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潜む悪意

 ラクルスィの城下町は、数日前と変わらぬ活気に包まれていた。

 領外から品を見に来た人々と住民との差は、綺麗な衣装を身にまとっているか、動きやすい簡素な物であるかだ。

 品を輸送している者達は、長旅のっせいか少しばかり薄汚れ、町に着いた安堵の中に疲れが垣間見える。

 ガトは軽く右肩を回しながら、さりげなく周囲に眼を配った。

 明らかに、自分を見つけた者がいる。突き刺さる複数の敵視に、今度ははっきりと眼を向けているぞという意志を示しながら、ゆっくりと見渡した。

 隠していても分かるくらい、実用に向いた筋肉をしている者達に、視線を向けていく。

 顔に見覚えがある、西の連中は見えなかった。

 いつまでも立ち尽くしていれば、敵に囲まれるだろう。入領者が多く溜まり、人の流れの緩い場所にいるわけにはいかない。

 追ってくる気配を把握しながら、まっすぐ広場の方へと足を向けた。

 西の駄目息子は自分のしている事を、父親であるナンス=フィダートには黙っているはずだ。

 ラクルスィ領がいかに広いとはいえ、その領地といえば主に山だ。

 近隣にも村々があるとはいえ、さほど領民が多いとは言えない。

 だからこそ、依存性の高い薬物に手を出している者には、どんな者にもと謳っているアネッロとて金を出す事はない。

 壊れていくしかない人間が、金を用立てられるわけがないからだ。

 確実に返ってこない金を貸す馬鹿はいない。人が荒れれば商売も滞り、金貸し業すらままならなくなる。

 だからこそ、ジュダスもフィダートも、薬物が蔓延する事を厭う。

 しかし、あの聡いナンス=フィダートが息子の所業に、本当に気付いていないのだろうか。

 醸造所の様子から、昨日今日始めたばかりとは思えない。

 だというのに、何の動きもなく、それにかかわった者達を粛清したという話も聞かない。

 西の兵隊が見えないという事は、駄目息子が独自に仕込んでいるのではないか。

 一つ息を吸い、吐いて。ガトが綺麗に整備された通りの先を見やれば、開けた場所が白く光っているように見えた。

「へえ。あの領主が考えたにしては、やるじゃないか」

 目前に開けた場所には、白を基調として赤や青のレンガが組み合わされて造られた美しい模様が、広範囲で埋め尽くされており、眼を瞠った。

 たった数日出ていただけで、ここまで変わるのかと、思考を中断させて関心を示す。

 決して一番偉い雇い主へ向ける言葉ではないが、おもわずそんな言葉が出てしまうほど眼を惹いた。

 沸き立つ気持ちを表すように駆け回る子供達、立ち話をしている女性達の笑い声も少し浮かれているようにも聞こえた。

 楽しげな空気は、そこかしこに広がっている。

 いつも通りではない異質な空気ではあるが、悪い気はしない。

 通常であれば、せっかくだからと言い訳をしながら買い食いなどして、周囲の浮き立つ雰囲気を楽しみながらのんびりと歩いたりするもだが、悲しいかな叩き込まれたアレコレが、向けられている悪意を持った眼を感じ取ってしまい、浮ついた気分になる事すら許さない。

 許さない自分がいるのも確かだが、まず金目の物を一切持っていない。何も出来ない事実を思えば、諦めもつく。

 やれやれと呼吸を整えて歩みを速めれば、徐々に範囲を狭めてきていた気配が、一気に間を詰めてくる。

 敵の姿を視認し、ガトは人々が疎らに寛いでいる広場へと駆け出した。

 背後から悪人の中でも下っ端中の下っ端が発するような精子の声が響き、誰かが喧嘩だと叫べば、驚いた人々が巻き込まれないよう悲鳴を上げて逃げ惑う。

 それに意識を向ける前に、左側面からぶつかってきた男を眼の端に捉え、瞬時に足を止め、身体を半歩分下げた。

 胸があった辺りを、小さなナイフを握った腕が遮るように突き出される。

 男の顔が驚愕に歪んだ所は一瞬視界に入った。その瞳がガトへと向く前に、突き出された腕に自らの腕を絡めて捻り上げ、体勢を崩した男の足を引っかけて硬い地面に叩きつけながら自らの体重を乗せた。

 酷く、鈍い音がその男の身体に響き、いやに大きく鳴った音に周囲の野次馬から痛々しい悲鳴が上がる。。

 石畳に落ちたナイフが音を立てて滑っていくのを、すでに見る事も出来ない男は、聞くに堪えない低い悲鳴を上げ続け、肩を押さえながらうずくまる男の頭を容赦なく蹴り上げ踏みつけながら、周囲に眼を走らせる。

 喧嘩と呼ぶには物騒な武器を目にした野次馬達は騒然とし、誰もが巻き込まれないように遠巻きに窺っていた。

 次に追いついてきた敵の一人の手にも、同様のナイフが握られているが、それにしては構えが甘い。

 慣れていないのだろうあまりにも小さな武器の扱いに、それでも手放さない理由にうんざりした。

 毒の類が塗られている可能性が頭を過ぎり、ガトは舌打ちをした。

 男の突き出してくる一撃を難なくかわし、あごをかすめるように殴ってやれば、男は小刻みに瞳を揺らしながら、ゆっくりと膝から地面に崩れ落ちる。

 足元に落ちたナイフを拾い、柄をゆっくりと回せば、刃が光で鈍く光を反射させた。

 何かが塗布されている事を確認し、腕を折ってやった男が手放したナイフへと眼をやれば、野次馬の一人が拾おうと手を伸ばしているのが見えた。

「おい! 証拠品に触るな。第一級犯罪捜査班だ、離れてくれ」

 慌てて下がる身形の良い男を手で制しながらナイフを拾い上げれば、慌しい足音が近づいてくる。

 その場を離れるように走り出せば、その足音もついてくるように軌道を変えた。

 ナイフを振りかぶって襲い掛かろうとした男に、先程のナイフを空間を薙ぐように閃かせれば、男はたたらを踏んで、ガトから距離をとる。

 小さな刃が掠めすらしない距離だというのに、この慌てぶりを見て、わずかに傷をつけられる事すら危険な毒だと確信する。

 走りながら、耳を澄ます。

 これだけの騒ぎであるというのに、警邏の笛の音が聞こえてこない。

 彼らが今、どこを巡回しているのか、それすらも計算づくという事なのだろうか。

 いや、巡回しているのなら騒ぎに気付けば、どこからでも笛を吹き鳴らす。

 それが聞こえないという事は、ガトが町へと足を踏み入れた、もしくは外にいる時点で気付かれていたのかもしれないが、その時に何らかの手段で通達が出され、警邏隊の者達が手を離せないほどの何かがどこかで起こっているのかもしれない。

 敵の人数がこれだけとは限らない。

 このまま広場にいれば、巻き添えや人質を捕られる可能性もある。

 ガトからしてみれば、他人がどうなろうと知った事ではないのだが、今は雑用係の下っ端とはいえ、捜査官という立場がある。

 苦い思いを奥歯で噛み潰すように鳴らし、細い路地へと身を滑り込ませた。

 大人二人が並び立てるほどの狭さしかない中で、同じように飛び込んできた敵の攻撃をいなす。

 適度もが繰り出してくる腕を、肘や拳で打ち落とす。またはつかんで引き込みながら肘でのどを潰す。

 駆け込んできた男共は、四人だった。どうなる事もない人数だ。

 他人の眼が少なくなる分、好き勝手やりやすくなる。万が一にも、相手が不慮の事態で死んだとしても、後始末はどうとでもなる。

 もちろん、それはお互い様だろうが、それでも目の前にいる男達の力量よりも、ガトの腕が劣っているとは思えない。

 少し駆けて間を取り、肉薄してはまた離れを繰り返す。野次馬連中はのぞいているものの路地に入ってくる事はない。

 ――ガトの脳裏に、嫌な何かが過ぎる。

 首筋から背中にかけて、冷たいものが流れ落ちる感覚。

 毒を打ち込まれたせいだろうか、と考えながらも敵の急所へと拳を叩き込んだ。

 あの毒の知識はある。分量を違えず摂取した毒が抜け、こうして動き話す事が出来ているのなら、後遺症はない代物のはずだ。

 大きく頭を動かす事なく、その状況に合わせて身体を動かしながら周囲を確認する。

 野次馬が壁になって、そこから新たな敵が入ってくる事は出来ないだろう。

 そうなれば、加勢に来る者は――横道から気配が生まれ、ガトは身を屈めた。

 突き出された腕は、ガトに飛び掛ってきた男の左肩を押し込むように殴った。目の前の男がくぐもった声を出してよろめいた所を、ガトが肘で突き上げるように鳩尾を抉ってやれば、白眼を剝いて倒れる。

 横道にかからないよう、身体を置く位置に気をつけながら、頭の中を支配し始めた感情を鎮めるように息を整えた。

 背後から来る者はいない。横道のない場所で、男達と対峙する。

 捕まえるなど、そんな甘い事はしない。

 殺しに来ているのだから、容赦する必要もない。それに――ここには捜査班の眼はない。

 半身をわずかに引いて立つガトに、男達は怯んだのか様子を窺うように、荒い息を吐き続ける。

 五人に増えた男達を紫眼に捉え、わずかな筋肉の動きも見逃さないよう集中した。

 前から二番目にいた男が、何を思ったかナイフを投げつけてきた。

 暴力に訴える奴らにしては、使えない者共だとは分かっていた。だが、ここまでとは。

 それを難なく避け、武器を手放す迂闊さに、さすがに呆れる。

 何を言ってやるわけではないが、こいつらと本気で対峙しようとしていた自分が恥ずかしい。

 ボコボコにしてやる。そう決めて口の端を持ち上げた時、まだ離れてはいたが、警邏の笛の音が聞こえた。

 そのせいか、男達に動揺が走る。捕まりたくはないが、ガトをどうにかしない事には契約違反にでもなるのだろう。

 西の駄目息子が絡んでいるのであれば、なおさら命がけであるはずだ。

 何だか精神的に疲れた気がしたガトは、脱力を見せないようにして嘆息した。

「……おい、お前ら。今なら南門から逃げられるんじゃないのか」

 ガトの声に彼らの眼が泳ぎ、お互いに無言で眼を合わせる。

 ただの寄せ集めの連中だ。駄目息子に加担する理由は、金だろう。目の前にいる男達が薬物を摂取しているようには見えない。

「今なら、見逃してやる。俺様はこれでも捜査官だからな。こんな物騒な物を振り回して捕まれば……ただで済むと思うなよ」

 更に、笛の音が近づいてくる。野次馬連中も、周囲を見回す者が増え始めた。

 迷っている時間はない。男達の一番後ろにいた男が走り出し、ナイフを振り回して野次馬を追い払いながら逃げ出すと、余計に動揺が広がる。

「俺様を殺した所で、金は懐に入らねえぞ。請求に行けば、その場で囲まれて殺されるだろうさ。お前らを雇った男は、そういう男だ」

 そう、どう転んでも金は手に出来ない。あの駄目息子くそやろうの手口は、よく知っている。

 ナイフを持つ手が、殺気立っていた空気が、ゆっくりと霧散していく。

 ガトは、あと一押しかと口を開きかけ――背中に誰かがぶつかってきた衝撃で、身体を揺らす。

 腰の辺りに、深々と肉を裂いていく感触が伝わり、ガトは驚きを上回るその激痛に、奥歯を食いしばって低く呻いた。



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