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古巣を窺う猫

 足音をさせず、しなやかに踏み込んできた彼を中に入れ、扉を閉めた。

 小さく軋む階段をのぼり、事務所へと入る。

「お前が一級捜査官の部下、ですか」

 客用として置いてある革張りのソファに、自分の場所だとでもいうように腰をおろした彼を横目に見ながら、アネッロは事務所机に足を向けた。

 猫目の男ガト=オッキオは、革張りソファに身を沈め、長い足を組む。光の加減で色の変わる紫色の瞳をくるりと回し、口の端を持ち上げた。

「俺様もなかなかやるもんだろ」

「なれた所で、警邏隊の下っ端からかと思っていましたが」

「俺様が警邏で埋もれるなんてもったいないって、上の奴らが見抜いたんだろ」

「私が聞いた事実とは違いますがね」

 鼻で笑ったアネッロに、ガトはささやかな抗議の意を、ソファの肘置きを軽く叩く事で表す。だが、抗議を受けるべき男は、書類に目を落とし相手にしていない。

「ったく。相変わらず粘りつくような言い方するな、あんた」

「たった一月ごときで、私が変わるとでも?」

「変わるわけないわな。そもそもの問題が解決していないのに、変われるわけがない」

 茶化すように笑うと、少しだけ目を上げたアネッロに、ガトは肩をすくめて見せる。

「言っとくけど。俺様を引っ張り込んでも、魔法に関する新しい情報はないぜ」

 その一言で、ただでさえひんやりした部屋の空気が、一気に張り詰めたものになる。

 突き刺すような冷ややかな視線を、ガトは窓の外に眼をやる事で受け流した。

「魔法など存在しないと、何度言ったら分かるのか」

「原因究明されてないだけってんだろ? 不思議な現象だから、とりあえず魔法って事でいいだろ」

「良くはない。絵本の流行に惑わされた言葉で括るなど、愚かでしょう。人間がかかわっている犯罪を、幻想にして欲しくありませんね」

「……俺様には、あんたが絵本を読んでるってのが驚きだけど」

「少々の物ならば、目を通していますよ。知識は豊富であればあるほど良い。お前はそこを怠っているから、小さな物事を見落としがちなのですよ」

 アネッロが諭すように言えば、彼は紫の眼を細めて立ち上がった。

「ああはいはい。結局、俺様が愚かだってとこに辿りつくんだよな。用がないなら、戻るかな。このソファも居心地が悪くなったもんだ」

「うちの働き手じゃなくなったのだから当然でしょう。領主の犬なのですから」

「犬て。ひでえな」

 書類に目を落としてしまったアネッロに、ガトは抵抗するでもなく、そっと嘆息した。

「あの金髪君が使い物にならなくて、俺様に戻って来いとか、泣きついてきたかと思ったのに」

 その言葉に、アネッロはおもわずといった調子で笑い声をあげた。

 眼鏡の位置を直しながら、ダークブラウンの瞳を向ける。

「見習いよりも下層にいるお前が、どんな顔をして泣き言を並べるのか。この目で見てみたかっただけですよ」

「……あんたは。本当に、相変わらずだな。だが意外とあっちも楽しいぜ? アンシャちゃんが、俺様をダシにしてまでお前に会おうと画策する様は、なかなか見物だし」

「そんなものですか。彼女が領主に直談判までして得たものが、お前だと言うから興味深かったのですが……仕方ありませんね。最下層の、さらに下っ端をつついても、何も出ないでしょう。仕事という仕事もないでしょうけど、戻って構いませんよ」

「分かってたけど、嫌なヤツだな。俺様が抜けて、床に頭こすりつけてでも戻って来て欲しいって懇願してもいいんだぜ」

「なるほど。私にそうして貰いたいと?」

 ぞっとするような笑顔を向けられ、ガトはソファの背もたれに手を置くと、そこを支点に飛び越し、盾にした。

「……冗談だって。あんたがひざまずいたら、俺は逃げるぞ。あからさまに怪しいだろ」

「失礼ですね。私はいつでも言いたい事を言っているだけですよ」

「おう、言いたいようにな」

「人間、素直が一番ですからね」

 どうだかなと呟いて、ガトは出入り口まで下がった。

「もう用はないよな。ったく、仮にも捜査官だってのに、お茶の一杯も出しやがらねえし」

「おや、これは失礼しました。下っ端の下っ端だと、どのくらいなら出せますか? ここの所、茶葉も安くないものでしてね」

「そうだった。俺様は、もうここの働き手じゃなかったっけ。帰るわ。どうせ水もタダじゃないんだろ」

「ご存知の通りですよ」

 眼鏡をかけ直し、ペン先をインク瓶に入れる。

 もう話す事はないという空気を察し、すでに彼が見ていないと知っていても、じゃあなと軽く手を振って、ガトは姿を消した。

 数枚の書類に署名し、別紙に一筆書いて封筒に入れた。宛名はライアン=ラクルスィ。伯爵の位を持つ、若き現領主の名前である。

 静寂の戻った部屋の中、陽が山の峰に沈みかけているため、オレンジ色の光が窓から差し込んでくる。書類の入った箱を机の引き出しにしまい、鍵の束から小さな鍵を取り出し、閉めた。

 扉にも鍵をかけ、階下におりると風呂場から甲高い声が聞こえてくる。

 忘れていたわけではない。風呂場の鍵を開ける前に、アネッロはパンと水を入れたポットをストーブのそばに置いた。

「おい! 今そこに誰かいるだろ! いるって分かってるんだからな、ここ開けろ!」

「騒がしいですね」

「騒がしいじゃねえよ! 全身ふやけて人相変わったら、どうしてくれんだよ!」

「そのまま見世物にされたくなければ、静かにすべきだと思いますがね」

 アネッロの言葉に、風呂場の主は沈黙した。一度床を踏み鳴らした事から、どこにもあたれないストレスを発散させたのだろう。

 アネッロは鍵を開けに行くでもなく素通りし、テーブルに封筒を置くと、青い封蝋をたらし、はめていた指輪で封印した。片翼の獅子のマークが、蝋に刻まれている。

 堪えきれなくなったのか、風呂場の戸が音をたてて揺れた。

「開けないのかよ! おとなしく待っててやったのに!」

 封筒を棚の上に乗せ、アネッロは苦笑した。

「口が悪いですね」

「そういう育ちだ、しょうがないだろ!」

 わざと足音をたて、戸口の前まで行く。

 今度こそ開けて貰えるのだろうと、向こう側で息を潜めたカリダに、アネッロは楽しげに歪んだ口元に手をあてた。

「良い機会です。言葉遣いというものを覚えなさい」

「はあっ?」

「正しい言葉で願い出る事が出来たら、ここを開けましょう。服もサービスします」

「なんでそんな事までしなきゃいけないんだよ!」

「無駄に悪ぶっているようでは、恥をかきますからね。仕事に影響するとなると、死活問題です」

 さらりと言うアネッロに、カリダが勝ち誇ったような声を出す。

「勝手に恥をかけばいいだろ。あんたの仕事がどうなったって、おれには生きるとか死ぬとか関係ねえし」

 だが、さらに上をいく余裕ある声で、アネッロはおかしくて仕方がないとでも言うように言葉を口にした。

「他人事ですね。全部、カリダの事だというのに」

「は?」

「私に借金がある事を、忘れましたか? 金貸しは接客業ですからね、人相手となると言葉遣いは必要不可欠。金を返せないとなると、生死にかかわる事になるかもしれません」

「なるかも……って。そんなの、あんた次第だろ」

「その通りですよ。覚えるまでもありませんが、ジュダス商会は、どなたにでも金を貸します。そして確実に回収します。例え、どんな手を使ってでもね」

 さて。と、言葉を区切る。

 冷え切ったせいなのか、これから起きるであろう災難を想像してか。とにかく身体を震わせて、カリダは奥歯を噛みしめた。

「どうしますか? どうしても嫌だと言うのなら、仕方がありません」

「……諦めてくれるのかよ」

「面白い事を言いますね」

 板越しに笑い声が聞こえてくる。

 その楽しげな声音のまま放たれる、恐ろしい言葉をカリダは耳にした。

「そうですね。そこから引きずり出して、まずは指を一本ずつ……」

「ごめんなさい! おれが悪かったでした。ええと、そろそろ鍵を開けてくれるかな」

「今までの事、大変申し訳ありませんでした。お願いします、鍵を開けて下さいませんか」

「長過ぎる。なに言ってんのかわかんね……わからない」

 悲鳴に近い声をあげ、カリダは濡れた頭を抱え込む。

 声を聞く限り、それがあまりにも切実な訴えに聞こえ、アネッロは嘆息した。

「仕方がありませんね。ならば、まず自分の事を俺と言うのをやめなさい」

「……えー」

「足の指が消え失せても良いなら、構いませんがね」

「……わかったよ」

「分かりました。だ」

 すぐに言い方を直し扉を蹴れば、飛び上がったような水音がした。

 壁に反響した金切り声が、即座に返ってくる。

「わかりました!」

 満足はしていないが鍵を外してやり、戸を少し開ける。浴布を隙間から差し入れてやると、すぐに奪い取られ、口の中でなにやら文句を言っているようだった。



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