1 旅立ちの季節
エスコルシアの森を流れるラダメス川のほとりで生まれた『ピョッキン』は、自分が妖精であることに何故か疑問を抱かずにはいられなくなっていました。
『パパもママも妖精じゃないのに… 何で僕だけが妖精なんだろう』と…
もちろん今となっては生まれた時の記憶が残っているはずもありません。ただ、人間として人間の家庭で育てられていたような気がしていたのに…
2歳の誕生日を迎えた頃から徐々に背中がむずがゆくなり、3歳の時にはそれを羽根だと認識し、4歳の時には羽ばたくと体が浮き上がるようになり、5歳になった今では空を自由に飛べるようになったのです。
空が飛べるようになったことで色々な物に興味が示せるようになり、様々なことを知りたいと思うようになっていました。
今、ピョッキンが1番興味を持っているのは、これまでに1回もはずしたことがないという占い師のおばあさんのことでした。
とはいっても、自分自身のことを占って欲しいわけではなく、何で人の運命がわかってしまうのか? 何で絶対にはずれることがないのか? ということが知りたかったのです。
ピョッキンは、占い師のおばあさんに会いたくて仕方ありませんでしたが、何処へ行けばおばあさんに会えるかは知りませんでした。
そして… それ以上にパパとママに
『占い師のおばあさんに会いに行きたい』
と、言い出せない自分自身が歯痒くて仕方なかったのです。
ピョッキンは、
『もしかしたら… 僕は…パパとママの子供じゃないのかも知れない…』
という疑問を持ち始めていたのです。
パパの背中にも、ママの背中にも羽根がありません。自分は自由に空を飛び回っているのに、パパとママには自由に過ごせる時間すらありません。
『何でなんだろう?』
心の中が疑問符で覆い尽くされてしまった時、ピョッキンは占い師のおばあさん探しの旅に出る決意を固めていました。
ピョッキンは、勇気を振り絞ってママに占い師のおばあさんの居場所を尋ねてみることにしました。
『ねえ、ママぁ。占い師のおばあさんには何処へ行けば会えるの?』
視線を合わせずに問い掛けるピョッキンに対し、ママは笑顔で
「ピョッキンはもう5歳になったわよねぇ」
と言いました。
ママの予想外の言葉に呆気に取られたピョッキンは、
『5歳になったら何かあるの? 何ができるの?』
と、今度はちゃんと視線を合わせて尋ねました。
ずっと笑顔のままの優しいママは、
「5歳になったら占い師のおばあさんに会うことができるのよ」
と、手作りの真っ赤なポシェットをピョッキンに差し出しました。
渡されたポシェットを右肩からタスキ掛けにしたピョッキンは、
『この中には何が入っているの?』
と尋ねましたが、ママは
「占い師のおばあさんに渡す物が入っているのよ」
とだけ言って、何が入っているかは答えようとしませんでした。
「絶対に占い師のおばあさんに会う前に開けてはいけませんよっ!」
今度は強い口調でそう言うと、ママはピョッキンに占い師のおばあさんがいる場所の地図を手渡しました。
「占い師のおばあさんに会いに行くと決めた以上は、どんなことがあっても後戻りしてはいけません! そして… おばあさんに会えたら真っすぐにお家に帰ってくるんですよっ!」
ピョッキンは、いつになく厳しい口調のママにビックリしながらも、その言葉の節々には確かな愛情も感じ取っていました。
ピョッキンは、5歳になった今の今までエスコルシアの森から外に出たことがありませんでしたが、初めて上空から見渡すエスコルシアの森は、緑色のグラデーションで覆われた何とも神秘的な森だったのです。
『僕は、今まで… こんなにも綺麗な… こんなにも素敵な森の中で暮らしていたんだぁ!』
黒目がちな瞳を大きく見開いて感動しながら、ピョッキンはエスコルシアの森の上空を何度も何度も気が済むまで旋回した後、占い師のおばあさんが住むというアルフォンシーヌの丘を目指しました。
今までエスコルシアの森の中だけを飛び回っていたピョッキンにとっては、森を抜けて初めて目にすることができるロジエール砂漠の太陽が眩しくて仕方ありませんでした。
いつもの空のお散歩の時のように、ゆっくりと羽根を動かして飛んでいるだけなのに、ダラダラと汗が流れ落ちて仕方ありません。
ピョッキンは、初めての体験に戸惑いながらも、背中の羽根を素早く動かして必死に砂漠を抜けようとしましたが、あと一歩という所で遂に力尽きて羽ばたきを止めてしまいました。
トボトボと歩き出したピョッキンにも、ロジエール砂漠の赤い太陽は容赦なく照りつけました。
のどはカラカラ… もう流れる汗も途絶え、徐々に意識さえ薄れかけていたピョッキンは、何か食べ物でも入っていないかと思い、初めてポシェットを開けてみようとしました。
ですが… その時、空から
「絶対に占い師のおばあさんに会う前に開けてはいけませんよっ!」
というママの声が聞こえてきそうな気がして… はたと思い止まりました。
すると… 突然、目の前に乳白色に輝く水を湛えた小さな泉が現れ、ピョッキンはそっと手を差し伸べてみました。
少しだけ手に残った水を舐めてみると、心に優しいほのかな甘さが伝わってきました。
『あっ! ミルクだっ!』
感動したピョッキンは、両手いっぱいにすくった水を何度も何度も口に持っていくうちに、みるみる体中に力がみなぎってゆくことに気づきました。
ピョッキンは、とても懐かしい感情を覚えました。それが自分が赤ちゃんだった時に出会った感情であることも、ちゃんと思い出せていました。
『これは… 間違いなくママの味だっ!』
乳白色に輝く水は、ただのミルクではなくママの母乳そのものだったのです。一度はくじけかけたピョッキンの心でしたが…
『どこかできっと… きっとママが見守ってくれているんだっ!』
という思いを胸に、再び羽根を広げて飛び立つことを心に誓いました。
辛うじて明るいうちにロジエール砂漠から脱出することができたピョッキンは、涼しい風が吹き抜けるバレンソールの森に差し掛かっていました。
ここはピョッキンが住むエスコルシアの森の倍以上の大きさがあり、上空からの景色は紫色の背の高い木が無数にざわめいて、何とも不気味な印象でした。
『早くこの森を抜け出さなくちゃ!』
幼心にそう直感したピョッキンは、スピードを上げてバレンソールの森を通り過ぎようとしましたが、突然の強風にあおられて力なく虚空を舞うしか成す術がありませんでした。
地面に叩きつけられたわけではありませんが、あおられた拍子に気を失ってしまったピョッキンは、見たこともない大きな花の上で静かに目を覚ましました。
ゆっくり目を開けると、ピョッキンよりも2〜3歳年上だと思われる少女の優しい笑顔に出会えました。
「ふふふっ。ようやく気がついたのねっ」
激しく瞬きをしながら目を凝らすと、少女の背にはピョッキンよりも大きな羽根がついていました。
ピョッキンは、少女も自分と同じ妖精なのだと信じて疑わず、限りない親近感を覚えながら尋ねました。
『おねえちゃんも… 僕と同じ妖精なんでしょ?』
少女は予想もしなかったピョッキンの質問に少し戸惑ってしまいましたが、
「君がそう思うなら、そうかも知れないね。きっとそうだよ」
と、微笑みを浮かべながら答えました。
「私の名前はマヤリンよ。君の名前は… ピョッキンだったわね」
そう続けるマヤリンの言葉に、ピョッキンの目は点になってしまいました。
《えっ!? マヤリンとは初めて会ったはずなのに、なっ… 何で僕の名前を知っているの?》
言葉にはなりませんでしたが、ピョッキンの表情は確かにそう語っていました。