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お前は、誰なのか

 愕然とした空気が扉から中へと伝わってくるがそれを物ともせず、ガレインはアネッロへと向き直った。

「それにしても、暇つぶしとは酷い事を言うではないか。私は彼女に娯楽を提供しただけだよ? 私がやれと命令したわけではない。彼女が自ら、考えた結果だ」

「おっさん、ふざけるなよ! やらなきゃ殺して、路地裏に転がすんだろ!」

 カリダの物騒な物言いに、さすがに部屋の外の空気が凍りつく。

 アネッロは感情を乗せず、ただガレインを見れば、彼は驚いた様子でカリダを見下ろしていた。

 はっとしたように顔を上げると、慌てて両手の平をアネッロへと向けた。

「そんな事を言った覚えはない!」

「やらなきゃ袋叩きだって言った」

「そ、それは、もてなす側が縛られたままで放っておかれては、楽しませてやれないではないか」

 私ばかりが楽しむのでは、それはさすがに。などと言い募るガレインを、カリダは冷ややかな眼で見やれば、すぐに口を噤んだ彼は、嬉しそうにすまないと呟いた。


 気に入られた。


 はっきりと、カリダは彼の感情を読み取ったようだった。

 少しでも離れるように、早足でアネッロの元まで来ると、訴えるように凝視しながら見上げる。

「じゃあもう、ここにいなくても良いんだよな」

「当たり前です!」

 カリダの質問に答えたのは、アネッロではなくモネータだった。

 アネッロの後ろから手を伸ばし、カリダの腕を捕らえると、即座に部屋から引っ張り出される。

 硬い顔で、カリダに視線を合わせて屈んだモネータは、少し乱れたカリダの髪を整えるように両手で撫でた。そのまま頬へと滑らせて両側から優しく包み、殴られてはいないか、自分がつけた痣以外の怪我がないかと青い双眸を走らせる。

「怪我は、ないようだな。何をされた?」

 服の乱れはないな。と、多少安堵したその声は、わずかに震えていた。

 その手と哀れむような眼を向けられたカリダは、鬱陶しいその手を振り払い、彼から一歩後ずさった。

「お、まえっ! 邪魔くせえ!」

「……は?」

 振り払われ、上げた手もそのままに、モネータは硬直した。

 だが、カリダはもう一歩足を下げ、更に叫ぶ。

「近づいてくんじゃねえよ! どいつもこいつも、変態ばっかじゃねえか!」

「へ、変態?」

「ベタベタ触りやがって! 気持ち悪いんだよ!」

 耳まで赤くしたカリダは、離れた所からモネータを指さして――何かを思い出したような顔をした。

 それはほんのわずかに眉が動いた程度ではあったが、モネータは反応した彼女の中に嫌悪が混ざっているのを正確に読み取った。

「カリダ……触られたりした、のか?」

 モネータから、何かが立ちのぼった気がしたが、カリダはそれを無視した。

 力が抜け、少し曲がっていた指先が、勢いを増したカリダの心を表すように、しっかりと伸びて、勢いのまま大きくうなずく。

「ああ! そうだな! 最初からそうだったよな!」

 怒りを堪え、両手を身体の横で握りしめていたモネータは、少女の怒りが何故か自分に向かっている事にうろたえた。

「……カリダ?」

「ボスの金を盗ったのは、おれが悪かったよ! でもな、殴りつけて肩に担いで、逆らうなっておれの腰をさすりやがったのは誰だ!」

 静まり返った狭い通路に、少女の甲高い声が響き渡る。

 モネータは、ただ絶句していた。

 不品行に触れた覚えはない。だがカリダを拾った時、確かに荷物のように肩に担いでいた。

 意識を取り戻した彼女が、アネッロに咬みつこうとしたため黙らせようと、落ちないよう腰に回していた腕に力を込め、腹を圧迫させた事も真実だ。

 ただ、それはアネッロに逆らう事は得策ではないと、言葉にせず知らせるためであったのだが。

「カリダ、それは――」

 どうしたらいいのか分からないのだろう。

 モネータの伸ばしかけた右手から、そして背後に立つ捜査官達から逃れるため、カリダは階段を後ろ向きに二段上がった。

 階上から、他の捜査官が捕縛するかと視線を落としてくるのに気付いた、アンシャは小さく首を横に振り、待機の意を示す。

 逆上したカリダは、それに気付く様子もなく嘲るように声を上げて笑った。

「そうだな。汚くて臭い孤児なんて、どんな扱いされても仕方ねえ。だから、ここで何かされたとしても自業自得だってんだろ? わかってるよ。触られただの、触ってやっただの。文句言える筋合いなんてねえ」

「カリダ、誰もそんな事は言っていない!」

 何故か、傷ついた顔をしているのは、カリダではなくモネータだった。

 言い募って、カリダへと足を踏み出せば、少女は後ろ向きにまた二段上がり、叫ぶ。

「目立たないようにして、ただ生きる事に必死だっただけなのに。いるだけで土地が汚れるとか。消えてなくなれとか。あげくの果てには人形扱いだ! 男だろうが女だろうが、関係なしに突っ込むしか脳のない貴族どもが野放しで、領主の私兵どもだって見て見ぬ振りだ! 当たり前か、悪い事は全部おれらのせいにしたら、全部丸く収まるだろうしな!」

 肩を上下させながら、荒い呼吸を繰り返し、カリダは涙を流しながらすべてを呪うように睨みつけていた。

 さすがに、誰も声を発する事が出来なかった。

 いや、凍りついた場に、ただ一人靴音を鳴らす。

「カリダ」

 それは、柔らかい声だった。アンシャはそこで息を止めていた事に気付き、静かに吸って、吐く。

 眼に手を当てる事なく、湧き出るままに涙を流す少女から、室内で半身振り返っていたアネッロに眼をやる。

 彼は、いつもの張り付けた笑顔などではなかった。

 無感情でもないその表情は、よく言ったと褒めるものに見えて、奥歯を噛みしめる。

「一つ、確認します。お前は、この者に犯されましたか?」

 信じられない者を見る眼が、アネッロに降り注いでいるのが分かった。

 この状況で、今それを聞くのか。と、全員の眼が男を責める。

「……貴族様は、悪くない。違うって、言わせたい、んだろ? どうせ、孤児が本当の事言ったって――」

「私がお前を引き入れた時、何と言ったか覚えていますか?」

 話を急かすでもなく、アネッロは楽しげに口元を緩めた。

 怒気が、混乱に変化していき、カリダが顔を複雑に歪めながら、小さく首をかしげた。

「……パンを食いたきゃ、風呂に入れ?」

 捻り出したのだろうその言葉に、アネッロは場にそぐわない快活さで笑った。

 完全にカリダへと向き直ると、腕を組み、アネッロよりも頭数個分上にあるカリダの眼をひたと見据えた。

 その尊大な態度に、カリダの潤んだ瞳がわずかに揺れ、唇をきつく噛む。

「お前は、誰だ?」

 静かに問われ、カリダは鼻をすすってから、聞こえるように息を吐き出した。

 そこでやっと袖で顔全体を拭い、もう一度鼻をすすってから、カリダはやっといつもの生意気な笑顔を浮かべ、腕を組んだ。

「カリダ=ジュダス様だ。おれがそいつに犯られたって? ふざけんなよ、そいつからは指一本触れさせてねえよ。おれが相手すんのは嫌だったから、外の連中を呼んで、そいつに突っ込ませてやろうかと思ってた所だ。おれは、ボスの言い付け通りに遊んでやっただけだ」

「そうか」

「そうだ」

 同じような顔で微笑する二人に、アンシャはもう一度息を吐き出した。

 アルトへと無言で視線をやれば、彼は心得たようにガレインに服を着るよう指示し、支度が整うと、彼を後ろ手に捕縛する。

 カリダは、それを見て何か言いたげであったが、口を開く事はなかった。

「カリダ=ジュダスさん、あなたにも事情聴取を致します。年齢を考慮して、後日ジュダス商会でお話を伺う事になると思いますので」

「見た通りだと、思うけど」

「……それでも、です」

 アンシャの声に、カリダはアネッロに眼を向け、彼がうなずく。

 薄い肩を小さく上げて、下唇を突き出しながら、カリダは面倒臭そうに分かったと呻いた。

 彼を連れて、階段の端に移動した少女の横を通る前に、硬い顔をしたモネータがさり気なく庇う位置に立ち、眉を吊り上げたカリダに蹴飛ばされていたが、彼はガレインから眼を離さない。

 捜査官達は、速やかに捕縛した者達を搬送したが、誰も無駄口を叩く事はなかった。



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