迅速なる捕り物
モネータからコートを受け取り、袖を通す間に、彼はランプを二つ壁から下ろす。
襟を整えると、タイミング良くランプの一つを差し出してきた。
少しは気が使えるようになったかと思うが、声をかけず、青い瞳の中に揺らぐ火の光を見てうなずいてやった。
少し驚いたように、わずかに表情を動かしたモネータが、顔を引き締めてうなずき返す。
外に出ると、アンシャとアルトが腰に提げていたランタンを外し、火を入れる。
アネッロとモネータの前に二人が立ち。そして、キーダが後ろについた。
余計な事をしないための布陣か、それとも――
アネッロは口の端を持ち上げた。
「素人二人だからと、一人で我々を排除出来ると思わないほうが無難ですよ」
振り返らずに声をかければ、背後でわずかにうろたえた気配がする。
アンシャが歩きながら頭だけで振り返り、挟まれた二人を、ついぞ見た事のない鋭い眼光が貫いた。
「キーダ、余計な手出しは無用です」
「……はい」
硬い声が背後からかけられ、モネータの身体にも知らず力が入ったようだった。
アネッロがのどで笑えば、それを見た彼女の顔が平常を取り戻し、慌てて前を向く。
「ああ、もう一つ言い忘れていた事がありましてね」
足を止めかけた二人に、そのまま歩くよう促した。
悲鳴のような声を上げて吹き付けてくる風は、闇を引き連れてきた。
人の往来はすでになく、五人は静かに、足早に大通りを進む。
「何を、忘れていたのですか」
アネッロの声に、足を止める事なく、アンシャが軽く振り返りながら眉をひそめた。
「カリダを買ったガレイン子爵殿は、後に分かる事ですが、私と契約していましてね。捕縛はされるでしょうが、注意勧告のみで釈放して頂きたいのです」
「……どういう事です」
さすがに聞きとがめたのだろう、彼女は完全に振り返り、足を止めた。
必然的に立ち塞がれた形になったが、アネッロは穏やかに微笑する。
「それは、取調べの時にでも聞けばよろしいかと」
アンシャが呆れたように嘆息して視線を一度外し、もう一度眼を上げ、疲れたように笑う。
「多くは伺いませんが、まだ何か言いたげですわね」
「おや、要望を聞いて下さると?」
「……勝手な事をされては、敵いませんから」
言葉を絞り出すように発し、アンシャが肩を落とした。
「では、遠慮なく。誘拐した数人は捕らえるのではなく、泳がせて欲しいのです」
「それは、承諾致しかねます」
きっぱりと断られ、アネッロはそうですかと残念そうに退いた。
簡単に諦めたアネッロに、違和感を覚えたのだろう彼女は、訝しげにアネッロの表情を読み取ろうとしながらも、慎重に言葉を口にした。
「……誘拐犯が、裏で誰かと繋がっているとでも? 私としてもその可能性を考えないではありません。もちろん余念をもって捜査しますが、だからといって捕縛出来るのに逃がすという事は出来ません」
そして、話は終わりだと言わんばかりに、闇が増した路地へと足を向けた。
それぞれが持つ灯りが、足元を仄かに照らす。
無言で歩く中、モネータが一度視線を流してきたのには気付いたが、アネッロはそれに反応を見せなかった。
路地を抜ける手前で、全員が足を止め、ランタンやランプに布をかぶせる。
敵から発見されるのを防ぐためだ。
屋敷の前ではあるが、街灯から離れた場所に止められている荷馬車は、ひっそりと打ち捨てられているようにも見えた。
古くは見えないそれには、馬が二頭繋がれており、眼を逸らさずにいれば、御者台で動くものがあった。
他に動く者を見る事は出来ず、積荷はすでに内部へと持ち込まれているのだろう。
「二頭立てで、御者が二人」
細部まで見る事を怠るな。そう言い聞かせているためか、モネータが見た物を自身に刻むように、口の中で呟いた。
「その場合、何が考えられますか?」
アネッロが問えば、モネータは口元に右手を当てた。
「荷馬車は古くはなく、正面に馬車を着けても怪しくはない状態。大切な商談があるのか。それにしては屋敷の敷地内ではなく、こんな暗い場所に置き去りにしているのは不自然です」
「二頭立てにしている理由は?」
「……子爵殿の別荘に乗り入れる際、家柄に吊り合うよう二頭立てにし、馬車も良い物を使用しているのは確かだと思います。ですが、それが今、ここで待機している。それは――」
「商談が終わったら、即座に逃げるためでしょうね」
キーダが、後ろからモネータの教育に参加してきた。
思わず、顔を半分動かしてモネータが後ろにいる男を見れば、無表情のキーダが更に口を開く。
「我々が門の出入りを制限し、見回りも強化している。例え見回りがここで待機している理由を御者に尋ねたとしても、子爵様の名を出せば、どうとでも誤魔化せる。しかし万が一何かがあったとしても、二頭立てならば強行突破も可能だろう」
モネータがその言葉に、一度うなずいて見せ、屋敷へと眼を戻した。
屋敷の窓に灯る光の、どれか一つにカリダがいるのだと、眼を走らせている。
口を引き結び、厳しい顔つきで仔細を見逃さないとでも言うように。
アネッロが周囲を見渡し、その眼に状況を焼き付けてから、もう一度視線を巡らせると他の路地や、通りの暗がりがわずかに動く違和感を見て取った。
「位置についたわ」
アンシャが小さく捜査官二人に告げると、それぞれが腰に提げている警棒に手をやり、存在を確認していた。
御者台にいる二人は、暗闇に眼が慣れていないのか、まさかこんな場所に誰かが潜んでいるとは思わないのか、動きはない。
「アネッロさんと、モネータさんはここから動かないようお願いします」
「頼みますよ」
「お任せ下さい」
屋敷の玄関が開き、和やかな暇の礼を告げる声が聞こえてきた。
アンシャとアルトは御者台にいる二つの影が蠢く様を見て取りながら、素早く建物へ走る。
キーダが左手を一度だけ横に伸ばし、荷馬車へと走った。
それを受け、黒い影達が路地から沸いて出る。その動きは迅速で、見事なものだった。
敷地内から出た所で、塀に背を預けていた捜査官達が、酒でも呑んできたように笑いながら出てきた三人の男を引き倒すのが見えた。
怒号を上げた男達だが、すぐに口を塞がれ、引きずられていく。アンシャとアルト、そして残った数人が、敷地を堂々と踏み入って行った。
その異様な怒号を受け、馬が嘶いたが、荷馬車が走り去る事はなかった。
荷馬車まで足音も立てずに駆けた彼は、そろそろと御者台に近づいていた。
仲間達が捕まったと、やっと気付いた御者役が手綱を振るう前に、一人を引きずり降ろす。もう一人も向こう側にいた誰かに捕まったのだろう。
馬は、他の男達に宥められ、落ち着きを取り戻している。
「……さすが、見事ですね」
「そうですね。ですが、外れかもしれませんね」
「外れ、ですか?」
「あれを引き入れたのは、つい最近です。それがすぐに誘拐された。ならば、何か裏があるのかと思ったのですがね」
それが三人の男は出てきてすぐに、あっけなく捕縛された。
子爵以外に、他から依頼を請けていたのではないか、そう思っていた。
だが実際の連中は、気が大きくなるまで酒を呑み、あげく抵抗という抵抗すら出来ずにいた。
迂闊にもカリダの事でも語らっていたのだろう。そうでなければ、問答無用で捕縛する事は出来なかったはずだ。
他からの依頼があったのならば、もっと慎重になるのではないのか。
シェーンの事件にかかわった奴らが、尻尾を見せ始めていると、確信はしている。
だが、それにしてはあまりにも今回の事件は粗末なものに見えた。
アネッロの眼には、他に潜み全てを見届けてから、逃げるような人物などの違和感は見受けられない。
全てに繋がっているのではないのか、と考えていた。
違うのでは、とは思うが、それは確信ではない。
疑わしい部分があるのならば、それは心の中に残しておくべきだ。
アネッロは、ランプから布を外し、隠れていた路地から足を踏み出した。