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口約束

 硬い厚手のマットにシーツをかけただけの簡易ベッドに、鉄格子のついた小さな窓。

 そして、木で出来た扉と、天井付近で揺れるランプのみ。

 ここにある物は、それだけだった。

 テーブルや椅子など、生活に必要だろう物品は一切ない。

 窓や寝る場所、そして灯りがあるだけ、孤児院で閉じ込められた場所とは違う。

 違いはあるが、状況は最悪だ。殴られる事はない、それは断言できる。

 なぜなら、アネッロ直伝の縛り方で、男の両腕をカリダ本人が縛り上げている。

 解けないと言っていた。それは、是非とも信用したい所だ。

「……それで、私はこのままか?」

 変態は黙ってろ! そう言いかけて、カリダは勝手に下がってくる口の端を、必死に持ち上げた。

 アネッロがするような口調を、必死に思い出して真似をする。

「その前に、一つ聞きたい事があります」

「何かな?」

 何やら期待に満ちた表情をしていたが、あえて気付かない振りをした。

「……あなたはアネッロ=ジュダスが気に入っているようだから、それに近い話し方をしたらいいのか。自由にしてもいいのかを知りたいです」

「この状況で、それを気にするのか」

 呆れた声を出した男に、カリダはゆっくりと男の全身を舐めるように眼をやった。

 カリダの視線に、少しばかり男の身体が小さく揺らめく。気持ち悪い。

 だが、その態度にカリダは確信した。

「この状況だからですよ。私はあなたに買われた。ならば、あなたの意に沿うべきだと思ったのですが」

 悪い顔を、自分でもしていると思う笑い方をした。

 最初は、ボスに近づけたらいいのかと思っていた。それだけ、あの男に拘っているようにも見えたから。

 だが、実際こういった状況になった事で、気持ちが変わったのだろう。

 目の前の男は、事を早く進めて欲しいだけだ。話し方など、二の次で。

 後は、アネッロに仕込まれた腕前を披露して貰いたいだけなのだろう。

「そうか、気にしなくていいのか」

 カリダは意を決して、怖気づいた姿を隠し、いかにも楽しくて堪らないとでもいうような雰囲気を意識しつつ男へと近づく。

 カリダの次の行動を期待するように、ベッドにつけた膝をわずかに動かした。

 願わくば、全力で逃げ出したい。

 男の動かした足元を見て、思わず足を止めてしまった。

 瞬間、男の表情が硬くなる。

 まずい。本当は気持ち悪いだとか、嫌で嫌で仕方なくて、そのまま放置したいだとかの本音が、ダダ漏れしてしまったのか。

 頭のどこかで、落ち着けと冷静な声がした。

 それは、こういった教育の際、アネッロに幾度も言われた言葉だった。

 その時は、これが落ち着いていられるか! などと、手元にあったカップを床に投げつけて、借金が加算された。

 そうだ。借金があるはずなのに、あの男はカリダを見逃すのだろうか。

 ふとそんな事を思ったが、頭の中で頭を横に振った。

 ほぼ騙されたような借金だ。カップの代金はともかく、そんな在ってないような借金などのために、カリダを追うはずがない。

 どこかで彼らに期待し、縋っている事に気付く。

 今現在でさえ、アネッロの知識を元に、細い糸を必死に手繰っている。アネッロならばどうするかを真似て、それでかろうじて生きている事も、事実だ。

 アネッロならば、どんな態度をとるだろう。

 あの悪魔は、どんな顔をして、どんな言葉を吐くだろう。

 彼になり切るつもりで、笑って見せるし、嘲るように言葉を吐き出す。

 カリダは、まるで今立っているのが自分ではないような錯覚を起こしながら、のどで笑った。

「誰が、動いていいと言った?」

 思っていたよりも低い声が出た。

 男の顔が、更に強張るかと思えば、逆に表情が緩むのを見て取った。

 そうなると聞いてはいたが、本当にそうなるのかと、実体験で知識を試せる事に多少楽しくもなってくる。

 こいつは、逆らわないのだろう。

 もちろん、生命の危機や、やり方を酷く間違えればカリダが殺される――

 ――死ぬ? 本当に?

 ずっとどこかが引っかかっていた。頭の中で、その疑問が浮かび上がった時、カリダは眼を見開いた。

 さすがに、男は怪訝な表情で、カリダの変化を眺めている。

「ああ、そうか。あんたが誰かなんて、関係なかったよ」

「……何の、事だ?」

「自分はジュダスとは関係なくなったと言ったけどな、名前はジュダスとついている」

 何を言い出すのかと、男は情けない格好のまま、ただ黙ってカリダが見下して笑うのを見ていた。

 カリダは、彼の目前まで行き、人さし指で抵抗をしない男のあごを持ち上げる。

「これは、契約だ。ジュダスは誰にでも金を貸す。だがな、客の情報は何があっても漏らさないのが売りだ。あんたは金を借りたわけじゃないが、わたしを買った。払った相手がゴロツキってのが気に入らないがな。まあいいだろう」

 指を離すが、男はあごを上げたまま、まっすぐカリダを見つめながらわずかに震えた。

 カリダは、今度こそ合格点をもらった笑顔を浮かべていると確信していた。

「解放が条件だ。わたしを外に出しても、あんたの情報が漏れる事はない。その代わり、あんたが望んでいる事を望んでいるだけしてやるよ」

 どうする? と問えば、男の薄茶色の瞳が困惑に揺らぐ。

 カリダは、否定を許さないとでも言うように、靴のまま男の股間を容赦なく踏みつけた。

 苦しそうに呻いた男に、力を込め過ぎたかと思ったが、五まで数えてから足を持ち上げる。

 離れていく足に、男は切なそうに息を吐き出す。

 背中の毛が、嫌悪に総立ちになっていたが、顔は無表情を装う。靴を脱がされてなくて、本当に良かった。

「契約した方が、楽しめるんじゃないか?」

 男の股間を、もう一度踏むと見せかけて、止める。

 息を呑んで待ち構えた男から、足を退いて、二歩離れた。

 腕を組んで見下ろせば、男は明らかにうろたえる。

「……悪いが、解放はしてやれない」

 それはそうだろう。ジュダス商会とはかかわりがないと言ったばかりで、名前がついているだけの女子供と契約などする馬鹿はいない。

 しかし、カリダはうなずいてやり、扉の横まで行き、壁に背中を預ける。

「……何を、している」

「契約しないんだろう? だったら、あんたが一人で楽しむ様を見るだけだ」

 両手を縛られ、ズボンを異様に盛り上がらせた男を、にやにやと見つめた。

「外の見張りを呼べば、お前は終わりだ」

「そうしたければ、そうすればいい。けどな、コレを秘密にして楽しませてやれるのは、わたしくらいだぞ」

 そんな余裕も技術もあるわけがない。カリダに備わっているのは、叩き込まれた知識と度胸だけだ。

 だが、そんな事など相手は分かるはずがない。

 それすらも、ボスからの教えに含まれていた。

 こんな偏った知識ばかりを盛大に植えつけてきたあの男は、本当に何を考えているのか。というか、そんな輩ばかりが堂々と陽の当たる道を歩いてきているというのか。

 カリダは、ほとほと自分の生きる先が不安でしかないと思った。

「……本当に、そのままそこにいるつもりなのか」

「それすらも、喜んじゃってるんじゃないか?」

 あごで、下半身を指し示してやると、男は羞恥と怒りに顔を赤く染めた。

 腕を解き、壁から背中を離す。男はカリダの一挙手一投足に、敏感に反応した。

 カリダは、わざと床に足音を立て、一歩踏み出す。

「さっきみたいに、踏まれたくはないか?」

 男の反応を見ながら、ゆっくりとまた一歩、足を出す。

「それ以上の事を」

 のど仏を上下に動かして、唾を飲み込んだのを見逃さなかった。

 それは期待の表れだと、ボスは言った。カリダは、小さく声を立てて笑う。

「あんたは、望まないんだったな」

 男が足を伸ばしても届かない位置で、立ち止まった。

 それ以降、男が何を言っても、カリダは言葉を発しなかった。

 外の見張りを呼ぶ事をせず、しばらくして、男はただ見られている事に耐え切れなくなり、年端もいかない少女に向かって泣き叫ぶように懇願した。

 契約する。触ってくれ、と。

 それを聞いて、カリダはやっと腕組みを外せば、男は歓喜に震えた。

「口約束だと踏み倒すようなら、その後どうなるかわかっているな?」

「ああ……ああ! もちろんだ! どんな辱めも受ける!」

「あんたにとって辱めはご褒美だろ。そうだな、もし契約を破ったら。あんたが現実を思い出す事をしてやるよ」

 理性の光が、男の瞳に宿ったが、すぐに欲情の色に掻き消された。

 カリダは獲物を狙うような強さを眼にこめれば、男は更に期待に疼いて呼吸を荒くする。


 ――夜はまだ長い。

 この流れを作ったのは自分だが、カリダは吐き気を抑えるのに必死だった。



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