救出
重厚な扉を前にして、アルトは遠慮なく拳を叩きつけるようにして打ち鳴らす。
それを開けた侍女らしき女は、先程のならず者が戻ってきたのかと、嫌そうに顔を歪めながらアンシャ達を見た。
「……どちら様でしょうか」
「第一級犯罪捜査班、アンシャ=ザイエティと申します」
名乗れば、女は驚きに眼を見開いて、思わずだろう慌てて扉を閉めようとする。
すかさずアルトが足を隙間に差込み、ついて来ていた捜査官がそれ以上閉まらないよう、扉に手をかけ、力ずくで扉を引き戻す。
「無礼ではありませんか! 何の御用か存じ上げませんが、この館を所有されておられる方が、どなたかご存知の上で……」
「承知しております。先程、偶然前を通りかかりました所、私の手元から子供を攫った男達がこの建物から出てきまして。その子供は、こちらに卸したと白状致しました」
ふわりと柔らかく笑んで見せたアンシャに、彼女は顔を強張らせ、声も出せないようだった。
アンシャは、彼女に向かって半歩足を出す。
「屋敷の内外、全て検めます。抵抗する者は捕縛します。お下がりなさい」
品の良いスカートのすそを握りしめながら、目の前に立っていた女は、笑っているだけのアンシャに慄くように後ずさった。
それを合図に、アンシャが右手を上げる。
捜査官達が館内に踏み込み、応援にかけつけた捜査官達が更に雪崩れ込んだ。
あまりの事に青ざめていた女は、扉の横で叫ぼうと口を開いたところで、アンシャに肩を掴まれ、壁に押さえ込まれる。
「は、離しなさい! こんな、こんな事許されるはずが……」
「黙りなさい。この土地は、今この時を以って、ラクルスィの名において差し押さえ、全ての権限がラクルスィに帰属されます」
「そんな……」
夜という事もあり、更には貴族の別宅のため、静かなものだった。
周囲は調えられた広い庭園が広がり、多少騒ぎがあったとしても酷い騒ぎにはならないだろう。
捜査官達も、不必要な騒ぎを起こす行動をとる事は、望んでなどいない。
玄関口に、侍従の者達が集められ、固まって床に座らされている。
それぞれが皆、これからどうなるのかと不安げな表情を浮かべ、それでも声を出さずに大人しくしていた。
「班長」
アルトの静かな声が、奥の通路からして振り返る。
微妙な顔をして、眼だけでこちらへとうながされ、アンシャは急いで彼の後を追った。
すぐに彼に並び、二人ともが無言で階段を下る。
ある部屋の前で、男女二人が通路で捜査官達に腹ばいにされていた。
「ご苦労様」
二人の上に、一人ずつが腕を捩り上げながらただうなずいた。
「カリダは、ここに?」
「……はい。あの、ですが、アネッロ=ジュダスを呼べと」
「状況が分かっていないのかしら、往生際が悪いわね」
いくら静かに素早く行動を起こしたからといって、一切の音を立てずに家捜し出来たわけではない。
地下であったからといって、見張り二人が扉越しに倒されているのだ。
外は明らかに異常事態であると知れるはずだというのに。
問答無用で扉を開けようと、ノブに手をかけたアンシャに、アルトは珍しく動揺しながらアンシャの手を包むように手をかぶせてくる。
甘い空気などなく、それは絶対に開けさせまいと頑なだった。
「アルト、邪魔をしないで」
「アネッロ=ジュダスを連れてくるよう、手配しました。カリダは、その、大丈夫ですから」
「大丈夫ですって!? 何を言っているのです! 小さな子供が、あんな酷い目に遭って、どこが……」
「ああ、私兵の姉ちゃんが来たのか。おれは大丈夫だから」
金切り声を上げて、アルトに食ってかかったアンシャに、中から少し疲れたようなカリダの声がした。
「カリダ! 無事なのね! 酷い事はされてない?」
「無事、無事。酷い事は……どっちかといえば、おれがしてる方だから」
「……は?」
ノブを回す回さないで、必死に攻防しながら声をかけると、やはり疲れたように笑いながら、返事が聞こえる。
「……そういう事です」
「どういう事です?」
ノブを持つ手から、力が抜けたのを見計らい、アルトはアンシャの肩を押しながら、扉を背にしてアンシャから遠ざけた。
頭上から足音が聞こえてきて、捜査官に連れられたアネッロとモネータが姿を現す。
「ご足労、ありがとうございます」
「いえ、こうなると思っていましたから」
アルトが少し安堵した表情で声をかければ、アネッロがうなずいて見せる。
その背後にいるモネータは、薄暗く狭い通路に顔を顰めながら、見回していた。
「こちらです」
扉の前にアネッロを立たせると、アルトは鋭い眼を向けた。
アネッロ自身で開けろという事なのだろう。
人さし指と中指を揃え、指先だけで金属製のノブを一度だけ叩いてから、アネッロはそれをつかんで回した。
「ああ、ボス。遅かったじゃねえか。やっぱりあんたの仕業だったんだろ?」
正面にあるベッドの前の床に、肘と膝をついて這いつくばる全裸の男の背に腰を降ろし、カリダは扉の方を向いて、暗く笑っていた。
彼らの後ろから中を覗き見たアンシャとモネータは、その状況に眼を剝いて、一瞬呼吸を忘れた。
同時に息を吹き返し、二人は黙ったまま怒りに顔を朱に染めた。
そんな背後の様子など、気にも止めず、アネッロは腕を組んで見下すように眼を細めて口の端を持ち上げる。
「私が仕組んだとでも?」
「そうなんだろ? 途中でおかしいと思ったんだよ」
今まで我慢していたのだろう、嫌悪に顔を歪ませながら、サスペンダーの端で、男の腿を叩く。
小気味良い音がした途端、叩かれた男は歓喜に呻き、わずかな刺激を更に強請るように身を震わせた。
その動作に、カリダはうんざりとしながら、アネッロを睨みつける。
「ボスに叩き込まれたアレって、こいつの大好物ばかりじゃねえか」
唇を尖らせてカリダが呻けば、アネッロはいたずらがばれた子供のように笑む。
「私の仕業ではありませんよ。ただ万が一、我が商会の人員が狙われた時には、こちらに流れるよう情報操作をお願いしてはいましたがね」
「は? じゃあ、何だよ。おれが必死に世話してやってたこれって……」
右手を口元にあて、肩を震わせたアネッロに、カリダはゆっくりと驚愕に眼と口を大きく開く。
次に訪れたのは、怒りだったのだろう。
口を何度か開閉するのを、楽しげに眺めたアネッロは、満足気にうなずいた。
「我々がたどり着くまでの、余興。もしくは、暇つぶしといった所でしょうかね」
「よきょ……? 暇つぶしって! お、おれがどれだけ……っ」
喘ぐようにカリダが男から飛び降りた少女に答えたのは、椅子になっていた男だった。
一度、熱い息を吐き出してから、男――ヘムデリック=ガレイン子爵はゆっくりと立ち上がる。
左腕を腰に当て、全裸のまま堂々と来客達へ対峙した。隠す物といえば、脱ぎ散らかされた彼自身の服しかないが、ガレイン子爵は拾う素振りも見せない。
動揺しなかったのは、カリダとアネッロくらいのものだった。
扉から一歩入ったアネッロの肩越しから、のぞく事が出来る身長を持った者、そして先に現場の状況を知っていた者達は、総じて困惑した。
アネッロの背後に眼をやり、ガレインは高揚した表情を隠そうともしない。
「おい、あんたら。反応してやるな、変態が喜ぶだけだぞ」
いち早く気付いたカリダが、助けに来たはずの者達へ声をかける。
「酷いな、お嬢さんまで」
カリダの斜め後ろに立つガレインが、カリダの細い肩に大きな手を置く。
しかし、汚い物を払い落とすように、その手を叩いたカリダは、殺意をそのまま乗せた眼をして顔だけで振り返った。
「許可してねえだろ。なに、勝手に触ってんだ」
子供とは思えない低く荒んだその声のせいか。それとも孤児が貴族に逆らった事に、背筋に冷たいものが走ったのか、捜査官達が顔を強張らせる。
だが、動揺する彼らとは裏腹に、ガレインは瞳を潤ませて、幸せそうに謝罪した。