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おもねる

 モネータが沈黙し、すぐ意識を彼らから切り離して、アネッロはアンシャに眼をやった。

 気づいたアンシャが姿勢を正したが、それに構う事なく口を開く。

「ザイエティ殿」

「今の私は捜査官ではございません。どうぞアンシャとお呼び下さい」

 頬を赤く染めながらアンシャが期待を込めて見上げてきたが、アネッロはいつもの笑みに、少しだけ困った感情を乗せて沈黙する。

 それに焦れたのだろう彼女が、意を決するように見上げ、口を開く。

「わ、私は……!」

「ザイエティ殿。あのカリダをここまでにして下さった事に感謝致します」

 それ以上、言葉を紡がせる事をさせないよう彼女の手をそっと取り、間近でその瞳を覗き込んでやれば、瞬時に酒を呑んだように首まで真っ赤になった。

 喘ぐように口を動かし、必死に空気を取り込もうとしている彼女に、アネッロは柔らかく笑んでから、不自然さを感じさせない程度に憂いを見せながら眼を逸らし、そのままカリダへと視線を向ける。

「ここまでして頂いて、とてもありがたく思うのですが……カリダを社交場に行かせるとしても、私がエスコートするわけにもいきませんし、もう少しだけご協力頂けないでしょうか?」

「きょう、りょく、ですか?」

 熱に浮かされるように、アネッロの語尾を拾う彼女の声にそっと視線を戻し、小さくうなずく。

 眼を外せずにいるアンシャを見上げながら、その指先に唇を落とす。

 指先からわずかに唇を離し、息がかかるその場所で、アネッロは懇願した。

「あなたの助けが、必要なのです」

「わ、わたくしで、できることが?」

 必死に声を振り絞る彼女に、アネッロはその手を両手で包み込み、体を寄せて笑みを深くした。

「あなたにしか、出来ない事なのです」

 カリダのため息は、精神的に追い詰められているアンシャには届かなかったようだ。

 彼女から眼を離せないため、モネータがどんな表情をしているかは分からないが、カリダについては後で説教しなければならないだろう。

 魚が餌をねだるように口を開け閉めしているアンシャに、柔らかく笑んだ。

「エスコート役を、どなたかにお願いする事は可能でしょうか」

「エスコート……ですか。そこにいるモネータ=ジュダスではいけませんの?」

 瞳が左に振れ、アネッロから外れたが、彼女の手の甲を親指で優しく擦れば、すぐに視線が戻ってくる。

「あれがカリダと並べば、どうしてもご令嬢方の眼をひいてしまう。せっかく元が分からないくらいに化けたというのに、ジュダスがかかわっていると見る者には分かってしまうでしょう」

「……そう、ですわね。では、私の兄に声をかけてみましょうか?」

 アンシャの兄と言えば、当主となった一番上の兄の下に、放蕩息子と悪名高いクライナス=ザイエティがいる。

 女と見れば声をかけずにいられないと言われている男ではあるが、それが表向きの顔である事もアネッロは知っていた。

 自分とは違う部隊で密偵をしている男だ。

 どんな相手だろうが、男でない限り平気で寝ると言われている。それは確かに否定は出来ないし、どこか役得だとも思っている節もある。

 だが、後ろ暗い所のある貴族の妻やその娘に粉をかけ、情報を引き出しているだけだ。

 その手段は、当然クライナスに任されているため、何も知らされていないザイエティ家としては、頭の痛い問題だと思われているだろう。

 それを気にかける事もしないクライナスの心臓は、鋼で出来ているのかもしれない。アネッロとて、人の事を言えるわけではないが。

「それは、クライナス殿の事でしょうか」

「……ええ。一番上の兄には妻がおりますし。クライナスお兄様では、その、外聞の問題もありますけど。周りの眼はカリダよりも兄に注がれるはずです。屋敷でカリダとも顔を合わせておりますし、どうも気に入っている節もありましたし」

 そこで言葉を切り、アンシャは苦悩するように眉間にしわを寄せた。

「いえ……やはり、問題があるかもしれません。アルトに声をかけてみますわ」

「貴族でも商人の娘でもないカリダを社交場に馴染ませようとするのです。クライナス=ザイエティ殿の方が、場を繋げる事に長けているように思えます。よろしければですが、お願いして頂けますか?」

「ええ、兄でよろしければ、私は構いませんけれど」

「そうなるとアンシャ=ザイエティ殿は、どなたにエスコートされるおつもりですか?」

 アネッロの言葉に、少し眼を丸くしながら、アンシャは小さく首をかしげた。

「私は参加致しませんわ」

 当然の事だと言うように真っ直ぐ視線を投げ返してくる彼女に、アネッロは怪訝に眼を細めて見せた。

「参加しないのですか?」

「ええ、私の役割はここまででしょう?」

 社交界に顔を出さないという噂はあったが、本当に出ていないのだろう。

 だが、アネッロはそれを許す事を考えてはいなかった。

「それでは、自分の弟子であるカリダを、現地で監督しないと言うのですか? あれが何をしでかすか、心配ではないと?」

「それは、その……」

 言い淀んで眼を泳がせ始めたアンシャから手を離すと、彼女はわずかに傷付いた表情を浮かべる。

「あなたのエスコート役がいないと言うのであれば、モネータを連れて行くといい。彼ならば厳しくしつけていますし、これがあなたの傍にいれば、羨まれる事はあっても辛く当たられる事はないでしょう」

 これに嫌われるような発言をする女性は、カリダぐらいでしょうな。と言えば、アンシャはモネータへと瞳だけを動かし、少しだけ微笑した。

 考える素振りで黙り込むアンシャは、女だてらに仕事を持ち、要職に就いている。

 だからこそ、男女問わず向けられる視線や言動、全てに悪意が込められ、荊で締め付けられているようなものだろう。

 もちろん、事件が起これば会を途中で抜けなくてはならない事もあって、元から足を運ばなくなったとしても仕方がないとも言える。

「……分かりました。今回に限り、私も参加致します。ですが、事件が起これば、その限りではないと了承して下さい」

「もちろんです。それを聞いて安心しました」

 アネッロが満足気な笑みを浮かべると、アンシャは憂鬱を隠す事なく、深く吐息した。

 するりと離された温もりを辿るように、アンシャが自らの手に空いていた手で触れる。

 何か言いたげな顔をしていたが、アネッロは黙したままモネータへと視線を流す。

「モネータ、カリダを下へ。連れていった後は、ザイエティ殿に茶をお持ちしなさい」

「はい」

 声をかけられたモネータが優雅な仕草でカリダへと手を差し出す。

 明らかに動揺したカリダが眉を吊り上げながら、小さな手を乗せて立ち上がろうとし――モネータの手を、それと分かるほど力強く握りしめた。

 淑女にあるまじきその行動にモネータが眼を見開いたが、それ以上に切羽詰まった感のあるカリダの様子に、すぐに苦笑していた。

 ドレスに埋もれ、痛む足では踏ん張りが利かないのだろう。必死の形相に、モネータが引っ張れば、飛び上がって立ち上がったカリダは安堵に息を吐き、悪いなと目の前の男に声をかける。

 反応を見せないモネータを不審に思ったカリダが顔を上げると同時に、アンシャの静かな声が響く。

「カリダ」

「……あれ、っかしいな。ちゃんと出来てたと思うんだけど」

 その声を受け、見た目は可憐な少女が眉間にしわを寄せ、不服そうに唇を尖らせれば、アンシャがひとつ手を叩く。

「カリダ、何があっても?」

 その声に、姿勢を正したカリダがモネータの腕に手を添えながら声を張り上げる。

「はい! 笑みを絶やさず、小首を傾げて乗り切ります!」

「女性に恥をかかせる男は?」

「はい! 相手にするまでもありません!」

「会場に入れば?」

「はい! 戦場と思い、特に女性が媚を売る男の顔と名前を覚えます!」

「その根拠は?」

「はい! 絡まれた場合に、優位に立つためです!」

 まるで軍人のように声を張り、間髪入れずに返答するカリダに、モネータが若干息を呑み、思わずといった調子で少女の頭を見下ろしている。

「……女性は、大変なのですね」

 呻くように呟いたモネータに、アネッロは小さく笑った。

「女だけではありませんよ。男の争いも、実にうんざりする代物です」

「……そう、ですか」

「ええ。明日のザイエティ殿のエスコート、頼みましたよ」

 返事の代わりに、唖然とした顔で真っ直ぐ凝視してくるモネータに、アネッロは口の端を持ち上げて見せ、早く行けと階下へ続く扉へと顎で指し示した。



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