです。

 

マヤリンが遊んでいたトランプを、ピョッキンは耳に当ててサラサラと落ちてゆく音を繰り返し聞いて楽しんでいたのです。

 

それよりも何よりも… ピョッキンの口からは一切の言葉が発せられないばかりか、コミュニケーションを取ることさえ拒否し出してしまったのです。

 

目を合わせようとすると自分から逸らすようになりました。何か用が足りない時は、誰かの手を引っ張って行って要求するようになってしまいました。

 

一番の犠牲者は他でもないマヤリンでした。パパやママに比べて引っ張りやすいマヤリンは、いつもピョッキンに引っ張り回されるようになってしまいました。 

更に… 自分の欲求が満たされない時は、引っかいたり、噛みついたりするようになってしまいました。

 

やがて… マヤリンの肩からピョッキンの歯型が消えない毎日となり、鼻の頭や目尻にも引っ掛かれた傷跡が何日も残ってしうようになりました。

 

体の傷は時が経てば消えてゆくものです。ですが… この時にマヤリンが負った心の傷は深い傷跡として残ってしまったのです。

 

あれほど可愛がっていた弟が、凶暴なモンスターと化してしまったのですから、マヤリンの心がやり場を失ってしまったとしても、それはそれで仕方のないことだったのでしょう。

 

結果としてマヤリンはピョッキンから逃げ回るようになり、やがてお互いに無視を決め込む関係になってしまったのです。

 

その後もピョッキン台風は猛威を振るい、完全に進路から外れたマヤリンに代わってパパが噛み噛み攻撃の犠牲になっていました。

 

人を噛んだら痛いことをピョッキンにわからせてあげなければいけないと考えたパパは… 逆効果も覚悟して思い切りピョッキンの肩に噛みついてみました。

 

ピョッキンの肩にも、パパやマヤリンと同じ歯型がつきました。ピョッキンはその痛みとパパに噛みつかれたショックから、一晩中泣き通しました。

 

ですが… その日を境に、ピョッキンの噛みつきは一切なくなったのです。

 

ようやく… わが家に明るさが戻って来ました。とはいえ… ピョッキンとマヤリンの関係が修復されることはありませんでした。お互いがお互いの存在を認められなくなってしまったのではないでしょうか。

 

マヤリンは年中さんから幼稚園に通うようになりました。同じ頃、ピョッキンは重度の知的障害と軽度の自閉症の合併症と判断され、児童福祉施設に籍を置くようになりました。

 

パパが考えていたのは…

 

「ピョッキンという弟がいることで、マヤリンが幼稚園でイジメの対象になってはけない」

 

ということでした。

 

そのために… パパはピョッキンの育児のほとんどをママに任せ、マヤリンに喜怒哀楽を身体中で表現できる子になるよう、いつも一緒に過ごしました。

 

時は流れて… ピョッキンが小学校の特学に入学した時、マヤリンは4年生になっていました。

 

初めて同じ場所に通学することで、パパとママの不安は募りましたが、両親の心配をよそにマヤリンには喜怒哀楽が体現できる強い精神力が宿っていました。

 

パパに育てられたので、自分のことを『俺』というような、少々男っぽい性格になってしまったのはタマニキズですが、リーダーシップの取れる素敵なレディに成長していくのです。

 

時間が掛かったとはいえ、小学校に入学するまでに無事にオムツが外せたピョッキンも笑顔を取り戻し、ほっぺがスベスベの『特学のアイドル』になりました。 

ですが… マヤリンは学校でも家でもピョッキンのことを認識しながら、やはり歩み寄ろうとする態度は取れないままでいました。

 

ピョッキンが自分のことを『お姉ちゃん』だと理解できないことはわかっていても、自分の方からピョッキンを『弟』と認めることもできませんでし。

 

マヤリンの高校入学と重なり、ピョッキンは地元の中学校の特学ではなく、地域外の特別支援学校に通うことになりました。

 

ですが… その特別支援学校は、マヤリンが電車通学する高校の至近距離にあったのです。マヤリンは無関心を装いながらもピョッキンが特別支援学校に通う話を聞いていたのです。

 

「こいつに何かあったら、俺が面倒を見てあげなきゃだからな…」

 

口調には女の子っぽさの破片もありませんでしたが、マヤリンが長い年月を掛けて育んできた心に、パパとママは完全に涙腺を破壊されてしまいました。

 

小さかったピョッキンが急成長を遂げ、マヤリンの身長を確実に超えた頃、マヤリンは自分のことのすべてを責任を持ってこなせる立派な女子大生になっていました。きっと数々の恋愛も経験したことでしょう。

 

ピョッキンが特別支援学校を卒業し、地元のデイケアセンターに通うことになった時、マヤリンは社会人一年目を迎えていました。

 

マヤリンの性格から、当然のように都内の会社を選ぶと思っていましたが、彼女が選んだのは地元の薬剤関係の会社でした。

 

マヤリンは、ピョッキンがテンカンで倒れたり、尿酸値が高かったり、様々な合併症を発症して数々の薬を飲み続けていることも、ちゃんと気に掛けていてくれたのです。

 

「家にひとりでも薬剤に強い奴がいたら、こいつのために有利じゃん」

 

何がどう有利なのかは… さておき… 少なくともマヤリンのピョッキンに対する心遣いであることには間違いないのです。

 

マヤリンがピョッキンのことを「ピョッキン」と呼ばなくなってしまってから、何年の月日が流れてしまったことでしょう。

 

ですが… マヤリンの優しい気持ちによってピョッキンの心も徐々に動き出したようで、ピョッキンが成人式を迎えた頃には、お互いの存在が認められるようになっていました。

 

ついに… 二人だけで過ごせるまでの関係に戻ったのです。まだまだぎこちなさの残る二人ですが、姉と弟であることにピョッキンが気づく日も… それほど遠くない未来なのではないでしょうか。

 

そして… 二人がアルフォンシーヌの丘のおばあさんの話を聞き、仲良く手を繋いで戻ってきた時、家の中は幸福の季節に変わっていました。

 

ママは…

 

「マヤリンとピョッキンが傍にいてくれれば、それだけでいいの。欲しいものなど何もないの」

 

と言います。

 

パパの夢は…

 

「ピョッキンより一分でも一秒でも長生きする」

 

ことだそうです。

 

そして、マヤリンが思うことは…

 

「こいつの成年後見人として面倒を見続ける」

 

ことなのです。

 

何故ならば… パパの目にも、ママの目にも、マヤリンの目にも、しっかりとピョッキンの背中の羽根が見えているからです。

 

ピョッキンとは、いまだに言葉によるコミュニケーションを取ることができません。ですが… パパもママも、そしてマヤリンも、ピョッキンに死が訪れる日まで『幸福の羽根』を生やし続けて欲しいと願って止まないのです。

 

        ― 完 ―

私たちは『健常者』と呼ばれ、精神や身体に異状を抱える人々を『障害者』と呼んでいます。本当にそんな言葉で括ってしまって良いのでしょうか。これこそが健常者が作った差別用語のような気がします。むしろ精神や身体に障害を抱える人々の心の方が、綺麗で、澄んでいて、健常である気がするからです。

 

つまり… 健常者の心が成長しない限り、福祉の充実もない気がするのです。

 

この世に生きているのは、決して… 健常者だけではありません。

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