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守る事は

 それを確認し、ノーチェフは背を預けている建屋に、手の平を広げて当てる。

 腕を伸ばしたまま、下から斜め横を撫で上げた。

「こちらから聞こえてくる音は、向こうよりも随分違いますね」

 その言葉に、どうしてと言わんばかりに眼を見開き、うなずく事も忘れて、ミックは息を呑んだ。

 ノーチェフは、彼の返事を待たず、話を続ける。

「そういえば最近、ラクルスィの周辺地域で、ある薬物が出回っていましてね」

 さすがにガトも眼を丸くして、天気の話でもしているような、のんびりした雰囲気をまとう彼を見た。

 知らない話ではなかった。確かに、そういった情報は入ってきていた。

 ラクルスィ城下にはまだ薬物の影響はないが、城壁の外の村や町に、依存度の高い薬物が流れ始めていると。

 形容しがたい音が聞こえ眼をやれば、顔面蒼白にしたミックが、ロープを固く握りしめ、硬直していた。

 柔らかく笑んだまま、まっすぐガトを見返してくるノーチェフに、問題はすでにオリカだけのものではない事を知る。

「おい、まさか……うわ、最悪だぞ。これ」

 ここで、その薬物が造られている。この山奥で。アルコのぶどう園で。

 ラクルスィの私兵達に、薬物の密造を気取られた場合、その責任は全てアルコへと向かうだろう。

 自称『婚約者』とその一味は、二人を尻尾切りに使い、時間を稼いでいる間に、自分達はまんまと姿を消す。

 そして、ここで働かされていた者達は、取締りの眼が向いたと分かった時点で、生きてはいないだろう。


 役人に見つかった密造者達は、逃げられないと悟って集団自殺をした。


 三流以下のシナリオではあるが、多少違和感は残るものの、密造していた証拠は全てここにある。どれだけの人数がいたかなど、大量の死体によって、曖昧になってしまう。

 その証拠が絶対に見つからないとは言えないが、火でもつけられれば――町中で起こったあの爆発を、ここでやられてしまえば、わずかな証拠すら残らない。

 少しの間、逃げた者はいないかと、一時は森を捜索するだろうが、事件はすぐに終息してしまうだろう。

 死人に口なしとは、よく言ったものだ。むかっ腹しか立たないが。

 逃げた『婚約者』と一味は、ほとぼりが冷めるまで大人しくしているだろう。

 そして、人々の頭から事件のことが薄れた時に、また活動を始めるのだ。


 ガトは、右手の親指の腹を、自身の薄い下唇に押し当てる。

 爪を噛む癖があった名残だが、それはアネッロに矯正されていた。

 ――焦るな。

 頭の中で、自分の声を響かせる。

 ノーチェフは、まだミックに聞かせたい事があるのだろう。

 ガトは、下唇を撫でるように指を動かし、そこから話す。

「まさかとは思うが、その向こう側。俺様に使われたアレじゃないよな」

「違いますね。アレは非常に特殊な物ですから。こんなにも大きな建物を使って造るほどの材料は揃えられない。それに、アレは強力ではあるが、依存性はないから、一定量を売り続けるのは皆無だろう」

「だよな」

 さらりと否定され、ガトは安堵した。

 あんな物が大量に出回ったなら、それこそ短期間で死人の山が出来てしまうだろう。

 だが、そんな強力な物は使いづらくとも需要はあるだろう。

 人間は簡単に恨みを抱く生き物だ。どんな事をしても、何を使ってでも。という人間は後を絶たない。

 ガトは、ゆっくりと息を吐き出した。

 今、こんな時に考えなくても良い事までもが、頭を占める。

 それは現実逃避に過ぎない。

 光る水面に眼を落としながら、ガトは新しい空気を肺に一杯吸い込んだ。

「依存度の高い薬物か。最悪だな」

「ええ。近い将来、必ず廃人になる事は分かっている。摂取回数が多いほど、依存度は跳ね上がり、重度の中毒者は、判断力も鈍り働く事すら困難になるのに、それを求める。人としての箍が外れ、暴力的にもなる」

 手を出した者の、末路だ。自業自得とも言えるが、悲惨なものだとは思う。

 ミックは唇を噛みしめながら、桶を井戸へと落とした。

 彼は、加担してしまっている。意図したものではないのだろうが、それはすでに逃れられないほど深く食い込んでしまっている。まるで、呪いのように。

 そして、それでも逃げれば殺されるからと、耐えられなくなっている仲間達を必死に繋ぎ止めているのではないか。

「ミック、昔からここで働いてる奴は、まだどれだけ残ってるんだ?」

「……それを聞いた所で、何ともならんよ。もう遅いんだ。何もかも、な」

「そうだろうなとは思うよ。これだけのんびりしているのに、誰かが呼びに来ないのもおかしい。まるで、逃げれるもんなら逃げてみろとでも言われてるみたいで、気持ちが悪い」

 それこそ我慢出来なくなった者が、逃げ切れるのではないかと錯覚させるほどだ。

 振り払うように頭を振ったミックに、ガトは眉を下げた。

「ミック。あんた、少しでもおかしいと思った時に、逃げ出すべきだったよ」

「……俺は、たとえ一人になったとしても、ここに残るしかないよ」

「オリカちゃんのため、か」

「そうだ。俺はあの子が生まれた時から見守ってきた。血は繋がってはいないが、娘みたいなもんなんだ。だから……」

「だから、悪意ある者に踊らされ、大勢の者を死に追いやると分かっていても、致し方がない。とでも?」

 ガトには言いづらいだろうとでも思ったのだろう。ノーチェフが鋭い言葉で切り捨てる。

 言い募ろうとしていたミックは、青い顔のまま苦しげに押し黙った。

 木々に囲まれているというのに、鳥の声一つしない。

 森が、緊張に包まれているような違和感には、覚えがあった。

 密かに動いている敵が、包囲を狭めている時。

 だが、それは納屋から出た時から感じていた事だ。姿は見えないが、逃げた者を捕まえるための巡回を欠かさないのだろう。

 広大な森の、囲まれた付近とはいえ、あまりにも静か過ぎる。

 ガトは舌打ちを飲み込み、ミックへと顔を上げれば、彼と眼が合った。

「俺、は……」

 言いかけて、ゆるゆると首を横に振る。振り払いたくとも、払えないものを確認してしまったようにも見えた。

「何を、言われても。俺はあの子を見捨てられない」

「おい、違うだろ。大切だからこそ、絶対に悪事に加担させちゃ駄目だったんだ」

「オリカが。今のあの子が、正しい正しくないの判断がつくわけがない。アルコの眼が届かない分、俺が守ってやらなきゃいけないんだ」

 ガトは髪の乱れなど気にせず、指を立てて頭を掻き回した。

 ミックの言い分も分からないではない。だが、焦燥にも似た苛立ちが、ガトの中でざわめく。

「……俺様は、自分の親も知らないし、子供を持った事もない。正しい事を成すために、悪い事に加担せざるを得ない事くらい知ってる。けどな、今のあんたがやってる事は、時間が立てば立つほど、悪い状況にしかならない事くらい、分かるだろうよ」

 太陽の光で、濃いピンク色に見える瞳が、まっすぐミックを捉える。

 反論しようと口を開きかけた彼は、その視線の強さに、わずかに瞳を揺らしただけだった。

 当然、分かっているのだろう。だが、今更だ。

 それくらい、ガトとて分かっている。分かってはいるが、だからといってやめてやるつもりもなかった。

「オリカちゃんを、心底大切だと言うのなら、あんたは残るべきじゃなかった。死にもの狂いで通報すべきだったんだ。親代わりになると言うなら、大切な子供が巻き込まれた悪事なんかに眼を瞑るべきじゃなかった」

 苛立つようにガトを見たミックは、はっとしたように表情を変える。

 ガトは、ミックに対して、怒りも哀れみも心の中に一片たりとも存在してはいなかった。

 穏やかとはさすがに言い難いが、それでも凪いだような気持ちでいた。

 しばらく見ていたミックが、ふと眼を逸らした。ガトの姿に、何かを、誰かを重ねたように。



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